閑話・黒髪の勇者1
「たかはしーー。高橋は来てないのかーー?」
教壇に立つ黒縁メガネをかけた中年の男は辺りを見回すと、出席簿にバツをつけた。
朝の本鈴も鳴り終わり、生徒の掛け声とともに朝の挨拶が始まる。
「起立! 礼! 着席!」
私立南鳳学園高等部、一学年二組の教室で、一時間目の授業が行われようとしていた。
いつもの教室で、いつもの時間が流れようとしていた。
唯一違うのは、一人の生徒が登校していないことだけ。
担任の教師が教室から出て行くと、一時間目の授業である地理の先生が来るまで時間が空く。
「あいつ、ついにずる休みしたな」
「結衣の告白が効いたんじゃないか?」
男女が一列ずつ交互に別れた教室内で、窓際の一番後ろの席に座る男女が6人、いつものように話しを始めた。
「やめてよ! ユウ君! あれはただの罰ゲームじゃない!」
結衣は隣の勇太の茶化しに、口をムッとさせて怒りを表す。
当の勇太は昨日の出来事を思い出し、笑いを堪えるので必死だった。
「あ、あいつの昨日の顔見たか? マジで今思い出しただけで吹きそうになった」
勇太の後ろに座っている鉄平も昨日のことを思い出し、声を出して笑い出した。
「ブサヤの奴、『えーっと、あ、あ、ありがとうございます。お、おれも、樋口さんのこと、可愛いと思ってました』だもんな」
「やめてよ鉄平! あいつにあんなこと言われて、昨日も鳥肌がずっと立ってるし、寒気とか吐き気もするしで散々だったのよ!」
鉄平の横に座る葵が結衣の話に頷くと、鉄平の足を軽く蹴った。
「鉄平! 結衣のことも考えてあげなよ。女の子の告白はそんなに安いものじゃないのよ」
「ちょ、葵! なんで俺だけ怒るんだよ! 龍之介だって昨日めちゃくちゃ笑ってたんだぞ!?」
机の上に突っ伏していた龍之介は突然話を振られると、面倒臭そうに顔を上げ、徐に口を開いた。
「俺が笑ったのは告白したところじゃなくて、結衣が『やっぱり無理です。キモいので別れてください』って言った時だ」
「いや、それもこれも変わらないだろ!」
「鉄平! もともとあんたが決めた罰ゲームでしょ? だから私が怒ってるの? 分かる? どこで笑ったかどうかじゃないの!」
龍之介の隣に座る愛奈が後ろを振り返ると、結衣と葵の加勢に入った。
「そうよ鉄平君。結衣は昨日、眠れないってメールするくらい気に病んでたんだから」
女性三人が結託し始めると男たちは分が悪い。
早々に龍之介は机に突っ伏して我関与せずの方針を貫くと、勇太もムッとした表情の結衣に素直に謝罪した。
孤立無援の状態となった鉄平は絶体絶命のピンチの中、とある異変に気がついた。
「あれ? 今日はサトティーの奴、来るの遅くね?」
「でたーー! 露骨な話題そらし!」
「違うって! マジで! っていうかなんか外も暗い気がするし………………!?」
鉄平が感じた違和感。
視線を窓際に動かすことで、事実だったのだと理解することになる。
鉄平の視界に映ったのは暗闇の世界。
明かり一つない、吸い込まれていきそうなほど黒。
「外!! お前ら外見ろって!!」
鉄平は目の前の光景を誰かに見せることで、自分の認識が正常であることを無意識に確かめようとしていた。
「急に大声出すなよ。前に座ってる俺の身にもなれよ…………な、なんだこれ………?」
勇太が外を見ると同時に、多くの生徒たちが窓の外の光景を視界に収めた。
「今って……朝……だよな?」
誰かが言った言葉に、この光景の異常さが集約されていた。
ざわつき始めた教室内。
「誰か、窓を開けてみてくれよ?」
「どうせ黒いペンキを塗ったイタズラとかじゃないのか?」
「でも……ここって……四階……だよね?」
勇太と鉄平もさすがに異常な事態だと考え、窓を開けるために横に引っ張るがビクともしない。
「鉄平!! そっちはどうだ!?」
「無理!! ゲキかた!! どんだけ引っ張ってもビクともしねえ!」
教室内の混乱が更に増そうとした時、勇太たちの足下から白い光が点滅し始めた。
白い光は生徒たちを囲むように円を描く。
点滅の速度が上がり、光は更に強さを増していく。
「やばい! これマジでやばいって! っていうか、龍之介早く起きろって!! 寝てる場合じゃねーから!!」
「あん? さっきからうっせーな」
鉄平の余裕のない声に、龍之介は長い髪をかき分けてようやく顔を上げた。
普段から何事にも動じない龍之介であっても、この異変には声を出さずにはいられなかった。
「俺が一瞬寝てる間にこの教室は宇宙人にでも連れ去られたのか?」
冗談のように聞こえるが、龍之介は至って本気だ。
本気でそれくらいのことが起きているのだと感じていた。
教室内にこだまする女子生徒の悲鳴。
「龍之介……何があっても絶対に一緒に居てね……」
愛奈の手が龍之介の手に触れると、龍之介はその手をしっかりと握り返す。
二人の光景を見て、勇太と結衣、鉄平と葵がそれぞれ手を握り合う。
六人は小学校からの同級生で、幼馴染の関係であり、それぞれが恋人という関係だ。
それぞれが美男美女という容姿を持ち、運動の才能や、家柄に恵まれた学生である。
この学園自体が龍之介の祖父にあたる人が理事長をしており、この六人組は学園でも一目置かれる存在だった。
学園カーストのトップに立つ彼らに、楯突くような人間は学園内にはいなかった。
だがーーそんな世界に終わりを告げる声。
教室全体が真っ白な光に包まれ、目も開けられない状態になった。
誰もが瞬間的に視力を奪われ、聴覚に神経を尖らせる。
「おおおおおお!!! これが勇者様なのか!!!!」
「まさか!! これだけの人数が一度に!? 聞いたことがありません!!」
「これは成功と考えてよいのでしょか!?」
「何を言っておる!! 勇者が一人よりは多い方がいいに決まっておるだろ!? 魔王だけでなく、サイク帝国に対しても睨みを利かせることができるではないか!!」
「も、申し訳ありません!! 国王! 私の考えが至りませんでした」
生徒たちの耳に届く声は、紛れもない日本語に聞こえた。
だが、誰もがその言葉の意味を理解することができなかった。
勇者? 魔王?
誰もがゲームでしか聞かないような言葉だった。
いや…………近藤篤という少し太った男を除いて。
この近藤篤という男、重度のオタクであり、ラノベ愛好家である。
近藤篤は今の状況を瞬時に理解し、この先の展開を完全に見切っていた。
(勇者という言葉があるということは、ここは俺の知っているラノベの世界の可能性が高い。まず始まるのは鑑定による、力関係の設定。恐らく、展開的に勇者は一人で残りはモブ。勇者候補は大概がクラスのカースト上位の人間。となると、西園寺勇太か山本龍之助、穴で真中鉄平辺りだな。だが、モブの中に裏設定のある奴が一人は存在するはず。それは大抵俺のようなラノベ知識のある人間が定番。そいつがこの物語の真の主人公で間違いない。……奴隷……ハーレム………チート。グヘヘへへ)
近藤篤の読みはすぐに現実のものとなった。
生徒たちの視力が回復すると、そこに映ったのは綺麗な神殿の内部のような場所。
白い丸い柱が等間隔に天井まで連なっており、床は大理石のように艶やかだ。
白い壁には彫刻が彫られており、天井から仄かな光が射している。
生徒たちは何かの祭壇のような場所に立っており、五段ほどある階段の下から白人の男たちがこちらを見上げている。
「勇者様たち、我々の国を救いにきてくれたことを心から感謝申し上げます。申し遅れましたが、私の名はリンカ王国、魔法卿、ガーデル=ホルスタンと申します。以後、お見知りおきを」
金髪の髪に緑色の瞳をした40代くらいの男が話を切り出した。
男はゆっくりと祭壇に近づくと、一歩一歩階段を登っていく。
そんな男に生徒たちはゴクリと息を飲む。
「緊張なさらずともよいのです。我々は決して貴方たちの害になるようなことは致しません。貴方たちは特別な力を持ち、この世界にやってきました。それはとても幸運なことであります。この世界の英雄となる力を持っているのですから」
ガーデル=ホルスタンは祭壇に上がると、生徒たちにこの世界の現状を教えていった。
そして涙ながらに協力してほしいと願い出た。
そうすれば、衣食住はリンカ王国で不自由なく過ごせる用意があることを伝える。
生徒たちの大半はガーデルの話を上手く飲み込めていなかった。
言っていることは分かっているが、理解が追いつかないのだ。
ガーデルの術中に嵌るように話は進んでいく。
「では早速、先ほど申し上げた鑑定の儀式を行いましょう。これにより、勇者様方の隠れた才能が分かります」
(キタコレ!! 予想通り、鑑定とかマジでラノベじゃん!! どうするよ俺よ!! ここでラノベの主人公なら『魔王? 俺には関係ないぜ! 勝手にやってろ。じゃあな』で、一人別行動なんだよな。俺もやっちゃう? いっちゃう? もしかしたら、東條さんもこれで俺を見直してくれるかも!! …………いや、早まるな、俺氏よ。自分の力を知らずに出ていくのは流石に無謀すぎる。ここはラノベの世界に似ていても、現実だ。慎重にいかなくては)
ガーデルは配下の者に鑑定の魔導具を持たせる。
その魔導具は水晶のような透明な石で、大きさはバスケットボールほどもある。
生徒がその水晶に手を触れると、中に文字が浮かんでくる。
生徒たちは知らない文字のはずなのに、何故かその内容を理解できてしまう。
「松本沙羅様。人種は普人族で、職業は裁縫士。レベルは1です」
ガーデルは一人目の生徒の鑑定が終わると、表情を変えずに二人目に向かう。
だが、内心は落胆していた。
(全てが勇者という虫のいい話はなかったか。だが、まだまだ候補はいっぱいいる。最悪、一人でもいればいいのだ)
ガーデルは事務的に次々と鑑定を終わらせていく。
「西本公平様。人種は普人族で、職業は戦士。レベルは1です」
鑑定の結果を聞いている生徒たちの間で、これはゲームのような世界なのではないのか、という声がチラホラとで始めた。
職業とレベルという存在。
世界の状況と勇者という存在。
そんな世界の存在に、数人の男子たちが盛り上がり始めた。
「公平、戦士だったんだな。よかったじゃん」
「戦士っていいのか? しかもレベル1だぞ?」
「他の奴らの聞いてみろよ。全員レベル1だし、どう考えても戦闘系の職業じゃない奴も結構いるぞ? まだましなほうだろ」
「ましってだけかよ……。で、井上はなんだったんだよ?」
「俺? 魔法剣士」
「ちょっ、お前! ふざけんな!! 何やら上から目線だと思ったら、どう考えても俺よりもワンランク上の職業じゃねーか!」
「まあまあ、人生には努力では変えられないこともあるって」
「全然慰めになってねーーし!」
近藤篤は騒々しくなり始めたクラスメイトたちを遠巻きに見ながら、一人ポケットに手を入れながら冷笑していた。
(ふっ、今更この鑑定の意味に気がつくなんて遅すぎるぜ。俺なんてここにきた瞬間からこの展開を予想していたんだ。やっぱりここの連中は馬鹿ばっかりだぜ)
「真中鉄平様。人種は普人族で、職業は聖騎士。レベルは1です」
(何!? 聖騎士だと!? やっぱり真中はソコソコの職業を持って行きやがった)
「山本龍之介様。人種は普人族で、職業は竜騎士。レベルは1です」
(チッ、山本もレア職を持っていったか。だけど、肝心の勇者がまだ出てないな。まさかの俺か!? ちょっとその展開は勘弁だな。できれば裏設定が良い)
「西園寺勇太様。人種は普人族で……職業は………勇者様でございます……レベルは1でございますね。おめでとうございます。西園寺様」
「え? 俺が勇者なの?」
「流石、ゆう君!! 勇者って一番すごいんでしょ!?」
「左様でございます。樋口結衣様。勇者様は人でありながら、信仰の対象になるほど、人々に及ぼす影響は絶大なのです」
西園寺勇太に群がり始めたリンカ王国の重鎮たち。
(俺の予想通り、西園寺が勇者かよ! ツマンネーー。リア獣どもは憤死すればいいのに。でも、ここまで怖いくらい予想が的中しているな。俺が裏設定という可能性がいよいよ高くなってきた)
「それでは次は……」
ガーデルの視線が近藤に向くが、敢えて視線を逸らして順番を後回しにした。
(真打ちは最後っていうのが物語の定番だ)
「東條飛鳥様。人種は普人族で……な!?」
ガーデルは職業を言う段階になって、突然驚きの声を上げた。
学園の生徒の視線と、重鎮の視線が東條飛鳥のもとに集まった。
「し、失礼しました、職業は勇者様でございます。レベルは1でございます。おめでとうございます。東條様」
「あ……ありがとうございます……」
「ま、マジか!! 東條さんも勇者だって!?」
「東條さんすげーー。勇者じゃなくても付き合いたいのに、余計に付き合いたくなった」
東條飛鳥は瞬く間にクラスメイトに囲まれると、その小さな背丈がすっぽりと覆い隠されていく。
アイドルのような愛らしい顔立ちと、その背の小ささから、学園の中でも男性、女性問わず、ファンが多い存在である。
彼女の性格は一言で言うと人見知りで内気であるが、その人柄から女性の友達は多くいる。
二人の勇者の存在で祭壇の上はお祭り騒ぎとなり、粛々と行われる鑑定に目を向ける人は少なかった。
そんな数少ない一人が近藤篤である。
鷹のようなギラリとした鋭い目をしながら腕を組み、鑑定の結果を見届けていく。
(勇者が二人……波乱の展開だな。だけど、まだ想定の範疇。それよりももっとも警戒すべきなのは、奥村麗音の職業が賢者だったということ。かなりレアな職業に違いない。そして二番目に警戒すべきなのは加賀美リヒト。キラキラネームな男だが、職業は魔物使い。ボスキャラになる可能性を秘めている)
「それでは……これで最後のお一人ですね」
(遂にきたか!! お前ら!! 勇者なんかで騒いでたら、俺の職業で度肝を抜かすぞ?)
ガーデルは部下に指示を出すと、近藤篤の前にやってくる。
近藤は組んでいた腕を解くと、斜めに構えたまま手を水晶の上に置いた。
「近藤篤様。人種は普人族で職業は調理師。レベルは1です」
水晶の上に置いた手がプルプルと震え出すと、近藤はその場にへたり込んだ。
(ば、バカな!? 職業が調理師だと……? しかもこれで二人目の職業じゃねーか……。しかも現実の世界でもある職業だし……。レアもクソもへったくれもねーよ。ああ……俺の猫耳……。俺のエルフ……。俺のハーレム……。さようなら………………)
「近藤のやつ何してんだ? あんな所でうずくまって」
「さあな。あいつのことだし、また妄想でもしてて当てが外れたんじゃねーか?」
近藤篤は自分の予想が当たったことで、他のクラスメイトよりも上の立場にあると勝手に錯覚していた。
だが、現実には何の影響も与えていなかった。
近藤が何を警戒していたのか、今となっては意味不明であるが、彼の予想はあながち間違ってはいなかった。
私立南鳳学園高等部、一学年二組、計32名のクラス。
だが、この場にいるのは31名のみ。
今この瞬間、誰もが忘れ去っている一人の生徒の存在が、今後の彼らの人生を大きく左右することになる。
閑話をどこで入れるのか、かなり悩みました。




