四十二話・時を越えて3
ルルとニョニョを抱きかかえたまま階段を登りきると、モンジュー家の一室に戻ってきた。
上手く抱えきれなかった二人が、私の手からスルリと落ちそうになる。
一旦二人を床に寝かせると、もう一度抱え直そうとする。
すると地下から建物全体を揺らすような振動が襲ってきた。
立っていられないほどの揺れ。
大きな音を最後に、さっきまで爆音を鳴らしていた二人の戦いの音が止んだ。
決着がついた?
だとしたら思ったよりも早い!
揺れが収まると同時に、どちらかが階段を上ってくる音がする。
私は慌てて、二人の娘を抱き上げる。
この足音がバルボアなら、私はなんとしてでも逃げなくてはいけない。
一向に起きる気配のない二人を、なんとしても守らないと。
来た時は気づかなかったけど、壁に大きな穴が開いていて隣の部屋に繋がっている。
二人を抱えて走り出した。
けど、私が部屋を出るよりも前に地下に続く壁が回転した。
「ま、待て。あのモンスターは俺が倒した。焦って階段を上ってきて正解だったぜ。さあ、約束通りその剣を返してくれ」
後ろから聞こえてきた声は、先ほど私を助けてくれた男の声だった。
どうやらバルボアが負けて、この男が勝ったようだ。
これで私も逃げる必要がなくなった。
それにしてもこの男、あのバルボアに勝つなんて普通じゃない強さだ。
そんな男がこの街にいて、更にタイミングよく助太刀してくれた。
奇跡とはこういうことを言うのだろうか?
「ふー。流石に私も焦ったよ。バルボアがやって来たと思ってね」
私は息を大きく吐き出すと後ろを向いた。
そこに映ったのは、大きな体と巨大な剣を背負った若い男だった。
頑丈そうな鎧は騎士のような出で立ちで、短く整った金色の髪と鋭い目つきは、狼のような肉食獣を思い出させる。
ああ……そうだった。
あの子の髪の色も、目つきもこんな風だった。
「あんた……その顔……」
男は言葉を失ったようにその場に立ち尽くした。
男は何に驚いているんだろうか?
答えはすぐに分かった。
男の鎧に反射して映る私の顔。
それはバルボアと同様に人の顔をしておらず、腐敗した死体と言っていい姿だった。
これが今の私の姿……。
私はこれまでの出来事を思い返していた。
確かに死んだはずの我が身。
意思を縛られて歩いていた時間。
過去の記憶と共に意識がはっきりとしていったこと。
片腕が引きちぎられても、血が出ていなかったこと。
ああ…………。
私は蘇ったのでない。
私は死んだ身で動いている怪物。
モンスターと変わらない存在。
よく見れば私の身体中が腐敗していて、とても薄汚れている。
私はこんな汚れた手で娘を抱きかかえていたのか。
体中に漲っていた生気が急激に失われていき、崩れるように膝が地面についた。
二人の娘を傷つけないように床に寝かせる。
「…………あんた、人の言葉は分かるんだよな?」
「ああ……分かる。自分の意思で考え、自分の意思で話している。死ぬ前と同様に」
「死ぬ前……? やっぱりあんたたちはこうなる前は人として生きていたってことか?」
あんたたち?
そう言えば私の意識がぼやけている時に、私と同じような存在と並んで歩いていたような記憶が微かに残っている。
私のような存在がこの街に多く存在しているのだろうか?
「そういうことになる。私は自分が死んだ時のことも明瞭に覚えているよ」
「…………そうか。で、その二人が自分の娘だという話だったが……?」
「それは間違いない。どうやら私が死んでからそれほど時が経っていないようだ。とは言っても、あの頃に比べれば随分と大きくなったが。あなたのおかげで二人の命が助かった。感謝してもしきれない。ああ……それと剣だったね。こんな身である以上不用意に近付けない。剣はここに置かさてもらうよ」
「…………………………いや、その剣はもういい。持っていてくれ」
「どういうことだい? 宝物なんだろ?」
男は少しの沈黙を保った後、少し震えたような声で話し出した。
「今、貴方が抱いている二人の娘を俺は知っている。俺の恩人の娘だ。その恩人が与えてくれた剣が、今俺をこの場に立たせてくれている。いつかお礼を言いたかった。だが、その恩人と再会することなく、俺が知らない間に死んでいた。確かにこの剣はその恩人と俺を繋ぐ宝物だ。だが、俺の前にはそれ以上の存在がある。俺はこの剣を貰った時のことを今でも覚えています、ロゼウさん。貴方があの日くれたこの剣が俺をこの道に導いてくれた。俺を強くしてくれた。貴方が教えてくれた覚悟があったからこそ、今でも剣を握り続けていられる」
ああ…………やっぱりこの子は。
見違えるほど成長した姿は、私の最後の記憶と合致しない部分が多い。
だけど始めに感じた変わらない部分もある。
この強い意志を宿した瞳。
「ゼウス君……大きくなったね。そして強くなった…………」
「ロゼウさん……俺……貴方に謝らなければいけないことがある。騎士学校を卒業した日からずっと考えていた」
ゼウス君は瞳いっぱいに涙を溜めて、少しづつ私に近づいてくる。
「あの日風来亭を出て行った時に言ったことは、全て自分に対する当てつけだった。誰かに優しくされて、のうのうと生きる自分が許せなかった。自分の存在が許せなかった。ロゼウさんが憎かったわけじゃない」
私があの日から後悔していたように、ゼウス君もまた後悔していた。
そして、その後悔を昇華させてあげることも出来ずに私はこの世を去った。
どれだけ辛かっただろうか?
どれだけの時間を悩んだのだろうか?
「分かっているよ、ゼウス君。例え今日という日が来なくても、私はゼウス君が誰よりも苦しんでいたことを知っている。誰よりももがき苦しみ、努力してきたことを知っている。君の想いは、言葉という手段でなくてもしっかりと私に届いていた。だから前を向け、ゼウス君! 私は今でも思っているんだ。あの日、君たちの宿に行ったことが私の人生を輝かせてくれたと。そして……ゼウス君という、素晴らしい弟子に剣を教えられたことを誇りに思うよ」
ゼウス君はこちらをしっかりと見ながらも、声にならない声を出して何度か頷いた。
私は今日という日に、もう一度この世界に戻ってきた意味を感じ取っていた。
この体はこの世界に存在していいものではない。
だけど、私に何か役目を与えてこの世に戻したのならば、きっと私が辿ってきた糸のほつれを解くチャンスを与えてくれたのだ。
「ゼウス君、無理を承知で頼みたい。この子たちを安全な所に連れて行ってあげてくれないか?」
「え……? でもそれはロゼウさんが……」
「どうやら僕が居られる時間はここまでのようだ」
先ほどの生気がなくなっていく感覚は私の心の問題だけでなく、私という死体を動かしていた原動力に何かあったようだ。
「あ……ロゼウさん。体が……薄くなって……」
「ゼウス君。それともう一つ頼みが…………」
「なんでも言ってください! ロゼウさんの為なら何だってやります!」
「…………私が居たことは………………娘たちには言わないでくれ」
本来私は死んだ者の身。
色々な悲しみを乗り越え、すでに歩き出している娘たちに、変な希望を与えるようなことはすべきではない。
「でも、今日が本当に最後なんですよ!! 今なら二人を起こせば間に合う!!」
「いいんだ………………。これでいいんだ…………………ゼウス君」
ゼウス君は何かを察したように、それ以上は言わなかった。
思い残すことがあるとすれば、あの子の顔を見れなかったことだけ。
「…………………………………………マリナ」
「ロゼウさん!!」
力なく私の体が仰向けに倒れようとすると、ゼウス君がすぐに私の体を支えてくれる。
視界に映った天井はなぜか大きな穴が開いていて、夜空の中に綺麗な星々が輝いていた。
そして綺麗な星々を覆い隠すように、黒い渦が突然出現した。
迎えが来たのか……。
私が感じた直感。
それは違っていた。
渦の中から投げ出されるように飛び出して来た少年。
黒い髪をした少年は輝いていた。
私と娘を繋いでいた銀色の糸のようなものが折り重なり、少年を包み込みこむ羽衣のように輝かせている。
少年に繋がる幾重もの糸。
その糸はよく見れば、二人の娘にも、ゼウス君にも繋がっている。
私は天から降ってくる少年に、全ての未来が繋がっているように感じた。
「シンヤーーー!!!」
そして地上に落ちてくる少年に飛び込んだ二人の少女。
………………………マリナ?
そうか…………マリナも無事だったか。
もう抱きかかえてあげることも出来ない。
声を聞くことも出来ない。
守ってあげることも出来ない。
……………でもこの子たちはきっと大丈夫。
外の世界はあれだけ暗いのに……………あの子たちは大きな明かりの下にいる………。
「さよう……………なら……………………ゼウス…………………………くん………………。あ……………りが……………と………………う………………」
「ロ、ロゼウさーーーーーーん!!!!」
さようなら、マリナ……………ルル……………ニョニョ……………。
しあわせに………なって………くれ………。
ずっと……………あいしてる……………。




