四十一話・時を越えて2
いざ扉を開けると、部屋の中は真っ暗だった。
地下に向かう階段の壁に掲げられた松明から少しの光が差し込み、私の影がユラユラと揺れている。
そして更にきつくなる錆びた鉄の匂い。
目が暗闇に即座に順応するように、視界に光が溢れてれてきた。
すると暗闇だった地下が綺麗に映り出した。
この夢の中の体はとても便利な力を持っているようだ。
どうやらここは地下牢のようで、私が歩く道の左右に鉄格子で区切られた部屋がある。
映る光景を眺めていると、拷問道具類が無造作に置かれていた。
まさか公爵家の地下にこんな物騒な場所があるとは、夢にも思わなかった。
私の視線は左右の地下牢から前方に移る。
ああ……………。
私の糸は後少し先に続いているが、どうやらこの地下牢が終着点らしい。
糸はこちらを背にして寝そべる、二人の少女の体で途切れていた。
私の体は二人の方に向かって、コツコツと音を鳴らしながら近づいていく。
彼女たちはどんな罪を犯して、ここに捕らえられているのだろう?
地下牢に押し込まれた二人の少女はどこか自分の娘と似ているようで、娘と少女を重ね合わせてしまう。
もし私の体が自由ならーー。
たとえ夢でも二人の少女を救い出したい。
私の体が少女たちの牢の前に来た時、私の糸とは別の糸が彼女たちの体から出ていることに気がついた。
この糸もまた誰かを彼女たちと結ぶ役割を持っているのだろうか?
そう考えると同時に、私の体は手荒く鉄格子を揺さぶり始めた。
ガタガタ揺れる鉄格子は取れそうで取れない。
私は思った。
牢は鉄で出来ている以上、いくら揺らしても開くはずがない。
それなら鍵を探して開ける方がまだ可能性があると。
それでも私の体は揺らすのを執拗にやめなかった。
終着点は目の前にあるのに届かない。
もどかしくもあり、何故か悲しくもある。
二人の顔はここから見えないが、何故か狂おしいほど愛おしく感じている。
きっと少女の後ろ姿が成長した二人を思い出させるからだ。
近いようで、二人の少女との距離は遥かに遠い。
私は最後の答えを見つけることができないのだろうか?
私の心に諦めの色がで始めた時、何かが階段を降りる音がした。
コツコツと鳴る音は私のブーツと同様で、いい音を立てていた。
近づく足音。
だんだんとその音は大きくなっていく。
それと共に私の糸がチカチカと点滅するように、消えたり光ったりを繰り返し出した。
また、もう一つの糸も同じように点滅をしている。
私は何か胸騒ぎを覚えた。
何かが壊れていくような感覚。
何かが押し寄せてくるような感覚。
「ロゼウ…………アリス……………」
石壁によって反響した声が聞こえてくると、電気のようなものが駆け巡り、私の意識は遥か彼方に飛んで行った。
閉ざされていた記憶が映像として蘇っていく。
選挙戦でお互いの健闘を祈り、二人で飲みに行ったこと。
バルボアからの意外な提案。
私の心は喜びに満ちていた。
実際に行われた迷宮での合同作戦。
「覚えているか? 天職を得た時にお互いに言い合っただろ? 私はあの日歓喜したんだ。あのロゼウについに一つでも勝てることが見つかったとな」
やめてくれ!!
「だが蓋を開けてみればどうだ!? 天職はこの世の全てと思わせるほど、私とお前に差を生んだ。私はお前に全ての点で上回っていた」
もうやめてくれ!!
「だから私は言ったんだ。村を出て行ったあの日に。あんな男よりも私の女になれと。だがアリスはお前を選んだ! 私はお前が憎くて憎くてしょうがなかった!! いつかこの手で殺したいと思うほどにな」
これ以上は知りたくない!!
「アリスの最後の言葉を知っているか? 『お願い。私のお腹には子供がいるの』だとさ。その赤ん坊と共に死ねたならアリスも本望だろ? なあ、お前もそう思うだろ? そんな怖い顔をするなよ、ロゼウ。そこまで怒らなくも実行犯は私が殺しておいたからな。まあ、その実行犯も俺が金で雇った奴らだがな」
私を壊さないでくれ!!!
「はっはっは!! お前はここで惨たらしく、世界を呪いながら死ぬだろう。その後どうなると思う? 私がお前らの娘の面倒をみてやるのさ。この世に生まれたことを呪うほど手厚くしてやろう。そして使い物にならなくなったら、その時にお前の元に送り届けてやろう。では死ぬがいい、ロゼウ」
迷宮深くで行われる虐殺と拷問。
苦楽を共にした仲間たちが次々と魔族のオモチャにされていく。
何もできなかった。
目の前にいるバルボアにさえ手が届かず、娘たちの安全を確保することも出来ない。
バルボアの言った通り私は惨たらしく、世界を呪いながら死んでいった。
ああ……あいつが憎い。
私の全てを奪っていくあいつが……。
全ての記憶が戻り、私の視界は赤に染まっていく。
赤く、黒く、ドス黒く。
バルボア!!
バルボア!!!
バルボア!!!!
私の視界を染め上げるドス黒い色。
私と少女を結んでいた糸がいつの間に見えなくなっていて、代わりに私の胸から赤黒い糸が階段の方に向かって続いていた。
私の終着点はこの少女たちではなかった。
私の終着点はこの先にいる男。
私の体は牢を揺らすのを止めて、再び来た道を戻り出した。
私を染め上げるドス黒い色は、何故か心地よく、全てを怒りに変えてくれる。
だけど……。
先ほどまで見ていた少女の後ろ姿が脳裏に焼き付いて離れない。
私の終着点は本当にこの先なのだろうか?
私が誓ったことは復讐だったのか?
…………違う。私が誓ったことは娘の笑顔を守ること。
本当はもう気がついているんだろ?
ああ…………そうだ……。私が見ず知らずの少女だと思っていた二人は私の娘。
たとえ成長していたとしても、私が二人の後ろ姿を忘れるはずがない。
私はあの子たちの父親なのだから。
私の中の迷いが断ち切れると視界に再び光が満ち、私の糸はもう一度娘たちに繋がった。
私は娘を守りたい。
他の全てを切り捨てでも。
だから邪魔だ!
私の自我を縛りつける鎖を手に取ると、強引に引っ張る。
取れろ!!
私を解放しろ!!!
私に娘を守らせてくれ!!!
鎖を強引に引っ張ると同時に、私の心は引き裂かれたように苦しくなる。
意識も遠くなってくる。
だけど後少し。
後少しで手が届く場所まで来ている。
マリナ!!
ルル!!
ニョニョ!!
三人の笑顔を浮かべると、最後の力を振り絞って鎖を引っ張った。
ちぎれろ!!
ちぎれろーーーーー!!!
ーーーバキンッッッッ!!!!
私を縛る鎖は大きな音を立てて、崩れ去っていく。
「はは……体が動く。自分の意思で体が動く。ルル……ニョニョ……今助けてやるからな……」
死んだはずの私がどうして今、こうして再び蘇ったのだろう?
一体私が死んでからどれ位の月日が経ったのだろう?
二人はどうしてこんな所に捕らえられているのだろう?
マリナはどこにいるのだろう?
次々と湧いてくる疑問。
だけど今は答えを見つけられなくていい。
今やるべきことはただ一つ。
私が地下牢の鍵を探そうとした時、階段を降りる足音が終わった。
そして、ガチャンと乱暴に扉が開いた。
「ロゼウ……アリス……コロス……マリナ……コロス」
扉の奥からに表れたのは、人と魔族が入り混じった様な男。
魔族としては不完全という様な印象だけど、人しても奇妙な姿をしている。
額には少しの出っ張りがあり、口が普通の人よりも裂けていて、目の焦点が全く合っていない。
着ている服は何かに切断された様にボロボロで、肌の至る所に魚の鱗の様なものがついている。
かつて人だった男。
かつて友だった男。
姿が変わっても私には分かる。
これがバルボアなのだと。
「ロゼ…………ウ………? ロゼ……ウ…………コロ$%&’’!!」
私の姿を発見すると、奇声を上げながら私には向かって突進してくる。
バルボアの動きは恐ろしいほど速く、私は横に移動して入れ違うだけで精一杯だった。
たった一度の攻撃。
たった一度の攻撃で私の左腕が宙に舞った。
この速さと強さは私の知るバルボアの動きではなかった。
バルボアはもう一度私に向かって突進する構えを見せる。
武器がない以上、まともにやりあっても勝てる見込みはない。
だけど、逃げることも選択肢にはない。
バルボアの体がユラユラと左右に揺れ、ピタリと止まる。
焦点の合ってなかった眼球がグルリと周り、私の方に向かった。
来る!!
「伏せろ!!」
バルボアが走り出す直前に後ろから声がした。
更に空気を切り裂く音が続く。
私の勘が警報を鳴らした。
伏せろ!!
まだ馴染みきっていない体を強引に動かし、私は勢いよく地面に体を倒した。
倒れた私の背中の上を、突風のような何かが通り過ぎていく。
ドゴオオオンッッッ!!!
次の瞬間、強烈な爆音と砂埃を伴った爆風が襲ってきた。
辛うじて捉えた光景。
そこには私に向かって来るバルボアと、私を追い越した赤い塊がぶつかった瞬間が映っていた。
「なんだとッ!! あれを食らってまだ生きてやがる!! さっきのモンスターといい、こいつといい、一体どうなってんだ? おい、あんた無事か? 緊急そうだったんで断りなしに援護に入った。あいつは、結構ヤバいやつだ。あんたは今のうちに逃げた方がいい」
よく通る男の声が私の後ろから聞こえてくる。
もしこの男が助けに来なければ、私はバルボアの攻撃に何度も耐えられなかったはず。
「すまない、助かったよ。礼を言う。だけど、私は逃げれないんだ。あそこの牢の中に娘が二人、閉じ込められていてね」
「それなら、俺があいつを倒してから二人を救出しておく。だからあんたは逃げろ!」
「申し訳ないが、例え命の恩人でもそれは聞けないね。この役目は他でもない私の役目だ」
「あんた、頑固だな。好きにしな。だが、そこに寝そべっていられると戦いにくい」
「ああ、分かっている」
私が体を起こしたと同時に、バルボアもまた瓦礫を押しのけて立ち上がった。
私はバルボアから視線を逸らさず、少しずつ距離を取る。
「あんた、あそこを開ける鍵はあるのか?」
「いや、持っていない」
「どうやって開けるつもりだ?」
「剣があれば開けられるんだが……」
「剣でか? そりゃ、大した腕だな。だが俺の剣は切るには向いてねーし、今の状況で貸すわけにはいかねー。もう一本あるっちゃ、あるが、刃が潰れていてどうにもならねー」
刃が潰れている剣?
どうしてそんな剣を?
いや、今はそれはいい。
それに私は剣さえあれば、例え鉄でも、牢でも切ることができる。
「すまないが、それでいいから貸してくれないか?」
「はあ!? 刃が潰れてるんだぞ!? …………それにこの剣は俺の宝物なんだ」
「頼む!! 剣さえあれば必ず娘たちを助け出せる」
「……そこまで言うなら分かったと言うしかねーな。この剣をくれた人もきっと貸してやれと言うだろうしな。あんた、あいつから目をそらすなよ。逸らさずにそのままユックリと後退しろ。俺もそっちに向かう」
「ありがとう。今回のことが終われば必ず礼はさせて貰う」
「そんなのいらねーよ。だが、剣だけは返して貰うぞ」
バルボアはまたユラユラと体を左右に揺らし始めた。
いつこちらに向かってきてもおかしくない。
私と男の距離がなくなると、男が私の手に触れるように剣を渡してきた。
「すまない」
「俺があいつを殺る。あんたは娘さんを助けることを第一に考えろ。その腕だと、まともに戦えないだろう」
私が返事をする間も無く、バルボアが私めがけて走り出した。
咄嗟に私は避けようとするが、そうすると後ろの男が危険になってしまう。
男は躊躇する私を追い越してバルボアと激突した。
地下が揺れる衝撃音。
巨大な剣とバルボアの手がギリギリと均衡を保ち、二人が至近距離で睨み合う。
力は両者互角。
速さもほとんど変わらない。
力はお互いに拮抗している。
いや、この地下の道はそれほどの広くない。
あの剣は振り回すには地的な不利がある分、バルボアの方が有利か。
だが男にも強烈な武技が存在する。
遥か高みの戦いに、無闇に入ることは出来ない。
とてもじゃないが足手まといになる。
少しずつだが男がバルボアを押し込んで行き、ルルとニョニョの牢の奥まで進んでいった。
私は二人の超人の戦いを横目に、武技である【纏い:斬】を使用する。
この武技は『魔闘士』が扱える技の一つである。
武器に魔力を纏わせ、どんなナマクラでも鉄を切れるほどの驚異的な切れ味に変えてしまう。
この剣。
初めて持った時も思ったけど、とても手に馴染む。
私が持つ剣に魔力が染み込んでいき、薄っすらと剣が輝き出す。
いける!
私の魔力に呼応するように剣から手応えを感じた。
牢に向けて剣を振り下ろす。
音を立てて、切れた鉄が地面に崩れ落ちる。
もう一度剣を振るうと、牢に人が通れる穴ができた。
私は無我夢中で二人の体を抱きおこす。
手を口に当てて、呼吸を確認する。
よかった……息はある。
外傷も特には見当たらない。
どうやら気絶しているだけで、傷つけれられたりはしていないようだ。
これからどうするか?
ここの地下は二人の戦いが凄すぎて、いつ崩落してもおかしくないほどだ。
置いてあった縄を使い、剣を腰に縛り付けた。
「両手一杯に抱き締めてあげたかったけど、それももう叶わないな」
失われた左腕が二人を抱き上げる障害となった。
「だけど右手だけでも、私はもう一度この子たちを抱き上げることができる。一度は私の手から溢れ落ちた宝物。今度は必ず離さない」
右手一本で二人を抱き上げると、二人の安全を優先して地上に戻るために立ち上がる。
「ルル、ニョニョ。絶対に父さんが守ってあげるからな」
私はバルボアの狂ったような雄叫びを背に、地下牢の階段を上っていく。




