四十話・時を越えて1
シンヤが使った武技は圧倒的な破壊力を示し、冒険者たちの呼吸を忘れさせた。
これまで見た全ての存在、すべの魔法を超える光景に、冒険者たちは口々に奇跡を起こした者に礼を述べていった。
ゼウスもまた例外ではなかった。
(あの少女も可笑しいレベルだと思ったが、更に上が存在するとはな。あれは人や魔物がどうこうするとかいうレベルの生き物じゃない。この世界そのものと言っていい位の存在だ。だが、そんな存在が俺たちの味方をしてくれた訳だ。この世界もまだまだ捨てたもんじゃねーな)
ゼウスの胸を打った圧倒的な力。
どこまでの頂かも想像すらできないほど遥かな高みに存在した。
振り返れば今回の件は、自分の力では何一つ事を成すことができなかった。
襲い来る異形の化け物たち。
高レベルのモンスターの群れ。
もし一人で立ち向かっていれば、今頃自分こそがそこらに転がる肉片になっていただろうと簡単に想像できた。
(もっと修行が必要だ。もし今回のことがすんなり収まっても、今日がなかったことにはならねえ。世界は変わりつつある。俺もそれに対応できる力を身につけないといけない)
ゼウスの見据える先にはたった今、黒い渦の中に飛び込んでいった、銀色の翼を羽ばたかせる者の残像だった。
その動きはゼウスでさえも捉えることが出来ない。
まさに神速ともいえる速度に、誰もが数秒遅れて反応するしかなかった。
「お、おい今何か前を通らなかったか?」
「いや、ただの風だろ」
「そ、そうか何か動いたような気がしたんだけどな」
(確かにあの速さだと何が動いたのか分からないのも無理はない。……ん? 今確かに何かが動いた……? )
ゼウスが向ける視線の先は相変わらず黒い渦に向かっていた。
暗くてよく分からなかったが、渦から何かが飛び出したように見えた。
その飛び出したものは闇に紛れるように、冒険者を避けて走っていく。
その動きは明らかに人の域の限界に近い動きをしていた。
(なんだあいつ? 追うか?)
ゼウスは一瞬の迷いを捨て去り、直ぐに行動に移した。
ゼウスは黒い影を追い、北地区に向かって走り出す。
ーロゼウー
私は夢か幻か判断つかないような不思議な世界にいた。
私の自我は幾重もの鎖に縛られ、何かに導かれるように、どこか懐かしい場所を彷徨い歩いているようだった。
ふっと情景が変わった。
今度はどうやら村の中で一人、木の棒を振り回して遊んでいるようだ。
今見えている光景が現実ではないということを、何となく理解した。
次に映った光景は、木々が生い茂った森の中で唯一太陽の光が集まる場所。
あの日、幼かった私は小さな陽だまりを発見した。
アリスにバルボア。
小さかった村で見つけたかけがえのない繋がり。
それが永遠に続くと思っていた。
世界は次々と移りゆき、懐かしい場所を巡っていく。
私はまた森の中にいた。
そういえばこの場所で巨大な猪と格闘をしたことがあった。
今考えれば私は子供の頃から無鉄砲で、どんなことにも興味を示した。
外の世界に目を向けたのは、そんな私にとって必然であった。
村を出ようと三人で誓い合った時、バルボアは何時ものように自信なさげだった。
望まぬ二人も私の夢に引きずられるように、外の世界に足を踏み入れることになった。
ヴァルハラ迷宮都市に辿り着いた時、私は三人でクランを作るものだと考えていた。
だが、バルボアはそれを拒絶した。
「私は一度ロゼウとアリスと離れて、自分の力でどれくらいやれるのか試してみたい」
私もバルボアの気持ちには薄々気づいていた。
同じようにアリスと過ごし、共に夢を語ったのだ。
バルボアもアリスのことが好きなのだと。
しかし、アリスは私を選んだ。
とうのアリスがバルボアの気持ちに気がついていたのかは分からない。
ただ、表面上は今までと変わらない関係が続いていた。
あの時は気がつかなかったが、私たちの関係は既にあの日に終わりを迎えていた。
いや……お互いがアリスを意識し始めた時から終わっていたのかもしれない。
私はそのことに気が付かないフリをしていた。
私とバルボアの関係が希薄になっても、あの日感じた陽だまりは永遠なのだと信じたくて。
時は流れ、私もバルボアも冒険者の中でも期待の若手と称されるようになり、違う意味でお互いを意識し合う存在となった。
そんな時期に面白い子供と出会った。
名前はゼウス。
宿屋の使用人の子供で、昔の私のように多くのことに興味を持った。
キラキラと光る目は私の心をくすぐり、言わないでもいい話を続けてしまうような魅力を持っていた。
そこから私たちのクランはその宿を拠点にし、迷宮での疲労を癒す場所にした。
ある日ゼウス君はクランに入れて欲しいとせがんできた。
勿論、天職を得る前の子供にそんな無責任なことをできるはずがない。
誰でもなれる職業だけど、誰でも生き残れるほどの才能を持っているわけじゃない。
ゼウス君には強いお灸を据えなければいけなかった。
それが私の責任だと考えていたし、夢を与えてしまった以上、現実もまた教える必要がある。
ゼウス君は初めて私の殺気に当てられ、動揺していたようだった。
だけど僕は驚きを隠せなかった。
本気の剣と殺気を受けながら、それでもゼウス君は僕から視線を逸らさなかった。
そんなことが戦いの素人の子供にできるとは考えられなかった。
度胸があるのか、無神経なのか…………それとも才能なのか。
その日の晩、ゼウス君のお母さんであるローラさんに呼ばれて話をすることになった。
「あの子はどうでしょう?」
ローラさんは心配そうにこちらを伺った。
それもそうだろう。
可愛い一人息子が冒険者になるなんて、気が気でないはず。
だから安心させるようにこう言った。
「多分大丈夫ですよ。あの子は分かったはず。冒険者になるには力が足りないとね」
少しの間流れる沈黙。
するとローラさんは意を決したように話し出した。
「冒険者という仕事が危険だということはこの仕事についている以上、普通の人よりもよく分かっているつもりです。それでも私はあの子の夢を応援してあげたい。長く生きても、短く生きても、誰でも人はいつか死にます。だったらあの子には真っ直ぐに進んで欲しい。目の前のことから逃げずに、やりたいことをやって生きて欲しいんです。ロゼウさん……無理を承知で言います。あの子が望むなら、あの子に剣を教えてあげてはくれませんか? 代金は貯金を全て使ってでも払います。お願いします」
ローラさんは机の上に麻の袋を置くと、目一杯頭を下げた。
麻の袋からジャジャラと銅貨が数枚溢れ出した。
恐らく、ローラさんが何年にも渡って貯めたお金。
多分この銅貨はいつかゼウス君のために使うものだったのだろう。
私はそのお金の受け取りを丁重に断ると、ゼウス君を鍛える約束をした。
実際にゼウス君の稽古をつけて分かった。
この子は天職を得る前ということもあり、筋力や基礎体力は到底並の人には及ばない。
だけど剣を振り続ける素質、ひたむきに物事を続ける執念は人並みはずれていた。
この子は天職如何によっては英雄にでも怪物にでもなれる。
もしそうでなくても、大した傑物になるかもしれないと感じた。
私も時を忘れて稽古に付き合い、アリスをいじけさせたことは一度ではなかった。
一日ごとに成長していくその姿。
私も多くの刺激をもらい、その気持ちを迷宮の中で昇華した。
ゼウス君に引っ張られるように、私の成長も止まらなかった。
そんな日々が半年以上続いた時に迷宮から帰ると、レミトさんとローラさんが血の気が引いた様子でこちらに駆け寄ってきた。
「ゼウスが何処にもいないの!!」
話を聞けば二人が起きた時から、その姿が寝床になかったという。
今は既に昼の時刻を回っている。
いつもならお手伝いと剣の修行の往復なのに、何処を探しても見つからないという。
私は思った。
もしかしたら夜中に抜け出して、一人で迷宮の中に入ったのでは? と。
その答えは正解だった。
迷宮の一層奥深くで子供の死体が発見された。
右腕を乱暴に切り取られ、至る所に噛み付かれたような痕がある。
私はその姿を見て自分の責任だと思った。
私が剣を教えたばかりに、こんなことが起きてしまった。
ゼウス君の遺体の前で泣き崩れるローラさんを見て、自分が出来ることを思い出した。
それは迷宮で発見した『対なる銀河』という名称が名付けられた魔導具。
今は査定が終わった状態で、売りに出すかどうか判断を迷っている状況だった。
査定の結果は禁呪の魔導具と呼ばれる部類にあたる物とされた。
禁呪の魔導具は奇跡を起こすことも可能だが、そのためには必ずそれに見合った対価を要求される。
そして一度使えばその魔導具は魔力を失い、ただの置物に変わる。
私はクラン員の許可を得ることなく、その魔導具をローラさんに差し出した。
自らの命も同時に差し出すことも覚悟していた。
だけど魔導具は私ではなく、ローラさんの命を欲した。
ローラさんは他の誰でもなく、自分の命で良かったと安堵していた。
その笑顔は決して偽りのようには見えず、私に対しても何度も頭を下げてお礼を述べた。
私は形上そのお礼を受けながら、心の中では自分にはその礼を受ける資格がないと懺悔していた。
ローラさんの命を使い、ゼウス君は再び息を吹き返した。
結果としてそんな整理のつかない気持ちが、ゼウス君に対して本気でぶつかることが出来なかった原因なのかもしれない。
ゼウス君はことあるごとに反発し、全てを憎むような目をして私たちの元から去った。
引き止めることもできず、その後は流れてくる近況を知る程度しか出来なかった。
もし死んでからの後悔があるとすれば、ゼウス君に一度でも謝罪の気持ちを述べることが出来なかったこと。
そして彼が騎士の道で成功を遂げていることを祝福できなかったことだろう。
過去の光景を眺めていると、私にはこのこと以外に大きな後悔が後二つ存在するはずだと思い出した。
一つがアリスが死んだ時に、側に居てやれなかったこと。
あの日私が迷宮に行かなければ、せめて死の間際にいられたのではないかと今も考えてしまう。
最後の一つが三人の娘のことだったはず。
だけど、上手く思い出せない。
それなのに、今でも目を閉じれば三人が生まれた日のことが眼に浮かぶ。
マリナが生まれた日は暑い季節だった。
昔は生まれたての赤ちゃんを見ても、皺くちゃのお猿さんに似ていると思ったものだ。
だけどマリナの時は違った。
初めて見たその時からこの子が私の娘だと分かったし、なんという愛らしい存在がこの世にはいるものだと感動した。
ルルとニョニョが生まれた日は冬が終わり、過ごしやい季節に変わろうとしていた時期だった。
助産婦さんから、予め今回は難産だと聞かされていた。
どうやらアリスのお腹の中には二人の子供が育っていて、それはとても珍しい例で、助産婦さんも初めての経験だと言っていたからだ。
けれども私の不安と助産婦さんの予想を覆し、双子の出産は意外にもスムーズに終わった。
母体、子供、共に健康な状態だった。
アリスと助産婦さんはすんなりと終わった出産に笑顔を見せた。
「あんたの奥さん大したタマだね。もし上手くこの子たちが出れそうにないなら、私のお腹を切って下さいって言ったんだよ?」
「ほ、本当かアリス!!」
「あら、冗談に決まってるでしょ。私が貴方とマリナを置いて死ぬと思う?」
「いや……アリスが言うと冗談に聞こえないんだが……」
「あら、私って案外信用ないのね」
「こらこら、こんなめでたい場で夫婦喧嘩はやめておくれ。今回はあんたの奥さんの良いお尻が仕事したってことだよ! 褒めてあげな!」
アリスの発言が嘘とは思えず、気が動転していた私は助産師さんに言われがままに褒めた。
「アリスのお尻は良いお尻だ」
「…………それって褒めてくれてるの?」
アリスが見せるジト目にタジタジなりながら、それでも私は言い切った。
「僕が選んだお嫁さんだ! 最高に決まってる」
「そこまで言い切れるなんて、中々肝が座ったご主人だね。ちょっとからかうつもりが、これじゃあ四人目も近々だね。邪魔者は出て行くよ」
助産婦さんが出て言った後もアリスはジト目でこちらを見続けた。
「他に言うことは?」
答えを間違えれば世界が崩壊するような予感。
と言うか、一回答えを間違っているのだろう。
「アリス、三人の子供を授けてありがとう。愛してるよ」
俺の答えを聞いてアリスはようやくジト目をやめて、優しい笑顔に変わった。
「マリナもパパとママのこと愛してるよ。良いお姉ちゃんになるから、喧嘩しないでね」
マリナもまた、お姉ちゃんになることを期待しながら、時に不安になりながら心待ちにしていた。
「きっとマリナはいいお姉ちゃんになると思うわ。だってマリナは私にそっくりなんだから」
「それもそうだな。ママに似てしっかり者だからな。マリナは」
「うん! マリナもパパのお世話で鍛えられたから何でもできるよ」
「あぁああああ! それは秘密だろ、マリナ」
アリスはニヤリと笑うと、諭すような口調で話した。
「これを機にパパも甘えるのは卒業しなさい。他の人に知れたらパパも迷宮で後ろ指を刺されるようになるわよ」
「いや……でも……。迷宮から帰ってきたら疲れてるし……」
「パパ、めッ!!」
マリナのドスの効いた一喝に、反論の余地なく私の口は閉じざる得なかった。
悲しい現実を迫られると同時に、私は遥か昔のことを思い出していた。
私が幼い頃感じたあの陽だまり。
それがこの場にもあるのだと実感していた。
だが、私の感じた陽だまりは何時も長くは続かなかった。
アリスの死はその後すぐに起こった。
幼い三人の子供を残し去ったアリスのことを思うと、胸が痛くて堪らなかった。
そして母を求める三人の子供にも不自由をさせて申し訳なかった。
特にマリナには姉として、色々な自由を犠牲にして家族を支えてもらった。
アリスが死んでから休業していた冒険者の職も、家庭が安定するにつれて少しづつ戻していった。
前のように泊まり込みでという訳にはいかなかったが、レミトさんの好意に甘えて面倒を見てもらい、日中は仕事をするこが出来た。
ルルとニョニョは甘えん坊で、私が帰ってくるといの一番に抱きついてきた。
その後ろからマリナがヒョッコリと顔を出し、『お帰りなさい』と笑顔で出迎えてくれる。
失われたと思った幸福の時間が、いつの間にか子供たちの笑顔によって実感するようになっていった。
アリスがそうしたように、今度は私がこの子たちの笑顔を守らなければいけない。
移りゆく日常の中で決意した。
過去の記憶が途切れると同時に私の意識は元に戻り、またヴァルハラ迷宮都市を彷徨った。
過去の記憶を辿ったことで、さっきよりも見ている映像に現実感が帯びていた。
だけど、私の意思と無関係に体は動く。
私の体はいつの間にか北地区を歩いていた。
この北地区では多くの思い出があった。
初めて冒険者ギルドに登録した日のこと。
冒険者学校での授業を受け持ったこと。
マリナとルルとニョニョを連れて、モンスター博物館にも行った。
ああ……あの子たちは元気なのだろうか。
夢か現実か分からない世界の中で、三人の笑顔が私の頭に焼き付いて離れない。
これが夢だとしても会って力一杯抱きしめてあげたい。
きっとあの子たちも力一杯抱きしめ返してくれるだろう。
すぐにでも探しに行きたいが夢の中では何も出来ず、ただ移りゆく街並みの光景を眺めるしか出来なかった。
なぜか遠く思える三人の記憶。
なぜか知っている記憶と少し違う街並み。
何か大事なことを忘れているようだった。
私が最初に導かれているようにと感じたことは、間違いではなかったのかもしれない。
目を凝らすことでようやく見える銀色の糸。
それが私の心臓から出ていて、私の進行方向に続いている。
この体はその糸に導かれるように歩いていて、きっとこの糸の終着点が私の夢の終わりなのだろう。
私の糸の先はどこなのだろうか?
曲がり角を曲がると、糸は路地から建物の中に繋がっていた。
その場所はモンジュー家の別邸。
過去の記憶と変わらず、何とも仰々しい大きな建物だ。
糸を辿るように進んでいくと、私の制止も全く意味をなさず、何の躊躇もなく人の屋敷に入っていく。
屋敷の中は何とも荒れていて、明かりはついているのに人の気配が感じない。
何時もならば執事やメイドが出迎えるはずなのに何故だろう?
ああ……そうだった。
ここは現実の世界ではないんだ。
あまりにもリアルな光景に、いつの間にか現実だと信じきっていた。
そう考えると感じていた罪悪感は薄れ、この先に何があるのか気になった。
そういえば私の最期の後悔は一体なんだったのだろうか?
確かに娘三人の笑顔を守ろうと誓った。
私はその後どうしたのだろうか?
私が求める答えは何故かこの糸の先にあるように思える。
糸は部屋の中に続いていて、更に壁の向こうに繋がっていた。
行き止まり?
だが体は壁に向かって突き進む。
壁と体が勢いよくぶつかると、壁がクルリと回転した。
その先には下に降りる階段が続いていて、糸もそれに続いている。
階段を降りると共にジメジメとした空気と、血まなぐさい臭いが立ち込めてきた。
コツ、コツ、コツ。
ブーツが音を鳴らす。
私の視線が下に向くと、とても年季が入ったブーツの姿が映る。
このブーツはいつから履いていたんだろう?
ああ、そうだ。
次期ギルドマスター選挙戦に向けて、娘たちが私に送ってくれたブーツだった。
とても大事なことなのに忘れているなんて親として失格だ。
目が覚めたら謝ろう。
そう思いながら、私は地下室の扉に手をかけていた。




