三十九話・決戦、死霊の魔導士レギレウス。天を駆ける一撃
黒い渦に突っ込むと、そこは死屍累々の世界だった。
建物から火の手が上がり、人々は襲いくるゾンビの群れに我を忘れて逃げ惑う。
ヴァルハラ迷宮都市で起こってもおかしくない光景。
世界中から聞こえてくるような悲鳴の声。
呪いの呪文のような不気味な声。
そして、悲しげな音色に乗って流れてくる笛の音。
「レギレウス! 確かにここにいる!」
ヴァルハラ迷宮都市と一緒で、この世界もまた夜の世界になっている。
地上の光景は立ち上る火の手で分かるが、レギレウスが空中を飛んでいるとすれば簡単に見つけることは出来ない。
頼りになるのはやっぱり聴覚。
笛の音を頼りにレギレウスを探し出す。
地上では大きな城までもが炎に包まれていて、国が一つ滅ぶ姿を見ているようだった。
助けたい気持ちはある。
だけど時間がない。
俺はこの世界で知ったことがある。
何かを得るためには、何かを捨てなくてはいけないことがある。
誰かを守るためには、この手を血で染めなければいけない時があった。
今回もそうだ。
レギレウスを倒すために、地上の人たちには犠牲になってもらうしかない。
それが正しい選択。
「おかーしゃん、たすけてー」
「リナーテ、待ってて!! 今すぐ行くから!!」
助けを求める人々の声。
「あーもう!! 魔法だ!! 魔法一発で片付ける」
敵の種族はゲーム上ではアンデッドだった。
ということは回復魔法でダメージを与えれるはず。
そうすれば、無駄に俺の魔法で死ぬことはないだろう。
この状況で最も適している魔法は【回復魔法】レベル七の【大地の息吹】だろう。
広範囲のエリアでHPを中回復させる効果を持つ。
「ラファエルの名にて、大地の神リポーティスに捧ぐ。かつて大地は我々を創造し、人々の母となった。人々は大地に感謝を捧げ、死を迎えると母なる元に帰って行った。今世界は暗闇に落ち、大地は赤く染まり、人々は大いなる奇跡を待ち望み、母なる大地に涙を流している。時を超えて再び我々に大きな慈悲と奇跡を与え給え。大地の息吹」
スキル【詠唱短縮】がないせいで、頭に浮かんでくるはずの詠唱文が中々浮かんでこないし、かなり長い。
時間はかかったけど成功は成功のようだ。
地上の方から聞こえていた助けを求める声や、叫び声が突然止んだ。
ーーと、思って下を見てみると、さっきまで火の手が上がっていた街並みが綺麗さっぱり消えていた。
どういうことだ?
俺が見ていたのは幻覚?
「そう。君が見ていた光景は僕の記憶を元に作り出された幻覚」
「な!! お前は、レギレウス!! 一体何処にいた!?」
声が聞こえた方向を向くと、レギレウスはすでに俺の前に立っていた。
ゲームの時と変わらない姿。
黒いフードとコートを身につけ、左手には歪な形をした笛を持っている。
何かが動いた気配はしなかった。
というか、神眼の効果の中に入っていても気がつかなかった。
「僕の世界に入った時からずっと君の前にいた。いやもっと言うなら、僕が世界に召喚された時から君の側にいた」
「嘘だろ! そんな気配は感じなかった!」
「この世界には理というものが通じない事象が稀に存在するものだ。例えば僕という存在もまた世界の理に反するもの」
「一体何を言っているんだ? 世界の理ってなんのことだ?」
「今君が知る必要はない。急がなくてもいずれ分かる時が来る。君はその理の枠の外にいる存在なのだから。それよりも僕が質問したい。どうして僕を探すのを優先せずに地上にいる人々を救おうと思ったんだい」
レギレウスの瞳は俺が想像していたよりも穏やかで、語り口調も柔らかい。
俺のことをよく知っているようだから、多分擬似天使化の時間制限も分かっていると思う。
でも、時間稼ぎという感じはしない。
「分からない。………助けを求める声を聞くと助けたいと思ってしまう」
「君には大切な守るべき人がいるんだろ? その人たちを助けることを最優先に行動すべきじゃないのか?」
「俺は! ………俺は最優先に行動してきた。今までもこれからも」
「それは嘘だ。僕は君の行動をずっと見てきたと言っただろ? 君は確かに大切な人を助けることを優先していた。だけど君は救いを求める無関係な人を、切り捨てることが出来ていなかった。もし君が全てを切り捨てることが出来たなら、今頃彼女たちは簡単に見つかっていたはずだ」
これまで培ってきた倫理観のせいなのか?
それとも俺自身の性格や気質に原因があるんだろうか?
頭では分かっていても、いざとなれば見捨てることが出来ない。
全てを自分の手の中に掴もうとしていた。
「…………そうかもしれない。自分でも何を優先すべきか分かっているつもりで、それでも助けを求める人は全て救いたいという迷いもあった」
「……そう。それが君の弱点でもあり、長所でもある。君と関わった人の全ての命と、この世界に住まう無関係な人の全ての命。どちらかを選べと言われたら君はどっちを取るつもりだ?」
「俺は……俺は、前者を選ぶ。例えそのせいで世界が滅んでも」
「君の根底にあるその想いこそがこの世界を生んだのだろう。そして私という存在が再びこの世界に戻ることになった原因というわけだ。だけどその想いがどれだけ強くても変えられない。世界を司る運命は予め決まっているのだから。その運命は大きい存在であればあるほど変えられないものだ」
「…………分からない。言っている意味が分からない」
「単純なことだよ。君の答えは決められた運命に逆らうというもの。世界の理そのものを変えてしまうことなんだよ。そこに辿り着くにはどれだけの力が必要になるだろう? どれだけの犠牲が必要になるだろう? 僕には想像さえできない」
「俺が大切な人を守るには世界の理を変えることが必要なのか?」
どうしてそんな簡単なことをするのに、世界の理なんていう大袈裟な話になるんだ?
助けたいという想いだけじゃ駄目なのか?
「そういうことだ。君の存在は大き過ぎる。だからこそ君の運命を変えるには巨大な力が必要になるだろう」
「どうして俺にそんなことを教えてくれる? お前たちは敵ではないのか?」
理由は分からないが、さっきからレギレウスは俺に対して敵意を見せていない。
だけどその存在はゲーム上では敵と呼べる存在にあたる。
俺の頭は難しい話と相まって混乱していた。
「ああ、君がいう通り敵だよ。君が倒すべき敵だ。今言っておくが君は僕を倒さない限り、この世界から出ることは出来ない。永遠に」
「なッ! 俺を閉じ込めた目的は何だ?」
「目的? 僕が生まれた意味を知るためさ。僕という存在が何を生み、何を変えていくのかを見届けたかったのさ。そろそろ時間がないよシンヤ君。この空間はもう既にかなりの歪みを迎えている。このままいけばシンヤ君も僕も、次元の狭間で永遠に虚空を彷徨うことになるだろう。さあ、やりたまえ。君の意思を見せてくれ!! 君の覚悟を見せてくれ!! でなければ、世界の理を変えることなんて到底不可能だよシンヤ君!! 」
レギレウスが戦いを促すと同時に、擬似天使化の効果が切れた。
しまった! まんまとレギレウスの術中に嵌ってしまった。
落下する!!
……………あれ!?
俺の体はそのまま空中に静止したままだ。
レギレウスの言うように、見えている光景は幻覚なのだろう。
「ああ……済まない。この画像だと戦いにくかったね。画像を変えよう」
レギレウスは何か囁くような声で呪文のようなものを唱え出す。
その詠唱は直ぐに終わった。
星空が映る夜の光景だった世界が、何処かの草一本生えない荒野の世界に移り変わった。
赤色の色素が混じった石や岩石だけが無造作に転がっている。
「条件は整った……。これまで手にしたもの全てを賭けてこい!! シンヤ!!」
戦わなければ元の世界に変えることは出来ない。
話が通じる相手だろうが関係ない!!
やるしかないんだ!!
剣をしっかりと握りしめ、レギレウスに向かって斬りかかる。
だけど……俺の攻撃はアッサリとかわされる。
これまで休まずに続けてきた剣の素振り。
百や二百じゃない。
こういう日の為にやってきたんだ!
中段突き、上段斬り、かわされてからの回転斬り。
だけど、どの攻撃もレギレウスには届かない。
…………くっ!!
駄目だ……全然速さが足りていない。
もっと速く、もっと正確に!!
これまで行ってきたことがない程の猛烈な連撃。
レギレウスは息を切らすことなく、俺の攻撃を完全に見切ったように後数センチの所でかわしていく。
レギレウスとの力の差は数センチどころじゃない。
「駄目だ……。もっと力がいる………」
どうすれば力を手にすることが出来る?
どうすればみんなを守れる力が手に入るんだ?
……………?
そうだ!!
さっき、レベルアップしてたじゃないか!!
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名前 :ラファエル
年齢 :18
性別 :男
種族 :天使族
職業 :見習い天使
レベル: 11
<ティーファ>
<アイテム>
<スキル>
【GP】96
【BP】211
【HP】72
【MP】25
【SP】31
【筋力】60
【器用】16
【敏捷】40
【頑強】15
【魔力】5
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一旦距離を取って念じると、ステータスが目の前に現れた。
だが、その隙にレギレウスが反撃に転じる。
俺が取った距離を瞬時に詰めると、黒い鎌が何処からともなく現れ、レギレウスの右腕に握られていた。
振り下ろされる黒い鎌。
敏捷に10ポイント割り振るだけで精一杯だった。
今度は避けるだけでギリギリだ。
右に左に、鋭い刃が俺の首筋に向けて飛んでくる。
クソッ!!
反撃する余裕さえない!
レギレウスの鎌は致命傷を与えるまでには至らないも、確実に俺の肉を引き裂いていく。
避けると同時に赤色の液体が宙に舞う。
「グッッッッウワァアアアアアアアアッッッ!!!」
痛い!!
左腕が燃える!!
血飛沫とともに飛んでいった左腕。
肘から下が完全になくなっていた。
腕が無くなったことを実感すればするほど、気が遠くなるほどの痛みが襲ってくる。
駄目だ!!
ここで気を失ったら完全に負ける!!
レギレウスの鎌は容赦なく次の狙いを定めて攻撃を繰り出してくる。
鎌が鳴らす空気を切り裂く音が俺を恐怖させる。
俺の首は繋がっているのか?
まだ生きているのか? と。
レギレウスがニヤリと笑うと、黒い鎌がさっきよりも大きくなっていく。
更に圧力を増す攻撃。
足りない!!
まだ速さが足りない!!
もっと上げさせろ!!
身体中に鳴り響く警報音。
死を回避する為に、脳内で必死に力をコントロールしようと試みる。
『オートモードでBP10を敏捷に振り分けました」
脳内に響く声。
体が飛躍的に軽くなる。
もっとだ!!
速く!!
誰にも追いつけない速さを!!
『オートモードでBP30を敏捷に振り分けました』
速さは加速度的に上がり、レギレウスの鎌の速度を優に上回った。
すると次は反転攻勢に出る。
「急に速度が上がった? 恐ろしい成長速度だ……。だが、まだ僕を倒すことは出来ない」
レギレウスは攻撃を避けきれないと見るや、動きを完全に止めて笛を吹き始めた。
実際に攻撃は当たっているのに、ダメージがあまり入ってないように感じる。
今度は力がいる!!
敵を蹂躙する圧倒的な力だ!!
『オートモードでBP10を筋力に振り分けました』
「ぐっ!! 力も増している!?」
レギレウスの笛は一旦は中断したが、それでも目を瞑り、もう一度吹き始める。
このままやらせる訳にはいかない!!
まだだ!!
もっといる!!
もっとだああああああああ!!!
『オートモードでBP30を筋力に振り分けました』
「くらえええええええええ!!!」
レギレウスに向けた渾身の突きは胸に当たり、そのまま心臓を貫いた。
レギレウスの口から赤い液体が噴き出る。
「グフッッ! ………今の一撃は大したもんだ。だけど少し遅かった……。集え! 古の魔法兵団。アーシャルの守護剣たちよ!!」
レギレウスの背中から現れた巨大な黒い渦。
そこから現れる軽装の鎧を纏った骸骨の顔をした大群。
全ての骸骨の鎧に刻まれた剣と剣が交差する模様。
整然と並ぶ姿は、規律がとれたどこかの軍隊が行進している姿を思わせる。
レギレウスに刺さった剣を抜き取ると、更にレギレウスに追撃を加えようとする。
こういうのは召喚者さえ先に倒せば、他は一斉に消え去ると相場は決まっている。
レギレウスの首筋に向けて横薙ぎに剣を振るった。
ガキーーーーンッッ!!
確かにレギレウスの首に剣の刃が当たったはず。
けど剣の感触は鉄類を叩いたような硬さだった。
「はは。まさか、アーシャル王につけられたこの首輪が攻撃を防ぐなんて、奇妙なことがあるものだ。この硬さは流石と言ったところか。魔法先進国の技術を結集して作られたことはある」
レギレウスは攻撃が首筋に当たるとともに、すぐに後ろに飛び退き、骸骨の軍団の中に身を隠した。
そして、俺が立っている場所に風の刃と炎の矢が同時に襲ってくる。
避ける為に後退すると、またそこに魔法が雨のように降ってきた。
三重、四重にも及ぶ魔法の嵐。
レギレウスに近づく暇も与えず、少しづつ距離を取らされる。
更に前方に集結していた軍団は俺の後退に合わせて左右に流れていき、V字になるような陣形を取った。
俺はいつの間にかV字の中央に位置し、左右正面上空から魔法の雨が降ってくる。
前方は炎に包まれ、逃げ道は後ろしかない状況になっていた。
V字の一番奥深くでレギレウスが魔法を使っているのが視界に入る。
「クッッ!! ここは一旦後退して、陣形の外に出てから攻撃するしかない」
統率された魔法攻撃と、レギレウスが放つ広範囲の火魔法に苦戦し、ジリジリと後退させられていく。
このままかわし続けていればいつかはMPが切れて、反撃のチャンスが回ってくるはずだ。
『進むのだ!! 後退に望みはない!! 前に突き進み、自ら手で道を切り開け!!』
突然、どこからか聞こえてきた声は何故か懐かしいと感じた。
だけどその声の持ち主は俺の記憶には存在しない。
前進?
この魔法の嵐を縫ってどうやって突っ切れる?
「無理にきまって…………。違う……無理なんて決まってない」
誰かが言っていた。
『他人の物差しで自分を測られる気はないと』
俺が俺の限界を決めてどうする。
まだ使っていないBPだってある。
全てだ!
全てのBPを敏捷値に入れてくれ!!
『オートモードでBP121を敏捷に振り分けました。なお、敏捷値が500を超えた為、スキル【天破】を自動習得します』
身体中の組織が組み変わっていく感覚。
別の生命に生まれ変わったような開放感だった。
いける!!
動き出した両足は激しく地面を叩き、土煙を上げる。
加速した両足は地面を超え、空中を叩き、炎の壁を飛び越え、更に速度と高さを上げていく。
上空から降り注ぐ矢も俺の動きについてこれず、レギレウスの魔法も俺が元いた場所に放たれた。
上空から見えるレギレウスの存在。
今度は急降下していき、標的をレギレウス一点に定めて突撃する。
「な? どこに行った?」
ようやく俺が元いた場所にいないことに気がついたレギレウス。
宙を蹴る音がパンッ、パンッ、と音を鳴らし、空気を切り裂く衝撃が風を呼ぶ。
レギレウスは自身の上空にいる存在に気がつき、空を見上げた。
「まさか……ここまで……速く……………」
レギレウスの言葉が終わる前に、俺の剣はレギレウスの首元を襲っていた。
飛んでいったレギレウスの首は、その惰性のまま声を発し続けていた。
「シンヤ……くん………いけ…………じかん……は……も……な………い」
首が無くなったレギレウスの体が指差した先。
そこには黒い歪みのようなものが出来ていた。
レギレウスの顔を一瞥すると、黒い歪みの中に飛び込んだ。




