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三十七話・絶望

 ティーファが放った火球は、炎の飛沫をあげながら怪物たちの体に落下した。




 ーーーードッッガッッッッッッッッッッッン!!




 ヴァルハラ迷宮都市を襲う強烈な爆音と熱風。

 動向を見守っていた冒険者たちも、世界の終わりを感じるほどだった。

 怪物に変化したタイルスの天剣は火球の爆発が直撃し、ただの魔法の一撃で二人の命が失われた。

 しかし、ティーファの魔法はそれで終わらなかった。


 タイルスの天剣を根絶やしにするほどの炎の矢が、ティーファの詠唱に合わせて空中に出現した。

【火魔法】レベル三の【降り注ぐ火矢】である。

 通常の火矢であれば、怪物に変化した彼らならば防ぐことは造作もないことである。

 だがティーファの矢は規格外であった。

 火矢と呼ぶには相応しくないほど太く、長く、熱く、そして速かった。



 ゼウスはまともに受けた爆風に動じることなく、次の魔法の脅威に目を奪われていた。

 ゼウスの視界に映る火矢の数は膨大で、全ての矢の先が下を向いており、それが降り注げばヴァルハラは火の海になる可能性さえある。

 それを予知できても、そうなることを防ぐことさえできない無力感を感じていた。


(誰にも負けないという自負があった。だがそれは自惚れでしかなかったようだ。あれは遥かな高みにいる存在だ。世界は俺が思っている以上に広い)


 ティーファの意思を介し、火矢は一斉に標的に向けて降り注ぐ。

 タイルスの天剣たちも先ほどの爆発により上空を警戒していた。

 火矢が近づくことに気がついた者たちは、必死にその場から逃げようとする。

 だが、火矢の速度は想像以上に速く、範囲は集約されていた。


「ハブゥェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」

「グギャオオアアアオオオオオオオオオオオアアアアアアア!」


 火の矢は怪物たちの体を貫き、炎の柱を上げていく。

 その度に怪物たちは身震いするようなおぞましい悲鳴を轟かせていく。

 静寂に包まれていた冒険者たちもその光景を見て、言葉を出さずにはいられなかった。


「なんつー光景だ。丸焼きじゃねーか」

「ずっと迷宮前の炎を見ていたが、中はあんな感じなんだろうな」

「あの魔法とゼウス。どっちが強いと思う?」

「馬鹿かお前? あの魔法を見て選択肢があると思うのか?」

「僕はゼウスに一票。ゼウスの本気ってまだ見たことないからね」


 冒険者たちは襲い来る魔物たちの末路を見て、再び危機が去ったことを感じていた。

 何故なら冒険者たちは、竜がこの場に出現してからの行動を全て知っている。

 また、魔法を放っている者が自分たちに敵対な行動をするばかりか、助けようとする意志さえ感じられた。

 彼ら、彼女らは味方だと確信していた。

 実際に降り注ぐ火矢はゼウスが危惧したような光景にならなかった。

 火矢は意思を持ったようにタイルスの天剣に目掛けて落下していった。

 ゼウスも上にいる者の意思を薄々理解しかけていた。


(敵ではなく味方……か。今の状況でこの援護、これだけの戦力は心強い。それにしてもあいつら、俺とあの魔法使いを比べるなっての! どう考えて俺があれより上に見えるんだ?)


 ゼウスは首を捻り、自分が他人にどんな印象を抱かれていのか不思議でしょうがなかった。

 実際にティーファがゼウスと敵対すれば、ゼウスは何の抵抗もできなく敗れるだろう。

 上空という地的優位もあるが、ティーファの魔法は詠唱から発動までが速すぎて隙がなかった。

 反撃の暇さえ与えない無慈悲な爆撃である。


「迷宮の入り口はあの通りだし、上には規格外の魔法使いがいる。どうやら俺が出しゃばるのはここまでのようだ」


 ゼウスは迷宮前の防衛は鉄壁に近いと判断し、次なる行動に移ろうとしていた。

 今やヴァルハラ迷宮都市の長であるロドスは存在せず、指揮系統が崩れていることになる。

 西門は時期にファーマンが開門するだろう。

 他の門は第二騎士団であるゲイリーの管理下にある。

 何とかゲイリーを説得し、この危機を騎士団全ての力を結集して対応すべきだと考えた。

 そうすれば、必ずこの勝負に勝てると踏んでいた。

 だが、ゲイリーといえば典型的な傲慢な貴族タイプである。

 無駄なプライドが高く、人を見下し、上の人間には必要以上に媚びた。

 そんな男とゼウスとの折り合いが良いはずがない。


「あのおっさん、絶対に首を縦には振らねーだろうな。いっそのこと、この混乱に乗じて……」


 ゼウスもゲイリーに対しては日頃の鬱憤が溜まっていた。

 だが……卑怯な手は思いついても実際にやろうとは思えなかった。

 あんなクズどもと同じ土俵で戦えない。

 そんな思いがゼウスの心の奥底にはあった。


「本当に、簡単なことがままならねー世界だな。やっぱり俺たち第三騎士団でやるしかねーか」


 ゼウスの方針は決まった。

 現在西門で手余り状態の第三騎士団を動員して、溢れたアンデッドの処理を任せるつもりだった。

 だが、ゼウスの誤算は事態が沈静化に向かっていると錯覚してしまったこと。

 ゼウスの認識ではアンデッドは迷宮からのみ溢れてくる。

 その前提はすでに崩れ去り、震源地は外の世界に移っていた。



 そしてーーーーーーーーー。





 悪性の魔素がタイルスの天剣の死により大気中に急速に広まっていった。

 悪性の魔素の濃度は魔族が活動できるにまで急激に変化し、その時を待っていた者たちが動き出した。


「ホルダー、時が来たようだ」

「想定よりも遥かに早かったが、何故だ?」

「ふっ、答えなど地上に上がれば直ぐにでも分かるだろう」

「それもそうだな」


 迷宮深くで蠢く闇。


 それらは魔族が使用する転移石が放つ光によって姿を現した。

 総勢1000体にも及ぶ魔物の群れ。

 どれもが高レベルのモンスターで、オーガキングなどの上位のモンスターも数多く存在した。

 溢れる死体と応呼するように、地上に死の雨を降らせようとしていた。



 地上では危機が去り、ゆったりとした時間が流れていたのも束の間、迷宮の入り口を中心にして大きな魔法陣が描かれた。

 またしても冒険者たちに動揺が走る。


「嘘だろ!! まだ何かあるのかよ!!」

「もう勘弁してくれ…………」


 流石に体力が回復した冒険者たちは立ち上がり、その場の推移を見守った。

 ゼウスも行動に移ろうとした矢先の大規模な魔法陣の出現である。


(今度はいったい何だ? 次は蛇が出るか鬼が出るか?)


 時が移るにしたがって魔法陣は範囲を広げていき、冒険者たちが立つ場所まで届いた。

 そして、黒い(モヤ)のようなものが魔法陣の上にかかり、異様な臭気が風に乗って冒険者たちの鼻を刺激した。

 ゼウスは全身が雷のようなものに撃たれたような痺れを感じた。


「おい!! お前ら!! 今すぐその魔法陣の外に出ろ!! そこはヤバい!!」


 大地が揺れるほどのゼウスの怒声。

 冒険者たちも不味い空気を敏感に感じ取って、素早くその場を離れた。

 冒険者たちが固唾を飲んで見守るなか、黒い靄が迷宮入り口を完全に覆い尽くした。

 そして、その靄の中から微かに巨大な緑色の手が見える。

 明らかに人のサイズを超える高さにある手の位置。

 その高さは10メートル近くに及ぶ。


「今の見たか? なんかマジでヤバくないか?」

「俺も思うんだ………。あの黒い(キリ)の先には魔物がウジャウジャいるんじゃないかって」


 冒険者たちは持ち前の危機察知能力が作動し、ジリジリと後退してく。

 黒い靄の中から感じる威圧感は、普段対峙しているレベルのモンスターよりも遥か上に感じていた。

 瞬く間に黒い靄は夜の世界と同化していき、闇に隠れた者たちの姿が露わになる。


 オークキング。黒い精霊。オーガキング。銀凍狼。ゴールドスライム。サイクロプス。ワイバーン。屍鬼。バキュームワーム。人食い箱。ヴァンパイア。トロールキング。雷鳥。バズズラスネークの王。ジェネラルリザード。悪魔の写し鏡、ミノタウルスロード。


 どれもが高レベルの上位のモンスターたち。

 それぞれがBランク以上の力を持ち、100体揃えば街が一つ滅び、1000体揃えば国が一つ滅びる。




 圧倒的な絶望。




 視界いっぱいに広がるモンスターの群れに、冒険者たちは完全に戦意を喪失した。

 誰もが戦うなどという、馬鹿げた選択肢を頭に浮かべることはなかった。

 もうこの街は無理なのだ。

 自分たちが戦って救うなどというレベルは超えてしまった。

 今考えるべきなのは生き残ることだけ。

 しかし、今この場にいるほとんどの人間は、その願いが叶わないだろうということを知っていた。


 凍りついた空気の中、一人の男が走り出した。

 ただ一人、モンスターの群れの中に突っ込んで行ったのだ。


「な!? ゼウスの野郎、一人でやるつもりか!?」

「あいつ……。あそこに突っ込むなんて自殺行為だろ……」


 単身突っ込んだゼウスでさえ、モンスターの群れを見た時に絶望した。

 愛した街が音を立てて崩れ去る光景が目に浮かんだ。

 だからこそ走り出していた。


 自分に背中を預けてくれた人々の姿がゼウスの体を突き動かす。


(この街はやらせない!!)


 直感的にゼウスは感じていた。

 守りにはいればその瞬間にこの街は終わりだと。

 攻め続けなければ奇跡は起こらないと。


 ゼウスの渾身の一撃がモンスターの群れに襲いかかる。

 ゼウスが選択した武技は【断岩斬】


「ウオオオオオオオオオ!!」


 ゼウスの全身を纏う赤いオーラがガンダビラに移っていく。

 ユラユラと揺れる赤いオーラと共に、ガンダビラが大地を叩いた。




 ズッゴゴオオオオオオオオオン!!




 ガンダビラの直撃を受けたオークキングは爆散し、その勢いのまま大剣が大地を揺らした。

 ガンダビラが叩いた地面を起点に地割れが起き、その穴に数体のモンスターが吸い込まれる。

 ゼウスの奇襲はモンスターの視線を釘付けにし、上空からの攻撃に注意を逸らす格好となった。

 ゼウスの攻撃に合わせるように、ティーファの魔法がモンスターの群れに襲いかかった。

 ティーファが放った【風の刃】は突風を巻き起こしながら、モンスターの群れを切り裂いていく。


 ティーファの合図に合わせて赤竜がブレスを放つ。

【風の刃】と混じり合い、炎の竜巻のような現象が更にモンスターの群れに襲いかかった。


「はは……何だこれ。すげえ………」


 どこから漏れた冒険者の乾いた笑いが、その場の状況を表していた。


 圧倒的な蹂躙。


 次々と降り注ぐ魔法の雨に、魔物の群れはなす術がないように思えた。


「ルイーズよ。遥かな時を経て地上に出てみれば、この様な有様ではないか」

「うむ。あの騎士もかなりの実力者だが、最も厄介なのはあの魔法のようだ」

「あれだけの魔法は魔族でもそうは見られんぞ?」

「確かにあの魔法よりも威力の高い魔法を使えるものは魔族にもいるだろう。だが、下位の魔法であれだけの威力と速さで撃てるものは存在しないだろう」

「なるほど……バイバルス様が我々をお呼びになった理由が今になって分かった」

「では、効率よく敵の身包みを剥いでやろうではないか。ホルダーよ」


 ルイーズとホルダーは手持ちのモンスターに素早く指示を出していく。

 すると飛行系のモンスターは一斉に散開すると、四方八方からティーファ目掛けて突撃し始めた。

 ルイーズとホルダーはこの戦いの勝負の分かれ目は、ティーファの魔法だと分析した。

 そしてその魔法の弱点は集中攻撃。

 魔法には詠唱時間、そしてリキャストタイムが必要だ。

 その時間の隙を縫って、間髪入れずにあらゆる所から攻撃する。

 そうすることで魔法の範囲攻撃によって一網打尽にされるリスクを減らすことになる。

 使い捨ての魔物がいれば、魔法使い単体を潰すのはとても簡単なことなのだ。


 ティーファの詠唱時間は9割カットされているが、問題はリキャストタイムにある。

 ティーファの魔法は種類が少なく、全ての魔法を使ってもどうしても数秒の待機時間はできてしまう。

 その穴を瞬時に見極めたルイーズとホルダー。



 迫り来る魔物の群れに、ティーファの魔法は底を尽きようとしていた。


 僅か数秒の時間。


 魔物の群れはその隙を見逃すはずもなく、容赦なくティーファの体に襲いかかった。

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