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三十一話・銀翼と竜

 ーセラフィー


 銀色の翼を持つもの。

 それは私とリーナにとって命の恩人です。


 リーナが私を庇って倒れた時、何もできませんでした。

 リーナに時間がないことも分かっていました。

 でも、私は襲い来る彼らの剣を受け続けることしかできなかったのです。


 私の我儘で振り回して、過酷な人生を歩ませ、そして死を与えてしまった。

 全てを投げ捨てて私についてきてくれたリーナの最期を看取ることさえできない。

 私も生きることを諦めました。

 せめて一緒に。


 そんな想いも、私の実力では叶わないことでした。


 でも、奇跡は起きました。

 風に靡く銀色の髪の毛。

 世界樹の書の世界に存在するような銀色の翼を持つ少年。

 人が持ち合わせる美の結晶と言える存在は、神秘的な存在感と、全てを見通す眼力により、襲撃の全容を暴いてしまいました。


 私の存在はローレル王国にとって毒となる。

 そう知っていたからこそ、私は国を捨ててリンカ王国にやってきました。

 そうすることで私に関する全てのしがらみは消えて無くなると思っていたからです。

 けれど、物事はそんなに簡単にはいかない。

 あの襲撃はその事実を示していたのです。


 もっと強くならないと。


 強くならないと、いつか大切な人をなくしてしまう。

 その想いは私だけでなく、リーナも感じていたことでした。

 強くなるにはレベルを上げるしかないのです。

 私とリーナはひたすら迷宮に潜り、魔物を討伐しました。


 迷宮で二人という構成は、命知らずと言われることが多いです。

 勧誘も沢山頂きました。

 大抵は男性を中心した、下心を隠さないクラン。

 そんなクランに入るのは想像しただけで身の毛がよだつ光景です。

 けれども、今の私たちの実力では四層すら突破することは難しいのです。


 人には多かれ少なかれ才能というものが存在します。

 子供の頃からそういった才能が突き抜けた人を、幾人も知る機会がありました。

 彼らはどう押さえつけようとも、覆い隠そうとも、その覆った布を突き破り、自身の存在を天に示してしまいます。

 迷宮に潜るたびに、私たちにはその才能というものが欠けているという現実を、否応なく実感しなくてはいけませんでした。


 そんな時、私は冒険者ギルドの掲示板で彼らの活躍を目にしました。


『ホーリー・ロード』


 今や迷宮都市で一二を争う名声を誇り、驚異的な成長を見せるクラン。

 彼らとは少しばかりの縁があり、実力はそれなりに把握しているつもりでした。

 特にリーダーのカリスにおいては共に依頼をこなし、彼が死んでしまう姿まで見ていたのです。

 カリスがあのお方の奇跡により再び生を受ける前は、実力的に私と同じくらいだったはず。

 もちろん、リーナに比べれば遥かに劣る実力でした。

 でも、この一ヶ月で彼らは大きな力を手にしていました。


 同等の実力だと思っていた人がアッサリと遥か上に登っていった事実。

 それは過去に見た、布を突き破るほどの才能を有する者たちと同じでした。


 正直、焦りがありました。


 これまではただ前を見ていれば良かったのです。

 それだけで少しづつですけれど、前に進んでいる実感はあったのです。

 でも、隣にいると思っていた人たちが目にもとまならない速さで駆け抜けていき、背中まで見えなくなってしまいました。

 前を見ても深い暗闇しかないことに気がついたのです。


 そして、今度はこれです。


 迷宮の中から溢れてくる死体の大群。

 切っても、切っても、キリがありません。

 一体切れば五体増えている有様。

 最初は迷宮の入り口で対応していた冒険者も、支えきれずに後退するしかありませんでした。

 他の冒険者と陣形を組んで対応をしていますが、それが決壊するのも時間の問題です。

 一度決壊すれば周りは死体の山。

 一人でもこの状況から生きて抜け出せれば、奇跡と言っていいでしょう。

 口には出さないですが、誰もがそのことを分かっているはずです。

 死に抗うためにここまで戦っていたはずなのに、気がつけば死が目の前に迫っていました。


「リーナ、どうしよう?」


 何もできることはない。

 そんなことは分かっています。

 でも、口に出ていました。


「どうにもなりそうにない……な。ただ…………」


 リーナは必死に剣を振りながら、何かを思い出すように言いました。

 私にはリーナが思い描いている光景が手に取るように分かります。

 何故なら私も同じ光景を思い返していたから。

 その光景を振り返るだけで、勇気が貰えるから。


「……………そうよね。せっかく拾われた命です。精一杯、足掻いてみましょう」

「ああ。何が起こるかは最後まで分からないものだ」


 改めて戦い続ける覚悟を決めた時、異変は起きました。

 遠い何処かから届く音。

 それは空気を切り裂く音でした。

 音は急激にこちらに近づいてきて、私たちの上空辺りで止まりました。

 私もリーナも目の前の敵を相手するのに精一杯で、空を見上げる余裕はありません。


 何かが上空で止まって間もなく、迷宮の入り口に向かう光の線が見えました。

 光の線は幻かと思うほど一瞬。

 でも、次の瞬間の光景でそれが幻ではなく、確かに存在したものなのだと確信しました。


「あり得ない……」


 リーナが呟いた言葉は、迷宮の入り口が崩れる轟音に掻き消されました。


 あり得ないという言葉に全てが集約されている光景。

 迷宮の前に溢れていた死体が、プツリと糸を切られたように地面に倒れこんでいるのです。

 そして崩落する迷宮の入り口。

 過去の資料から迷宮という存在は壊れない、というのは常識の話です。

 もちろんこれまで数々の冒険者や騎士、英雄などが試みたことがあるのです。

 勇者と呼ばれる伝説の存在ですら、傷をつけるに留まったと記載されていました。


「まさか……アテナス様」


 私は目の前で起こった事実、これまでの常識を根底から覆す光景から自然と空を見上げていました。

 あのお方なのだと。


 小さく高まる鼓動を感じながら見上げた先には、清廉された衣服を身に纏い、華奢な体のようにみえて力強く、天まで届きそうな輝きを纏ったアテナス様でした。

 その姿を視界に入れた瞬間、これまでの人生で感じたことのない躍動感を胸に感じました。

 そして、その姿が遠ざかっていくのをただ見つめるしかない状況に、胸が苦しくなっていくのです。

 きっとアテナス様は、私が考えるよりも遥か高みに存在するお方です。

 人や魔物、魔族、勇者、そんな枠を超えている存在なのだと。

 恐らく、この先一度も姿を拝見する機会もないでしょう。

 ましてや会話など、奇跡が起こるようなものなのです。


 私は初めて感じた淡い気持ちを心の中に仕舞い込むと、目の前の敵に集中し始めました。

 アテナス様はもう一度生きるチャンスを与えてくれたのです。

 それを無駄にするようなことはしたくありません。


 そして、あの姿をもう一度見ることができて、決意したことがあります。


 私はもう一度挑戦したい。


 この道を決めたのは私自身です。

 幼い頃に読んだ絵本の世界での冒険者は私の憧れでした。

 仲間と協力して巨大な敵に立ち向かう姿。

 世界中のあらゆる場所を探検し、世界を知る素晴らしさ。

 きっと私は……。

 きっと私は今この瞬間、そんな絵本の中の世界に、文字ではなく現実として目撃することができているのです。

 あの憧れた世界を目の前で見ることができるのです。

 それは凄く素敵なことだと実感しました。



 能力の差や才能の差なんて、アテナス様の前では小石の背比べのようなものです。


 私は私の限界にまだ達していない。

 まだそこに達する努力もしていない。

 もう少しだけでもいい。

 この物語の続きを見続けていたいのです。





 アテナス様の存在は私とリーナだけでなく、周囲の冒険者たちにも力を与えてくれました。

 永遠に続くかと思えた死体の大軍は一時的にも途切れ、生き延びれる可能性が出てきたのです。

 疲労の色が見えていた冒険者たちは、もう一度武器を握りしめて活路を見出そうとしています。


 流れが変わった。


 そう感じた矢先、崩落した岩石によって閉じられていたはずの迷宮の入り口が、独りでに修復を始めたのです。

 岩石が勝手に宙に舞い、元あった場所に戻っていきます。

 そして周囲の砂が舞い、切断された岩石と岩石との間を埋めていきます。


 ダンジョンとは何か?

 迷宮とは何か?


 そんな疑問は過去の偉人たちの知識の探求の題材として、上がることは珍しくありません。


 ある宗教家曰く、ダンジョンとは神々が創りだし、この世界の理の外にあるもの。

 ある歴史家曰く、ダンジョンとは古代人が造りだしたもの。

 ある冒険者曰く、ダンジョンは生き物で、意志を持っている。


 嘘か真か、いくつかの書物にその見解が載せられています。

 何故か私は目の前の光景を眺めていると、過去に見たそんな文字が頭に浮かびました。

 独りでに動き、修復していくその姿は正に生きているのでは? と、そんな疑問を募らせていくのです。


「ひっ」

「チクショウ……ここまでか……」

「騎士どもは何してやがる!! いつも威張り散らしてこんな時は一目散に逃げるってか!?」


 砂埃が舞う先では黒い影が幾分か見え始めました。

 ここまで圧倒的な数的不利に対して、寄せ集めの冒険者たちはよく対応してきたと思います。

 その中心に彼ら、ホーリーロードが存在しているということは、大きく影響しているでしょう。

 実際に、彼ら、彼女らの力は、冒険者の中でも抜きん出いてることは、この場で戦う姿を見ているだけで実感することができました。

 強い味方が存在することは心強く、自分自身も強くなったように錯覚させる力があるのです。

 けれども所詮は錯覚です。


「俺はこんな所で犬死はゴメンだぜ!」

「おい! ここでお前が抜けたら全員やられちまう!」

「死にたくなきゃお前らも一緒に逃げるしかねーだろーが!!」

「町の人間はどうなるんだ?」

「そんこと知ったこっちゃねーぜ! 俺はこの街に家族も恋人いねーからな。じゃあな! 世話になったな!」

「おい! 待て! 待てよ!! …………くそッ!! 」

「悪い、俺も行くわ……」

「チクショウ…………俺だって逃げたいさ。でも家族が……子供が……この街に住んでいるんだ」


 強固に見えた結束も、一つの穴ができれば連鎖するように穴が広がっていきます。

 ヴァルハラ迷宮都市に一時的に滞在している者。

 ここに拠点を置き、家族がいる者。

 ヴァルハラ迷宮都市が出身地だという者も冒険者には多くいます。

 それぞれ戦う理由は違うのです。


 逃げ出す冒険者を責めることはできません。

 彼らもまた、どこかで家族が待っているのかもしれないのですから。


 冒険者になった以上、どんな依頼を受けるのか、どこで身を引くのか、全ての決断の結果は自己責任です。

 決断が上手い人は長く生き延び、たとえ能力のある人でも決断が悪い人や、鈍い人は生き残れないのです。


 私とリーナも決断を迫られていました。

 逃げるなら、包囲されていない今しかないのです。

 戦線を離脱するのが早ければ早いほど生き残れる確率は上がります。


「セラフィ、私たちも覚悟を決めないといけない」

「ええ……そうね」


 答えは一つしかないのです。

 生き延びなければ何も為すことはできません。

 けれども……。


 カリスたちの戦う姿が視界の端に映ります。

 死体を薙ぎ払う姿に、彼らから逃げる意思は感じられません。

 ここで逃げ出せば、彼らと同じ舞台で戦えることは二度とないと確信できるのです。

 そしてそれは、物語のお終いを意味するのです。


 蛮勇と勇敢は違う、ということは重々承知です。


 でも……!!

 私はもう一度挑戦したい。

 そう願ったのです。


「リーナ。私は…………私は戦いたい! ここで逃げてしまうと永遠に戦えない……そんな気がするの」

「ふふ、セラフィならそう言うと思ったよ。私も同意見だ。ここで逃げれば私たちに冒険者として生きる道は残っていないように思える。それに……今更死など恐れていないさ。恐れるのは恥ある生き様を晒すことだ」


 リーナは迷いなく、私の決断を受け入れてくれました。

 私はずっと迷ってばかりなのに、リーナは迷わない。

 なぜなら、リーナの心の中にはブレない固い芯があるから。

 それは私にはないもので、頼もしくもあり、羨ましくもある。


『ルイーズとホルダーの冒険譚』という本にはこんな一文があります。


『数多の死闘は龍脈に等しい』


 龍脈とは伝説的な場所で、そこに至ることができれば大きな力を得ることができると語り継がれています。

 ルイーズとホルダーは故郷を苦しめる邪鬼を倒す為、大いなる力を求めて世界を旅し、数々の戦いを切り抜けていきます。

 二人は常人では到底辿り着けないダンジョンの奥地や秘境を旅し、ついには龍脈にたどり着くことができたのです。

 ですが、龍脈はすでに枯渇していて、彼らは力を得ることができなかったのです。

 足取り重く故郷に帰った二人は、邪鬼によって荒れ果てた土地を眺めることしかできませんでした。

 ですが、荒廃した故郷をなんとかしたいという思いから、二人は邪鬼に挑むことに決めました。

 故郷の人間は無謀だと口々に言いました。

 邪鬼は恐ろしく強く、国も無闇に手を出せないほどの力をもっていたのです。

 ですが二人はこれまでの冒険で培った経験により、邪鬼を倒してしまったのです。

 二人は故郷をなんとしたいという一心で、無茶を何度もしてきました。

 時には邪鬼を超える程の魔物と対峙することもあったのですが、人里に戻ることのなかった二人には、自らの成長を測る物差しがなかったのです。

 秘境から帰ってきた二人は、その時初めて自分たちが得た力を実感しました。

 二人は龍脈から何も得ることはできませんでしたが、龍脈に至る戦いの全てが彼らの力となっていたのです。

 二人はその後、世界中を旅し、数々のダンジョンを発掘しました。

 後に人々から敬意を込めて、冒険王という名で呼ばれることになりました。


 私はこの一文から二つのことを学びました。

 一つは物事を為すには強い意志が必要なこと。

 二つは物事を為す時に結果と同じくらい過程も重要であること。


 二人が何故冒険王と呼ばれ、敬意を持たれているのでしょうか?

 この本を読んだ人は彼らの力に対して敬意を払ったのでしょうか?

 それは違います。

 私は彼らの故郷を救いたいという強い意志に、そしてその行動に、胸を踊らせ、時に気持ちを沈め、感情を移入させていくのです。

 力は確かに重要だと思います。

 もし二人が邪鬼に敗れていたならば、故郷の人々は笑い、蔑み、二人の物語は歴史上に存在せずに完結していたでしょう。


 ですが私は思うのです。


 もし彼らの冒険がそこで終わっていたとしても、私は彼らの物語を笑ったりしない。

 私は冒険王と敬称される物語と同じように、彼らの行動に敬意を払ったでしょう。

 そしてなすがままで抗おうとしない、ましてや彼らを笑う人たちを心底軽蔑するでしょう。

 リーナが言った恥ある生き様とは正にその様な人々のことでしょう。


 リーナには物語の二人の様な強い意志があります。

 そして前線で戦うホーリーロードにもそんな強い意思があるのかもしれません。

 だからこそ彼らは今も戦い続けている。

 だから彼らは強くなった。


 私は剣を振るいながら、自分にないもの、そして自分の願いを噛み締めていました。

 とめどなく溢れる死体に握力は徐々に低下していき、剣速は目に見えて遅くなっていきます。

 絶望的な戦況に徐々に冒険者たちは離脱していきます。

 死体は私たち以外の標的を探し、迷宮入り口から東西南北に散らばっていきます。

 誰も追いかける余裕などありません。

 遠くから聞こえてくる悲鳴は止むことなく、むしろ増えていきます。


 街が滅ぶ。


 これだけ栄えていた街がたった1日足らずで……。

 私の脳裏に浮かんだのは、とても言葉で表すことなどできない凄惨な光景。

 せめてヴァルハラ迷宮都市に所属する騎士を動かすことができれば。

 そう思っても私には、何の権力も持ち合わせていません。


 なんていう無力。

 私の決意なんて、この世界の流れに何も影響を起こさないのです。

 それは願いも同じです。


 ですが……私は願わずにはいられませんでした。

 人々を救って欲しい。

 この街を救って欲しいと……。


 私は押し寄せる死体の群れに飲み込まれ、視界は暗転してしまいました。








 どこか懐かしい光景が私の目の前で流れていきます。


「お前の望みは何だ?」


 とても抽象的な質問でした。

 白い髭を蓄え、眉間に大きなシワを寄せた父の顔は厳しく、発せられた言葉に感情はあまりこもってないように感じました。

 まるで赤の他人に向けられるような視線。

 生まれてからほとんど会話をしたという記憶が残っていないことも、そういう印象を持たしたのかもしれません。

 私は突然の問いかけに少しの間考えました。

 恐らくこの問いかけは私に決断を迫っているのです。


『この国にお前の居場所はない。さっさと出て行ってくれ。その代わり、それなりの希望に沿うようにしておく』


 父が言いたいことはそういうことなのでしょう。

 迷いがない、と言えば嘘になるでしょう。

 むしろ、外の世界で一人で生きていくという恐怖や不安は、期待というものを大きく凌駕しています。

 言い淀む私に父はこう言い放ちました。


「大金貨百枚と使用人を五人用意してやろう」


 決断を急かすように出された提案は、普通なら喜んで受ける内容でしょう。

 これだけのお金があれば私はどこかで家を買い、一生お金の心配をしないで生きていくことができます。


 ですが……。


 私はこの話を受けようとは思いませんでした。


 母の無念。

 感情なき父。

 渇望する愛への欲求。


 それらが複雑に絡み合い、父に対する最初で最期の反抗となったのです。


「施しはいりません! 憐れみもいりません!」


 私は父をまっすぐに見据え、感情を隠しきれないまま口を開いていました。

 勢いそのままに城を飛び出し、何も持たずに国を出るために歩き始めたのです。

 国境まではとても無一文ではたどり着けない距離。

 それは理解していましたが、城に戻るつもりもまたなかったのです。

 怒りなのか、悲しみなのか、それとも両方なのか分からないまま、モヤモヤとした気持ちは一向に収まりません。

 街道を歩きながら、手頃な石ころを八つ当たり気味に思いっきり蹴り飛ばします。

 コロコロと転がっていく石ころを追いかけて、また蹴り飛ばします。

 そんな子供じみたことをしていると、いつしか日が西に沈んでいきます。


 空が茜色に染まった頃、遠いどこかで、誰かが私を呼ぶ声がしました。




「セラフィ! セラフィ! 起きるんだ、セラフィ!!」


 それは聞き覚えのある声でした。

 そう、毎日私が聞いている心地の良い声。

 リーナです。

 リーナが私の手を握りしめるのです。


 私は暗闇の中からリーナの声を頼りに、重たいまぶたを上げていきます。

 淡い光に徐々に目が慣れていき、微睡みの中にあった思考が正常に戻っていきます。


 あれ?

 私はどうして寝ていたのでしょう?


 霞んでいた視界が明瞭になっていくと、そこには先ほどまで見ていた美しい茜色の空………………………………………………………………と、巨大な鳥。


「えっ!? あれは…………」


 違います! よく見れば鳥ではありません!

 あれは………。


「セラフィ、あれは竜だ」

「竜…………あれが…………」


 あれが、私の視界一杯に広がる巨体が竜なのです。

 絵本や絵画で目にしたことはありますが、もちろん本物なんて見たことがありません。


「グギャアアアアアス!!」


 大地が揺れていると錯覚しそうなほど竜の鳴き声は迫力があります。


 凄いです!

 凄すぎます!!


 でも、よく考えればあの竜はどこからやってきたのでしょうか?

 竜は正義の象徴とされていますが、目の前の竜は味方なのでしょうか?


「敵か、味方か確かなことは分からない……。ただ……現状はあの竜の出現により、戦況はひっくり返っている。あれを見るといい」


 リーナが指差した先では、迷宮の入り口を中心にして大地を覆っている黒い物体。

 それは、先ほどまで溢れんばかりに闊歩していた死体の成れの果てを想像させます。


「竜が焼いたということ?」

「ああ、セラフィが倒れてからすぐの出来事だった。あまりにも突然で、冒険者たちは大混乱になったが、それも直ぐに収まった。まあ、あの波状攻撃を見せられたら黙って魅入るしかないな」


 波状攻撃……?

 リーナの言葉に引っかかりを感じます。


「それって?」


 自然と出ていた問いにリーナは頷くと、迷宮の入り口を指していた指先を上空に向けました。

 その先には本の世界から飛び出してきた存在。

 そして……竜の背から何かが飛び出していきます。


  矢!?


 炎を纏った槍です。

 たった一本の槍は迷宮から離れた死体に突き刺さり、炎の柱をあげます。

 あれだけ苦労して倒していた死体が一瞬で動かなくなりました。

 凄まじい威力です。


 竜の魔法?

 何かが竜の背に乗っている?


 そんな疑問を深めるように、次は迷宮の入り口を付近から大きな音がしました。

 ここからはよく分かりませんが、迷宮の入り口前に大きな穴が空いたようです。

 その穴に死体が次々と落ちいきます。


 そしてその穴を覆うように土の壁が盛り上がっていきます。

 壁の高さは優に大人の背丈を超え、城壁を思わせるほどの高さにまで成長しました。

 こうなっては迷宮の入り口がどうなってしまったのかを確認することはできません。


 ですがその次に起こる光景は直ぐに分かりました。

 竜が大きく息を吸い込み出したのです。


「セラフィ! 伏せろ!!」


 リーナが私を押し倒すように上に覆いかぶさります。

 勢いに身を任せながらも、私の視線は竜から離れることはありませんでした。

 竜の口元から覗く赤い揺らめき。

 チカチカと点滅をしているようにも見えます。

 竜が呼吸を止めた瞬間、これまで吸い込んだ空気を全て吐き出すように、橙色と赤色の混じった炎が土壁に向かっていきます。

 炎の息は狙ったように、土壁で覆われた迷宮の入り口の中に吸い込まれていきます。

 あの壁の向こうは正に地獄絵図のようになっているでしょう。


 ですが、私はこの光景を眺めていると涙が自然と溢れていました。

 もしかしたら人々は、この街は救われるかしれない。

 そんな期待をもたらしてくれたのです。


 この光景に周りの冒険者から大きな歓声が響き始めます。


「これなら! これならあいつらはもう迷宮から出ることは出来ないんじゃないか!?」

「ああ! 行けそうだぞ!!」

「よかった……。やったよ……父ちゃんやったよ……」


 終わりのない戦いにようやく一つの区切りがついたという感じです。

 恐らくあの竜がこの地を守ってくれる限り、新たな死体がこの街を侵すことはできないはずです。

 私は空に君臨する竜に一礼をします。

 ただただ感謝の念以外に何も出てきません。


「リーナ、行こう」

「ん? もういいのか?」

「ええ。ご褒美は十分なほど頂いたもの。それに、この場の目処がついたと言っても、街中には多くの死体が彷徨っているはず」

「迷いを完全に吹っ切れたか……。私もウカウカしていられないな」


 リーナは膝についた土を手で払うと、自分に言い聞かせるように呟きました。

 私もまた、戦いの中で感じたことを思い返していました。


 私はもう立ち止まらない。

 それはいつも貴女が私の横を歩き、手を差し伸べてくれていることを知っているから。

 いつか本当の意味で貴女の隣を歩けように、前方が深い暗闇しかなくても歩みだけは止めません。


 リーナと私は歩き出す。

 世界は限りなく広く、未だ見ぬ物語は続いていくのですから。


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