閑話・過去は今に続く2
殺戮の宴は十三層で始まった。
集う上位魔族たち。
血の霧が舞い、悶え苦しむ声が洞窟内に響く。
苦悶の表情を浮かべ、なす術なく屠られていく人間。
ここでは生と死の選別が行われていた。
バルボアはその光景を見ながら、自身との力の差をーーいや、人と魔族との差を突きつけられていた。
タイルスの天剣のクラン員もまた同様だった。
冒険者を目指した時から誰もが目指した場所。
最強という名の頂。
自分が見ていた頂は山ですらない丘の頂だった。
Cランク冒険者? Bランク冒険者? 全くの無価値。
悠然と佇む山々からは、その存在すら認識することができないほどのちっぽけな存在。
それが自分たち人間だったのだと、認識せざるを得なかった。
人間が創り出した社会など、砂上に立つ不安定な塔でしかない。
魔族が地上で自由に行動ができれば、手にした地位や権力などは蜃気楼のように消えるだろう。
恐怖は絶望へ、そして服従に変わった。
タイルスの天剣のクラン員は命と引き換えに『災厄の種』を飲まされ、暗黒魔法で意思の一部を束縛されることになった。
『災厄の種』は上位魔族の血肉と、レベル四十以上の魔物の魔石を砕いて混ぜ、『深淵に咲く花』に受粉させることで果実が育つ。
その果実の中にある種を飲むと、人を段階的に異形の者へと無理矢理変化させる効果を持つ。
異形の者とは魔族と似て非なる者。
魔族は本来ガリアの言った通り、元は人間だった。
元は剣聖と謳われた者。
元は賢者として世界に絶大な影響力を持った者。
元は魔族と戦い、世界を救った英雄として今尚名を語り継がれている者。
綺羅星のごとく、世界の各地に存在した過去の英傑たちの末路が魔族。
決して表の舞台では語られることのない歴史の真実だ。
強すぎる魂はより多くの魔素を必要とし、強者は求め狂い始める。
それは人が持つ欲求を更に上回り、本能的なものに近くなる。
やがて肉体は魔素なしでは活動することすら困難になり、地上での生活は不可能となる。
肉体も段階的に変化していき、頭に角が生え始め、歯は鋭く鋭利な形になり、肌色は紫に変化する。
この状態が第一形態と呼ばれる。
第二形態となると、本来持っていた人として持っていた記憶が全て無くなり、人を食料としてみなすようになる。
尻尾と羽が生え、口は裂けて、角は隠しきれないほど大きく育つ。
ライチ村を襲った魔族もこの形態に属する。
第三形態となると姿は多様になり、人の形を保たない魔族も存在する。
魔素を生む場所は大きく分けて二つ存在する。
その一つがダンジョンであり、迷宮である。
ダンジョンの奥深くから湧き出る魔素は、世界を瞬く間に地獄に変えるほど濃度が高い。
そしてもう一つが生物の魂である。
人の魂は微小に漂う魔素を吸収しながら成長していく。
長い人生を過ごす内に蓄積された魔素は、死の際に世界に還元されることになる。
還元された魔素は『悪性の魔素』といい、世界樹の循環機能により『善性の魔素』となる。
悪性の魔素が増えるとその影響で、ダンジョンから魔素が漏れるのを防ぐ役割をしている、『世界の秩序』のバランスが崩れる大きな要因となる。
悪性の魔素は、人が死の間際に放つ想いにより濃度と量を変える。
恐怖や悲しみといった想いならば影響は少ないが、世界に対する怨嗟の念となるとその量や濃度は莫大なものに変わってしまう。
大気中に漂う悪性の魔素は、枯れかけている世界樹では循環できないほどの量になっていた。
それがダンジョンからの魔素の漏れと、時間、場所に制限はあるが魔族の暗躍に繋がっていた。
魔族が目指すのは世界の魔素化。
こんな薄暗い迷宮の中で長い時を過ごすつもりなど更々なかった。
多くの恨みが魔族の世界を広げる手助けになる。
そのために地上で暴れてもらう、制限のない人間が必要だった。
それが災厄の種を飲んだ人間だ。
魔族とは異なる異形の者。
それは魔物と呼ばれる、世界が有りし姿に変わった時から現れた存在だ。
C級ランクの冒険者が災厄の種を飲み、長い時間をかけて魔物に変化すれば、その力は人の身であった時を遥かに上回ることになる。
また魔物の身でありながら人の意思を持ち、残虐性は人が持つ有りとあらゆる災厄を詰め込んでも足りないほどだ。
世界中で目撃され始めた魔物がダンジョンから抜け出る姿は、その一端でもあるだろう。
ヴァルハラ迷宮で起こっていた異変は、世界の各地でも起こっているのだ。
三年もの前に埋められた災厄の種は、死が躍動し始めた世界に引っ張られるように、その力を開花させることになった。
時を移して現在。
シンヤが冒険者学校の臨時講師として登校した次の日の昼のこと。
予定通り、不確定要素であるシンヤを迷宮に追いやると、バルボアの協力者である『地の底を這う影』が動き出した。
ニョニョとルルに忍び寄る影は、音も立てずに二人を連れ去った。
急所を一突きされた二人は声すら上げることなく、意識を失っていた。
移された場所はモンジュー公爵家の別邸であり、三男が取り仕切っている邸宅だった。
この邸宅はヴァルハラ迷宮都市の中央に近く、北区の下側に存在する。
敷地が役200坪ほどの広さで、邸宅の大きさは70坪となっている。
その邸宅の地下には深い穴が掘られている。
100年ほど前には政敵やモンジュー家に仇なす者は、この地下に掘られた牢の中で拷問を受けていた。
ここ100年ほどは使われていなかったのだが、協力者である魔族が時々使用することがあった。
地下牢はジメジメとしていて、天井の土壁から水がポタポタと滴り落ちてくる。
また土の匂いと血の匂い、何かが腐敗した匂いが混じっていて、鼻をつまみたくなるほど悪臭を漂わせていた。
机の上に置かれた金属類は全て年季が入っていて、錆がそこら中を蝕んでいる。
ギザギザの刃がついた刃物。
釣り針のようなものや、爪切りのようなものは全て拷問道具の類だろう。
ニョニョとルルは眠ったまま、首と手足に冷たい鉄製の枷をつけられて放置された。
それと同時にマリナの元にはモンジュー公爵家の使用人がやってきていた。
その要件は借金のことについてだ。
マリナは促されるようにして、モンジュー公爵家の別邸に向かうことになる。
そこでマリナを待ち受けていたのは不当な要求だった。
借金返済の期限は今月いっぱいまで。
それが飲めないなら借金の型として、持ち家と三姉妹の身柄を確保させてもらうという内容だった。
確保とはオブラートに包んでいるが、ようは奴隷に身を落とせということだ。
この国では借金の返済が不履行の場合は、身をもって償うという文が法律として存在する。
これを借金奴隷と呼び、正式な手続きを経て奴隷ギルドに出品される。
奴隷ギルドで落札された額は貸主に返済され、借金奴隷は自身の価値と借金の額により奴隷の期間が決まる。
期間経過後は奴隷から解放される。
借金奴隷の別種として永久奴隷と犯罪者奴隷と戦争奴隷も存在するが、こちらは期限が存在しないことが多い。
本来ならば公爵家であっても借金の期限を自由に決めることはできるものではない。
当事者同士で決めた期限は権力にも勝るはずである。
マリナの反論もその点が頼りだった。
だがーー初めて見せられた借用書の原本には、借金の期限は債権者が債権の全額、又は一部を要求した時から一ヶ月までと書かれていた。
所々血の跡が滲んでいる原本には、確かに父のサインと血印が押されていた。
(こんな無茶苦茶な借金を父はどうして……)
マリナにとっては利息を返済するだけでも苦しい生活なのに、それを一ヶ月後など無理に決まっていた。
マリナの目線は原本を見てから定まっておらず、正常な判断をするには困難な状態だった。
自分だけならまだいいが、あの二人まで奴隷になることはマリナにとっては、絶望を超えた地獄のように思えた。
そんな時に使用人は甘い声で言った。
「ただ、これではあまりにも惨すぎるという話をバルボア様から聞いておりまして……マリナさんがバルボア様の永久奴隷となられるならば、妹の二人は奴隷にならないように借金の肩代わりをするという提案がございます」
その提案はマリナにとってみれば天から届いた助けのようだった。
永久奴隷になれば、契約なしにどんな行為も受け入れなければならない。
生殺与奪権は全てバルボアのものになる。
世界は予定調和のようにこの場面を迎えていた。
例えマリナがこの身を投げうっても、双子の二人があの暗い牢獄から生きたまま抜け出すことはあり得ないことなのに。
そのための書類がマリナの机の前にスッと出された。
長い沈黙が部屋の中を支配していた。
マリナの答えは決まっていた。
後は意思を示し、書類にサインを書くだけだ。
「キャアアアアアアアアア」
沈黙が続いた部屋に突如響かせたのは女性の甲高い悲鳴だった。
死の病はシンヤを追うように迷宮を抜け出し、この地上に姿を現していた。
ヴァルハラ迷宮都市は死体が闊歩する、死の都市に変わろうとしていた。
終わるはずのなかった課外活動。
書かれるはずだった永久奴隷へのサイン。
今日を最後に生きたまま会うことのなかった三姉妹。
遥かな時を経て運命はもう一度捻じ曲がる。
それは彼が誓った原点だったから。
風邪を引いてしまい、何を書いているか訳の分からないことになっているかもしれません。
後日、大幅に修正をするかもしれません。




