十七話・日常
扉を開けるといい匂いがした。
昨日とは違う、食べ物の美味しそうな匂いだ。
「あ、マリナねぇちゃんおかえりー」
「おかえりー。え? その人誰? おねぇちゃん」
キッチンの向こうで小さな女の子が二人、こっちを見ている。
この子たちがマリナの言っていた双子の妹か!
確かに顔がそっくりだ。
「あ、この人は………」
マリナの声を遮るように双子が叫んだ。
「カレシだッ!!!」
副ギルドマスター室でのこともあって、マリナの顔が急速に赤くなっていく。
急に顔を下に向けた反応も、側から見ると勘違いされてもおかしくない。
「え? うそ……だよね……? マリナねぇちゃん?」
「冗談のつもりだったのに……」
なぜか悲しそうな顔をする双子の妹。
目に涙を浮かべているようにも見える。
俺が彼氏だとそんなに不満なのか……。
なぜか俺が一番ダメージを受けてしまう。
四人でテーブルを囲んで食事をしている。
誤解はすぐに解けたけど、双子の警戒心は残ったままだった。
ピリピリとした空気。
いつもの一家団らんとした食卓に混ざった異物。
それが今の俺の存在だ。
でも料理については覚悟をしてきたんだけど、かなり美味しい。
ミルや『風来亭』のおばちゃんに負けていない。
この料理を双子の女の子が作ったなんて信じられないな。
ちょっとはマリナも見習って欲しいものだ。
「そういえば! おねぇちゃん。ヘドロ……じゃなくて、野菜ジュースがなくなっていたけど、どうしたの?」
「ああ、あれね! シンヤが美味しいって言って、全部飲んじゃったの」
美味しいなんて一言も言ってないぞ。
いけますねって、苦笑いで言っただけだ。
「え? あれがおいしい……?」
双子がパッと見つめ合って、お互いの反応を確かめる。
信じられないといった様子だ。
俺だって信じられないんだが。
「気に入った!!」
突然、双子の一人が声をあげた。
「気に入った!!」
もう一人の子も声をあげた。
どうやら俺はマリナの妹に気に入られたらしい。
食事の後、今日は泊まっていけと強引に引き止められた。
双子の二人は、ティーファと遊んでいる。
ティーファは迷宮から帰ってきてから、疲れてずっと籠の中で寝ていたんだけど、双子の「気に入った!!」の声で起きたらしい。
俺を引き止めた理由として、ティーファと遊びたいっていうのもあるのかもしれない。
俺とマリナはテーブルを挟み、今後の話を進めていく。
俺自身の考えとして、副ギルドマスターの方に移るのは危険じゃないかという話を切り出した。
「私はこのまま残る方が危険だと思います」
「それはどうしてですか?」
「私はこれまでおかしいと思っていたんです。これまで担当してきた新人クランが全て全滅してきたことを。それが今回、シンヤから聞いた話で裏から糸を引いている人物が分かりました」
「それがギルドマスターだということですね」
「ええ……そうです。私もこれまで何度か疑いの目を向けたことはありました。でも心の片隅では信用している部分もありました」
マリナは家に帰るまでに言っていた。
マリナの父とギルドマスターは同時期にクランを立ち上げ、それ以降は同期として、良きライバルとして、切磋琢磨してCランクまで上がったのだと。
だとすればギルドマスターはどうして、マリナのことを陥れるようなことをするのだろうか?
疑問は尽きないが、マリナにも心当たりがないようだ。
「このままギルドマスターの側についていても、いつかは潰されるということですね」
「あの男ならすぐに行動を起こします。実際、シンヤは迷宮に入ってから二日目で襲われましたし。それならいっそのこと、敵対する副ギルドマスターの元に身を寄せた方が、私たちとしては安全だと思います」
「んー、その方が良さそうな気がしますね」
「それに副ギルドマスターのロロナさんは信用できる人だと思います。信用できない味方ほど危険なものはないですからね」
確かにギルドマスターと副ギルドマスターだと、断然副ギルドマスターの方が信用できる。
当初の予定と違って、荒れた冒険者生活になりそうだけどそれはしょうがない。
人と関わるってそういうことだと思うし。
マリナとの話も一息ついたところで「買い物に付き合ってくれませんか?」と聞かれて、ついていくことにした。
ティーファは双子のニョニョとルルとお留守番だ。
このヴァルハラ迷宮都市は、迷宮を中心にして大きな丸の形をしている。
都市を囲む防壁は五メートルくらいで、年季を感じる造りだ。
ここでは迷宮に近いほど土地の値段が高く、金持ちや身分の高い人が住んでいる。
高い理由は知らないけど、大昔からそうらしい。
円の淵から迷宮が通るようにバッテンの線を引くと、四つのブロックが出来上がる。
冒険者ギルドや公共施設が揃っている北地区。
ヴァルハラ迷宮都市で定住している人が多い東地区。
商業施設が多い南地区。
宿屋などが多い西地区。
俺とマリナは徒歩で南地区に向かい、買い物をしている。
今までお金がなかったから、南地区に来たことがなかったけど、物凄く活気があるし人の数も多い。
露店がたくさん並んでいて、お祭りみたいな雰囲気だ。
この世界に来てから初めて見るものも多く並んでいる。
左を見れば毒々しい果物っぽい物や、切り分けられた謎のお肉。
右を見れば、鈍色に光る鋼の鎧やロングソード。
目移りがしてヤバイ。
お金を貯めて武器と防具を買おう!
いつまでも刃が潰れた剣だと厳しいしな。
アイテムに入るのは便利だけど。
マリナが立ち止まったのは、パムの芋が大量に置いてあるお店だった。
「おじさん、これを三十個下さい」
「あいよ!」
マリナが差し出した袋に、おじさんは手際よくパムの芋を詰めていく。
「2個で1ルクだから……16ルクだよ」
「え? 15ルクですよね?」
計算が違っていたから思わず口を出してしまった。
マリナは15ルクをきっちり支払うと、俺の顔をマジマジと見つめてくる。
余計なことを言ってしまったかな?
「シンヤって計算するのが速いですね。びっくりしまたよ」
「そうですか? 俺って頭は良くない方ですけど……」
「自信を持っていいと思いますよ。二桁の計算を素早く正確に行える人はそれほど多くはありませんからね」
そうなのかな?
そういえばこの世界の学校って、そんなに多くの人が行くわけじゃないらしい。
教養の水準がイマイチなのかもしれない。
次に向かったのはミルク屋さんだ。
色々なミルクがあるようだ。
ヴァルハラ迷宮の四層で出現する、鬼牛のミルクなんてのもある。
モンスターのミルクってなんか嫌だなと思っていたら、マリナはそれを買っていた。
次に向かったのは調味料を扱っているお店らしい。
オーガの睾丸をすり潰した粉。
人よりも一回り大きい目玉はオークのものらしい。
調味料屋っていうより、ゲテモノ屋だ。
マリナは黒いツブツブに手をかけると迷わず店の主人に渡した。
見たことのあるツブツブだ。
「マリナ、それって何ですか?」
恐る恐る聞いてみる。
「これですか? ゴブリンの糞と唾液を混ぜて、三ヶ月天日干しにしたやつです。すごく栄養があって、健康にいいんですよ」
「へーーーー」
あれって、今日俺が飲んだ謎の飲みものに入ってたのに似ているよな。
でも多分違うやつだ。
他人の空似っていう言葉もあるし。
その後いくつかの調味料を買ってから家に帰った。
夜、マリナが台所で何かをやっている間、ティーファとニョニョとルルの四人で冒険者ごっこをして遊んでいた。
「シンヤって冒険者なんだよね?」
ニョニョかルルが言った。
未だにどっちがどっちか分からない。
「新人だけど冒険者だよ」
「へえー、いまって何層くらいまで行けるの? 一層? 二層?」
何層くらいだろう?
一応十四層までいったことはあるけど、自力で行ったというわけじゃないし。
でもレベルも上がったし、迷宮の知識さえあれば十四層はティーファと二人で行けるよな。
「十四層かな」
「え!? ウッソだーー!!」
「それだとルルのお父さんといっしょだよ?」
嘘だと言いつつも、二人は興味津々といった感じで身を寄せてくる。
なんか子供相手だけどいい気分だ。
カリスの気持ちが少しだけ分かった気がする。
「シンヤって天職は何なの?」
「ルルも気になる!」
「天職はなんと…………剣士の頂点である剣帝だ!!」
「おおおおおお! けんてい! 聞いたとこないけどすごそう」
「けんてい! けんてい! けんてい!」
変な踊りをしながら俺の周りを回る三人。
剣帝コールが巻き起こる中、「前職だけどね」とつけくわえておいた。
今の職業は流石に言えないからな。
「シンヤ、気に入った!」
「気に入った!」
「ニョニョはシンヤのクランに入る!」
「ルルも入る!」
それは無理じゃないかな?
マリナが許さないだろうし、ましてや今はキナ臭い状況だから。
でも子供の遊びの延長のようなものだし、ここで真面目に答えることでもないな。
「よしっ! エンジェルロードに歓迎しようじゃないか! ニョニョとルルよ」
「やったーーー!! 冒険者!! エンジェルロード!!」
「冒険者!! エンジェルロード!!」
ニョニョとルルとティーファは変な踊りをしながら、部屋の中をぐるぐると回っていく。
そんな時、マリナの声がした。
「ニョニョー、ルルー、シンヤーこっちにきてー」
ニョニョとルルは変な踊りをピタリと止めて、そそくさとベッドに潜り込んだ。
「シンヤ、あそび疲れたから一人で行ってきて。ニョニョはちょっと寝るね」
「ルルもつかれたー」
さっきまで楽しくはしゃいでいたのに、変なの。
そう思いながらルルとニョニョの部屋から出た。
リビングに戻ると、マリナはニコニコしながら俺の前にコップを置いた。
俺はその瞬間、しまったと思った。
「あれ? ルルとニョニョは?」
「二人とも遊び疲れたから寝るって……」
「そうですか。シンヤも疲れたでしょ。これで栄養をつけて下さいね」
今考えれば昼の時点で、あの二人に嵌められていたのかもしれない。
あの予め予期していたようなベッドに潜り込む動き。
俺に泊まれと訴えてきた笑顔。
野菜ジュースを美味しいと聞いた時のアイコンタクト。
全てはここに繋がっていたんだ。
胃からの逆流を押さえ込み、三人分のドブを喉に流し込むことになった。
飯テロです。




