四話・擬似天使化
そして運命の時が来た。
ガチャガチャと壁の向こうから音が聞こえてくる。
心臓はバクバクと破裂しそうなほど鼓動している。
現実とは思えないようなふわふわとした感覚が身体中を包み込む。
固く閉ざされていた金属製の扉が動き、そこから僅かに光が射し込んでくる。
祈るように念じた。
ーー擬似天使化
念じた瞬間、暖かい光が体を包み込む。
俺を光源として部屋全体が溢れんばかりの光に満ちていく。
暖かい……。
こんなにも体が心がポカポカするのは久しぶりのような気がする。
確かなことは分からないが、俺の中で何かが変わっていく感覚が全身から伝わってくる。
全身が、細胞一つ一つが、光に包まれることを喜んでいるような感覚だ。
「この光はなんだっ!!」
開いた扉の先には左手で目元を抑え、こちらをなんとか見ようとしている金属製の鎧を身にまとった騎士のような格好をした男が立っていた。
自分の力を確かめるように拳を握りしめた。
ーーやれる。
溢れんばかりの光は、俺の体に吸収されていくかのように消えていった。
「おっ、おいっ、こっちきて……」
男は後ろを振り返り、人を呼んでいるようだがそんなの御構い無しに男を押しのけ扉の外に出る。
バッコッッッンと鉄製の鎧を着込んだ男が石造りの壁に衝突し、激しい衝撃音が響いてくる。
これは力の加減を失敗したら簡単に人を殺してしまいそうだ。
自分が作り出した光景を見てそう思う。
まあ、今は人の心配してる場合じゃないからな。
牢屋から出ると四人の騎士風の男が立っていたが、それを無視して横を走り抜ける。
俺が横を走り抜けた時、男たちは時間が止まったように立ち尽くしていた。
多分俺の速さに目が追いついていないんだろう。
不恰好な石造りの通路の壁には一定距離ごとに松明が置かれているようだ。
その火を目印ににして横幅三メートルほどの先が見えない長い通路を、力を抜いて走り抜けていく。
全速力で走るのは正直力を扱いきれなさそうで怖い。
視界の先に螺旋状の階段が見えてきて、さらに力を落として階段を駆け上がる。
力を込めると階段が崩れそうな気がしたからだ。
その時かなり遠くの方で叫び声のような、怒号のような声が聞こえてきた。
階段を登りきった先にはまた通路があり、幾つもの扉を無視して真っ直ぐに突き進んだ。
すると先ほどまでの不恰好な石造りの通路には似合わない、ドラゴンが彫刻された重量感のある黒い扉が待ち構えていた。
「このまま行ってやる」
すぐに覚悟を決めて、その扉にぶつかっていくことに決めた。
ッッッドゴンッ
一つ大きな爆音を鳴らし、その黒い扉は開いた。
開いたというよりは破壊したという方が正しいかもしれない。
扉の外に出た俺を待っていたのは、少しの熱を持った太陽の光と視界の先に映る大きなお城だった。
白を基調としたそれは、俺が通う学校より遥かに大きくそして高いように見える。
ここからの角度だけでは全ては分からないが。
長々と見ている余裕もないので、白い城と俺がいる場所を囲っている巨大な城壁のようなものに向けて走り出そうとする。
ーーが視界の右端に微妙に映っている何かが声を発した。
「お、お前何者だ」
首を右に曲げて声が発した方を一目見る。
これもまた騎士風の男だ。
「あ、あなた様は一体……」
俺の顔を見てブツブツと何かを言っているが時間がないので無視だ。
先ほどまでよりも大きめの力を使って走り出した。
地面は石畳になっていて丈夫そうだが、一歩踏み出す度に石が破片となって周囲に飛び散っていく。
今の俺は走る破壊兵器なのかもしれない。
すぐに城壁の前まで来ると思いっきり力を込めてジャンプする。
石畳の床が粉々に砕け散る感触が靴を伝い足裏に伝わってくる。
十メートル近くありそうな城壁だったが軽々と超えてしまい空高くに体が舞う。
ヤバイッ、高すぎるって。
あっ……でもすごく綺麗だ。
こんな綺麗な街並みテレビの中でしか見たことがない。
整然と並んだ建物の間を縫うようにして、大小の白っぽい道が張りめぐらされている。
建物はここから見る限りでは、ゲーム内でよく見たヨーロッパ風の建物だ。
上昇するスピードが徐々に衰えると、今度は重力に任せて落下していく。
こんなところから落ちたら確実に死ぬよな。
そう思いながらも覚悟を決めて足から着地することにする。
ーートン
落下速度が凄かったので衝撃に備えていたのだが、拍子抜けするほど痛みも衝撃もなかった。
しかもあれだけの高さから落下したのにほとんど音がしなかった。
重力以外の何かが働いたように感じた。
すぐに建物の屋根上に登ると、屋根伝いに視線の先の外壁を目指して走り出す。
下を走ると人を引いてしまいそうで怖いからな。
そして外壁が近くに来たところで次は手加減をしてジャンプする。
何軒かの屋根、壊しちゃったな……。
こんなゲームみたいな城下町、色々と探索したかったな。
後ろを振り返りながらそう思う。
ふわりと地面に着地してからも止まらずにすぐに走り出す。
いきなり処刑だとか、危険なことをしてくる奴らとはできるだけ離れたい。
追っ手が来るかもしれないし、できるだけ遠くへ。
△▲△▲△▲
あの後、走りに走った。
脇目も振らずに走った。
だんだんと力の使い方に慣れてきて、走るスピードをかなりあげたお陰であの城とはかなりの距離を稼げたと思う。
「お腹が空きすぎて胃が痛い」
スキル【擬似天使化】が解けてからかなりの時間が経っているように思える。
最後にご飯を食べたのはいつ頃だろうか。
その時の記憶が遠い過去のように思える。
擬似天使化が終わった後、掠れていた喉や痺れるほど痛んでいた右手が何故か見事に治っていた。
正直このスキルを舐めていました。
時間は十分しかないけど人外の力を手に入れられる。
擬似天使化の状態でステータスを見る余裕はなかったが、もし次に見れたら所持スキルとか能力値を見てみようと思う。
だがそれも早くて十日後の話だ。
今は当面の生活を考えないと十日も持たないかもしれない。
最初に走り出した時は見通しの良い草原だったのに、実は俺が今歩いているのは森の中だ。
森と言ったら食料の宝庫だし、隠れるなら最適でしょ。
……誰か助けて下さい、完璧に迷ってます。
正直どこに向かえばいいのか全く見当もつかない状況だ。
森自体は日本で見たことのある森と代わり映えはしない。
モンスターが出てくるわけでもなく、動物が出てくるわけでもない静かな森だ。
どうして俺は考えもなく、森に突っ込んで行ったんだろう。
……いくら違う街だとか村だとはいえ、人とむやみに接触するのは怖かったのかもしれない。
誰が俺を捕まえに来るのか分からないからな。
俺が理解しているのはこの世界はヤバイということだ。
自分の身を守るためには先ずは力をつけないと。
レベルが存在するからにはレベル上げが一番だよな。
GPを集めて手っ取り早くスキルかアイテムを手に入れるのもいいし。
んー、どっちかじゃなくて両方だよな。やっぱり。
天使の力が強力なのは擬似天使化で分かったし、天使を目指すのは最終目標だな。
天使になればゲームクリアっていうわけだ。
第一目標は死なないことだ。
怖いから。
でも今歩いているのはいつもの俺であって、ゲームのキャラクターなんかじゃない。
ただのお調子者で、喧嘩すらしたことのない男だ。
どう足掻いてもモンスターなんか倒せる気がしない。
まあ俺にはスキル、擬似天使化がある。
十分だけなら最強だ。
十分の間にモンスターを狩ってレベルアップ。
この世界にいるかもしれないモンスター、特に経験値が高いやつを狩っていく。
上手くやれば急激なレベルアップが可能だ。
そのためにはこの世界が、俺の知っているゲームの世界の中かどうか確かめる必要がある。
もし知ってる世界なら俺の知識をフルに使うことが出来る。
地図は頭に入っているし、どのダンジョンにどのモンスターが出てくるのかも知っている。
だがアスタナが言っていた世界の名前がタルス、国の名前がローレル王国。
どちらもゲーム内では聞いたことがない。
どちらにせよ、何か情報を知るためには人と接触しないといけないのだが。
どうしたものか。
俺は色々と考えながら歩き続けた。
だんだんと日の光が弱くなっていき、体を撫でる風が冷たくなっている。
もうすぐしたら日が落ちて夜になりそうだ。
このままだとこの森でゲームオーバーか?
だんだんと重たくなっていった足が何かに引っかかり、顔から地面に突っ込んでしまう。
もうなんだよっ!
本当についてない。
そう思い、立ち上がろうとするが足に何か違和感を感じる。
視線を足元に向けると縄のようなものが足首にキッチリと巻いてあった。
え? これは……なんだ?
疑問に思いながらも、俺は足元に巻かれた縄のようなものを必死に解こうとするが解けない。
そうこうしていると、何かが聞こえたような気がした。
耳を澄まして聞いてみる。
ガサッ、ガサッ。
何かの足音がこちらに近づいてくる音がする。
その足音は一つじゃない。
どうしよう。どうしよう。
これはヤバイぞ。
足音は大きくなっていき、確実にこちらの方向に進んで来ている。
こういう時は、どうしたら……あっ。
し、死んだフリだ!
森の中では死んだフリをすればいいとどこかで見た気がする。
そうと決まればすぐにもう一度うつ伏せになり、ただ嵐が過ぎ去るのを待つことにした。
「エ、エレナ。何か、かかってるぞっ!」
ん? 子供?
「お兄ちゃん、ちょと待ってよっ!」
男の子が声変わりをする前のような少し高い声と、女の子の声が聞こえてくる。
しかも猛烈にこちらに走ってきているようだ。
そして俺の前でその足音は止まった。
「こ……こ、これ……死体?」
「お兄ちゃんこれって……どうしよう」
途切れ途切れに震えるような男の子の声と女の子の声が聞こえてくる。
他に足音は聞こえないし、俺に向かって来ていたのはこの二人だけだったようだ。
どうしようか? 危険はなさそうだけど。
「エレナ、ちょっと後ろに下がってろ」
「分かった」
何かが俺の肩を揺らしている。
多分、これは足だな。
「駄目だ……。死んでる」
「お兄ちゃん……うぅぅ」
俺の死んだフリは中々レベルが高いのか、兄妹らしい二人は俺を死体と思い込んでいるようだ。
妹の方はもう泣き出しそうな声だ。
このまま死んだフリをして森の中を一人で彷徨うのか、ここでこの二人と会話をしてこの世界のことを聞くのか。
後者を選んだ方が良さそうだ。
「お兄ちゃん、ごめ、ごめんなさい。エレナが……ここに罠を仕掛けようって……言ったせいで……。うわーーーーん」
「エレナのせいじゃない。罠を仕掛けたお兄ちゃんが悪いんだ」
どうしよう、ちょっと起きにくいぞ。
『ごめんなさい、死んだフリでした』とはとても言える雰囲気じゃない。
……いいこと閃いた。
俺は死んだフリをしてたんじゃなくて罠にかかって転けて、頭を打って気を失っていたということにしよう。
ほとんど事実な気もするが、まあいい。
俺はそのストーリーに沿って演技を始める。
うめき声のような声を出してみる。
「うっ、うっ」
「ウワッ、死体が喋ったぞ!」
「だ、大丈夫!? お兄ちゃん!」
ドスンと何かが落ちる音が聞こえてくる。
俺はおデコを抑えて、痛そうな顔をしながらゆっくりと起き上がる。
「に、逃げろエレナっ! こいつモンスターだ」
「いやっ! お兄ちゃんを置いて逃げられないよ!」
盛り上がっているところ悪いがモンスターじゃないし。
どこをどう見たらモンスターなんだよ。
突っ込みながら振り向いた先には、中学生くらいの男の子が尻餅をついてこちらを睨んでいる。
髪の色はオレンジ色に近い赤色で眉毛にかからないくらいの髪の長さだ。
芯が強そうな目をしており、顔つきも将来は渋い系のイケメンになりそうだ
その後ろには小学生くらいの女の子が、涙と鼻水で顔をクシャクシャにしながら男の子の服を引っ張っている。
この子の髪色も男の子と同じだ。
肩の下まで伸びた髪は緩くカーブしており、フワフワしている。
顔は兄とは違い、泣いているせいもあるのか儚くて弱し弱しい感じがする。
大人しいお人形さんみたいだ。
「エ、エレナには手を出すな。食うなら俺を食え」
「ダメェェエ。お兄ちゃんを食べちゃ……」
「人間です」
「え?」
「こんな顔をしてますが人間です。生きてます」
俺の顔を見てもそれでもモンスター扱いしてくるから腹が立って、真顔で言ってやった。
二人とも口をパクパクせて目を大きく開き、こちらを見ている。
男の子がパクパクさせていた口から声を出す。
「本当に人間?」
「どこからどう見ても人間だ」
それでも疑いの目を向ける男の子に、俺は不満げに答える。
すると男の子が大きく息を吐いた。
さっきまでの恐怖と敵愾心が混じり合っていた目が、安堵の表情に変わった。
「一体ここで何をしてるんだ?」
「さあ、俺も分からない。今気づいたらここで寝てた。ただ……頭が痛い、イタタタッ」
「おいっ、大丈夫か?」
「多分、多分だけど、この罠のせいで頭を打ったみたいだ」
少し道を逸れてしまったが予定通り演技の続きを行う。
二人とも心配そうにこちらを見つめている。
「ここは一体どこなんだ? 頭を打って思い出せないんだ」
「ここか? ここはライチ村の横にあるホルホルの森だぞ」
両方とも聞いたことのない名前だな。
もっと情報が欲しい。
俺はわざとらしく左手で頭を抑える。
「イツッ。聞いたことがない名前だ。多分、この罠のせいで記憶が飛んでしまったみたいだ」
「そ、そうか。それは気の毒だったな」
「ああ、こんなところに罠を仕掛けるなんて信じられないな」
「お、お兄ちゃん……その罠」
女の子が喋り出した途端、男の子が後ろを向いて『シッ』と一声出した。
こいつ、自分たちが罠を張ったことを隠す気なのか?
「あれ? 俺の名前は何だったかな? どこに住んでたんだ?」
「す、すまん。俺がそこに罠を仕掛けたんだ」
「エレナがここに罠を仕掛けようって言ったの。だからお兄ちゃんのせいじゃない」
男の子は申し訳なさそうな顔をしてから頭を下げた。
うん、まあ知っているんだが。
とりあえずここがローレル王国かどうか聞いておきたい。
違う国なら二人の村に行っても安全そうだ。
「まあその話は後にして、それよりもこの国って何ていう名前なの?」
「ここはリンカ王国だぞ」
おお! 違う国のようだ。
これはなんとかして二人の村に行って、ご飯をご馳走してもらいたいところだ。
「聞いたことないな。……俺はこれからどうしたらいいんだ? お腹が空いたし、頭も痛いし。この罠も取れそうにない」
「お兄ちゃん……」
「ああ、分かったよ。この罠を仕掛けたのは俺だ。記憶が戻るまでは俺が責任を取るよ」
よく分からないが、この男の子は俺の記憶喪失を重く受け止めているみたいだ。
騙していることに罪悪感が芽生えてくるが、空腹感がそれを上回る。
「そ、そうか。助かるよ」
「俺の名前はルーク、後ろにいるのは妹のエレナだ」
「俺の名前は高橋神也だ」
「タカハシシンヤ? 変わった名前だな。というか名前、思い出せないんじゃなかったのか?」
あっ、ついいつものノリで自己紹介を返してしまった。
ルークが疑いの目をもって俺を見ている気がする。
「さっきまでは忘れていたのに、ルークの自己紹介で急に頭の中に蘇ってきた。この感じだとすぐに記憶を取り戻せそうだ」
「……そうか。それならいいんだが」
「ルーク、エレナ、少しの間になると思うけど宜しく。俺のことはシンヤって呼んでくれ」
「ああ、シンヤ。父さんと母さんに聞いてみないと本当のところはどうなるか分からないけど、なんとかする」
「ごめんなさいシンヤ。エレナのせいで」
「いや、いいんだ。気にするなよ」
確かに子供が責任を取るなんて無理だよな。
まあ俺としては十日間泊めてもらい、色々とこの世界の情報をもらえたらそれでいい。
十日後には擬似天使化を使ってレベル上げが出来るからな。
それ以上は流石に申し訳ないし。
二人が上手く両親を説得してくれることを願うばかりだ。
GP集めもやらないといけないし、これからやることが多そうだ。
ルークとエレナと雑談を交えながらライチ村までの道のりを二人の後ろからついていった。