三話・選択
不意打ちを受けて眩しさのあまり目を閉じてしまい、光に目を馴染ませるために瞬きを繰り返した。
体を包んでいる金色の光は少しずつ光度を下げていき、光の粒となって散っていった。
幻想的な光景だった。
ここは一体どこだ?
今日は何度この言葉を心の中で呟いただろうか。
光の粒が消えた先には、先ほどまで輝いていた金色の光が物体となって現れたのか、と勘違いするほどの一面黄金色の部屋だった。
部屋のサイズは学校の教室を二個分足したくらいだろうか、天井はかなり高くて大体だが二階建ての家の屋根上くらいありそうだ。
俺の前方に見えるのは黄金色の壁だけで、扉があるとかそんな感じではなさそうだ。
左右を確認してもそれは変わらなかった。
閉じ込められたのか?
という不安が脳裏を過ぎり、まだ視界に納めていない後ろを振り返る。
視線の先には同じように黄金色の壁と床が輝いているが、違う部分がある。
床には綺麗に装飾された箱や、歪な色をした箱が置かれている。
あの箱は一体……。
まるで宝箱のようだし、あれがリリムの言っていた幸福ということなのか?
もしそうなら俺はなんて失敗をしてしまったんだ。
今の俺にお金や財宝なんて必要ないんだ。
必要なのはあの牢屋から抜け出すための力だ。
自身の選択を悔やんで思わず唇を噛んでしまう。
握った拳に力が入り、床を殴りつけたい衝動にかられる。
そんな時、警報音とともに聞こえてきた天界アナウンスと同じ声が、黄金色の部屋の中に響いた。
「ここは神羅の間です。どれか一つ、宝物具をお選び下さい。ここは神羅の間です」
先ほどと同じようようにこの声は同じ言葉を繰り返す。
目の前に並んだ四つの箱からどれか一つ……。
俺にとってはどれを選んでも同じように思える。
箱はそれぞれ特色を持った見た目をしている。
一番左手の箱は赤黒い色をしていて、横に細長く、俺の身長より長そうな長方形だ。
よく見ると所々棘のようなものが飛び出していて、その不気味な色と相まって触れることさえ躊躇ってしまう。
左から二番目の箱はまさに宝石箱といった感じで、箱の隅々に宝石類が散りばめられている。
むしろこの箱がお宝なのではないかと思うほどだ。
大きさはランドセルくらいだろうか。
三番目の箱はサファイア色に輝いた正方形の箱だ。
見る角度を変えるだけでその色が濃くなったり、輝き出したりと、無意識の内に目が吸い込まれていってしまう。
この箱が一つの大きな宝石のようだ。
大きさは二番目の箱と同じくらいのサイズだ。
最後に四番目の箱だが、他の箱に比べてかなり小さい。
手の平からはみ出さずに乗る程度の大きさで、純白色をした正方形の箱だ。
他の箱に比べてかなり存在感が薄いというか……他のがあり過ぎるのだろう。
どれを選ぶべきか、どれが俺にとって正解なのかパッと見ても分からない。
一つ目は怪しすぎる。
二つ目は普通の宝箱みたいだ。
三つ目は見ているだけで選びたいという欲求が出てくるほど魅力的だ。
四つ目は正直、ショボい。
よくよく考えるとこの中に入っているのはお金や財宝ではなく、アイテムという可能性もある。
リリムはここで手に入れたアイテムは物質界でも使用出来ると言っていた。
それならこれだけ豪華な箱に入っているんだから伝説のアイテムがある可能性も……。
だとするとあの牢屋から逃げ出すには武器が欲しいところだ。
無意識に宙を捉えていた視線を左に移すと、赤黒い箱が瞳に映る。
あの形、あの大きさは中身が剣に見えなくもない。
けど、どう見てみ禍々しい雰囲気がほとばしっている。
俺の視線は右に移っていき、サファイア色の箱の前で止まる。
やっぱりこれが一番綺麗だ。
この箱を自分のものにしたい。
これにしよう。
これに決めた。
「残り時間は五分です。早く宝物具を一つ選んでください。残り時間は五分です」
……って、俺は何を考えているんだ。
フツフツと心の奥底から湧き上がる欲望を、騒がしい天界アナウンスが堰き止めた。
あれはヤバイ、俺が俺で無くなってしまう。
避けるようにして一番右の箱に目を向けた。
時間が迫る緊迫した状況でふと、今日の朝の出来事を思い出す。
そういえば今日の朝の占いはラッキーカラーが白だったよな。
「くそっ、こんなの悩んでも分からないって」
俺は取るべき箱をやけくそに決めて、その箱の元まで歩いていく。
目的の箱を手に取ると右手で箱の底を持ち、左手で箱の上部分を掴んで持ち上げた。
箱が上下二つに分かれていき、その隙間から純白色の光が漏れ出している。
その光に構わず、箱が完全に上下に別れるまで持ち上げた。
箱の中にあったのは純白色に輝き、球型の光の集合体のようなものだった。
それは物というよりも何か命を宿しているかのようにフワフワと浮かび、俺の周囲を回り出す。
「うわっ、なんだこれはっ?」
俺が驚きの声を上げたと同時にその白い球体は、俺の心臓部分に向かってきてそのまま俺の体内に入り込んだ。
何か痛みを感じるとかではない。違和感があるわけでもない。
だが、得体の知れない何かが体に入ってきたことで底知れない恐怖を感じる。
「選ばれた宝物庫の中身は、スキル【擬似天使化】です。それではまたのお越しをお待ちしております。選ばれた宝物庫の中身は、スキル【擬似天使化】です」
スキル擬似天使化だって?
天界アナウンスが言っている聞き覚えのない単語に、必死に単語の意味を考えようとするが、答えを見つける前に俺の視界は真っ暗となった。
△▲△▲△▲
脳内に繰り返し響く場内アナウンスの声と、骨まで染みるように痛む右手に俺の意識は急激に覚醒していく。
目覚めた先は薄暗く、周囲を把握することが出来ない。
だがこの冷たい床下が、自分が今どこにいるのかを嫌でも分からせてしまう。
暗闇の中でポツンと座りさっきまで見ていた夢ーーいや夢なんていう不確かなものではない。
脳裏に焼きついたあの不思議な光景の数々、それを思い返していった。
いくら馬鹿な俺でも夢から覚めた時との違いくらいは分かる。
あれは現実だった。
俺の耳に繰り返し鳴り響いている単語、【擬似天使化】
あの箱から出てきたのはスキルだったということか。
俺がプレイしていたゲーム、《ヴァルキリー・クロニクル・オンライン》では、スキルは基本的に職業のレベルに応じて覚えていくシステムだった。
職業には初期に選べる下級職業に始まり、中級、上級、と条件を満たすことで上位職業へとジョブチェンジ出来るのだ。
職業を変えればレベルはゼロからになり、また一から上げ直さないといけない。
ただジョブチェンジした場合でも、スキルごとの条件を満たすことにより持ち越すことができ、一定以上の強さは保証される。
能力も上位ジョブになるほど初期能力値は高く、能力の上がり幅も大きい。
そして種族も同様で、ゲーム初期に選べる下級種族からイベントなどの条件をクリアして、上位種族に上がっていくことでその種族のみしか選べない職業を選べたり、初期能力値が上がったりと幅広い恩恵が与えられていた。
そして俺が最後に選んだのは天使族。
これは通常ルートとは別のルートでイベントを辿り、その結果として手に入れた上位種族だ。
恐らく天使族についてはネットでも出回っていなかったので、情報を持ってる人は少ないだろう。
まあ天使族に転生する条件が中級種族であるハイヒューマンを選択していることだったので、下級種族であるヒューマンからゲームをスタートさせた俺はすぐに転生することが出来たのだが。
ここで問題となるのは天使族の能力とスキルだ。
天使族は俺が見たことのない種族で、少なくとも上級種族であるハイヒューマンが転生条件になっている以上、ハイヒューマンクラスの初期値があってもおかしくはない。
だが天界と呼ばれた場所で見た俺のステータスは、ゲーム初期に選ぶことができるヒューマンと大差ない。
むしろ低いくらいだ。
今までの《ヴァルキリー・クロニクル・オンライン》の情報では上級種族が下級種族を下回ることはあり得ないはずだ。
ここがそのままゲームの世界だとするのならば、少しあり得ない気もする。
ゲーム内にあんな天界なんて場所なかったし。
スキルについてはどうか、それを確かめるには簡単な方法がある。
種族ヒューマンを選ぶことで最初から使えるスキル。
【簡易魔法】
このスキルはヒューマンを選んだ時点で、転生したとしても無くなることのない確定継承スキルだ。
ここが俺の知るゲームの世界なら必ず使うことができるはずだ。
俺は喉の痛みに耐えて、掠れた声を絞り出した。
「ライト」
俺の声が暗闇中、虚しく反響してくる。
くそっ、何も起きないじゃないか。
【ライト】は簡易魔法のスキルレベル一で習得出来る魔法だ。
ヒューマンで始めるプレイヤーのほとんどが、最初に手に入れる魔法といってもいい。
効果としては、ゲーム画面上の暗闇の部分を明るくして見えやすくするという、シンプルだがゲームの後半に入ってもよく使う魔法だ。
ゲーム上でプレイヤーがスキルを発揮するには、ゲーム画面上でカーソルを選択してスキルを選ぶのだが、ここにはゲーム画面なんてない。
ゲーム画面……ゲーム画面っていえば、あの半透明なガラス板に浮かび上がったステータス。
あのステータス画面はここでも出せるのか?
思い立ったが吉日、俺はあの時のように強くステータスオープンと念じた。
すると目の間には、あの時のように半透明なガラス板が浮いていた。
「まっ、マジかっ!」
痛んだ喉のことなど忘れて思わず声を上げた俺は、興奮して震える指先を羅列せれた文字へと向かわせる。
名前、年齢、性別、種族と、触れる項目を変えるたびに、ゲーム上で見知っていた説明が並んだ。
そして<アイテム>の項目を前にして俺の指先は一層震えだす。
こ、これが重要だ。
この<アイテム>に俺のゲーム上で獲得したアイテムがあれば、こんなところすぐにでも抜け出せるはずだ。
俺のアイテムには一撃で巨大モンスターを屠る武器や、装備をすることで姿が見えなくなる装飾具、魔獣を呼び寄せる楽器など様々なアイテムがある。
乾いた口内にわずかにだけ残った生唾を、ゴクリと飲み込んだ。
そして指先は目的の場所に触れる。
ーーない、何もない。
ない。ない。ない。ない。ない! 何もないっ!!
切り替わった画面の先にあったのは、一面空白となったただの半透明のガラス板だった。
半透明のガラス板を必死に指先で擦りあげて、何か情報が書いてないか探すが何も見つからない。
そして何かを探すように動いていた俺の指先は、目的地を見失ったかのように力なく沈んでいった。
これで、ここが本当に俺の知っているゲームの世界なのか分からなくなってきた。
だが落ち込むにはまだ早い。もう一つ重要な項目が残っている。
<スキル>だ。
アイテムと同様に、俺がゲーム上で獲得したスキルがあれば、こんなところすぐに逃げ出せる。
でもこの画面からどうやって最初の画面に戻ればいいんだ?
俺はしばらく悩み、色々と挑戦したことで解決策が見つかった。
見たい画面を強く念じることで、その画面に切り替えることができるようだ。
よくよくステータスを見れば俺のMPは0となっている。
簡易魔法である【ライト】が使えないわけだ。
【ライト】は一度使うのにMP1を消費するから。
ただ……。
「魔力ゼロってなんだよ! イタタッ」
全力で突っ込みたくなる数値だ。
これだと魔法系のスキルはほとんど使えないということになる。
物理系の技を使う時に必要なSPスタミナポイントは11あるが低すぎる。
スキルがあっても八方塞がりの気がしないでもない。
背中に嫌な汗が流れて気持ち悪い。
まだ未知のスキル、擬似天使化というのがあるかもしれないし、とりあえず見てみよう。
震える指先で<スキル>の項目に触れた。
「あっ……」
<スキル>の項目にあったのはたった三つの単語だけだった。
【擬似天使化】レベル1
【共通言語】 レベル9
【共通文字】 レベル9
<アイテム>の件から予想はしていたけど、やっぱり落ち込んでしまう。
とりあえず共通言語と共通文字について調べてみた。
内容としてはレベル9だと、どんな言葉、文字でも理解することが出来るようだ。
見たことのない文字が勝手に理解できるのは、このスキルのお陰のようだ。
そしてなんとなくだが、アスタナが喋っている口の動きと聞こえてくる言葉がおかしいとは思っていたが、それもスキルのお陰なんだろう。
両方ともすごく重要だが……今は使えない。
鍵はやはりあの宝箱から得たスキル。
もしこれがクソスキルなら、ここから逃げ出せなかったら、俺は本当に処刑されてしまうのか?
右手から感じる痛み、少し鼻に付くドブ臭い匂い、肌寒い空気、全てが現実と変わらない。
選択肢がなくなっていく状況が、俺に強烈な不安感を襲わせる。
天界で体験した内容から、俺はここがゲームの世界だと思っている。
思っているーーけど、やっぱり怖い。
怖すぎる。
こんなの、現実と何にも変わらないじゃないか。
俺の呼吸は不規則に荒くなっていき、身体中が寒気に襲われる。
震える指先はもう俺の制御が効くような状態じゃない。
【擬似天使化】の部分に指先を持っていくが上手く当てられない。
何度も繰り返すことでやっと触れることが出来た。
【擬似天使化】1/1
・このスキルを使うことで限られた時間の間、天使となってその能力を使うことが出来る。
・レベル1で十分間、擬似天使化が可能である。以後、レベルが1上がるごとに五分ずつ時間が伸びる。
・リキャストタイムは十日間。
・消費MP、SPは0。
・スキルレベルが上がるごとに使用可能回数が増える。
説明、これだけかよ……。
この不親切さ、《ヴァルキリー・クロニクル・オンライン》と同じじゃないか。
これだけだと使い勝手が悪いこと以外分からないって。
一回たった十分に、十日間使用不可とか。
使用出来るスキルということがせめてもの救いかもしれない。
今の状況から脱出出来るのであればなんでもいいのだが……天使になったら逃げられるのか?
どんな能力か使ってみるまで分からないが、一度使ってしまえばそれで終わりだ。
今使うか?
でも、あの鉄のドアを開けられるほどの力があるのか?
俺はたった一回の力をどこで使うのか入念に考え抜いた。
使う瞬間の光景を頭の中で思い描き、何度も繰り返した。
眠ることなく何度も何度も。