二十二話・世界が変わった日
ライチ村の位置を確認するために空高く舞った俺は、ホルホルの森を遥か上空から視界に収める。
「ファッッ!!」
「ファッッ!!」
空を飛んでからというもの、ティーファがさっきから興奮しっぱなしだ。
やっぱり鳥だから飛ぶことに感じることがあるのか?
そう思った所、腕の辺りから温かい何かが布を伝って肌に触れた。
ま、まさか。
嫌な予感がしてティーファを見てみると、プルプルと震えながら目を閉じている。
暖かい何かは段々と冷たくなっていき、予感は確信へと変わる。
鳥なのに空が怖いって……まだ子供だししょうがないのかな?
って、今はティーファよりもライチ村だ。
視点を少し近くして見ると、ホルホルの森を横断するように白い道が出来ている。
その道を辿っていくと、茶色の屋根をした家が何軒も並ぶように立っている。
更に視点を近くしてみると、そこには見知った道や井戸がある。
ライチ村だ!
ここからなら一分もかからない。
早く、早く行かないと。
あの赤く染まった光景を見た時と同じように、身体中の神経を麻痺させるような冷たい何かが全身を駆け巡る。
ーー速く、もっと速く。
俺がライチ村の井戸の辺りに視点が合った時、そこには何時も居るはずの女性たちの姿がなかった。
風を切り裂いて飛行しながら、ライチ村をなぞるように見ていくが何処にも人が居ない。
ーー!?
ま、まさかパムの畑か?
パムの畑に視点をもっていくと、そこには信じられない光景が広がっていた。
血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血ーーパムの畑を覆い尽くす首の無い死体の山。
その死体に群がる魔物たち。
人の頭を二口で食べる翼と角を生やした紫色の怪物。
見たことのある光景ーー変わらない光景。
どうして、どうして、どうしてだ!!
どうして変わらない、変わっていない!
どうして死なないといけない!
世界が、俺の視界が……赤く、赤く染まっていく。
「う……おぉおおおおおおおおお」
殺す、殺す、殺す、殺す、殺すーー「お前らッッ!! 待ってろッ! 今すぐ殺してやる!!」
△▲△▲△▲
リンカ王国歴645年11月25日
その日、リンカ王国では多くの国民が空を見上げていた。
ある者はその光景を見て言った。
「世界はこれで滅びる」
ある者はその光景を見て言った。
「世界はこれで救われる」
多くの国民はただその不可思議な光景を見つめることしかできなかった。
「あの光は?」
「恐らく……あの方だろう」
ヴァルハラ迷宮都市の上空を見上げる、リーナとセラフィもその光景に目を奪われていた。
青白い光が雲を突き抜け、天を貫き、国中に光の雨を降らす光景を。
二人が以前見た光の柱とは規模が違う。
それでもこの光を見た時に、彼女たちの頭の中に浮かんだのはあの姿しかなかった。
銀色の翼をはためかせ、世界の理を変えてしまう存在。
ーーアテナス様だと。
時を同じくして、ローレル王国の王城にある楼閣で空を見上げる者達が居た。
「アスタナ、あの光は一体何か分かるかい?」
「勇者様のリック様が分からないのでしたら、私如きが分かるはずもありませんわ。ただ……最近魔物がダンジョンから抜け出ているという情報を聞いたことがあります」
「それと関係があるかもしれないっていうことか」
「こんなことは言いたくありませんが……魔王の完全復活……かもしれません」
アスタナが語る口調は淀んでいき、表情は暗く沈んでいった。
リックはそんなアスタナの肩を後ろから腕を回して強く抱きしめる。
「俺が守るさ、アスタナのこともこの国のことも。だから安心してくれ」
アスタナは抱きしめられた腕を両手で握りながら、焦る気持ちを内心で抱えていた。
(もし本当に魔王の完全復活だとすれば時間が足りない。何とかこの口だけの豚をダンジョンに向かわせてレベル上げをさせないと。……こいつ本当に何時になったこの城から出ていくのよ! 結局、両方ハズレとか最悪じゃない )
「お願いしますリック様。貴方だけがこの国の希望なのです」
「ああ、俺も頑張るから今日は一緒に寝ないか?」
(チッ、またそれ!? 例え勇者でも働かない豚と誰が寝るものですか)
「前にも言った通り、魔王を倒して頂けたら何時でも御一緒させて貰いますわ」
「………分かったよ。あ、アスタナ。来月辺りに一緒に演武を観に行かないか?」
(この豚は来月も居座るつもりなの?)
「………」
「演武も修行の一環になると……思って……いや、何でもないよ。ちょっと中庭で剣でも振ってくるよ」
リックはこの異世界に来る前に奴隷として生きていた。
しかも一年以内の生存率が五十%切る炭鉱奴隷を、四年もの間生き延びてきたのだ。
そんな彼のスキルと言ってもいい処世術が、アスタナの変化を機敏に読み取らせていた。
アスタナの堪忍袋の緒が切れるギリギリの所でリックはその場を後にする。
一人残されたアスタナは呆然と光の柱を見つめながら呟いた。
「あの醜男……脱獄してからあっちの方に走り去ったらしいけど。……まさかね」
アスタナが獄吏から聞いた話では、醜男は目にも止まらない速さで特別地下牢を走り抜けた。
その後、醜男の足跡は外庭を西に向かい、どうやってか見当もついていないが、内壁を飛び越えて貴族街の屋根の上を走り抜け、更に外壁を飛び越えてホルホルの森に向かって行ったということだ。
アスタナは自国の未来を、あの怠惰の極みのような豚に任せることしかできない歯痒さを感じながら、リックが向かったであろう中庭に足を進めだす。
魔王の復活、魔族の活発化、魔物の襲来、南のサイク帝国。
ローレル王国を取り巻く環境は暗雲に包まれていた。