二話・天界
俺は夢を見ているのだろうか?
目の間に広がる不可思議な光景に唖然としてしまう。
夢の中でのお馴染みである頬をつねるという作業を行うが、確かに痛みを感じる。
ここは現実……なのか?
上下左右どこを見渡しても真っ白な空間、その真ん中に俺は浮いている。
いや、これが真ん中だなんて本当かどうか分からない。
どの方向を見てもこの白い空間がどこまで続いているのかハッキリとしない。
永遠に続いているようにも、すぐ先が行き止まりのようにも見える。
戸惑いながらもこの空間の観察を続けていたところ、突然透き通るような綺麗な女性の声が俺の脳内に直接響いてくる。
『天界へようこそラファエル様』
ラファエル、ラファエルって俺のことを言っているのか?
『もちろんです。ラファエル様』
俺の名前は高橋神也なのだが……。
『何を仰っているんですか。ラファエル様は天使族に転生されたのですよ?』
ん? さっきから俺の声に反応してこの声、喋ってないか?
『申し訳ありません。僭越ながらラファエル様の脳内音声を拝聴させて頂き、お答えしております』
「ちょ、ちょっとそれは止めてください」
『ラファエル様がそう仰るのなら……』
「あの、貴方は一体誰なんですか?」
『申し遅れました。私の名はリリムと申します。天界案内人をさせて頂いております。』
聞き覚えのない単語に思わず聞き返す。
「天界って……?」
『天界とはアテナス神様に仕える天使たちが暮らす場でございます。また、天使見習いの方が修行する場でもございます。ラファエル様はこの度、天使見習いとしてこの天界へいらっしゃられたのです』
「俺が天使見習いの修行??」
質問をすればするほど謎は深まっていくばかりだ。
『ええ、そうですとも。ラファエル様はこれから数多の試練を乗り越えて、天使見習いから天使へとクラスアップしなければならないのです。それではこれから天使見習いの修行内容についてご説明致します』
次から次に入ってくる意味の分からない情報に、俺の頭が追いつかない。
続けざまに話そうとする脳内に響く声を遮るようにして慌てて声を出す。
「まっ、まって、取り敢えず俺はどうして天使見習いになったんですか? 俺は普通の高校生で……」
自分の記憶に違和感を覚え、この場に来る前の情報を記憶の糸を辿るように探っていく。
そして、これまた不可思議な出来事がハッキリと記憶の底から蘇った。
そうだ! 俺は勇者だとか、魔族だとかで、牢屋に入れられて処刑されそうになったんだ。
「あっ、俺ってもしかして死んだのか?」
死んだ時の記憶はないが、いきなりこんな真っ白な空間で天使がどうとか言われたら死んだとしか考えられない。
『ご安心下さい。ラファエル様の肉体は生きておられますよ。ただこの天界はラファエル様の肉体があられる物質界とは違い、魂のみが存在することを許された場所でございます。故に現在ラファエル様の姿を形作っているのは、魂そのものと申し上げても宜しいでしょう』
また意味の分からないことを言わないでくれよ。
とりあえず理解出来たのは俺がまだ死んではいないということだ。
『何故ラファエル様が天使見習いになられたのかは私ごときには分かりません。アテナス神様のご高察があってのことでしょう。ご質問はまだございますか?』
さっきまでは疑問ばかりだったのに、いざそう言われると質問が中々思い浮かばない。
『では……』
「あっ、あの、ここに来るまでの記憶がないのですが、一体どうやってここに来たのですか?」
『ではご説明いたします。先ほど申し上げたように、この天界は魂のみが存在を許された場所でございます。今ラファエル様の肉体は物質界に置かれたまま、魂のみがこの天界にいらっしゃられてるのです。天界にいらっしゃるためには様々な条件がございますがこの場では割愛させて頂きます。今回満たされた条件は、ラファエル様が天使族に転生されてからある程度の時間が経過したことで、見習い天使になられたからです』
ーー天使族に転生。
それはやはり俺がいつもプレイしていたゲームの中での話のことである。
これまでの話が夢でないのであれば、俺はゲームのキャラとしてこの場に立っているということになる。
俺の希望的観測が現実になったのか?
そんな淡い期待が俺の不安感を少しずつ中和させていく。
『それでは次のご質問はございますか?』
今は何が分からないのかすら分かっていない状況だ。
先にこの声が言う説明というものを聞いてから、もう一度質問してみようと考えた。
「えっと、リリムさんでしたっけ? 質問はリリムさんの説明を聞いてからでも大丈夫なのですか?」
『私の権限と制限時間が許す限りでしたら。それでは簡単にまとめてご説明させて頂きます』
「えっ? 制限時間があるのですか?」
『仰る通りでございます。ですので早くご説明をさせて頂かないと、私の説明が中途半端に終わる可能性がございます』
「すっ、すぐにお願いします」
『かしこまりました。それではまず初めに、ラファエル様のステータスを見て頂こうと思います。ステータスオープンと心の中で念じるか、口に出して頂いて宜しいでしょうか?』
取り敢えずリリムに従い、ステータスオープンと心の中で強く念じた。
すると俺の目の前に、半透明で横に少し長い、長方形をした薄いガラス板のようなものが浮かんでいた。
そこに羅列された文字のようなものは俺の知識にあるはずがないのに、脳内に直接叩き込まれているかのように意味を理解出来てしまう。
俺が牢屋に入れられる原因となった、鑑定の魔道具と呼ばれた物を見た時と同じように。
______________________________
名前 :ラファエル
年齢 :18
性別 :男
種族 :天使族
職業 :見習い天使
レベル: 1
<アイテム>
<スキル>
【GP】0
【BP】0
【HP】26
【MP】0
【SP】11
【筋力】8
【器用】12
【敏捷】10
【頑強】9
【魔力】0
_____________________________
これは一体……まるでゲームのキャラクターのステータス画面のようだ。
一つ一つの数値は俺が知っているラファエルの数値とは似ても似つかないほど低い。
だが項目となっている部分は、全て見慣れたゲーム時のステータス画面と同じだ。
俺の戸惑いをよそにリリムは話を続けていく。
『ご覧になられているのがステータス画面です。このステータス画面はラファエル様の個人情報が書かれています。時間がないので細かい点は説明を省かせて頂きますが、ここで重要な項目はGPと書かれている部分です。GPと強く念じるか、書かれている部分を直接指で触れてみてください』
俺は近未来的なガラス板に触れてみたいという好奇心から、指先をGPと書かれた部分に置いた。
【GP】
・貴方が増やした物質界におけるアテナス神様への信仰心を数値化したものである。
・GPは天界で様々な用途に使うことが可能である。
・GPの使用用途、条件は各規定に従う。
俺の脳味噌だとこの情報だけではどういったものなのか理解出来ない。
ただ、質問している時間はない。
ここはなんとなくで済ますしかなさそうだ。
俺の諦めを察知したのか、リリムは少し間を置いた後また説明を始めた。
『ラファエル様は天使見習いとして、物質界でアテナス神様への信仰を増やさなくてはいけません。何故増やさないといけないかというと……ラファエル様の周りをご覧下さい』
言われるがままに、首を左右に振って周りの状況を確かめる。
すると、先ほどまではただ真っ白な空間が続いていただけだったはずなのにーー今この瞬間、色とりどりな色彩が白い画用紙に描かれていくように、真っ白い空間にカラフルな道のようなものが次々と浮かんでくる。
上を見ても、下を見てもその光景は同じだった。
カラフルな道は幾つにも枝分かれてしていて、どこの道がどこに繋がっているかなんて俺には見当もつかない。
ある道は真っ直ぐに進んでいたり、ある道は螺旋状に進んでいたりと、道の形も様々だ。
カラフルな道は遥か先にまで続いていくが、それでも道の拡張が終わる気配はない。
こんな光景は今までの人生で見たことがない。
初めて3D映画を見た時も驚いたが、そんなの比べものにもならない。
この時初めてここが俺の知る世界などではなく、全く別の世界なのだと直接肌で感じ取った。
『ご覧になられているのが、【天使に至る道】でございます。ラファエル様にはこの道を進んで頂き、遥か先にあるゴールを目指して頂きます。ゴールすることが出来たならば、その時に天使となることが出来るのです。』
この道の先に進めば天使になれる?
カラフルな道の方に視界を向けて目を凝らして見ると、道が一つ一つブロック分けされているのが分かる。
『進んでいく方法としてーーこちらにございます、ダイスを振って頂きます。』
目の前に突然ーーボンッ、と音を立てて一辺二十㎝程だろうか?
綺麗な白色をした六面体が出現した。
その白の中に黒い点々が浮かんでいる。
六面体をした物体を手にとって見てみるが、俺が知っているサイコロと同様に一から六まで黒い点が描かれている。
『そしてこのダイスを振るために必要な条件が、先ほど申し上げたGPとなるのです。GPを100消費することで一回振ることができます。またGPを消費することで一度だけダイスを二つにすることや振り直しなど、様々な特典にも応用することが出来ます』
リリムの話を聞いていると、この天使に至る道っていうのはまるでボードゲームにある、ルーレットを回して駒を進めてお金を貯めていくアレに似ている。
GPはお金のような役割を果たしているのか?
湧き上がる疑問を隅に置いてまたリリムの話に意識を傾ける。
『天使族になられたラファエル様は、物質界でいう十日に一度この天界に呼ばれます。ラファエル様が天界に存在できる時間はレベルに依存します。そして物質界で増やした信仰心をGPとしてこの天界で消費して頂くのです。天界で得た能力やアイテムなどは、物質界においても同じように使用することが出来ます。物質界では決して得られないものを手にすることが出来るかもしれません。初回だけは特別にGPを消費することなく、ダイスを振ることが可能となっております』
あのステータス画面に載っていた項目からしてここはゲームの世界なのか?
あの牢屋の世界もまたゲームの世界なのか?
こんなのゲームじゃなくて何だっていうんだ。
『それでは【天使に至る道】にあるマス目についてご説明致します。先ずそれぞれのマス目に色が付いており、その色の種類によって特色となる効果をラファエル様に与えます。細かい内容までは私も知りませんがここでは全部で八種類、それぞれの色の効果をお教え致します』
もしここが本当にゲームの世界だとすれば、俺は死んでも大丈夫なのか?
『先ずは白色。これはラファエル様に幸福をもたらすマスとなっております。続いて青色はラファエル様にとって比較的良いことが起こるでしょう』
周囲に広がる道を見渡してみると青色は多くあるが、白色は見つけるのも難しい。
『茶色はラファエル様にとって比較的悪いことが、黒色は……止まらないことを第一に考えて頂いた方が宜しいかと思います』
これまで理路整然と話していたリリムが黒色のマスの説明で少し口籠った。
それだけ危険なマスってことか……。
だが、周囲を見渡しても黒色のマスを見つけることは出来なかった。
これなら止まることはほとんどなさそうだ。
『そしてここから特別マスとなっております。緑色のマスではランダムで能力の上昇もしくはスキルを得ることができ、黄色のマスではランダムでアイテムを得ることが出来ます。赤色のマスでは何が起こるのか不明となっております。最後に、桃色のマスに止まればGPを使って能力、スキル、アイテムなど様々な商品を買うことが出来ます。また、それらを売ってGPに変えることもできます。これにて【天使に至る道】のマス目のご説明を終わらせて頂きます』
聞いた限りでは特別マスは、赤色以外恩恵が大きそうだ。
辺りを見渡しても特別マスはそれほど多くはない。
とはいっても、白色や黒色に比べれば遥かに多いのだが。
『では【エンジェル・ロード】と口になさるとスタート地点に移動することが出来ます。丁度制限時間が来たようなので、私の説明はここまでとさせて頂きます』
「ちょっ、ちょっと待って下さい。質問を一つだけいいですか?」
『……一つだけなら』
「もし、物質世界で俺が死んだら天界でも死ぬことになるのですか? 逆のパターンでも死ぬのですか?」
『ではご質問にお答えさせて頂きます。物質世界で死なれた場合、天界でも死んだことになります。ラファエル様の魂は輪廻の中で巡り、新たな生となり生まれ変わるでしょう。天界で死んだ場合は物質界で死ぬことはございません。ただ、天界で死ぬことにより、魂に傷がつく場合があるのでお気をつけください。それでは私の役目を終わらせて頂きます』
「まって、まだ聞きたいことがっ!」
『ラファエル様にアテナス神様のご加護があらんことを』
その声を最後に、俺の脳内に響いていた流麗な声は聞こえなくなってしまった。
ステータスのこととか、まだまだ聞きたいことがいっぱいあったのに……。
そうだ、ステータスはGPの時のように自分で見てしまえばいいじゃないか!
目の前に浮かんでいる半透明なガラス板のようなものに手を伸ばすが、不意を打つようにけたたましい警報音が鳴り響く。
「残り五分となりました。直ちにダイスを振って下さい。残り五分となりました。直ちにダイスを振って下さい」
警報音を伴い場内アナウンスのようなものが繰り返し白い空間内に響き渡った。
場内アナウンス? 天界アナウンスの方がカッコいいか。
五分ってもう時間がないじゃないか。
俺は慌ててリリムに言われた単語を口にする。
「エンジェル・ロード」
すると視界が大きくブレたと感じた時には、先ほどとは似ているようで少し違う光景が目の前に広がっていた。
その違いは道の向きだとか形だとか些細なことだ。
凄い、これはワープなのか? 凄すぎる。いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
溢れ出てくる興奮を警報音と天界アナウンスが諌める。
俺は宙に浮いたダイスを両手で持つと、迷いなく下から上へ放り投げた。
俺が迷わなかった理由としてはもちろん時間が無いということもあるが、このスタート地点は六の道の始点となっているからだ。
ダイスの結果からどの道を選ぶか決める。
俺の行動は単純だった。
宙に浮いたダイスはどこが地面なのか分からないが、落下した先で一度大きく跳ね上がると、徐々に落下の反動を下げて動きが小さくなる。
そして跳ねるのをやめたダイスはコロコロと転がり動きを止めた。
俺の視点から見えるダイスの頂上の数字は五だ。
警報音を伴った天界アナウンスが、話す内容を変えてダイスの出目を伝える。
「出た数字は五です」
俺が見た通りの結果だ。
ここで俺が置かれている状況を思い出して整理する。
この天界という場での結果は物質界、あの牢屋の世界に影響する。
そしてあの牢屋の世界では明日、俺は処刑されることが決まっている。
たとえゲームの世界とはいえ死ぬのは怖い。
牢屋の世界で死ねばこの世界でも死ぬとリリムは言った。
現実の世界に未練はそれほどない。
でも、絶対に死ぬのは嫌だ。
それなら俺が選択すべき道はこの一手が最大の効果をもたらすもの。
その先の道の良し悪しは二の次だ。
俺は二つの道を交互に視界に捉える。
一つの道は青マスを中心とした道で、見る限り黒色は一つも見えない。
そして五マス先は緑色となっていて、ランダムで能力の上昇かスキルがもらえるはずだ。
もう一つの道は様々な色が混じり合い、特に他の道ではほとんど見られない黒と白が複数見える道だ。
五マス先は白色となっていて、リリムは幸福をもたらすと言っていた。
白色と黒色はこれまで見た数から見ても、リリムの反応からしても、最高と最凶の可能性が高い。
少しの間だけ考えたが決意を固める。
俺が選んだ道は足元から下方向に続いており、とても歩けそうになかった。
だが進むべき道を決めた瞬間に視界が反転して、何故か目の前に選んだ道が続いていた。
対して先ほどまでは真正面にあったはずの道が、大きく首を曲げて見上げないと見えなくなってしまった。
今日一日だけで不思議なことはもうお腹いっぱいだ。
多少のことでは驚かない。
ーーと心の中で言い聞かせるようにして、動揺する気持ちを抑える。
重たい足を五マス先の道に向けて進めていった。
スタート地点から四マス目に来た時、一度大きく深呼吸をしてから白いマスの中に右足を踏み入れた。
この先一体何が起こるのか?
期待感が二割、不安感が八割といったところか。
両足が白いマスの中に入った時、マスは金色に光り輝き俺の体を包み込んだ。