十八話・スキルの真価
嫌な音がした、これまで聞いたことのない異様な音だ。
俺はそれでも後ろを振り返らない。
前を走るティーファに置いて行かれないように。
「うぎゃああああああああああ」
さらに後方から断末魔と言えるような叫び声が響き、俺の全身を震わせる。
ーーベチャッッ!!
誰の声か分からない叫び声は、ほどなくして先ほどよりも大きな破裂音とともに消えてしまった。
直感的に分かった。
三人の内、誰かが死んだのだと。
そして止まっていた足音がまた聞こえ出す。
頼むこっちに来るな!
頼む!!
耳に届く足音は、幸いにも俺の方向とは別の方に向けて走っているようだ。
それでも今のヤバイ状況に変わりはない。
姿は見ていないが、足音からしてかなり大きな生物が襲ってきているはずだ。
そして走るスピードもかなり速いように感じる。
疲れも忘れて走り続ける。
ティーファは時々こちらを振り返りながら、俺を急かすようにして前を走っている。
俺が寝ていた場所から数百メートルは離れることが出来ただろうか?
無我夢中で走っていたからどれだけの距離を走っていたのか分からない。
それでも遠くの方から聞こえてくる叫び声が、襲い来る『何か』との距離を感じさせてくれる。
辺りはもう薄暗くなっている。
もうすぐしたら真っ暗になるだろう。
それまでの辛抱だ。
暗くなってしまえばあの足音だって、俺やティーファを見つけることはできないはずだ。
こんなの成人の儀式だとか言っている場合じゃない。
ホルホルの森にはモンスターは居ないんじゃなかったのかよ! くそっ!!
走るスピードを少し落としながら、出来るだけ叫び声から離れるように進んでいった。
これからどうなるのだろうか?
ライチ村は大丈夫なのか?
どこに向かって走っているのか分からない状況なので、ライチ村まで帰ることが出来るのかも分からない。
不安だけが積もっていく。
辺りが真っ暗になった後も暫く歩き続けていたが、流石に体力の限界を迎えてしまい、また倒れ込んでしまった。
今度は意識を失うことはなかったが、疲労と空腹感でもう一歩も動けそうにない。
「ティーファ、俺はもう動けそうにない。今日はここで寝よう。明日、太陽の位置を見ながらライチ村に帰って、このことをみんなに知らせるんだ」
俺がそう言うとティーファは必死な顔をして俺の腕を突いてくる。
「ごめんな。どんなに頑張っても、もう動けないんだ」
俺の答えに対してティーファは首を横に振ると、俺の指先に食らいついた。
…………。
こんな時にご飯の催促なのか?
と一瞬思ったが、ティーファは今の俺が魔力を持っていないことを知っているはずだ。
何かを伝えたがっているが、上手く意思疎通をすることができない。
逆だと簡単に行くのだけど。
ティーファはよく分からない動きを繰り返していく。
よくよく見ると、俺がステータス画面をいじっている時の姿を真似ているみたいだ。
「ステータス画面を見ろってか?」
「ファッッ!!」
俺は取り敢えず、アビスの鏡を倒した時に手に入れたスキルを見てみることにした。
『流水剣』は片手剣の上級スキルで、防御とカウンターに特化している。
レベル9で発動できる武技は『明鏡止水』といって、カウンター系の武技でも最高峰の威力を誇っているのだ。
効果としては、自身に向けれた効果を一度だけ三倍返しできるというものだ。
返された効果は必中で回避することはできない。
物理、魔法、状態異常、回復、強化、全ての効果が対象だ。
俺はこのスキルを手に入れた時、それはもう喜んだ。
ティーファと何度も小躍りしたものだ。
何故なら、能力の低い俺にとってはこれほど相性の良い武技はないからだ。
だが俺はこの武技が使えない致命的なことを忘れていた。
武技を発動するために必要なポイント……SPが全く足りていないことだ。
俺がその事実を理解するのに、一時間もかからなかった。
名残惜しい気持ちを指先に残しながら、ステータス画面を後にする。
「ファッッ!!」
するとティーファが怒号のような声を鳴らした。
驚いてティーファの方を振り向くと、目を細めて仁王立ちしている。
その姿からかなり怒っているのが分かる。
なんだかエレナが怒っている時に似ているんだが……。
そういう所は真似しなくてもいいのにな。
そう思いながらももう一度ステータス画面を開いてみると、ティーファが勢い良く俺の前に乗り出して<アイテム>欄を嘴で叩いた。
すると所持しているアイテムが俺の視界に入ってくる。
【神鳥の卵の欠片】
【精霊湖の水】
あっ、そうか!
ティーファは【精霊湖の水】を飲めと伝えたかったのか!
全然使う機会が無かったからすっかり忘れていた。
というか、ステータス画面ってティーファも操れるんだな……知らなかった。
いや、そんなことはいい。
ティーファのお陰で飢えを凌げるんだ!
「ありがとう、ティーファ。流石、俺の子供だ!」
「ファッッ!!」
ティーファは得意げに声を上げた。
俺はティーファの頭を思いっきり撫でた後、【精霊湖の水】を一滴だけ口の中に垂らしてみる。
味は無味なのだが、飲んだ直後から説明通りに満腹感が感じてくる。
心なしか、疲労感も少しだけ取れたように感じる。
人心地ついた所で、ティーファを抱いたままいつの間にか寝てしまっていた。
翌朝、日が登り始めた位置を確認すると、その方向を頼りにライチ村を目指して歩き始めた。
一晩ぐっすり寝たことと、【精霊湖の水】のお陰で体力もかなり戻っている。
方向さえあっていれば、明日くらいにライチ村に帰ることが出来る。
太陽が頭の真上を通過した頃、俺は木の幹が周囲が5メートルも有りそうな大樹に背中を預けて座っていた。
昨日とは違い、今日は適度に休憩を取りながら進んでいる。
今日は誰かに急かされることはないからな。
そう思ったのは何かのフラグだったのか、前方から木の枝や枯葉が擦れるような音が聞こえてくる。
俺とティーファは阿吽の呼吸で素早く大樹の後ろに身を隠す。
もう面倒ごとはごめんだからな。
木の陰から何が近付いているのか見ていると、そこには見知った顔が歩いている。
シャムズだ!
あいつ、どうして変な歩き方をしているんだ?
もしかして……足を怪我しているのか?
何時もの強気で人を見下した表情はそこにはなく、疲労困憊といった感じでこちらに歩いてくる。
手には何も持っておらず、あの歩き方ではライチ村に帰る前に飢えて死んでしまいそうだ。
あいつはティーファを殺して食べようとした奴なんだ。
いい気味だ。
俺は人生で初めて人の不幸を喜び、そして目の前にある命を見捨ててその場を後にしようとした。
俺が後ろに足を一歩、二歩と踏み出した時、突然シャムズの大きな声が聞こえてくる。
その声は震えていて、振り絞るようにして出しているようだった。
「どうしてだよ!? どうしていつも俺ばっかりこんな目に合うんだ? 母さんも! 優しかった父さんも! 親友も! みんな居なくなっちまう……。畜生……ちくしょう……」
シャムズはうずくまってその場で、むせび泣き始めた。
俺の足はその場に止まってしまい、どうしても次の一歩が踏み出せない。
どうして踏み出せないのか自分でも分かっている。
こいつが言っていることは俺が昔、よく泣きながら呟いていた言葉だからだ。
中学に入った頃からだろうか? いつの間にか言わなくなっていたその言葉が懐かしく、そして過去の自分を見ているようだった。
暫くシャムズが泣いている姿を木の陰から見ていると、突然シャムズは立ち上が
った。
「クソがああああああ!! 俺は絶対に生き残ってやる! 誰がこんな所で死んでやるか。帰るぞ、絶対に」
俺の耳どころか森中に響くような声を出した後、シャムズは何かを呟きながらまた足を引きずるようにして歩き出した。
「帰るんだ……家に帰るんだ」
俺の耳にシャムズの呟が入ってきたと同時に、何かが聞こえた。
ーーズン
え?
ーーズンッ
嘘だろ?
どうしてまたこっちに向かってきているんだ?
ーーズンッッ
逃げなきゃ、早く逃げないと!
ティーファの方に視線を一度やると小さく頷いた。
そしてシャムズの方に視線を移すと、その場に立ち竦んでいる。
「そうか……どうせ家に帰っても、俺が欲しいものはもうこの世には残っていないんだ……」
やっぱりこいつ……似ているんだ。
日本にいた頃の俺に。
俺はそう感じた瞬間、走り出すのを迷ってしまう。
その迷いが昨日俺たちを襲った、『何か』の姿をこの目に焼きつかせることになってしまった。
巨人!?
薄い赤色をした肌に、筋骨隆々とした体。
口から垂れる涎と、呼吸をする度に吹き出る白い気体。
目は瞼が太い紐で三本縫い付けられており、閉じたままだ。
体に纏った赤く染まったボロ布からは距離があっても、吐き気を催すような臭気が届いてくる。
そして何より大きい。
見上げないと、その顔を見ることができないほどだ。
二階建ての一軒家以上の高さがありそうだ。
俺はこいつの姿を何度も見たことがある。
正確には映像として作られたゲーム上でのことだが、この見た目は確かにそうだ。
『マシュール街の処刑人』それがゲーム上での名前で、最初のボスとして登場してくる。
俺はこいつと何度も戦ってきているからその特徴も分かっている。
こいつはその見た目通り目が全く見えていない。
その代わり聴覚が圧倒的に優れていて、音に反応して攻撃してくるのだ。
攻撃方法は物理攻撃のみで、右手に持っている巨大な鉈を振り下ろしてくるか、踏み潰し、体当たりくらいだ。
今の俺とティーファがこいつに勝てるのかと言われれば不可能だろう。
ティーファが魔法を使えれば勝てるのだけど……。
けど無理して勝つ必要はない。
このまま隠れていればこいつは何処かに行くはずだ。
寧ろ走って逃げていたら今頃後ろから踏み潰されていたのかもしれない。
結果として運が良かった……そう思った時ーーシャムズは上を見上げてまたぶつぶつと話している。
あの馬鹿!
先程まで標的を探していた『マシュール街の処刑人』は、その声に反応して巨大な鉈を振り上げる。
俺はその先の光景を瞬間的に想像して目を瞑る。
「どうして俺はこの世に生まれてきたんだろう?」
シャムズの最後の呟きが耳に届いた時、閉じていた瞼を開いて動き出していた。
どうしてこんなことをしているのか分からない。
今も、この先もきっと分からないだろう。
それでも俺は剣を抜き、呆然と立ち尽くすシャムズの前に向かう。
振り下ろされる鉄の塊は、俺の視界の半分以上を覆い尽くす。
根拠は無いーーそれでも俺はこの鉄の塊が剣に触れた時、受け流せるような気がした。
鉄の塊の動きに合わせて剣と体が無意識に動いていく。
千回、一万回と、その動きが体に染み付くほど修行してきたように。
ズドンッ!!
鉄の塊は、俺が構えた剣を滑り落ちるようにして俺とシャムズの横に落下した。
次の瞬間、凄まじい風と振動が俺を襲った。




