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十六話・アビスの鏡

 暖かい風が膝下まで伸びた草花を揺らして、耳心地のいい音色が響いてくる。

 ポカポカとした陽気は初夏を思わせ、上から照りつける陽射しの影響のせいか、額から一筋の汗が流れてくる。


 寒い所からいきなり暖かい所に来たせいか、汗が止まらないな。

 剣を握った手もベトベトだし、やっぱり緊張しているせいもあるのかな?

 そりゃそうだよな。

 負けたら死にますだなんて言われたら普通は無理だろ。

 三ヶ月前までは普通に学校に行って、ゲームして、寝て、が日常だった毎日に死なんて身近になかったからな。


 でも牢屋に入れられて、処刑されそうになってから全てが変わったんだ。

 村長から聞いた話でもこの世界は日本のように平和な世界ではなくて、死は誰にでも身近に存在して、いつ、誰に向かうのか分からないのだ。

 魔族、モンスター、盗賊、日本では考えられない危険な存在だが俺の住む世界には存在する。

 実際に人が死んでいるのも見てしまった。

 まあ、魔法で生き返ったけど。


 この世界ではスキルがあれば不可能なことが可能になったりすることは、今まで俺のスキルで何度も目の当たりにしてきた。

 もし俺が選んだ相手を倒すことが出来れば、ティーファを守る力に必ずなる。

 ティーファだけじゃない、ルークやエレナだって。

 もうあんな思いをするのは嫌なんだ。

 だから勝つんだ!

 スキルを手に入れて、ライチ村に帰るんだ!


 俺は心の中でもう一度戦う理由を思い出して気合いを入れ直し、深呼吸を何度かする。

 すると十メートルほど先の空間が黒いモヤに包まれだし、その先から宙に浮かぶ鏡が出てきた。

 鏡は豪華な装飾具に包まれていて煌びやかだ。

 このお金持ちの女性が好きそうな鏡は、自分の状況を確かめるかのように前後左右に向きを変える。

 そして自分の状況が理解出来たのか、鏡の面を俺に向けて意志を持ったかのように俺に向かって飛行してくる。

 その飛行スピードは凄まじく、鏡は瞬く間に俺の前に浮いていた。


 近くで見て分かったが、鏡のサイズが学校の黒板くらいあって威圧感が凄まじい。

 鏡から漏れ出ている黒いオーラのようなものが、俺との生物としての格の違いを思い知らさせるのだ。



 圧倒的な差ーー捕食者と餌という努力では到底変えられない差が。



 今にも俺は土下座をして許しを請い、逃げ出してしまいそうだ。

 俺の意志を離れて、膝が可笑しいくらい前後左右に揺れ動く。

 ライチ村の人間全てが向かっても全員殺されてしまうだろう。

 多分この鏡が放つ魔法の一つで。


 この鏡の名前は『アビスの鏡』

 ゲーム上では最上級ダンジョン『深淵』で出没するボスを除いた最強クラスのモンスターだ。

 プレイヤーから最も嫌われているモンスターと言っていいのかも知れないほどの戦いにくさと強さが特徴的だ。


 アビスの鏡の特徴は静だ。

 自ら攻撃を仕掛けることはなく、その圧倒的な速さで攻撃を回避し続ける。

 魔法攻撃全てに対して反射効果を持っていて、実質魔法攻撃は役に立たない。

 アビスの鏡が攻撃をするのは物理攻撃を身に受けた時だけだ。

 魔力が高くて、範囲魔法を瀕死クラスの威力で放ってくる。

 今の俺が喰らえば瀕死どころか100回死んでも足りないくらいだ。

 更に他のモンスターの攻撃にも晒されるとなれば、全滅の可能性も出てくる。


 それなら最後にアビスの鏡を最後に倒せばいいじゃないか、と思うだろうがそうはいかないのだ。

 アビスの鏡は一定時間攻撃を受けないとプレイヤーキャラの姿、能力を完全にコピーしてしまうのだ。

 結論としてアビスの鏡との戦闘は、プレイヤーキャラとの戦いになってしまうのだ。

 アビスの鏡が複数出現すると、基本的には逃げるのが一番いい選択肢だった。


 そして、俺がこんな化け物クラスの敵を選んだ理由はただ一つ。

 アビスの鏡の特徴がゲームの時と同じだとすれば、対戦相手はあいつになるはずだ。


 そう、俺だ!


 恐らく俺が選べるモンスターの中で一番強くて一番弱い相手、それが『アビスの鏡』

 選べるモンスターの中には俺の知らないモンスターが多くいたが、知っているモンスターも多くいた。

 特徴が同じだとは限らないけど、可能性がないわけでは無い。


 そしてアビスの鏡に挑戦するもう一つ理由は、貰えるスキルの強さが対戦相手の強さによって変わるからだ。

 どうせ貰えるなら強い方がいいに決まっている。


 アビスの鏡は俺を見下ろすようにして、その鏡にまぬけな俺の姿を映し出している。

 恐怖のあまり立っていることができず、三角座りをして震えながら見つめる俺の姿が。


 だがある時から鏡に映る俺の表情が、恐怖に怯えた表情から人を見下したような顔つきに変わっていく。

 そしていつもの俺からは想像も出来ない嗜虐心をさらけ出した笑みを浮かべて、鏡の向こうで立ち上がろうとしているのだ。

 その瞬間、俺は今まで感じていた圧倒的な力の差からくる恐怖とは別の、粘着質のある何かおぞましい恐怖のようなものが全身を包み込んだ。



 本当に俺はライチ村に帰ることができるのか?


 そんな直感のような疑問が脳裏を過る。

 ここで死んでもティーファの元に帰れるはずだという思いが、鏡の向こうの俺を見ていると不安になってくる。


 鏡に映る俺がいよいよ鏡に手をかけようとしている。

 それと同時に、威圧感のある恐怖が和らいでいった。

 俺は言い知れない不安感を抱きながら、剣をもう一度握りしめて立ち上がる。


 パリンッッ!!


 鏡の向こうの俺が鏡に手を触れた時、ガラスと煌びやかに輝いていた装飾品が崩れ去るように草原の中に散っていった。

 そして鏡と入れ替わるようにもう一人の俺が、同じ片手剣を右手に持った状態で立っていた。


 ニヤニヤと顔を醜く歪めるようにして笑いながら大声で叫び出す。


「やっとだ! やっと俺を手に入れた!! これから俺は殺しまくる。殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、殺して、奪い、神になる!!」


 こいつは笑いを止めるとつまらなそうな顔で、視線を俺の方に向けると一言発した。


「まずは……お前からだ!!」



 ーーガキッッッン!!



 甲高い金属音が草原に鳴り響く。


 無造作に振り下ろされた剣が俺の頭部に向かう寸前に、なんとか剣を振り上げて防いだ。

 同じ力のはずだが、こいつの方が態勢が有利なせいでジリジリと刃先が俺に向かってくる。

 剣と剣が擦りあってできる鉄の匂いが死を連想させる。


 俺はこのままではマズイと思い、真正面から力を受けるのではなくて徐々に右側へ流すように剣の向きを変えていく。

 俺の試みがなんとか成功するように、こいつの剣が地面を叩いた。

 だが、直ぐに横薙ぎに剣を振るってくる。

 その襲い来る様は村長の綺麗な剣筋とは違い、獣のように荒々しくて野生的だ。


 右に左に力任せに振るわれる剣は、恐ろしいまでの殺意と猟奇的な表情と相まって俺を圧倒してくる。

 反撃する余裕などなく、ただこいつの攻撃を受け続けることしかできなかった。

 剣を握った手には、次第に筋力の限界と痺れが訪れ出す。

 いつこの手から剣が弾き飛ばされるか分からない状況だ。


 同じ力のはずなのにどうしてだ?

 どうしてこいつはこれだけ剣を振るっているのに疲れたそぶりを見せない。

 どうして俺は反撃することもできないんだ?


「弱いなあ、この体は弱過ぎる」


 暴風のように続いてた攻撃が何故か突然止むと、こいつは自分が握っている剣を見つめて呟いた。

 そして不思議そうな顔をして俺の方に視線を変える。


「お前? 本当にアテナスなのか?」

「アテナス? 何を言っているんだ? 俺の名前は高橋伸也だ」


 確かに俺は布教活動をしている時はアテナスと名乗っているが、本当のアテナスではない。

 何故こいつが俺をアテナスだと思ったのか分からないが、今は正直攻撃が止んでくれたことにホッとしている。

 い殺されてもおかしくなかった。


 こいつは俺の返答を聞くと、考え出すように額に指先を置いてブツブツと独り言を話し出す。


「ここで改変があって、ティーファを手に入れて………今のこいつの記憶だとほぼ正規ルートだな。やはりアテナスで間違いなさそうだ。弱さの原因はまだ序盤の中の序盤のせいという訳か」

「お前さっきから何を言っているんだ!?」


 所々聞こえる正規ルートだとか、ティーファを手に入れてだとか、序盤だとか、訳が分からないけど、どうにも気になってくる。


「俺もある程度しか知らないからな………。まあ今の所はこいつを殺せば神になる力を手に入れることができる訳だ。時間はかかりそうだがこれまで待ち続けた時間に比べればなんてことはない」

「おい! 聞いているのか?」

「さっきからうるさいぞ。 今から死ぬお前が聞いても意味のない話だから静かにしていろ!」


 こいつはそう言うと、また獣のように俺に襲いかかってくる。

 先ほどよりも勢いの増した攻撃とは対照的に、さっきの気になる独り言に惑わされて動きに迷いが出しまう。


 さっき呟いていたのは俺を混乱させるためなのか?

 考えるな! 今はこいつを倒すことだけを考えるんだ。


「早く俺に奪わせろ!!」

「お前の方こそうるさいんだよ!」


 俺が初めて出した反撃に対してこいつは、剣を滑らせて攻撃をいなしてくる。

 最初の一撃で俺が見せた動きを真似するようにして。

 俺は振り下ろした剣の勢いそのままに、前のめりに草の中に突っ込んでしまう。

 それと同時に、左肩から焼けるような痛みが俺の全身を駆け巡っていく。


「イタッ」


 自分の肩がどうなっているのか見る暇なんてない。

 直ぐに起き上がらないと殺される。

 だが、こいつは起き上がること許さないように、俺めがけて剣を振り下ろしてくる。


 ガツッ

 ガツッ

 ガツッ


 転がるようにしてその一撃を何度も紙一重でかわしていく。


 殺される!

 殺される! なんとかしないと!


「死ね、死ね、死ね」


 起死回生の必殺技があるわけでもなく、俺はただ刻々と迫る死という流れに飲み込まれないよう、足掻くことしかできない。

 少しづつ俺に向かう一撃が体の端を捉え出し、肩以外の場所からも痛みが伝わってくる。


 ここで俺は殺されるのか。

 でも、もうこんなに痛いのは嫌だしどうせ殺されるなら……楽な方が良いかもな。

 最初から無理だったんだ。

 俺みたいなのが命をかけて戦うなんて。

 目が覚めたらまたティーファを抱いているんだろうな。

 うん、俺にはそっちの方があっている。


 上を見上げると鏡に映ったような俺の姿があり、最後の一撃を振り下ろそうとしている。

 俺の顔を見ると、こいつはニヤニヤと勝利を確信したように饒舌に話し出した。


「もう少し頑張ると思っていたがもう諦めたのか。まあ、無様だが賢い判断だ。何があってもお前が俺に勝てる訳がないからな。元々アテナスはお前には相応しくなかったわけだ。お前は生まれ変わって平凡な人生を送るといい」


 生まれ変わって?

 何言っているんだ? 俺は死んでも物質界に、ティーファの元に帰れるはずだ。


「俺はここで死んでも、またライチ村に戻れるんだ! 適当なこと言うなよ」

「あー、そうだった、そうだった。お前は死んでもライチ村に戻れるんだったな。ティーファがいて、ルークがいて、エレナがいて、お前の大切な人がいっぱいるもんな……戻りたいよな……。でもそれは無理だから」

「ど、どうして無理なんだよ!」

「俺がお前としてライチ村に帰るからに決まってるだろ?」

「そ、そんなことできるわけないだろ!?」


 そうだ、そんこと出来るはずないんだ。

 天界アナウンスでそう言っていたのだから。


「それが、俺の力があれば出来てしまうんだよな」

「嘘だ、嘘だ、そう言って俺を混乱させて勝つつもりなんだろ!」

「どうして勝つことを諦めている人間を混乱させて勝たないといけなんだ? まあ、安心してくれ。強くなりたいんだろ? お前の代わりに俺が上手くやってやるさ。強くなって、ルークを微塵切りに……いや串刺しの方がいいか。エレナはオークの巣にでも預けて……爆炎魔法で村人全員を丸焼けにするのも楽しそうだ」


 こいつの浮かべる悍ましいほどの恍惚とした笑みは、それが嘘や脅しではなく近い将来必ず起きることを表しているかのようだ。


 これは夢だ、嘘だ、現実じゃない。

 そんなことが起こるはずがない。


「嘘だあああああ!!」

「その顔、その顔最高だ。この人間が絶望した時の顔が最高に美味しいんだ。これからもっと見れると思うと堪らないな。じゃあ、いいもの見れたしサヨウナラ。俺の偽物よ」

「うわああぁあああああ嘘だああああ」


 振り下ろされた攻撃が俺の首筋に目掛けて向かってくる。

 俺は目を閉じて、右手に持った剣を適当に振り上げた。



 …………。



 直ぐに来るはずだった死の斬撃が数秒経ってもこない。

 その代わりに俺の右手に鈍い衝撃を残しながら、小さなうめき声が聞こえてくる。

 閉じていた目を開けてみると、俺が突き出した剣の先に俺の姿をした化け物が突き刺さっていた。

 化け物は信じられないという顔をして何度も瞬きをすると、突然目を見開いて大声で叫び出す。


「どうしてだ!? こいつは特別だっていうのか!? 代わりはいくらでもいるだろ? クソッ! クソッ、クソッ……クソッ…………」


 最期は呪詛を吐くようにしながら、瞼を閉じていった。


 一体俺が目を閉じている間に何があったのか?

 俺が適当に振り上げた剣よりも、化け物の攻撃の方が速かったはずだ。

 最期に叫んだこいつの言葉の意味。

 いくら考えても分からない。


「対戦相手『アビスの鏡』が死にました。おめでとうございます。勝利ボーナスはスキル【流水剣】レベル9でございます。それではまたのお越しをお待ちしております」


 それでも……。

 それでも俺は勝ったんだ。

 勝ったんだ!


 怖かった……死ぬことも、みんなと会えなくなることも、みんなが酷い目にあうことも。

 よく分からないけどまたライチ村に帰れるんだ!

 また笑って暮らせるんだ。


 溢れ出てくる涙が草原に零れ落ちる。

 これが命を懸けて戦うということなのだと、身を以て知ることになった。

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[一言] 酷い主人公補正を見た。
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