一話・世界に生誕
視界に広がるのは白い空間。
壁、柱、床、全てが白かった。
高くそびえ立つ柱はその一つ一つに威厳すら感じるほど美しい。
柱の頂上には乳白色のステンドグラスのような天井があり、淡い光が溢れている。
壁には彫られた神話上の生き物やそれに立ち向かう人々は、見る角度により壁から浮かんでいるようにも、沈んでいるようにも見える。
大理石のように艶を持った白色の床には、大小の幾何学模様が鈍色に輝き浮かんでいた。
人が創り出した美しさの結晶とも思える建物。
そこは、俺が初めてこの世界へと踏み入った場所だった。
「……なんと神々しいお姿だ」
「……これが伝説の勇者」
「これで我が国も魔族と対等に戦えるぞ」
「しかし、我々が勇者様を御せるのか」
「その存在が我が国にあるというだけで魔族、ひいては他国の牽制になるのだ」
「アルメニア王国では女をあてがった途端、言うことを聞き出したそうだぞ」
うるさいなあ、一体何だっていうんだ。
まだ眠気が残る重たい瞼を開けて見ると、自分の周囲を西欧風のむさ苦しいおっさんや白いひげを蓄えた爺さんが囲っている。
ヤバい。これは何が起こっているか分からないがとにかくヤバい。
「おおっ! 目を開けられたぞ」
「やはり素晴らしいお顔……だ」
「さあ、アスタナ姫こちらへ」
白ひげ爺さんがそう言うと周囲の人たちが動き出して一つの道を作り出す。
その先には美しい女性が立っており、こちらへ向かってくる。
そして俺の前で立ち止まるとこちらを見つめて微笑んだ。
なんだこれ? 俺はまだ夢でも見てるのか?
目の前に立った女性は金色に近い髪色で少し縦にロールしている。
つり目がちな目は勝気な性格に映り、髪の毛と相まってアニメに出てくるお姫様みたいだ。
「勇者様、我々の救いの声にお応え頂いてありがとうございます。私はこの国の第一王女であるアスタナと申します。勇者様のお名前をお聞きしても宜しいですか?」
勇者とか王女とか何言ってるんだ?
貞操の危機かと思ったら次は妄想癖美女か?
次々起こる不可思議な光景に俺は黙って考える。
取り敢えず状況が分からない以上、逆らわないようにしよう。
「名前は……高橋神也です」
こんなヤバそうな奴らに本名を教えるのは一瞬だけ躊躇ってしまたが、とっさに偽名が思いつかなかった。
名前を聞いたアスタナは俺に向けた微笑みをさらに深める。
「タカハシシンヤ様ですか? 珍しいお名前ですね。何とお呼びすれば宜しいでしょうか?」
「高橋でいいです」
「ではタカハシ様。この世界のことをご存知ですか?」
「えーと、あんまり政治とか経済とかは興味なくて……」
この歳になっても世界のことについてあまり知らない自分が恥ずかしくなった。
「私の言い方が悪かったですね。この世界の名前はタイルスと言います。そしてこの国の名前はローレル王国です。その名前に聞き覚えはありますか?」
「すみません。聞き覚えは全くないです」
「やはりそうですか。本で読んだ伝説の通りなのですね」
アスタナはそう言ってにっこりと笑った。
微笑んだ頬には小さなエクボが出来ていた。
あ、かなり可愛い。
その笑顔に俺の心は一瞬で鷲掴みになった。
夢の中だし仲良くなれるかも。
「伝説の通りってどういうことですか?」
「これは失礼しました。伝説とはこの世界の中で伝わる勇者様の話です。500年前にこの世界を滅ぼそうとした魔王を5人の勇者様が見事に滅ぼして下さったのですが、その勇者様たちは皆、この世界とは違う世界から来られたそうなのです。」
「成る程……それで私が勇者だと確信したわけですね」
俺は眉を寄せニヤリと笑って自分なりの一番のキメ顔をして答える。
「さすが勇者様です。その通りですわ」
俺のキメ顔を見てアスタナが一瞬だけ顔をしかめたようにも見えたが、すぐに溢れんばかりの笑顔に変わった。
これはチャンスなのか? 頭はちょっと逝ってるけどこんな可愛い子と仲良くなれるなんて。
手応えを掴んだ俺は、眉間に右手の人差し指を置いて言ってやる。
「魔王が復活してしまい私に魔王を倒して欲しい。そいうことですね姫様? ならば、私はあなたの剣となり全てを打ち滅ぼして見せましょう」
俺の気合を込めた宣誓に辺りは静寂に包まれた。
あれ? ちょっとノリが違ったかな。
「さすがは勇者様! その通りでございますっ!」
白ひげ爺さんが興奮しながら俺の両手を手に取り、勢いよく喋った。
そこは爺さんじゃないだろ!
しかも唾が顔に付いたぞ、気持ち悪い。
アスタナは俺の言葉に感動しているのか俯いて体をプルプルさせている。
周りの連中もこれで肩の荷が下りただの、流石は我が国の勇者様、他の国の勇者よりも優れているだの、急にまた騒がしくなる。
その騒がしさの中で突然、部屋全体が眩い光に包まれる。
「これは一体なんだ?」
「勇者様降臨の時と同じ光だ」
「まさか」
「勇者様を守れぇぇえっっ!!」
何だこの光、眩しすぎて何も見えない。
視界を遮った眩い光はすぐに輝きを収束させて消えていった。
目を開けてみると俺の横に茶色の髪をした白人の男が寝転んでいた。
こんな奴さっきまでいなかったぞ? どこから来たんだ?
時が止まったかのような静かな空間の中、どこからかゴクリと息を飲む音が聞こえてきた。
「うっ」
茶髪の男は小さなうめき声を発すると、彫りの深い瞳が露わになっていく。
茶髪の男は瞬きを何度もしながら、生まれて初めて親鳥を見た雛鳥のように俺を見つめてくる。
こ、こいつ、イケメン過ぎるだろ。
格差社会すぎる……。
先ほどまで美女と話をして昂揚していた気持ちが徐々に冷めていくのを感じた。
茶髪の男は周囲を見渡してからこちらを見て口を開く。
「ここは一体どこなのですか? 僕のパンはどこに……」
「えっと、俺も分からないんだ」
また長い沈黙が二人の間で流れる。
その沈黙に反して俺たちの会話を聞いて周りがザワザワとし始めた、ところでーー白ひげの爺さんが一喝する。
「皆の者、落ち着け!!」
「しっ、しかしバラス丞相、勇者様が二人とは……」
「他国ではすでに四人の勇者が降臨されていると聞いています。なので六人目というのは……」
この場にいる全ての人間の言葉が詰まる。
「鑑定の魔導具を使えばよかろう」
バラスの言葉にその場にいた者はそうだそうだ、といった感じで納得をし始めた。
「申し訳ありません、タカハシ様。こんなことになるとは誰も想像していなかったみたいでして……」
申し訳なさそうにアスタナは言った。
「美しい……君は一体……」
俺の隣でイケメン茶髪が呟いた。
アスタナはその呟きが聞こえたのか、微笑みながら自己紹介を始める。
心なしかその笑顔は俺の時よりも輝いて見えた。
そして俺を置いてけぼりにして二人で会話をしていった。
なんだ、この展開は。この場に俺が存在していないみたいだ。
夢の中でも俺は主役になれないのか。
イケメンと美人の花が咲いたような会話に俺は入っていけない。
俺だけじゃなくて世の中の顔面偏差値が普通以下の男は、この二人だけの世界に入っていくことなんて出来るはずがない。
この場にいることが辛い。
早く家に帰ってゲームの続きがしたい。
いつものように現実から逃げることを考えていると場がまた騒がしくなる。
「持ってきました、バラス丞相」
「では早速、勇者様方に鑑定をさせて頂くとしましょう。アスタナ姫、二人の勇者様にはご説明致しましたかな?」
「はい。お二人とも了承して頂きました」
えっ? 俺、貴方とは喋ってなかったですよね? 二人でずっと喋ってたじゃないですかっ!
心の中で思うが小心者の俺は口には出せなかった。
「ではリック様、先程ご説明したようにこのプレートに手を当てて下さい」
「分かったよアスタナ」
イケメン茶髪がプラスチックに似た半透明な板に手を乗せると文字が浮かび上がる。
それを見ていたアスタナは『やっぱりですわ。リック様は勇者様だったんです』と言ってイケメン茶髪に抱き着いた。
羨ましい。イケメン、爆発しろ。
「これ姫様。タカハシ様の鑑定が残ってますぞ」
「そうでした。タカハシ様、ではこちらに手を置いて下さい」
そう言われてプレートに手を置くと、板から文字が浮かび上がる。
名前 :ラファエル
レベル: 1
年齢 :18
性別 :男
種族 :???
職業 :なし
これすげー、変な文字なのに何が書いているのか分かる。
でも名前が違うぞ? ラファエルって俺のゲームのキャラクターだろ。
俺が色々考えていると隣のアスタナが後ずさりながら声を荒げる。
「この者を捕らえよ!」
周りにいた男たちが一斉に俺に飛びかかり、床に押し付けた。
「ちょっ、痛いって。参った、参ったから」
俺がそう言っても腕を離してはくれない。
「貴様、一体何者だ! 何の目的があってここに来た? ま……まさか、お前、魔族か」
俺に剣を向けている騎士のような男が言った。
どうして取り押さえられているのか分からないが、ここに来た時以上にヤバイと感じて事実を答える。
「しっ、知りません。家でゲームをしていて、気付いたらここに居て……本当です。信じて下さいっ!」
「どうしますか? 魔族に有るはずの角が頭に有りませんが、言っていることが意味不明です」
「うむ。種族がぼやけて見えないなど聞いたことがないな。勇者でないことは分かったのだ。何かするにも、王様にこの件を報告してから決めても遅くは無いだろう。この者を特別地下牢へと入れておけ」
「ハッ。分かりました」
「私はあんな醜男が勇者だなんて初めから信じられませんでしたよ」
「私も誰かが神々しいと言った瞬間、噴き出しそうになりました」
「よくもまあ、あんな顔で姫様の剣になるなどと言ったものですな」
「あの時はもう駄目かと思いましたよ」
悪口と笑い声が聞こえる中、体を騎士たちに引きずられていく。
逃げようにも前後左右に見張りが付いていてどうしようもない。
「痛いって、自分で歩くから」
「うるさいぞ」
ーーガンッ
後頭部に鈍い衝撃が来た瞬間、俺は意識を手離した。
「いててっ、頭が痛い」
眼が覚めるとそこは4畳ほどの狭い空間だった。
薄暗くてよく分からないが、床も壁も金属製で出来てるみたいだ。
「ここどこだ? 俺、何してたんだっけ」
あっ、あいつら俺のことを後ろから殴りやがったのか。
くそー、頭が痛い。
血が出てるんじゃないかと思って後頭部を摩ってみるが、血は出てないようだ。
「これからどうしようか……」
狭い牢屋の中で独り、三角座りをして考える。
最初は夢かなんかだと思っていたけどこの痛みは本物だ。
となるとアスタナが言っていたことはもしかたら本当のことなのか?
どこからか現れたイケメン茶髪といい、あの変な板といい、演出にしては凝り過ぎてるよな。
テレビ番組が人を殴るわけがないし……。
変な組織に攫われたのか?
あれこれ考えていると、お腹から音が聞こえてくる。
少したるんだお腹をさすりながら無意識に呟く。
「お腹、減ったな」
ご飯とか出してくれるのかな?
俺どうなっちゃうんだろう。
空腹感が不安に拍車をかける。
起き上がって金属製の壁を叩くが駄目だ。
ただ手が痛くなっただけだった。
そういえばあのプレートに書いていたのはなんだろう?
名前はゲームのキャラ名だし、レベルってのもゲームっぽいし、年齢は全然合ってないし、なんであんないい加減なものでこんな所に入れられなくちゃいけないんだよ。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。
今まで何が何だか分からなくて流されるままだったが、冷静に考えてみると腹が立ってくる。
何だよ醜男って。お前に言われなくても分かってるんだよ。
「それでもちょっとくらいカッコつけたって罰は当たらねーだろっ!」
怒りに身を任せて壁を殴る。
「イテェー」
マヌケな声が響き渡って拳を抑えて床を転げ回る。
しばらくの間、痛みに耐えているとだんだんと冷静になってきた。
この状況を変えるには本気で考えなきゃダメだ。
アスタナはなんて言っていた? 魔王だとか勇者だとか言っていたはずだ。
そして勇者は別の世界からやってくると。
突然光とともに現れたイケメン茶髪、聞き覚えのない世界名と国の名前……ここは小説でよく見る異世界なのか?
あいつらが言っていたことが全て本当ならそういうことになるはずだが。
そんなのバカバカしいとも思うが、どうにもそっち方面のことばかり考えてしまう。
そんな中、一つの疑問が浮かび上がってくる。
俺は勇者じゃなかったからここに入れられたのか?
いや違う。俺に剣を向けてたやつは怯えながら『お前、魔族か』と聞いていたはずだ。
そして俺の種族の所はボヤけて分からなかった。
だとすると俺はこれからどうなる?
魔族といえば代表的なゲーム世界の敵キャラだ。
そしてその可能性があると俺は思われているのか?
考えれば考えるほど自分がヤバイ状況にいることに気づいていく。
もしここが異世界なら最悪拷問されて殺されるのか?
異世界じゃなくても人を殴って監禁する奴らだ。
ろくなことが待っていなさそうだ。
悪いことばかりが頭に浮かんでくる。
待てよ、もしあいつらが言っていることが全て本当だとしよう。
それならあのプレートに書いてあることも信用するべきかもしれない。
でも俺の名前と年齢は違っていた。
性別は合っていたけど、職業は学生のはずなのになしとなっていた。
イケメン茶髪の時に覗き込めばよかった。
勇者ってどうやって分かるんだろう?
ゲーム的には職業だよな。
ラファエルの職業って剣帝だったっけ?
あれ?違うな?
奇跡的に天使族になる条件を揃えて転生したから、職業なしの状態か。
レベルも1だよな。年齢はどうだったかな……転生したら十八になるんだったよな。
あれ? プレートに書いてあったのってラファエルそのままじゃないのか?
もしかしてここはゲームの世界なのか?
これまでの情報から一つの結論を導き出したが、悪口の中に含まれていた単語が脳内に何度も響く。
ーー醜男ーー醜男
俺のラファエルは五日間かけてキャラメイクした最高のイケメンだから笑われることもないだろう。
上着をめくって自分のお腹を確認する。
どう見てもこの体は俺の体だ。
レベル1とはいえラファエルは何回も転生してるからかなり強い。
少なくとも頭を殴られた程度では気絶したりはしないはず。
くそっ、一瞬期待したけどこれはないな。
ガタンッ
急に壁の一部が動き出して、そこから鉄格子越しに男の顔が浮かんだ。
「うわっ」
突然のことに、ビックリして腰が抜けてしまう。
よくよく見ると壁の一部が窓になっていて、向こう側からしか開け閉めが出来ないようになっているようだ。
「おい、お前。良かったな」
「何がですか?」
男の言っている意味が分からず、腰を抜かしながら聞き返した。
「明日死刑だってよ。本当は拷問して隠していること全部吐かせろって意見が多かったんだがな」
「う、う、嘘ですよね」
「じゃあな。今日中に心の準備を決めておけよ」
そう言うや否や、窓がピシャッと閉まる。
「はは、はっはっは。何だこれ? あり得ないだろう? 嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だろ嘘だっっーーーー」
魂の奥底から叫び続けてそして地面を何度も何度も殴る。
手から血が出てくるが気にせず殴りつづける。
そして喉は枯れてしまい、腕は動かなくなってしまった。
それでも壊れたカセットテープのようにつぶやき続ける。
俺はやがて疲れてしまい、いつの間にか寝てしまった。