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その二



 ヴィルヴェルとの会話を思い出し、ツェルは陰鬱な気分になりそうになるのを必死に堪えながら溜め息を吐く。

 元の世界に帰ることはできない――そう断言されたに等しいヴィルヴェルの言葉が、何度もツェルの頭の中で反芻されていた。「くそっ」と毒づき、窓枠を叩く。


 ――……何処にいるんだよ、ロイ。


 嘗て幾度として戦場を共にした親友のことを思い出し、ツェルは窓の外――その遥か地平線を彩る黄昏を睨みつけた。

 そしてもう一度ヴィルヴェルの言葉を思い出した。この世界から脱出できない――そう断じた後にヴィルヴェルが告げた、唯一の脱出の方法。


『脱出の術を知るのはリヴェレム領王のみじゃろう。しかし、領王の城の門は固く閉ざされ、その門を開けるには、領王に任命された守護者――黄昏領の各地に座す四柱(フォーピュラー)を倒す必要がある。つまり……領王に面通りするには、魔物の跋扈する黄昏領を巡る必要があるのじゃ。当然ながら、その道は困難を極める。これまで何百何千という外来者――贄者(オプファー)たちが挑み、そして散っていった……もし本当にこの黄昏領を脱しようと言うのであれば、心せよ、人の子らよ』


 魔物が跋扈する広い領地を歩き回り、守護者と呼ばれる存在を倒し――その上で、領王に面会する……など、言うには簡単だが、果たしてそこまで辿り着くのにどれほどの時間がかかるのだろう。考えるだけで気が遠くなる。

 でも、やらねばならないだろう。

 それ以外の選択肢は、ツェルには存在しなかった。

 安いベッドの上に脱ぎ捨てたコートと、外していた剣帯に手を伸ばそうとした――その時だ。

 部屋のドアを叩く音が聞こえた。来客らしい。一瞬無視しようかと思ったが、「ツェルヴェルクさん」と呼ぶ声に聴き覚えがあったツェルは、仕方ないと言う風に髪を掻き回しながらドアに向か――おうとして、改めてベッドに投げていた剣だけを手に取る。

 ツェルとしては、万が一の可能性は無視できない。此処は異邦の地であり、来訪者も一度顔を合わせただけだ。

 警戒しない理由は、特に思いつかなかった。鞘に納めたままの剣を手に、ツェルは改めて部屋のドアを開ける。ドアを開けた先には、ちょこんと小柄な人影――ツェルたちをヴィルヴェルの下へと案内した少女、ヘクトがいた。

「何か用か?」ツェルは少女を見下ろしながら尋ねる。すると彼女は呆れたように嘆息一つ漏らした。

「まずは手にしている物騒な代物をしまっていただけますか?」ツェルの手にする剣を目にしながらそう言うヘクトの手には、オークに向けて魔術を放った短杖が握られており、その先はしっかりとツェルに向けられていた。

「なら、君もその危ない杖をしまってくれるかい?」

「貴方が剣を引くのなら」

 淡々と告げるヘクトの言に、ツェルは渋々と剣を鞘に納める。最も、何かあった場合即座にベルトに備えている短剣を抜ける程度の気構えではいたのだが、

「小物のほうも遠慮願えるでしょうか?」

「……降参だ」

 見透かすようなヘクトの追撃に、ツェルは両手を挙げて負けを認めた。そうすることで、ようやくヘクトも手にしていた短杖をしまうと、彼女は淡々と口を開く。

「貴方に少し、お話しておきたいことがありまして」

「できれば楽しい話が聞きたいな。此処に来てから碌なことがないんだ」

「残念ですが、ご期待にはそえません」

 冗談半分で言ったのだが、ヘクトは実に申し訳なさそうに眉尻を下げた。そんな反応をされては、逆にこっちが申し訳なくなってしまうじゃないか、と心の中で苦笑しながら、ツェルは小さく肩を竦める。

「……まあ、正直碌でもない話だろうとは思っていたよ」

「参考までにお聞きしておきますが、どうしてそう思われたのですか?」

「会って間もない人間の所にやって来る理由なんて、それくらいしか思いつかない」

 率直な感想を口にしてみたのだが、実際のところそんなものだろうなとツェルは思う。これがあの王子な友人であったなら「一目惚れでもしたのかな?」とのたまいそうだと、想像の中のことなのに笑ってしまう。

 それくらい、懐かしい記憶だからだろうか。

 ――莫迦な奴の莫迦な発言も、それなりに思い出深いってのは……喜ぶべきことじゃないんだけどな……。

 そこまで考えて、自分の思考が脱線していることに気づき我に返ると、不思議そうにツェルを見上げるヘクトの視線があった。誤魔化すように咳払いをして、ツェルは改めてヘクトを向き直る。

「で、話というのは?」

「はい。ですが、その前に一つ質問を」

「なんでもどうぞ」ツェルは微苦笑しながら応じた。ヘクトは「では、遠慮なく」と前置きを一つしてから、平坦な声音で問いを投げた。

「貴方が最初に出会った彼らは、貴方を含めて何人でしたか?」

「何?」

 問われると同時に、ツェルは眉を顰める。質問の意図は不明だ。そもそもそんなことを尋ねる意味が、ツェルには判らなかった。


 ――だが。


 そう考えると同時、ツェルの思考はヘクトの問いに対しての答えを模索していた。

 あの廃墟の情景を最初に思い浮かべ、続いて自分の立ち位置を確定させる。

 最初に言葉を交わしたのはローウッド。

 続いていきなり切りかかって来た傭兵、ガイアス。

 壁際に立ちながら一同を見回し笑みを浮かべていたのは、異様に目立つ容貌をしていた魔術師の女。

 他の面々を威嚇した女騎士と、彼女に守られるようにしていた巡礼者。

 痕はオークの出現を示唆した頭巾の男。

 そして――最後にオークに殺された名も素性の判らぬ、男女三人。

 それらすべてを数えると――

「……十人だ」

「それは確かですか?」

 即座にヘクトが確認するように尋ねる。ツェルはもう一度あの場にいた面々のことを思い出して数え直すも、やはり数は変わらない。

確信を持って、ツェルは再び首を縦に振った。

「間違いない。あの場にいたのは、俺を含めて十人だ」

「そう……ですか」

 そう言葉を口にするヘクトの表情には、確かな落胆の色があった。たかが人数を聞いただけで、どうしてこうも気を落とせるのだろうか? そんな疑問を抱くツェルだったが、その答えはすぐにヘクトから齎された。

「貴方は、何故私があの場所に現れたのか、疑問を抱いていないのですか?」

「何? ああ……言われてみればそうだな」

 ヘクトの言葉に、ツェルはああ、と言う風に頷いた。指摘されたこの瞬間まで、そのことを不思議の思わなかったことが可笑しいくらいだ。考えてみれば、確かにヘクトがあのタイミングで現れたのは変だ。

 まるで出てくる機会を窺っていたのか、あるいは――事前に自分たちの来訪を知っていたのか。

そこまで考えたところで、ヘクトが口を開く。

「貴方方のいた廃墟は、『鐘楼塔』と呼ばれている場所です。そしてその名の通り、あの場所には遥か昔から鐘が設置されているのです」

「へぇ……気づかなかったな。でも、それがさっきの話と何の関係があるんだ?」と、即座に切り返すツェルに対し、ヘクトは抑揚なく告げた。

「贄者たちがこの黄昏領に現れる際――鐘は贄者たちの訪れを知らせるように鐘を鳴らすのです。人数分を、きっちりと」

「なるほど」ツェルは納得した。

 つまり、ツェルたちのような外界の人間がこの世界にやって来るたびに、彼女の言う『鐘』がカルケルにまで届くのだろう。その音が――即ち贄者たちの来訪を知らせる音が聞こえたから、案内役であるヘクトが来た、ということらしい。


 ――いや、でも……


 わざわざそんなことを説明するためだけにこの少女がやって来た――とは考えにくい。

 そう言えば、ヘクトは先ほど自分にあの廃墟――鐘楼塔にいた、自分(ツェル)を含めた人数を思い出して欲しいと言った。


 ――まさか……。


 嫌な予感が過ぎり、ツェルは弛緩していたはずの眉間に再び深い皺を浮かべ、苦笑い。腹の底から湧き立つ、ドロドロとした気持ちの悪い感覚を必死に押し隠しながら、それが表情に出ないように意識しながら口を開く。

「……なぁ。参考までに訊くが、俺たちが来た時……鐘は何回なった?」

 尋ねると、ヘクトの双眸が僅かに見開かれた。そして感心した様子で目元を緩める。「……思った以上に頭の回転は速いようですね」と皮肉にも取れる褒め言葉は黙殺した。

 押し黙るツェルの様子に、ヘクトはたじろくこともせず、また困惑することもなく――そして、躊躇うこともなく答えを告げる。


「――九回です」


 ――性質の悪い冗談……だったら良かったのだが。

 告げたヘクトの表情から、誤魔化しや出鱈目の気配はなかった。

 だからこそ、ツェルは深い溜め息を吐いて天井を仰ぎ見る。

「つまり……こういうことか? あの場にいた者の中で、一人だけ違う奴――招かれざる人間がいる、と?」

「概ね、その通りです」肯定した後、ヘクトは短く「正確には招かれていない――ですが」と訂正するが、それは些細なことだろう。

「一応聞くけど……判るか?」

「残念ながら」

 ヘクトは静かに首を振る。正直なところ、その返事は予想していた。知っていたのならば、最初から回りくどい聞き方はしないだろう。

 頭がどうにかなりそうだった。

どうしてこうも次々と厄介ごとが舞い込んでくるのか。何か悪いことでもしたのだろうか?

 ――俺はただ、人を探していただけなんだけどなぁ……ああ、そうか。その莫迦のせいか。

 途方に暮れた果ての現実逃避は、すべての元凶は親友(やつ)にあると結論付けた。やはり是が非でも見つけ出して酷い目に合せなければ気が収まらないな、とどうでもいいことを考えながら、ふと気になってヘクトへ向き直る。

「……どうして俺に、そんなことを教えたんだ?」

 それは至極当然の疑問だった。

 確かに、彼女の言うことが全面的に真実なのだとしたら、鐘の音の回数と現れた人間の数の不一致は気になることだろう。

 だが、もしツェルが彼女の立場だったら、現れた新参者たちに確認を取った上で情報を開示する――ということはしない。せいぜい「少し気になっただけ」と言って誤魔化しただろう。

 実際、話の内容自体はそれで誤魔化せるものだった。

 だと言うのに、それを少しも隠そうとせず――とツェルは思っている――見ず知らずの相手に教えるなど、何か裏があると思われても仕方がないことだろう。

「貴方は信頼に足る人物だと判断したからです」

「いや、だから……その根拠はなんだ?」

 淡々と告げら得た言葉に、ツェルは少女の思惑を看破しようとするように視線を鋭くし、ヘクトを見下した。射抜くような視線を向けるツェルに対し、少女は冷ややかな眼差しで睥睨したのち、こう言った。

「貴方がユミルの騎士で、ツェルヴェルクだから――です」

「はい?」

 率直な話――意味が判らなかった。


 ――俺がユミルの騎士で、ツェルヴェルク(おれ)だから?


 まるで何かの謎かけである。

 ツェルが目を白黒させていると、ヘクトはもう用はない――とでもいう風に「それでは、ご武運を」という一言を残して踵を返した。「おい!」と慌てて呼び止めようとしたが、すぐに断念する。

 呼び止めたところで、どうにも上手い引き留め方がすぐに出てくるとは思わなかったからだ。

 代わりに壁に背を預け、苛立ちを抑えるように前髪を摑む。

 親友を探して旅をしていた。そのはずだった。

 気が付いたら、見知らぬ場所で倒れていた。そしてその場所はなんと、おとぎの存在だと思っていた伝説の地、黄昏領だった。

 この世界から元の世界に帰る手段は一つ、この地の領主に会うこと。

 一人ではまず、不可能だろう。ならば誰かの手を借りる以外ない。そして、借りれそうな人手と言えば、今日共にこの世界にやって来た面々――と思っていたのに。

 この世界に訪れた人間の数は鐘の音が知らせてくれる。その鐘の鳴った回数は九回――対して、あの場所にいた人数は……十人。

 一人、そうではない人間が紛れている。

 それが誰かは判らない。

 ついでに言えば、そんなことをした理由も判らない。

 何を企み、何を目的としているのかも不明。

 だが、そんな何を考えているのか判らないような()と組むかもしれない――なんて考えた瞬間、ツェルはどうしようもなく自分の現状を悲嘆する。正体も目的も判らない相手と同道すると言うのは、無防備な背中をさらしているようなものだからだ。もし相手の狙いがこちらの命とかだったら、それこそ目も当てられない。


「……冗談じゃないぞ」


 誰にともなく毒づいた。そうでもしなければ、やっていられないからだった。

 本来の自分は、こんなわけもわからない場所(せかい)に囚われる身でも、ましてやあてどない旅をして何処にいるともしれない相手を探す放浪者でもなかったはずなのだ。

「……お前の騎士であれれば、それでよかったんだぞ。ロイ」

 悔しさを滲ませながら、ツェルはそう小さく零した。

 だが――

 仕える主君(ロイシュタット)のいない騎士(ツェルヴェルク)など、最早騎士ではない。

 どれだけの信念を抱こうと。

 どれだけの忠誠を掲げようと。

 それは意味のないガラクタに過ぎない。

今のツェルは何処にでもいて、だけど誰も気に留めることのない、何者でもない誰か(ノーボディ)に過ぎなかった。









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