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二幕 『黄昏領』

   


 ――クレヴスクルム。別名、黄昏領。

それは子供でも知っている、今ではお伽噺の一つとして知られている異邦の地の名である。

その場所を知る者は誰もいないながら、様々な口伝によって世界各地に広がり、いつしか伝承のみが世界中に伝わっていた。

現世と幽世の狭間に存在するとも言われており、その地に赴く方法はただ一つ。黄昏領の領王リヴェレムに選ばれること。

 リヴェレムとは、かつて栄華を極めたクレヴスクルム領の王で、魔物の大軍を退けた英雄にして魔術師として知られている。

しかし今わの際、その膨大な魔力によって行使された魔術で自らの領地を巻き込み、領土共々世界から姿を消した――と云われている。

 勿論、その真偽は定かではなかった。

 所詮はお伽噺。実在に存在したものではなく、誰かが生み出した空想上の物語だと――ずっと思っていたのだが。

 ――まさか自分がその黄昏領にやって来る日が来るとな……。

 勿論、それがあのヘクトと名乗った少女の言葉を信じるならばの話だが……実際のところ、ツェルはこの場所がクレヴスクルムであることを痛感していた。

 いや、させられた――というのが正しい。

「終わることのない……黄昏か」

 お伽噺に聞くその言葉。それがなんらかの比喩ではなく、言葉通りの意味だとは思わなかった。

 黄昏は昼と夜の狭間の時間だ。黄昏を迎える前の空は青く、そして黄昏を終えた空は帳へと染まる――それは誰だって知っている朝と夜の経過である。

 しかし、この地にはそれがない。

 ずっと、ずっと黄昏のままだった。

 朝日が昇ることもなく。

日が沈むこともない。

頭上に太陽が光ることもなければ、星と輝く月が夜の空に煌めくこともない。

あるのは、夕日が射したような永劫の黄昏だけ。

時間の間隔が早くも狂ったように感じ、ツェルは空の色を見上げながら嘆息した。そして眼下に広がる後景に目を向け、うんざりするように言った。

「……すげーうるせぇ」

 取り敢えず取った安宿の階下。そこには酒の入った杯を手に、騒然と酒盛りをする傭兵たちの姿があった。


      ◇◇◇


 ――カルケル。

それがクレヴスクルムの南部に存在する、人類唯一の生存域である。

古い言葉で牢獄を意味するその街は、荒廃の色濃かった風景とは一変して喧噪としていた。巨大な城壁の如き防壁に設けられた一つの門を通った先に広がっていたのは、まるで大都市の市場のような、目を見張るような人の波があった。

「こちらに」

 と案内するヘクトについていかねば、一瞬で彼らの波にのまれて流されていただろう。そうなれば、一瞬で迷子になることは避けられなかっただろう。というか、

「ああ!? ラドリアンヌ様がいない!」そう叫んだのは、あの巡礼者に寄り添っていた女騎士である。素っ頓狂な声を上げた女騎士に全員が視線を向けると、彼女と共にいたはずの巡礼者の姿がなかった。

 どうやら少し目を離したすきに居なくなったらしい。

 目に見えておろおろし始めた女騎士に、ローウッドが気のない口調で言った。

「あのおねーはんやったら、ついさっきそっちの道に入っていかはったで?」

「何故それをすぐに言わん!」

 叫ぶや否やオーウッドを殴り飛ばすと、女騎士は「ラドリアンヌ様ぁぁぁ!」と叫びながらローウッドの指差した方へと一目散に走って行った。

「り……理不尽や」と地面に倒れたローウッドが呻いていたので「そこはすぐに言えよ」と苦言だけを投げておく。そして帰ってきた巡礼者が串に刺さった肉を手に頬張っていたのを見た時にはもう、何かを忠告するのも阿呆らしくなった。

 どうやらそれは他の面々も同じらしく、誰もが呆れの視線を巡礼者に向け、同時にそんな巡礼者の身辺警護を務めているのであろう女騎士に同情した。

……といった具合に実際迷子になった者もいたのだが。

 どうにかこうにかしてヘクトの案内で辿り着いたのは、周りの住居に比べても一回りほど大きな一軒の屋敷だった。

 ヘクトは屋敷の玄関先で立ち止まると、ツェルたちを振り返って言う。

「こちらで、貴方たちの陥った状況を説明してくれる方がいます。まずはその方にお会いください」

 淡々と告げるヘクトの言葉に、一同が目を瞬かせた。ツェルは渋面を浮かべながら尋ねる。

「……一体どんな奴が此処に住んでるんだ?」

「……」ツェルの問いに、ヘクトは言葉を濁して僅かに思案するように目を伏せた。が、次の瞬間には何事もなかったかのような冷ややかな眼差しと共に言った。

「……我々は彼の者を『首魁(ドゥーチェ)』と、呼んでいます」

 そして、それ以上は語ることがない――とでもいう風にヘクトは一礼すると、黙って屋敷の扉を開き、そして奥へと姿を消していった。

 ――……此処に来て放置ってのは、随分と斬新だな。

 最早姿の見えなくなったヘクトの姿を幻視しながら、ツェルは内心そんな風に毒づいた。そして口元を僅かに曲げて不敵にほほ笑み――そして一歩前へ踏み出す。

 この先に誰がいるのかなんて、ツェルには関係なかった。

 問題なのは、いつまでもこんな場所(クレヴスクルム)に居続けることのほうだからだ。ツェルは、こんな異邦の地に留まってはいられない理由がある。

 ――なんだって構うものか。これ以上の足止めは御免だ。

 ぎぃぃ……と軋む音も気に留めず、また「ツェ、ツェルヴェルクはん!」と呼び止める声も気にせず屋敷に踏み込む。

 そして踏み込んですぐ、ツェルはその建物に違和感を覚えた。というのも、玄関から入ってすぐに設けられた、その異様な広さを持つ広間がそう感じさせたのだろう。

 あるいは――。

 広間の奥に存在する、屋敷の中とはとても思えない――まるで城門のような巨大な鉄扉の存在感故なのか。

 ――なんだ、あの扉?

 注意は眼前の扉へと収束する。何故屋敷の中に、あのような重い鉄製の扉が存在するのだろうか。そしてもし、それが必要だと言うのなら、その理由は何か……

「……随分と広いじゃねーか」

 低い――まるで獣のような唸り声が背後から。ガイアスがツェルに続いて屋敷に足を踏み入れたらしい。

彼は周囲を探るように鋭い視線を巡らせていた。同時に気配を探っているのだろう。張り詰めた空気が彼から発せられている。それが僅かにツェルを打ち、同調するように自然と剣に手が伸びた。

 少し遅れて、他の面々も屋敷の中に足を踏み入れ――腰の引けたローウッドが最後に足を踏み入れると同時、玄関の扉が勢いよく閉じられる。

「ひえっ!?」情けない悲鳴を上げたローウッドが害虫を彷彿させるような動きで床を張って間近にいた魔術師の女の足にしがみつき――文字通り一蹴された。「ぶげらっ!」と苦悶の声を上げながら床を転がるローウッドに「うるさい」と一言投げようとした時だった。

 

ぐるる……


 と、低い音が鳴った。

 全員の視線が、一斉に音源へと向かう。

音は、あの分厚そうな鉄扉から洩れていた。

 いや、むしろさっきのは音と言うよりも……

「……唸り声、なのか?」

 女騎士が疑問を口にする。そしてその言葉には同意見だった。先ほどのあれは、まごうことなき唸り声だろう。ツェルにもそれは容易に想像できた――それがなんの唸り声であるかまで。

 同時に、ぎぎぎ……と鉄扉が軋むような音を上げる。閉じていた扉がゆっくりと開いていくのが見え――ツェルは固唾を呑んだ。

 ――ああ、うん。あれか。今日は厄日なのか?

 なんて呑気なことを考えたのは、単なる現実逃避だろう。だが実際のところ、状況は危機的なのかそうでないのかの判断がつかないのも事実だ。

 背後で金属の擦れる音がした。恐らくは誰かが得物に手を掛けた音だろう。不明瞭な状況に置いて、それは自然な流れだ。しかしツェルは手を伸ばさなかった。

 本来ならばツェルも腰の剣に手を伸ばすべきなのだが、脳裏に父の言葉がチラついた。それが混乱しそうな思考に僅かな冷静さを取り戻させる。


『――そう畏れるな、人の子らよ』


 開かれつつある扉の向こうから響いた――というよりは、まるで頭に直接響くようなそんな言葉だった。

 そしてその声は少年のようであり、老人のようであり、少女のようであり、老婆のようにも感じられる不思議な声音だった。そしてそんな声音から発せられた言葉は、まるで流水の如くツェルの全身に浸透するような、ただ発せられるだけで耳を傾けてしまうような不思議な雰囲気を孕んでいた。

 気を抜けばその場で跪き、剣を掲げてしまいそうな威厳を放つ――まるで自分の主君のような気配。それに抗いながら、ツェルの視線がしっかりと正面を貫く。

 と同時に、鉄扉が開かれる。

 そして、その気配の主が現れた。

「……なんてこった」

 その姿を見た瞬間、ツェルは睨めつけるように鋭く細めていた眼を丸くする。

「……おいおい」と、ガイアスが呆気に取られたような声を漏らしていた。が、そこから言葉が続かないらしく、彼は驚愕、戸惑い、敵意に畏怖など、様々な感情の入り混じったような奇妙な表情を浮かべている。

そして、声を発せられたのは彼だけだった。

他の者は声を上げることすらできず、現れたこの屋敷の主――首魁と呼ばれる存在を見上げて絶句している。唯一の例外は、奥のほうで女騎士に守られている巡礼者が「あらあら。すごいですねぇ~」と呑気な声を上げていたことくらいか。

 ツェルは嘆息しながら首魁を見上げた。

 ――畏れるなとこいつは言ったが、正直な話それは不可能に等しいことと言えるだろう。

 何せ、ツェルたちの目の前にいる首魁は、人ではないのだ。

 かと言って、亜人(デミヒューマン)というわけでもない。

 もし人が首魁の姿を見たのならば、百人中百人が同じ回答をするだろう。

 嫌悪と敵意の念を込めて――魔物、と。


 あるいは、畏怖と畏敬の了念を抱いて――竜、と。


 ツェルたちの目の前にいるのは、まさにそういう存在だった。

 あの廃墟で出会ったオークほどではないにしても、充分に見上げるほどの長身な体躯。

長い首。金色の鱗に覆われた長い胴体。緩やかにしなる長い尾。

 鋭い鉤爪を要した腕に、鮮やかな鬣。そして蓄えられた髭に、爛々と輝く蒼い双眸。

 二足で立つ姿でこそあるが、それは間違いなく首長の竜と呼ばれる存在に他ならなかった。

 その力は一体どれほどのものなのか。挑んで勝てる見込みは――まずないだろう。

相手は竜だ。人間が挑んで勝てる可能性は皆無である。そして、ツェルは竜殺し(ドラゴンキラー)ではない。ただの――ロイシュタットの騎士だ。

 だから竜に挑むような無謀はしない。

 意を決して、ツェルは一歩前へと踏み出した。

「……アンタが首魁なのか?」

『いかにも。妾がこのカルケルを治める首魁――ヴィルヴェルである』

 ツェルの問いに、竜――ヴィルヴェルが名乗った。ツェルは意外な竜の態度に僅かに呆気に取られるが、すぐに我に返ると態度を改め、ヴィルヴェルに向けて恭しげに頭を下げた。

「失礼をお許しください。私はユミル王国の騎士、ツェルヴェルク・ラインと申します。カルケルの首魁よ、以後見知りおきを」

『ほう……ユミルの』ツェルが名乗ると、ヴィルヴェルは興味深そうにその瞳を細めた。

「如何しました?」ツェルは面を上げて尋ねると、ヴィルヴェルは『いいや、気にするな』とかぶりを振った。その仕草がとても人間臭くて、ツェルは口元に微笑を浮かべてしまう。

『よくぞ参られた――というのも可笑しなものだろう。お主たちは望んでこの地へ参られたわけではないのだからな』

「その通りです、ヴィルヴェル殿」

 ツェルは率直に同意する。ヴィルヴェルの言葉通り、少なくともツェルは意図してこの地を訪れたわけではない。

「私はこの地がどのような土地なのかは存じません。しかし、この地を狙っているわけでも、略奪を望むつもりもありません」

『もとよりそんな疑いは抱いておらぬ。そのことに関しては、安心してよい』

 諭すように告げられるヴィルヴェルの言葉に、ツェルを始め多くの者が安堵の吐息を漏らした。そんな彼らを睥睨した竜は、くつくつと忍び笑いを漏らしながら言う。

『そもそもに、この黄昏の地に自ら望んで来る者は一人としておらぬ。この地に人が訪れる理由は一つ――この地の領主、リヴェレム王に選定されたが故じゃ』

「……選定、ですか?」

『左様』と、ツェルの疑問に竜が頷く。『お主らは、この黄昏領が生まれた理由を知っているか?』

「お伽噺程度には……」と言いながら、ツェルは皆を振り返った。一同を見回すも、誰もが口をつぐんでかぶりを振る。ということは、皆知っていることはその程度――ということだと理解し、ツェルは改めてヴィルヴェルを見上げて頷いた。

『で、あろうな』とヴィルヴェルも鷹揚に首を縦に振る。

『すべては、領王の強すぎる信念の具現である。己が領地を守ろうと言う、その確固たる意志の……その具現こそが黄昏領』

「……そのリヴェレム王の信念とは、なんだったのですか?」

 間延びした声が響く。声の主はあの巡礼者の女性だ。彼女はその細い指を口元に当てて、不思議そうに首を傾げていた。

 その何処か緊張も緊迫感も欠いたのんびりした様子に思わないところはなきにしもあらずだが、実際その疑問はもっともなものだった。

 故に、ヴィルヴェルも応じた。

『単純にして明快。即ち――領地を守ること。黄昏領とは、その願いの結果である』

 粛々と告げるヴィルヴェルの言葉に、ツェルは納得したように吐息を漏らし、

「かつて英雄の手によって栄え、そして――英雄の手によって、世界から葬られた……か」

 昔聞いた、伝承の一節を思い出した。そしてヴィルヴェルの語りを聞けば、其処にどのような願いがあったのかは想像するに容易い。

 おそらく……領地を守ろうとした――ということなのだろう。それこそ、己の領地を世界から消すことになったとしても、だ。世界と隔絶されるという形を取れば、少なくとも他領・他国からの侵略に脅える心配はないだろう。

『しかし、領王の願いが実を結んだとは言い難かった。巻き込まれた領民は混乱し、また強力な魔物が領地を跋扈し始めた。そして領王は城の門を閉ざし、他者の来訪を拒むようになった……』

 言って、ヴィルヴェルが目を伏せる。語る姿は何処か哀しげで、寂しげでもあった。そんな竜の悲嘆にくれる姿に自然閉口する面々の中、恐る恐るといった様子でローウッドが前へ出る。

「……そんで、ヴィルヴェル、はん……でしたか? わいらが知りたいのは此処の領王はん? のことよりも――」

『どうすればこの世界から出られるか? であろう?』

 ローウッドがすべてを語るよりも早く、ヴィルヴェルが言葉の先を引き継いで苦笑を漏らした。そして、竜は僅かに(こうべ)を垂れて、

『それに関しては、妾はお主らに謝らねばならぬ』

 そう告げた。

 同時に嫌な予感がし、ツェルは眉を顰める。それはツェルだけに留まらない。なにせ、ヴィルヴェルの謝罪こそが、ツェルたちの望みがかなわぬことの示唆する言葉であることは、容易に想像できたからだ。

 そしてそんなツェルの予想を確証づけるように、ヴィルヴェルは言葉を続けた。

『この黄昏領から脱する術を、妾は知らぬ――知っている者がいるとすれば、それはただ一人じゃ』

「……一応お尋ねしますが……それは誰ですか?」

 どうにか絞り出すことに成功したツェルの問いに、ヴィルヴェルは目を伏せながら答える。

『この黄昏領の領王――リヴェレムじゃ』



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