幕間 『四年前』
戦場の近くには、自然と人が集まる。そしてそんな場所にやって来る商人は、戦地に赴く人間の懐を狙っている飢えた獣のようだ……と、誰かが例えていたのを思い出しながら、ツェルヴェルクことツェルは目の前に商人を見据え――果たしてこの男は飢えた獣なのか莫迦なのかを考えてみた。
「おやや。あんさんは騎士かいな?」
「……そうだ」
奇妙な訛りのある商人の訝しむような視線を受けたツェルは、僅かに眉を顰めながら頷いた。そして、頷きながら糸目の商人が広げる商品に目を向ける。
大した物はない――というか、そもそも並べられている商品には一切の規則性も統一性も存在しないように見える。まるで荷の中から手当たり次第に引っ張り出したか、荷物をひっくり返してそのまま広げているのかの二つに一つ、というのがツェルの感想だった。
それだけ見れば、この男は莫迦の類なのではないかと思ってしまうのだが、実は莫迦の皮を被った獣なのでは? という警戒心が何故か失せない。
「騎士ちゅーわりには随分若いように見えるけど、あんさん歳は幾つや?」
「それはアンタの商売に関係あるのか?」ツェルがため息交じりにそう返すと、商人は「関係はあらへんなぁ」と苦笑いをする。
「強いて言うなら、わいが興味を持ったちゅーくらいや」
「なら答えてやる義理もないよな?」
にやり、と口元に笑みを浮かべて肩を竦める。すると、商人は苦笑したように僅かに口の端を持ち上げながら、大仰に言った。
「あんさん、きっついなー。そないやと女性にモテへんで?」
「モテなくても結構だよ」
ツェルは慇懃に応じる。と同時に、かすかだが周囲の人たちがざわつき始めているのに気づいた。視線を巡らせてその原因を探り――そしてその理由を悟る。
此方に向かって歩いてくるのは、傭兵の集団だった。
それぞれがそれなりの装備を身に纏い、周りを威嚇するように往来を我が物顔で歩いている。そして周りを威嚇するだけならまだしも……
「邪魔だ、道を開けろ! 誰のおかげでお前たちが安全に生活できているのか判ってるのか?」
ある者はそんな声を上げ、またある者は近くにいたわざわざ遠巻きに見ていた人に絡んでいる。中にはこれ見よがしに得物を抜いて脅している者までいた。
……はた迷惑な奴らだ。そう思いながらツェルはもう一度承認を向き直り、尋ねる。
「あいつらのことを知っているか?」
「そらもちのろんや。けど――」
「無料では教えない……か?」
「その通りや」と、商人は満面の笑みで頷いた。ツェルは「良い性格してるよ、アンタ」と嘆息しながらコートのポケットから硬貨を取り出し、それを放り投げる。
「おおき――」商人は硬貨を受け取って確認すると、息を呑んだ。「あんさん、これ……」商人は糸目を見開いてツェルを見据えた。
対してツェルは「見合う情報をくれることを期待しているぞ?」と口元に笑みを浮かべる。
ツェルが男に投げ渡した硬貨は、ユミル王国で使われているものの一つで、ユミルのみで採掘できる希少金属シルヴァンスを用いた硬貨で、シルヴァンス硬貨と通称されているものだ。硬貨の価値はそれぞれ流通している国によって変わるが、ユミル王屋内であれば、シルヴァンス一枚で普通に暮らしても三カ月は働かなくてすむ――それくらいの価値のある硬貨である。
それをひょいと投げ渡された商人は、忘我した様子でツェルを見上げ――やがて困ったように苦笑して見せた。
「こりゃ参ったわー。あんさん気前ええなぁ」
「見合う情報くれなかったら倍で返してもらうがな」
「ちょ! そらないわ!」焦り出す商人に、ツェルは嘆息を返しながら言った。
「とりあえず、なんでもいいから知っていることを教えてくれ」
ツェルの言葉に、商人は僅かに視線を傭兵たちへと向けながら口を開く。
「――まあ、ゆう程わいもあん人たちのことは知らんのやけど……どうやらあの〈狂戦士〉と組んでいるちゅーことで偉そーにしとるみたいやで?」
「〈狂戦士〉……ね」
異名だけならばツェルも聞いたことがあった。戦と言う名がつく場所であれば如何なる遠方からでも馳せ参じ、身の丈ほどある剣を手に屍の山を築き上げる屈強の戦士。
「そんでもってその〈狂戦士〉ちゅーのも、今回の討伐作戦に参加しとるようやで」
「で、あいつらはその腰巾着ってわけか」
「そーゆーことらしいわ」
「他に何か面白いネタはあるか?」
「そうやなぁ……」
商人が考え込むように顎に手を当たる。そして考え込むこと数秒。商人はふと思いついたように口を開いた。
「……最近、あっちこっちで人が消えるっちゅー噂を耳にしたことがありますわ」
「……人が消える?」
「せや。ある日突然ぱっといなくなるそうや。神隠しっちゅーやつやな」
「……信憑性はあるのか?」訝しむようにツェルが問うと、「どうやろな。わいもこの目で見たわけやありまへんし」と、商人は苦笑いを浮かべた。
「あと、そないして人が消える少し前、その人の近くに魔女が現れたそうやで?」
「神隠しに魔女ね……噂話にしても薄っぺらいなぁ」
「わいもそう思いますが、これで結構ないろんな場所でおんなじ話を聞くねん。少なくとも、わいは此処に来るまでにいろんな場所転々としとったけど、誰かしらがこの話をしとる……せやから、必ずしも噂とは言い難いものもあるやろ?」
言われて、ツェルも男の言いたいことが判った。確かに一つ処での酒飲み話なら、気にも留めないだろう。しかし、似たような話を行く先々で何度も聞いたら、少なからず怪しむのは道理だ。
納得したように首肯するツェルに、商人もまた同調するように笑みを深めた。
「あんさんも、見たところなかなか腕に覚えのある騎士のようやけど、気ぃつけとき? ああいう連中だけやのーて、なんにしても世の中はぶっそうやからなぁ」
にかっと笑う商人の様子に呆れつつ、ツェルは肩を竦めながら「……まあ、俺よりも先に気を付けるべきはアンタのほうらしいけどな」と言って僅かに視線を横に動かした。
商人がつられてその視線を追うと、その顔色が一気に青くなる。「あかん!」と小さく悲鳴を上げるや否や、商人は広げていた荷を掻っ攫うようにして腕に抱き抱えると、ツェルも驚くような速度でその場を走り去る。
そしてその後を「待てや、こら!」「金返しやがれ!」「うちのツケを踏み倒せると思ってるのか!」などという罵声と、共に数人の屈強な男たちがツェルの前を駆けて行った。
土煙を残して姿が見えなくなった頃、ツェルは厳かに嘆息する。
広がられていた商品の有様と、追っていた男たちの科白からして、あの商人が何をやらかしたのかは想像に難くない。
「生き延びれると良いな」
姿など疾うに見えなくなった商人に向けて、ツェルは他人事のように言った。実際、他人事だけど。
そんなことを思いながら、ツェルは踵を返して駐屯地へ戻るのだった。