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一幕 『目覚め』


 ……ーん……ごーん……


 と、何処からか鐘の音が聞こえた――ような気がした。

 ばちんと、まるで鞭打たれたような感覚と共に、ツェルの意識が覚醒する。それはとてもでないが、気持ちのいい目覚めとは言えなかった。むしろ随分と暴力的な覚醒だったと言えるだろう。

 開かれた双眸が捉えた視界の先。最初に映ったのは、薄暗い中で微かに確認できる石造りの天井だった。そして、その天井に見覚えがない――という考えに至ったのと同時、飛び跳ねるように身体をお越し、ツェルは殆んど反射的に右手を左の腰に伸ばした。

剣帯に結ばれている剣に手を掛け、ツェルは辺りを警戒するように視線を巡らせる。二呼吸分の警戒――辺りに敵意がないことを把握してどうにか剣から手を離し、

「……はぁぁぁ」

 安堵するように溜め息を吐いた。気を失っていた時間がどれ程だったのかは不明だが、それでもそのわずかな時間の間に敵に囲まれていたとしたら――そう考えると、ぞっとする。

 しかし幸か不幸か、それらしい気配は近くに感じられなかった。

 そのことに安心するのだが、それも一瞬のことだ。ツェルは立ち上がりながら改めて周囲を見回した。

 見覚えのない建物だ。薄暗いためによく判らないが、随分と古い物のように思える。

 煉瓦――と思ったが、違った。切り崩した石を積み重ねたらしい四方の壁はところどころ崩れている。そして先ほどまでツェルが横たわっていた床は随分と埃にまみれている。

 左右と背後は行き止まりで、まるで進むことを促すように一本道が目の前にあった。

 ――ものすごく、嫌な予感がするな……

 そう思いながらも、ツェルの逡巡は一瞬だった。と言うよりも、迷っている意味がないのだ。

 どの道、こんな行き止まりのような場所にいつまでも留まっているというわけにはいかない。ならば、するべきことは危険を承知で進むのみだった。

 歩を進めながら、ツェルは腰の剣を抜こうとして――剣の柄に手を添えるだけに留める。

「『――むやみに剣を抜くな』……か」

 子供の頃父親に言われた言葉を思い出てしまい、ツェルは「はは……」と苦笑した。

 どう鑑みても、この場所は安全な場所とは言い難い。むしろ危険のほうが多そうな場所にツェルには思える。当然、不測の事態に陥った場合、即座に対処できるように剣を抜いておくほうがいいはずだ。

 そう頭では理解しているくせに、律儀に父の教えを守ろうとする自分が可笑しくて、ツェルは一人かぶりを振る。

 そして壁伝いに道を進み、広い空間に出た。おそらく数十人はいても余裕がるくらいの広間のような場所だ。

 ツェルはそこに足を踏み入れる。すると、時同じくして別の通路から人影が現れた。


「おお! 人がおった!」


 人影が嬉々したように腕を広げてツェルを見た。自分以外の誰かに遭遇したということが余程喜ばしかったのだろう。実際、ツェルも人に会えたことに安堵を覚えたのだが、突然の声のせいで咄嗟に剣に添えていた手に力が入る。すると、大きな荷を背負った人影――緑髪に糸目の男は慌てた様子で手を挙げる。

「ま、待ってぇな! わいは別にあやしい者やありません!」

「……お前は、そういう科白を吐く奴を素直に信用するのか?」

「いや、しまへん」

 ツェルの問いに、男は真顔でそう返し、一拍おいてから「――って、そないなこと言わんといてぇな!」と声を上げる。

「確かに、わいが怪しいかもしれんと思うのはしゃーないことかもしれへんけど、いきなり物騒な展開だけは勘弁やで?」

 と弁護の言葉を連ねる男は、随分と訛りが酷かった。いや、そんなことは気にしている場合でもないのだが、何処となく緊張感を欠いた男の様子にツェルは溜め息を吐く。

「……判ったから少し黙ってくれるか?」

「わいが黙っている間にすぱん! とやるんか?」

「想像力豊かだな、お前……」

 呆れ気味に眉を顰め、ツェルは剣に添えていた手を離した。

「――誰かいるのか?」

 同時に誰何する女の声が別の方向から。男二人の視線が声のする方に向いた。ツェルや男が出てきたのと同じような通路から姿を現したのは、二人組の女だった。

 一人は長い金髪に旅衣の女性。もう一人はそんな彼女を守るように剣に手を添えた銀髪の女性だった。こちらは軽装の金属鎧を各所に備えている。

 そしてその女性たちの登場を皮切りに、広間に繋がる通路から次々と人がやってきた。

 皮鎧を纏った傭兵のような男や、露出の多い法衣に三角帽を被った女。何処か人目を逃れるように顔を隠した者など、最終的にこの場に集まったのは一〇人。

 それぞれが互いを警戒するように距離を開きつつ、牽制するように視線を交錯させている。

 正直なところ、ツェルも心情としては似たようなものだ。

 ツェルにとって、この場所は間違いなく記憶(おぼえ)のない場所だ。いつどうやって来たのかも覚えていないし、そもそもこの場所を訪れる目的にも心当たりもなかった。

 だからといって、いつまでも此処にいる――というわけにもいかない。座り込んでいるのにもいい加減飽きていた。僅かに視線を動かして改めて広間を見回す。

 一目見て判るくらいに老朽化が酷い。恐らく放置されてからかなりの時間が過ぎているのだろう。廃墟と呼んで差支えない状態だ。雨風を凌ぐにはいいかもしれないが、いつまでも居座るのはごめんだ。

「どうないしたんや、あんさん?」

 ツェルが立ち上がると、近くにいたあの糸目の男が尋ねてきた。ツェルはがしがしと黒髪を掻き回しながら座っている糸目を見下す。

「此処に居たって埒が明かない。だから出口を探す」

「あてはあるんか?」

 その問いに、ツェルは無言でとある方向を指差す。そこはツェルを始め、この場にいる面々がこの広間にやって来るときに通った通路の一つだ。「そこからは誰も来なかった。なら、行ってみる価値はある」

「あんさん、よう見てたな。そないなこと、わいには思いつかんかったわ」と、感心した様子で男が細い目を見開く。

「それなら、わいも行きますわ」

「何故?」

 即座に返すと、糸目は微苦笑を浮かべながら言った。

「わいかて、いつまでもこないな場所にいたくはないんや」

「だからってついて来る必要はないだろう?」

 と首を傾げると、糸目はひょいっと立ち上がってツェルに歩み寄り、声を潜めながら言った。

「せやかて、他の面子は見るからに物騒やないか? まだあんさんと一緒した方が安心やと思うねん」

「俺もさっきお前を切ろうとしたぞ?」

「けど、切らへんかった。そのぶんだけ、あんさんは信用できる」

「安直な奴だ」

 思わず呆れてしまい肩を竦める。

「好きにしろ」

「おおきに!」

 ぱん! と男が手を叩いた。実にやかましい。すぐさま了承したのは間違えただろうかと思い直すが、すでに手遅れだった。

「わい、ローウッド・ゼムナスいいますわ。ラグニッシュ商会所属の商人ですわ」と、糸目――ローウッドは簡素に自己紹介をする。「そんで、あんさんの名前は?」と問うた。一瞬意図的に無視しようかとも思ったが、相手が名乗っているのに自らが名乗らないと言うのは騎士の矜持に反することだ。

 ツェルは溜め息を吐きながらローウッドを振り返り、「俺は――」と名乗りを上げるよりも先に、


「――知ってるぞ、てめぇのことを」


 その声は、まるで獣の唸り声のようだった。同時に凄まじい殺気が迫る。

ツェルは反射的にローウッドを突き飛ばし、振り返りながら腰の剣を鞘走らせた。

ぎゃりぃぃぃぃぃん、と金属同士がぶつかる音と共に、凄まじい重圧がツェルを襲った。上段から振り下ろされた巨大な曲刀の一撃をどうにか剣で受け止める。周りで座り込んでいた面々が驚いたように立ち上がった。

その剣戟音が響き辺りに木霊する中、ツェルはその曲刀の持ち主を睨みつける。

 それはこの広間にいた、青い髪を持つ巨躯の傭兵だった。ツェルよりも頭一つ分は高い身体に皮鎧を纏ったその男は、ぎらつく眼差しでツェルを見下ろしながら言う。

「血に染まったような真紅のコート――戦場に現れる紅い死神。血肉喰らい(ブラッドイーター)。騎士国家ユミルの騎士、〈血塗れ〉(ブラッドレッド)ラインだろ!」

「その青い髪に身の丈ほどある大曲刀……そういうお前は、〈狂戦士〉(ベルセルガー)――ガイアス・ウォーレンだな」

「ほう……!」

 ツェルが返すと、男は歯を剥き出しにして笑みを深めた。

「俺を知ってるのか?」

「知らないとでも思ったか?」

 ツェルは唾棄するように言いながら剣を傾がせた。傭兵――ガイアスの曲刀がツェルの剣を滑るようにして流れていく。流された刃が凄まじい勢いで石畳の地面を抉った。刀身が食い込み、罅割れた石畳がその威力を物語る。周りの傍観者(ギャラリー)が息を呑む中、ツェルは大きく後方に飛んで距離を開いた。

「戦と名のつく場所へなら何処へでも駆けつけて、屍の山を築く戦場狂い(ウォークライ)。何度か見た覚えもある」

「ほう、覚えてもらえていたとは光栄だ」

 言って、ガイアスは獰猛な笑みを浮かべた。その視線は鋭く、こちらの隙を窺っているのが判る。まさしく獣のような男だ。

「だが、いきなり襲われる理由が判らないな。此処は戦場じゃないぞ?」そう尋ねると、ガイアスは「ふん……」と肩を竦める。

「俺にとって、そんなことはどうでもいいんだよ。ただ、お前とは一度戦ってみたかった――それが理由だ」

 すさまじく自分勝手な理由だった。剣を向けられる側としては迷惑以外のなんでもない。ツェルは左手で顔を覆った。

「勘弁してくれ。こんなわけの判らない場所で、そんな勝手な理由で死ねるか」

「場所を変えて仕切り直しってことだな?」

「なわけない」

 何処をどう受け取ればそんな見解に至るのか。ツェルは頭痛を覚えそうになる。そんな様子を見ていたローウッドは「人の話を聞とらへんみたいやなぁ」と漏らしていた。まったく以て同感だった。

 ツェルは脱力しながら剣を鞘に納め「とりあえず、そういうのは別の時にしてくれ」とおざなりに言い放つと、ガイアスは舌打ちをしながらも渋々と言った様子で剣を納める。


「あら、もう終わりなの?」


 すると、目深に三角帽を被っていた女が微笑しながらそう漏らした。ツェルたちの視線がその女に集束する。広間にいる者たちの視線を一身に浴びた女は、口元に艶やかな笑みを浮かべていた。

「面白いものが見れると思ったのだけど、どうやら期待外れだったみたいね。残念」

 と言いながら、言葉ほど残念がっていないようにツェルには見える。むしろそう言ってこちらがどんな反応をするのかを窺っているように見えた。

「悪いけど、俺の剣は観せるための剣じゃないんだ。貴女の期待には応えられそうにない」

「ふーん」ツェルの言葉に、女は大した反応も見せずに肩を竦めた。それで何となく、ツェルは彼女が見たかったのは剣技ではなく、ましてや闘争の課程ではなく、その結果だったのではないかと思ってしまった。

 勿論、根拠なんてない。ただなんとなくそう感じただけだ。他人の真意など推し量れるものではないし、ましてや相手は初対面だ。心を理解できたらそれこそ神の御業だろう。

「まったく、どうやらこの場には愚か者しかいないようだな」

 また新たに唐突なぼやきが広間に反響する。静寂な石造りの建物の中では、人の声は異様に響く。独り言のつもりで呟いたのだろうが、その険のある女性の声に、ガイアスを始め、幾つもの敵意を宿した眼差しが向けられた。

 ツェルとローウッドは一瞬顔を合わせ、どちらともなく溜め息を吐きながら声の主を見る。

 声の主は、銀髪の女騎士だった。傍らで目を瞬かせる金髪の女性を守るように佇立する女騎士は、冷ややかな眼差しで周りを見回す。

「なんだ? 何か文句でもあるのか?」

女騎士が不思議そうに首を傾げると、ガイアスが剣呑な眼差しを向けた。「随分と威勢が良いな。女騎士」と、彼は不遜に言う。互いの手が、己の得物に伸ばされていた。

 誰が相手でも戦いたいのか? とガイアスを見ながら眉間に皺を寄せつつ、ツェルは女騎士を、そして彼女に守られるように座る金髪の女性を見た。

 旅衣に身を包んだ女性は、周りに集まり始めた面々を不思議そうに見上げている。なんというか、危機感が薄い――という感想を抱く。そしてそんな彼女を守るように立つ女騎士は、今にも一番近くで見下すガイアスに切りかかりかねない雰囲気だった。

「ツェルヴェルクはん」と、不意に声をかけてきたのはローウッドだ。彼はツェルの後ろに隠れるようにして様子を窺いながら耳打ちする。

「あのお姉はんたち、教会の関係者や」

「なんだって?」思わず目を剥き、ローウッドを見る。

「本当か?」

「間違いありまへん。旅衣の外套に隠れてはおるけど、身につけてはる法衣はかなり値の張るものやし、なによりあの女騎士の剣や鎧――あれは教会の聖騎士の装備や。何度か見た覚えもあるで」

「……ということは、あの呆けてる女性は巡礼者(パルミエーレ)か」

「おそらく、そう考えてええかと」

 巡礼者とは、教会に属する聖職者が各地に点在する聖堂を巡る修行僧のことだ。そしてその巡礼者には、共に行動する同行者たる教会の騎士――守護騎士がいる。どうやらあの女騎士は、その守護騎士らしい。確かに良く見れば、女騎士の装備には教会の刻印が見える。

「その慧眼で他の連中の素性も判ったら誉めてやるよ」

「いや、そいつは無茶ってもんですわ」

「まあ、そうだよな」

 から笑いするローウッドに対し、ツェルは苦笑いで応じた。

「だけど、このまま放置ってわけにもいかないな」そう言って、ツェルは一歩踏み出そうとする。

「仲介でもするんか?」ローウッドの問いに、ツェルは渋面を浮かべながら頷いた。誰がどう見ても、このままでは衝突が免れないのは明白だった。他人事とはいえ、見過ごすという選択肢もまたツェルにはできない。

 ガイアスと女騎士がにらみ合う間に割って入ろうとした――その時だった。


 何か、大きな音が聞こえた。




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