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終幕 『黄昏の下』

   


 あれから数日が過ぎた。ガーゴイルを始めとした魔物の襲撃の被害は甚大で、犠牲者もかなりの数に上った。それは領民だけの留まらず、街に残っていた贄者たちの多くが死に、ルクレツァの言っていた『黄昏領を攻略しうる存在たち』の口減らしは、思いのほか成功したと言えるだろう。


 だが同時に、今回の襲撃を受けて逆に火のついた者たちも少なくなかった。カルケルと手絶対の安置ではないという認識が植えつけられ、同時に同胞の仇を討つために黄昏領を踏破すると息巻いた者たちが、こぞってこの地から領地へ旅立っていったのである。


 果たしてその中の何人が生き残れるかは定かでないが、この黄昏領で停滞していた時間が、確かに動き出した瞬間だったのは間違いない。


 臨む場所が、そして行き着く先が地獄であったとしても、再起した彼らの意地は、後から現れる新たな贄者たちも続くことだろう。確信はないが、何故だろうか。そんな気がした。


 ツェルは再び墓所にいた。当然訪れる場所は一つ。亡き親友であり、亡き己が主君(ロード)である、ロイシュタットの墓前。


 その墓前の前に、ツェルは無造作に剣を突き立てた。この黄昏領に訪れた際に携えていた、武骨な業物の剣である。

 それを突き立て、代わりに腰に吊るしているのは――ロイシュタットの騎士剣だ。ただし、護拳が備わっていた元の形状とは異なっていた。護拳のついていた唾飾りを廃し、柄も元の形から長めに作り直したものに変わっている。これはカルケルの工匠の手で、ツェル用に拵えを直した物だ。

 その剣を手に、ツェルは眼前に晒すようにして構えると、ロイシュタットの墓に向けて目を伏せ、こうべを垂れる。


「お前の騎士剣、暫く借りる。お前との最後の約束を果たすために……な」


 きっとこの場にロイシュタットがいたら『わざわざそんなこと言わなくてもいい』と苦笑するだろう。それでもツェルは騎士で、ロイシュタットは主君である。たとえ親しい中でもあっても。いや、親しい相手だからこそ、ツェルは彼に誓いを立てたかった。

 この約束だけは、意地でもやり遂げなければいけない。そう思うからこその、騎士としての誓約を交わすのだ。


「それじゃあ、行ってくる」


 そう告げて、ツェルは騎士剣を鞘に納めて踵を返した。

 今日、ツェルは再びカルケルから黄昏の領土へと向かう。ツェルたちが辿り着けた場所はまだ、あの交差路の遺跡までである。あの遺跡を抜け、その先に広がる領土の各地を巡って四柱たちを探さなければいけない。

 幸か不幸か、四柱を名乗る《魔女》はすでに討てている。残るは三柱。それらを探し出し、何としてでもリヴェレム王の下へ行かなければならない。たとえその道がどれだけ険しいものであろうと、危険なものであろうと、もうツェルに立ち止まる気はない。

 墓所を去り、カルケルの門へ向かおうとするツェルの行く先に、人影が立っているのが見えた。

 それが誰であるのか判ったツェルは、歩きながら口調を浮かべる。墓所の入口で待ち構えるようにして佇む小柄なその人物は、ツェルが近づいて来るのに気づいて視線を向けてきた。

 ツェルはそんな相手の目の前まで、ゆったりとした歩みで近づいていき――五歩分の距離を開いて立ち止まり相手を見下す。


「朝早くから墓参りかい?」


 挨拶代わりに皮肉を零すが、ヘクトはそんなツェルの科白など気にした様子もなく、涼しい表情で肩を竦めて見せた。


「私が此処で待ち構えていた理由を知っていながらそう言うのでしたら、貴方は随分皮肉屋なのですね」


「あいつと何度も顔を合わせてたのなら、俺がそうならざるを得なかった――っていうのは自ずと理解していただけると思うのだけどな」


「あの人は真摯でしたよ。少なくとも、私に対しては」


「それはきっと偽者だよ。断言する」と軽口で応じる。思っていた以上に、彼女は饒舌だった。第一印象と言うのはえてしてあてにならないんだな、と痛感していると、少女は小さく溜め息を吐いた。

「何も貴方と談笑するために、わざわざ待ち構えていたわけではないのですが」

「まあ、そうだろうな」

 眉を顰めるヘクトに向けて、ツェルはわざとらしく肩を上下させて見せた。

「一緒に来る――とか言い出す気なんだろう?」

「その通りです」

 と、ヘクトは肯定の意を示した。ツェルは辟易したように嘆息する。


「できれば遠慮してほしい。もし君まで死なせてしまった日には、俺は今度こそロイに顔向けできなくなる」


「それは貴方の都合であって、私には関係ないことですので。どうぞそうなった時には、存分に悔やんでください」


 勝ち誇ったようにほくそ笑む少女に、ツェルは困ったように渋面を浮かべる。揚句「そのほうが、やる気も出るのではないですか?」などという皮肉のおまけつきである。

 ツェルは諦めたように溜め息を吐いて、「もう好きにしてくれ」と、投げやり気味に言った。「ええ、好きにします」とヘクトは微かに微笑する。


 ああなるほど、と納得する。なんとなくだが、ロイがこの少女に惚れた理由が判る。


 この少女には、遠慮がいらないのだ。言葉遣いこそ丁寧だが、言いたいことを遠慮なく言い切る少女言動は、こちらとしても気を使う必要がなく――簡潔に言うなら、自分を取り繕う必要がない。

 だから素のままの自分をさらけ出せたのだろう。ロイとヘクトがどんな会話を繰り広げていたのかこの目で見ていないのに、その情景はありありと思い浮かべることができた。

 きっと、あの男は楽しそうに歓談していたに違いない。そしてきっと、それはヘクトも同じだったのだろうことは、容易に想像がつく。


 ――だから、あんな言葉を残していたんだろうな。


 ツェルは懐にしまっていたロイシュタットの手紙を取り出した。折り畳んでいたそして

開き、ツェルは無造作にそれを目の前の少女に差し出す。

 目の前に差し出された紙を見て、ヘクトは「これはなんですか?」と不思議そうに首を傾げた。

「ロイからの手紙だよ」と簡潔に答えると、ヘクトは目を瞬かせてからそれを受け取り、文面に目を通す。

 そして、何処か残念そうに溜め息を吐いた。


「これは、あなた宛てのものです……そんなものを私に見せる必要があるのですか?」


 そう言って手紙を突っ返そうとする少女に苦笑を零し、ツェルは「裏を見てみろ」と囁いた。

 ツェルの言葉に眉を顰めるヘクトは、訝しみながらも促されるままに手紙をひっくり返した。

 そこに記されている一文に目を通し――そして言葉を失ったように表情を凍りつかせる。

 凍り付いた表情は瞬く間に朱に染まった。

 まるで熟れた林檎のように顔を真紅(まっか)に染めた少女の双眸から、ぽろぽろと零れ落ちる雫が、変わらぬ黄昏の光を浴びて輝いていた。


 そして手にしていた手紙を抱きしめて、少女は「私も……私もです」と小さく言葉を口にした。


 その言葉の意味を知るのは、その言葉を口にしている本人と、あの手紙に記されている内容を知っているツェル。そして、手紙を書いた本人である――ロイシュタットだけ。


 手紙、と呼べるほど大仰なものではない。記されているのはただ一言だけ。


 ただ――きっとあの言葉には、ロイシュタットの万感の思いが込められていることなど、容易に想像できた。そして少女の答えもまた、同じなのだろう。

 それが大社からすれば最早不毛なものであろうとも、本人たちにとっては何人(なんびと)にも否定することなどできない想いだ。

 だからこそ、ツェルもまた彼の墓前で誓いを立てたのだ。

 

 ――(おまえ)との最後の約束(ちかい)は、必ず果たす。


 それは、自分の心が決めたことだから。

 そこでふと気づくと、いつの間にか涙を止めていたヘクトが、寸前までの様子など微塵も感じさせない毅然とした態度でツェルを見上げていた。

「行くのでしょう?」と尋ねてくる少女に、「勿論」と応じて笑みを浮かべる。そしてどちらともなく歩き出す二人。

「しかし……よくあの人たちとまだ行く気になりましたね」

「というと?」

「十人目……誰か判っていないのでは?」

 ヘクトの問いに、ツェルは言葉を濁した。実際、ヘクトの指摘は間違っていなかったからだ。

 ルクレツァと対峙していた時こそ、彼女が十人目なのだと思っていたが、実際のところ彼女がそのことを明言したわけではなく、その真実は彼女の死を以て永久に伏せられてしまった。

 つまり――あの日あの遺跡に招かれた贄者たちの中の、招かれていない誰かは未だ判っていないのだ。

「背中を刺される可能性に脅えるような生活に望んで飛び込むなんて、貴方は被虐嗜好者(マゾヒスト)だったのですか?」

「そんな特殊性癖はない」と断言しながら、ツェルは辟易したように嘆息する。

「だけどどうしたって、戦力的には重宝するんだよ。現在の実力と、潜在的な能力を鑑みてもね。それに――」

 面子のことを思慮しながら、ツェルはそこで言葉を区切る。ヘクトが眉を顰める中、ツェルは困ったような、それでいて楽しそうな複雑そうな笑みを浮かべながら言った。


「――純粋な好奇心として、そいつの目的がなんなのか興味がある」


「……やはり被虐主義者じゃないですか」


 冷遇するような眼差しを向けてくるヘクトの視線に気づかない振りをしながら、ツェルは肩を竦めながら頭上を見上げる。

 そこには相も変わらず、朝も昼も夜も変わることのない黄昏がある。そしてふと、ツェルは何気なく思ったことを口にした。


「君は……青空を知らないんだな」


「アオゾラ……? それはなんですか?」


「言葉通り。蒼い空だよ。空の色が蒼いのさ」


「信じられませんね。私は、この黄昏(そら)しかしりませんから」


 困惑気味に答えるヘクトの言葉に、ツェルはそりゃそうだよなと納得する。不変の黄昏に染まるこの空の下では、決して拝むことのできない空模様だろう。


 ――そういえば、あの日も青空だったな。


 と、不意にロイシュタットと出会った日のことを思い出した。あの日の空は、雲一つない鮮やかな蒼穹(あお)だった。

 そして、ああなるほど。とツェルは一人納得した。

 それが自分の役目なんだな――と。

 だから自然と、ツェルの口は開かれた。


「なら、見に行こう。この黄昏を終わらせて、雲一つない蒼い空を」


「いきなりどうしたのですか?」


 訝しげに首を傾げるヘクトに、ツェルはにやっと笑って見せながら言う。


「あいつの代わりに――なんてことは言いやしない。ただ、君に見て欲しいと思うんだ。俺とあいつが出会った日のような、あの空を」


 それはきっと、ロイシュタットがこの少女に見せたいと思った景色のはずだと思うから。

 ヘクトは驚いたように目を瞬かせた。

 そして一瞬の忘我ののち、くすっ……と笑みを零す。


「……そうですね。見てみたいと、思います。あの人が見ていたのであろう、その蒼い空を」


 だから、と少女は言葉を区切り、そして静かな面持ちで言った。



「終わらせて見せましょう。この黄昏を――よろしいですね、我が騎士よ(サー・ツェルヴェルク)



 その科白に、ツェルは面食らってしまった。思わず両目が零れるのでないかと言うほど見開き少女を見下ろすと。ヘクトは悪戯っぽい笑みを浮かべながら言う。


「貴方があの人(ロイ)の騎士だというのなら――当然、私にも力を貸してくれるのではないですか?」


 その言葉が意味することを、ツェルは知っている。そしてロイシュタットがこの場にいたなら、きっと腹を抱えて笑いながら同意したことだろうことも、容易に想像できる。


「こりゃ参った……」


 降参、とでもいう風に肩を竦め、ツェルは片膝をついて少女へ項垂れた。



「――貴女の御心のままに(イエス・ヒズ・ハイネス)



 その言葉に、ヘクトは「ええ、よろしくお願いします」と、満足げに――そして何処となく気恥ずかしそうな笑みを浮かべている。

 そんな少女の様子に微苦笑を浮かべながら、ツェルは思うのだ。

 友に代わって、友の分まで、この少女を守ろう――と。


 ――だから、力を貸してくれよ、ロイ。


 返事の代わりは、腰に吊るされた剣の重み。託された責任は重大で、そこにかかる重さは途方もないものだ。

 だけど、その重さがあればこそ、ツェルは今度こそやり遂げられるような――そんな気がした。

 さあ、行こう。そう言って少女を促し、ツェルは歩き出す。



 頭上には、永劫とも思える黄昏の空。

 今は見る影もない、しかしかつて見た蒼穹を再び見上げるために。




 今はまだ、この黄昏の下を歩いていく。





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