その三
《火焔》や《火散槍》着弾と共に爆発する。そのため着弾地点を中心に範囲攻撃を行うそれらの魔術に対し、防御や紙一重の回避と言うのは愚策になる。しかし騎士剣が有する三つの術式が一つ、防御術式《忠義の騎士》は、『防ぐ』のではなく『受け流す』ことを目的としたものだ。
故に、無詠唱から繰り出される魔術がツェルに届くことはなかった。不可視の障壁を携えて疾駆するツェルに向け、魔女は忌々しげに渋面しながら杖を、腕を振る。
刹那、今まさにツェルが駆け抜けようとした直線状に吹き上がる火柱。常駐するその炎は《忠義の騎士》では捌ききれない。
ツェルは即座に剣の腹に指を走らせ、術式を操作する。《忠義の騎士》を終了させ、別の術式を選出――発動。
同時にツェルの剣が光を帯びる。騎士型第一術式――《英雄の剣》と呼ばれる付与術式。魔力を純粋な破壊力へと転換し、それを剣に纏わせることで剣撃そのものの威力を高めるこの術式だが、その真価は同時に展開される魔術相殺の刃にある。
走りながら、ツェルが騎士剣を火柱に向けて一閃させた。剣身が纏う《英雄の剣》がその火柱を捉えると、轟々と立ち上っていた火柱がまるで最初から存在しなかったかのように掻き消える。
魔女の顔が焦燥に歪む。対するツェルは無表情を張り付けたまま、魔女へと肉薄した。
騎士剣が閃く。渾身の刺突が魔女の胸を貫いた。願い違わず切っ先が魔女の心臓を貫き、一瞬にして絶命へと誘う。
全身から力が抜けたように魔女の身体が崩れた。その身体から剣を引き抜き、ツェルは無造作に血振るいをして踵を返す。
あまりにあっけない終りだったが、殺し合いというのはそういうものだ。英雄譚のような劇的な闘争など、そうはない。
ツェルの視線は振り返った先にいた二人に向けられる。二人に向けて軽く肩を吸向けて見せた後、ツェルはゆるりと視線を眼下へ――自分が取っていた宿の近くで繰り広げられている、石の魔獣。
「次はあれか……骨が折れそうだ」
それでも、騎士剣があればどうにかなるか……そんなことを考えながら歩き出そうとした時だ。
背後で――何かが動く気配。
「ツェルヴェルクさん!」
同時に叱声が飛ぶ。振り向こうとしたツェルを、横から飛び込んできたコールが突き飛ばし――彼の身体が炎に飲まれ、続く爆発がコールを襲った。青年の身体が爆発の衝撃で吹き飛び屋根の上を転がる。
「コール!?」
全身から煙を上げる暗殺者の名を呼ぶが、倒れたまま彼はピクリとも動かない。一体何が起きたのか、ツェルは炎が飛んできた方向に目を向け――そして驚愕に目を見開く。
そこには、今し方確かに心臓を貫いて殺したはずの魔女が――ルクレツァが不敵な笑みを浮かべながら悠然と佇んでいたのである。
「……そんな、莫迦な」
自分は確かにこの女の心臓を貫いたはず。何百何千と繰り返した、経験と実績からなる必死の技巧だ。仕損じるはずがない。
困惑するツェルを前に、魔女は痛快と言わんばかりの笑みを浮かべながら言う。
「残念だったわね。私には領王の加護があるの。どんな攻撃も、私を傷つけることも、殺すこともできないの」
――なんだよ、それ。
そんな種明かしに、ツェルは言葉を失ってしまう。そんな冗談染みた存在が、本当にありえるのか。
諦念が去来しそうになる。
だが、ツェルはそれを否定するようにかぶりを振った。ふざけているにも程があるだろう、と愚痴るのは後だ。諦めを口にすることは、亡き友の信頼を裏切ることになる。それに勝る絶望などない。
諦めることが許されないのなら、することはただ一つだ。
「ヘクト、コールを頼む!」
魔女を見据え、振り返ることもせずに少女の名を呼ぶ。魔女の姿に呆然としていた少女が、雷に打たれたように「は、はい!」と応じて動かぬ暗殺者の下へと駆け出すのを音だけで確認しながら、ツェルは魔女へと剣を向けた。
「あら? まだ続けるの? 勝てる見込みなんてゼロだと思うけど?」
「そこで諦めたら見逃してくれるのかよ?」
魔女が不思議そうに首を傾げるのを見て、ツェルは軽口を返した。「まさか」と、魔女がにたりと口を歪める。
「どう転んでも、貴方は殺しておくわ。目障りだもの」
「なら、こっちだってすることは同じだ」
「殺せないし、死なない相手。そんなものに戦いを挑むの?」
「判ってないな。殺して死なない。そういうのなら――」
魔女の言葉を鼻で笑い、ツェルは騎士剣を握る手に力を込め――そして魔女の間合いに踏み込みながら宣言する。
「――死ぬまで殺せばいいだろう!」
「あっそう。なら、骨も残らぬ――なんて生温いわ。塵芥の残らないくらい焼いてあげる!」
迫る騎士に向け、魔女は再び無数の炎を携えて相対した。