四幕 『彼が信じた者』
「今思い返しても、殺されるかと思ったわ……」
カルケルの酒場で、ローウッドは葡萄酒の入った杯を手にしたまま震えながらそう呟いた。
「よしよし。怖かったんですね~」と、にこやかにローウッドの頭を撫でるフリをするラドリアンヌ。そのような三文芝居さながらのものを見せられ、青髪の傭兵は忌々しげに舌打ちを零した。
「下らねぇ漫才してるんじゃねぇ」
「貴様、口を慎め」
ガイアスが苛立った様子で毒を吐くところにレオーネがやってきた。そんなレオーネを振り返り、鋭い視線を向けながら問う。
「……どうだった?」
「返答すらなかった」
ガイアスの言わんとすることを理解したのか、レオーネが頭を振る。予想していた、とでもいう風に、ガイアスは盛大に舌打ちをして酒を豪快に煽る。
「ツェルヴェルクはん……」
やっぱり駄目か、とでもいう風であり、同時に納得した様子でローウッドは視線を頭上を見上げる。ガイアスの不機嫌な視線も、レオーネの心配そうな眼差しも、同じように頭上を仰ぎ見た。
険しい三人の表情を見回して、ラドリアンヌは此処に至ってようやく表情から笑みを消し、僅かに眉を顰めながら溜め息を吐く。
「まだ出てこないんですねぇ。ツェルヴェルクさん」
そう言って、ラドリアンヌもまた彼らと同じように頭上を――二階の宿を見上げる。
ツェルのいる宿の一階の酒場――彼らが集っているのはそんな場所だった。
あれから三日が過ぎた。
ロイシュタットの遺骸は、カルケルの片隅――断崖に面した墓所に埋葬した。
殆んど朽ちた身体を抱えてカルケルに戻るツェルの姿は、傍から見て異様と言う言葉すら生易しく、また同時にその焦燥した姿は、遠目に様子を見ていたカルケルの住人や他の贄者たちすら息を呑んだほどである。
殆んど腐肉と言っていい亡骸を抱え、腐臭を撒き散らす身体を半日以上抱えて歩くなど、誰が見たって正気を疑うのはある種当然だった。
そうして言葉一つ漏らさず、遮二無二墓穴を掘りそこにロイシュタットの遺骸の埋葬を終えると、ツェルはまるで張りつめていた糸が切れたように膝をつき、泣き崩れた。
声を殺し、ただ嗚咽を漏らす騎士の背に言葉をかけることもできず、ただ時間が過ぎるのだけを待ち――やがてそのすべてが終わった時、ツェルは生気の失せた表情のまま、ほんのわずかの間目をそらしているうちに、その姿を消したのだ。
いつ後追いと言う選択をしてもまるで可笑しくない様子だったツェルを捜し、どうにかして彼が宿に戻ったことだけは判った。
だが、それっきりである。
それ以来ツェルの――ツェルヴェルクの姿を見たものは、誰もいなかった。あれほど黄昏領の踏破を目指していた青年騎士の変貌ぶりに困惑を隠せず、また短い間とはいえ同道した彼らにとって、それとなく彼の安否を確かめようとするのだが、それすら拒まれている次第である。
串に刺さった肉を頬張りながら、ローウッドは眉を顰めながら言う。
「しっかしあの仏さん、一体誰やったんやろな? ツェルヴェルクはんの知り合いだったようやけど」
「確かにそうだ」レオーネが同調する。「お友だちだったんでしょうかねぇ?」と小首を傾げたのはラドリアンヌである。
「あんとき、ツェルヴェルクはんなんて言うとったけ? 確かロイ……なんとか」
「ロイシュタットだ」
唸るローウッドの言葉を訂正したのは、ガイアスであった。不機嫌そうな表情のままそう小さくぼやいた彼の言葉だったが、喧噪に包まれる酒場の中でも、何故かはっきりとその場にいる全員の耳に届いていた。
「それや!」パチンと指を鳴らしながらローウッドが声を張り上げた。のだが、次の瞬間彼は首を傾けると、「……で、誰なんですか? それは」と片言のような口調で聞き返すので、ガイアスの眉間の皺は一層険しいものに変貌する。
「ひいいいいいい! 勘忍してや! いくら大商人のわいかて、知らぬ情報の一つや二つはあるんやから!」
「自分で大聖人と名乗る奴を、私は始めて見たぞ」と、ローウッドに白けたような眼差しを向けたのち、レオーネもまたガイアスを振り返った。
ラドリアンヌは相変わらずよく判っていない様子で微笑しているのだが、それでも興味があるらしく自然とその眼差しはガイアスを捉えている。
対し、屈強な傭兵は深いため息を一つ吐くに留めた。彼にしては、かなり譲歩しているのだろう。
それもそうだ。情報は商人などによって重要な商売道具の一つだが、傭兵にとってもそれは変わりない。いや、むしろ商人以上に傭兵は情報を重要視する。情報ひとつ間違うだけで、彼らは困難極まる死地に陥ることだって少なくないのだ。それを避けるためには、どんな些細な情報も逃すことなく収集し、分析し、自分たちが有利にことを運べるようにする必要がある。そして重要度の高い情報ほど、獲得したならば秘匿する。持っている手札を出来る限り隠すのは当たり前のことである。
ガイアスは鬱陶しげに向けられる視線から視線を逸らしながら、口を開いた。今更各仕立てしたところで、こんなわけの判らない世界では、隠すだけの意味がない――そう判断したのかもしれない。
「あの死体は……おそらくロイシュタット・ノクティクルス=ユミルのもだ。ユミル王国の王子であり、第一王位継承候補とされていた」
「うげ!」
ガイアスの言葉に、ローウッドが悲鳴を上げて身震いした。それもそうだろう。なにせ幾ら知らなかったとはいえ、彼は一国の王子の死体を漁り、その持ち物を盗もうとしたのだ。バレればその瞬間、裁判もなしに即刻死刑である。
「わい……殺さるやろか」
途方に暮れたようにそんな言葉を漏らすローウッドに対し、ガイアスは「知るかよ」と吐き捨て、酒を煽りながら続ける。
「二年前くらいに、ユミルの辺鄙で魔物の軍勢との衝突がありやがった。その時の軍等指揮をしていたのが、その王子殿だ。魔物の数は脅威とされたが、誰もあの王子の勝利を疑わなかった」
実際、かつてガイアスは何度かロイシュタット率いる討伐戦に参加したことがある。そしてそれらの戦は、等しくロイシュタットの陣営の勝利で終わった。
まるで最初からそうなるよう定められていたかのような鮮やかな勝利に、思わず戦慄を覚えるほど、圧倒的な勝利を成すロイシュタットと彼率いる精鋭の姿は今でも鮮明に思い出せる。
あの時――二年前の戦いも勝利で終わったのだ。否、終わったはずだった。
「実際戦には勝利した。だが、問題だったのはその後……ユミル王国軍が、ロイシュタット率いる部隊に橙的な攻撃を繰り広げやがった」
戦場の最前線にいたガイアスが、戦を終えて肩の荷を下ろしたような気分でいた時、それは起きたのだ。
振り返った先で、巨大な無数の炎が空から降り注ぐ情景。幾つもの高位魔術による斉射が、ロイシュタットの陣営を襲ったのである。
炎と爆発が戦場を彩り、気付いた時にはもう……すべてが終わっていたのだ。
「ロイシュタットの陣営は壊滅し、従軍していた傭兵などにも多数の被害が出やがった。そして、ロイシュタット王子の姿は行方知れず。そんであの様とはな……」
くくっ、とガイアスの口元から失笑が漏れる。「何が可笑しいんだ」とレオーネが視線を鋭くするが、その程度でガイアスは怯まない。三日月を描く獰猛な笑みを携え、ガイアスは饒舌に語る。
「これが嗤わずにいられるか。あの王子様を殺しに来たのは、他でもないユミル王国だったんだからな」
ガイアスの言葉に、レオーネが息を呑んだ。レオーネだけではなく、ローウッドは表情を険しくし、ラドリアンヌは理解が追い付いていないのか首を傾げている。
「あの王子様がなにをしたのかは知らねぇ。しかしあの王子の国が王子を殺そうとし、結果王子は行方知れずになった。その後はヒデェもんだったよ。皇子暗殺が露見して国は内乱に突入し、何処も彼処も殺し合いだ。阿鼻叫喚の死屍累々さ。まさに地獄ってやつだった」
思い返すだけで腹の底からふつふつと湧き立つのは、どうしようもない愉悦だった。後にも先にも、あれほど絶望的で、あれほど悲愴的で、そして恍惚とした戦場をガイアスは知らない。
願わくば今一度、あのような戦いに巡り合いたいと思う。そして、この黄昏の地ならば、それが味わえるのではないか――それが目下におけるガイアスの願望だった。
そしてその最中に、あの〈血塗れ〉の騎士と刃を交えてみたいとも思う。
最も、前者に比べて後者は望み薄かもしれない。
使い手を失った剣がガラクタ同然であるのと同じように。
主君を失った騎士など、役立たずも同然だからだ。
視線は自ずと頭上を仰いだ。
果たして、視線の先にいるのかすら定かではない、あの戦場を駆る真紅の騎士を幻視する。
「……この程度だとしたら、期待外れもいいところだな」
ぼそりと誰にともなくぼいた科白に「どないかしたんか?」とローウッドが尋ねる。
ガイアスは「なんでもねーよ!」と吼えてテーブルを蹴った。「ひぃ! わいがなにしたゆーんや!」と半泣きに抗議する商人の声は、右から左に聞き流すことにした。そしてもう一度杯を煽ろうとした時だ。
喧噪――というには酷く物騒な音が、外から聞こえてきた。
◇◇◇
あれから何日過ぎたかすら曖昧だった。
黄昏が続くこの世界。昼と夜の差が生じない黄昏領では、時間間隔は酷く感覚的なものになる。
一日しか過ぎていないのかもしれないし、実はすでに一週間過ぎているのかもしれない。しかし、そのどちらにしろ、ツェルは興味を抱かなかった。
ただ何もかもが投げやり気味になり、すべての事柄がどうでもよくなる。
ただひたすら、墓前で無味蒙昧な日々を過ごすだけ。
黄昏の断崖に建てられた簡素な墓標を前に座り込み、ツェルはそこに眠る親友を夢想する。
あの日――魔物の軍勢を討伐したのち、何処からともなく現れた敵による郷愁で壊滅的打撃を受けた。
軍隊は最早用途を成さなかった。隊の過半数を失い、また指揮官であるロイシュタットを失ったことが決定打となり、生き残った兵たちも散り散りとなって帰都することを余儀なくされた。
しかし、王都へと帰還したツェルたちを待ち受けていたのは、生存兵に対し討伐命令を下されていた、ユミルの騎士団だったのである。
国王勅令で下されたその命により、生き残った百名弱の騎士たちもほとんどが討ち死にとなったが、この常軌を逸した王令によってユミル国内は混迷の一途を辿った。
王に対する不信は民衆の間に蔓延し、そんな不信を口にした民衆を粛清する度重なる王令が拍車をかけた。
結果繁栄を極めたユミルは、これを機に情勢不安に位置入り、ついには内乱にまで発展したのである。
ツェルにできたのは、混乱する王都内からロイシュタットの妹である第一王女を、信用できる数名の騎士たちと共になんとか逃がすことくらいだった。
それ以降は、只管ロイシュタットを探して各地を転々とする日々を送っていた。あの戦場で死体が見つからなかった以上、生存している可能性を捨てきれなかったのだ。
二年近く放浪し続け、手がかり一つなく辿り着いた異邦の地で、まさかこんな形で再会するとは、流石に夢にも思わなかったが。
「毎日墓前に座り込むだけで、何かが変わるのか?」
不意に聞こえてきた声に振り返る。そこには頭巾に襟巻といった、顔を隠す衣装の青年――コールが幽鬼のごとく立っていた。
「……墓所が似合うな。お前」
そう思ったから、そう言った。別段面白いわけでもないのだが、何となく口元がにぃっと歪む。
そんなツェルに対峙する幽鬼は、嘆息交じりに言った。
「……冗談を言う気力は、まだあるか」
「どうだろう」と、ツェルはとぼけるように返しながら、虚ろに視線を彷徨わせる。
何を見るでもなく、誰を見るでもない。何もない虚空を眺め、ただただ無心に時間だけを浪費するだけ。
それがどれだけ無意味なことか理解はしているものの、だからと言って何かを成す気にはならない。ロイシュタットを探すという目的を失った今、ツェルにはするべきことが何一つないのだ。
ロイシュタットと出会ってからずっと、彼の目指す未来を共に追っていた。彼の目指す理想を叶えるために剣を振るった。ロイシュタットの言葉さえあれば、何も迷うことなく、理由を考えることもなく剣を振るうことが出来た。
だけど――もう彼は存在しない。信じる友はもういない。
ロイシュタットという指針を失ったツェルには、何をすればいいのか思いつかないのだ。
黄昏領を踏破し、領王リヴェレムに謁見しようとしたのだって、ロイシュタットを探す旅を続けるためだった。
だけど最早その必要が亡くなった以上、リヴェレムの下へ向かう意味もないツェルには、領土を旅する意味がない
ははっ……と、乾いた笑いが自然と零れた。
なんて、なんて空虚なのだろう。なんて伽藍同なのだろう。ツェルヴェルク・ラインという人間は、どうしようもなく空っぽなのだと今になって痛感させられる。
いつしかヘクトに向けられた言葉を思い出す。
欠けている――なんてどころではなかった。何一つ、ツェルの中にはなかったのだ。
確たる信念も、貫き通そうとする意志も、何も……ない。
いつから、自分はこうなってしまったのだろうか。あるいは最初からだったのかもしれない。漠然とした未来を幻視し、そこに明確な目標を掲げ邁進することなどなく、流されるがまま歩いてきたツケが此処でやってきた。
つまりは、そういうことだ。
「……滑稽だな」
「ホント、マヌケすぎて嗤えるわ」
自嘲の言葉に対する嘲りの声は、彼方から。背後で辺りを警戒するような気配が膨れ上がる。視線だけ振り返ると、コールが短剣を手に視線を辺りに巡らせていた。だが、そんなことは無意味だろうと、ツェルは胸中で嘆息する。
声の主は、近くにはいない――ツェルはそう直感し、同時に何処へと視線を向けることもなく、ただ墓前を前に俯きながら言葉だけを相手に投げた。
「《届音》の魔術……か」
「あら。お友だちが死んでいるのを知って燻ぶっていても、頭のほうはなかなか冴えているみたいね」
くすくすと笑い声が彼方此方から木霊した。まるで苛立ちを煽るような笑声の反響を前に、ツェルは漸く重い腰を上げて立ち上がる。
「……ルクレツァ、だな。何の真似だ?」
「ホーント、貴方ってつまらないのね。もう少し戸惑ったり躊躇ったり、おたついたりしたら可愛げがあるのに」
ゆらり……と、空間が揺れると同時、誰もいなかった墓所の一角に瞬き一つの間に人の姿がそこに現出した。
これまで見てきた彼女の姿とは若干毛色の異なる――魔導師たちが自己表現のように身に纏うような、全身を覆い隠すような外套を肩に掛け、身の丈ほどある宝玉を携えた長杖を手にした姿は、魔女という言葉がしっくりくるように見える。
何処かこれまでの彼女とは異なる雰囲気を漂わせる魔女を前に警戒の眼差しを向けると、そんな視線を向けられたルクレツァが、蠱惑的な笑みを口元に浮かべた。
「毎日毎日お友達のお墓参りをして、懺悔でもするように項垂れ続けて、もしかしてそのまま朽ち果てるつもりでいたの?」
「……それも悪くはないがな。一つだけ、腑に落ちないことがあって考えていた」
声の抑揚を抑えて、ツェルは淡々とルクレツァに応じる。「へえ? 参考程度に聞いてもいいかしら?」と小首を傾げて見せる魔女に向け、ツェルは僅かに視線をコールに向けてから口を開く。
「別になんてことはない。どうしてロイシュタットが、あのような場所で死んでいたのか――ってことだ」
「そんなの、あの場所で殺されたから以外の何があるの?」
「そこが、だよ」
あの場所で死んでいるのが当たり前――とでも言いたげなルクレツァの言葉を、ツェルは一言で否定した。
「あいつは俺なんかよりよっぽど腕が立つ奴だった。それでいて慎重な奴だ。如何に自軍に犠牲を出さずに状況を打破するかを第一に考える男だ。そんな奴が、あんな場所で殺されているっていうのが、今になって考えてみれば違和感以外のなにものでもなかった」
「でも、誰がどう見ても貴方のお友達があの場所で殺されたのは事実でしょ?」
「それは何故?」
淡々と言葉を紡ぐツェルに対し、ルクレツァは僅かに眉を顰めながら答えを返す。
「貴方だって見たでしょう? 捕まって、拷問されて、身体をズタズタに刻まれたお友達の死体を。そこから想像するのは造作ないことだと思うけど」
「――それだよ」
と。
ツェルは射抜くように言った。
「貴女はあの時、どうして魔物が拷問したんじゃないか、なんて口にしたんだ?」
意味が判らないとでも言う風に首を傾げるコールとルクレツァを前に、ツェルは辟易したように項垂れ、くくっっと自嘲を漏らす。
「――魔物は拷問なんてしない。そんなことをするのは、人間だけだ」
ツェルのその言葉に、コールが得心が言ったという風に僅かに息を呑む気配。
それは、考えれば誰だって気づくようなことなのだ。
人間にとって魔物がそうであるように。
魔物が人間に抱く感情は、人間が魔物に抱くものと何ら違いがないのだということ。
腹が減ったら食べるように。
眠くなったら眠りにつくように。
互いに武器を取ったのなら、殺し合わなければならないように。
魔物に遭遇したのなら、躊躇いなく討たねばならない――原始から刻まれた絶対の敵対存在を討伐するという考えは、人間も魔物も根幹的な部分では同じなのだから。
「魔物にとって人間は、何処までいっても自分たちの存在を脅かす敵でしかない。捕らえて、喰うならまだ判る。でも、拷問の意味なんてない。言葉が通じない存在を捕らえて、痛めつけて、問いただすことなんて、何も……ない。そんなことは、魔物と対峙したことがある人間なら誰だって知っていることだ。だから、質問だ――どうして、貴女はあいつが拷問されていたなんて思ったんだ?」
そんな有り得ないことを、どうして考えつく。
捕らえて拷問することなど無意味だ。拷問とは、相手の持ち得る情報を引き出すために苦痛を与えて口を割らせる強引な手段であり、それらは言葉が通じる人間同士の戦い――戦争下で最も用いられる情報収集手段に過ぎない。
判り合える余地などなく、言語の通じない存在に対して行う意味など、まったく存在しない行為であるとも言える。
魔物は殲滅するべき人類の敵対者であり、相対したのなら討滅するのが必定だ。
そしてそれは魔物も同じだ。如何に人に似た姿形をした魔物であっても、それは変わらない。本能のままに人を襲い、殺し、喰らう――それが魔物である。
「……」
ツェルの問いに対し、ルクレツァが沈黙する。同時に彼女は、先ほどまで浮かべていたどの表情とも異なる――しかし見る者が見れば底冷えするような、明確な殺気を孕んだ眼差しでツェルを見据えていた。
コールが緊張したように短剣を強く握る音が聞こえたような気がした。もしツェルが腰に剣を吊るしていたなら、きっと同じように険に手を伸ばしていただろう。
だが、今のツェルは得物を携えていない。
ただ無防備な体のまま、殺気の迸る眼光を正面から受け止めて肩を竦めて見せるだけ。
「何故殺した?」
「あら。そんな不確かな情報で私を犯人と断定するの?」
「なら質問を変えよう――誰が殺した?」
「私じゃないわ」
にいぃぃ……と。
ルクレツァが愉しそうに。心から愉しそうに笑いながら言った言葉。
――やっぱり隠す気がないじゃないか。
私じゃない。というのは、この場面で口にするにはおかしな言葉だ。本当に知らないか、あるいは白を切るつもりなら、ここは『私じゃない』ではなく『知らない』と答えるのが定石だ。
そんなことも判らないほど、この女は無知でも無思慮でもない。むしろ頭は切れる性質だ。
目の前の魔女は、言外に行っているのだ。
直接手を下したのは私じゃない――と。
ぎりっ……無意識に奥歯を強く噛む。軋む音を耳にしながら、ツェルは務めて冷淡に問うた。
「――一体、何が望みなんだ?」
「あら。上手い切り返しね」
弾むような声でルクレツァが嗤った。膨れ上がった殺気が肌を貫くのを痛感する中、ルクレツァは恍惚とした笑みを浮かべながら言った。
「すべてはこの黄昏領の、未来のためよ。そのために――そのためだけに、貴方たちは存在することを許されているの」
だから――と、ルクレツァが言う。
「この黄昏を終わらせようとする者は、その意志を持つ者は……必要ないのよ?」
刹那、カルケルの彼方から悲鳴と衝撃が響き渡った。ツェルとコールの視線が、自然と音の方向へと向けられる。
その目に映ったのは、あの巨大な城壁を飛び越えてくる巨大な影。そしてそこから零れるように落ちる小さな魔物たちの姿。
「あの坊やの希望を摘み取るついでに、この街の連中にも少し|お仕置きする(思い知らせる)必要があると思うの――この黄昏領が守護者、四柱が一画を担う、魔女として」
黄昏の終わりを臨む者など必要ない――そう言わんばかりの言葉と共に。
刹那、魔女の宝杖が赤く輝きを放ち、世界が真紅に彩られる。宝杖から迸った紅蓮が辺りを焼く中、
「さあ。主人様のいない騎士様は、どうするのかしら?」
魔女の嘲りが炎の彼方から囁かれた。