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幕間 『夢幻 ―半年前―』

   


「君は不思議な人だよ」


 こちらの目を見ながら、青年は微笑と共にそう言った。「そうでしょうか?」と答えると、彼は大仰に頷く。


「これまで色々な人に出会ったが、これほど私の心を動かしたのは、君が二人目だ」


 そう言った後、彼は片目を瞑り「女性としては、君が初めてだが」と、からかうような口調でそう付け加えた。

 どう反応すればいいのか判らず困惑し――二人目、という言葉を思い出して切り返す。

「では、貴方の初めては誰だったのですか?」

「その科白を男が言うと、きっと猥談に突入するんだろうね」と苦笑しながら、青年は肩を竦めて見せた。

「言っていることの意味がよく判りませんが?」

「気にしなくていいよ。判らないのならば、判らないままでいてくれ」

 にこり、と青年が笑う。無垢な笑みだ――と、その笑顔を前にそんな感想を抱く。そんな無垢な笑みを浮かべる青年は、目を細め、天井を仰ぎながら思い出す風に唸った後、芝居がかった仕草で両腕を広げ――そして滔々と語りだした。

「私の心を初めて動かしたのは誰か、だったね」

「はい」青年の言葉に、短く首肯で返すと、彼はにんまりと笑いながら告げた。

「一言でいうならば、彼は私の親友だ」

「親友、ですか」

「ああ。私が誰よりも信頼し、この命を預けるに相応しいと思っている男だ」

「貴方は男色趣味だったとは驚きです」

 何処となく平坦な、極力感情を殺した声音でそう言い放つと、青年はわざとらしく「ははは」と声に出して笑う。

「そういう意味ではないよ。ついでに言っておくけど、私は純粋に女性が好きだよ?」

「どうでもいいですよ、そんな情報は」

 口ではそう言いながら、胸中で反省し、安堵する。自分がどうしてそのような邪推をしたのか判らなかった。同時に何故自分が彼のそんな言葉にほっと胸を撫で下ろしたのか、思わず首を傾げそうになるが、それよりも先に彼が口を開く。

「彼がいたから、私は今日という日まで生きてこられたんだ。もし出会っていなければ、彼が私の騎士になってくれていなかったら、私はこの地に来ることすらなかっただろう」

「それは、どうして?」

「私には敵が多い」

 疑問に対し、彼は簡潔に応じた。

「私の思想は、一般的に見ても、世界的に見ても異端なものだった。これまでの歴史を振り返っても、私の掲げる思想は世界の多くを敵に回すようなものだった。それを一国の王子が公然と口にしているのを、快く思わない者は沢山いたんだよ。結果、私を亡き者にしようと画策する者だっていた」

「……それは」

 なんというべきなのか、判らなかった。そもそも、外界とこの黄昏領が隔絶されてから想像を絶するほどの時間が流れた現在となっては、元の世界の常識などは完全に希薄になっており、主義主張はあまりにもかけ離れていると言っても過言ではない。

 この黄昏領の常識が、どれほど外の世界に通用するのか。また、黄昏領で続いていた主義主張が、贄者たちとどれほどの隔たりがあるのか判らない以上、どんな言葉も当たり障りのない、平坦な慰めにしかならないのではないか――そう思ってしまうと、言葉を口にすることすら憚れるような気がし、沈黙してしまう。

 黙したまま視線を彷徨わせていると、彼は何が可笑しいのか――唐突に声を上げて笑った。そんな彼の態度に思わず言葉を失い、目を瞬かせていると、彼は笑いすぎたのか目尻に浮かんだ涙を拭いながら言った。

「君は、考えていることが表情によく出るようだね」

「だからと言って笑いますか。私は――」

「心配してくれたのだろう? 慰めようとしてくれたのだろう?」

「うぐ」彼の指摘に言葉を詰まらせると、彼は一層笑みを深くする。

「ありがとう」

 そう、彼が言う。

 言葉と共に向けられた笑みに、息を呑む。判るわけないはずなのに、判って貰えたのか、と思ってしまった。そんなことはあるわけないはずなのだが、それでもそう感じてしまう自分が憎らしく思う。

 そんなことを考えているなど露とも知らぬであろう青年は、表情を満面の笑みから何処か自嘲するような笑みに変えて、懐かしむように口を開く。

「危険は沢山あった。実際、幾度か死にかけたこともある。それでも生きてこられたのは、苦楽を共にしてくれる仲間がいたからだ。私の窮地を助けてくれる友がいたからだ」

「彼らには、感謝してもしきれないよ」と、そう言って青年は肩を竦める。そして視線を真っ直ぐこちらに向けて、何処か真摯な口調で静かに言った。

「そして――この世界で此処までやってこられたのは、君がいたからだ」

 だからありがとう、と彼は淡く微笑み、立ち上がる。

「私はこの世界を終わらせる。きっと、この黄昏を終わらせて見せる。だから――」

 いつかすべてを終えたら、君に聞いてほしいことがある。

 そう言った彼の言葉に、ただただ息を呑み――辛うじて「はい」と、それだけは確かに答えることが出来た。


      ◇◇◇


 ふと、目が覚めた。

 いつの間にか眠っていたことに気づき、誰もいない部屋の中を見回して嘆息する。

 そして、自分が抱き抱えたまま眠っていたそれを見て、表情を曇らせた。

 これを託されたのは、あの会話をしてすぐの頃だ。

『嫌な予感がする。だから、万が一のことを考えてこれを君に預けておくよ』

 なら行かなければいいじゃないか。そう言うことが出来なかったことを、ずっと後悔していた。

 彼の予感は当たってしまったのか、それ以降彼は一度としてカルケルに戻ることはなく、その姿を再び見ることはなかった。


 ――いや。


 帰ってこなかったわけではない。

 帰っては来たのだ。つい先日、彼は確かに帰って来たのだ。

 最早二度と物言わぬ姿となって――古い友人の腕に抱かれて。

 その日の光景を、はっきりと思い出す。

 そして目の前が真っ白になったのを思い出した。

 もう二度と、彼の声を聞くことはない。

 もう二度と、彼が微笑を見ることもない。

 それはなんて――なんて、寂しいことなのだろう。

 言いたいことがあった。彼がくれた沢山の言葉と、様々な表情を思い返すたびに、どうして伝えなかったのだろうと後悔している。あの時、彼が嫌な予感がすると言ったあの時引き留めていれば、結果は変わったのだろうか。

 このような胸を締め付けられるような想いを、立ち上がる気力すら失われるような焦燥に晒されることもなかったのだろうか。

 胸の奥で感情が煮えたぎるような感覚に苛まれる。幾つもの感情が混ざり合い、ぐつぐつと熱を上げているような錯覚。


 ――すべてが終わったら、聞いて欲しいことがある。


 彼は一体、何を言おうとしたのか。何を伝えようとしていたのか。その答えはもう、永遠に聞くことがないのだろう。

 いっそ、自分のすべてを終わらせれば彼に会えるのだろうかと考えてしまう。そんなことを彼が望むとは思えないけれども、もしもう一度出会えるのならば、構わないような気がした。

 だけどそれが出来ないのは、彼の残した言葉があるからだろう。頼まれた言葉があるからだろう。

 たった一つ、彼の遺品となった品を見下ろす。

 頼まれていたことを思い出す。

 するべきことは決まっている。


 ――彼がたった一つ、私に頼んだそれを成し遂げよう。


 彼の後を追うにしても、彼のいない世界で生きるにしても、すべてはそれから……。

 そう決断すると同時、ヘクトはゆっくりと立ち上がり、彼との思い出に溢れる書庫を後にする。

 行くべき場所はただひとつ。




 彼が誰よりも信頼した、騎士のもとへ。








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