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その三

「あら、こんなところにいたの?」

 ヴィルヴェルの屋敷を出てすぐ。まるで待ち構えていたかのようなタイミングでそう声をかけてきたのは、ルクレツァだった。

 くすくすと笑いながらツェルを出迎えるその姿を見て、一瞬前に『まるで』と思ったことを訂正する。

 間違いなく待ち構えていたのだ、この女は。

 そう思い到ると同時、ツェルはわざとらしく盛大に溜め息を吐いて言った。

「そういう科白は、もう少し場所を選ぶべきだと思うぞ」

「というと?」意味が判らない、とでもいう風に、ルクレツァは目を瞬かせる。が、その程度で騙されるつもりはないので、ツェルはぞんざいに言葉を吐く。

「俺は此処来る際、誰にも行き先を告げてない。なのに俺の行き先の――その玄関を出てすぐのところで居合わせるなんて、偶然なわけがないだろう」

「あら、バレバレだったかしら?」と、ルクレツァは妖艶な笑みを浮かべて小首を傾げる。その仕草ひとつすら艶めかしく感じるのは、きっとわざとそうしているからなのだろう。

「隠す気もなかったくせに」

 もし隠し通せると思っていたのなら、完全にこちらのことを莫迦にしていることになる。もしそうだったら、少し……いや、結構に精神的な痛手だが。

 などと考えているツェルを前に、ルクレツァはわざとらしく笑って見せた。

「ええ。隠す気なんてなかったわ」

「あっさり認めるわけか」

「言った通り、隠す必要はないもの」

 と、魔女が至極あっさりと肯定する。そう言って変わらぬ笑みを浮かべるルクレツァだが、その切れ長の双眸から向けられる視線が、何処かねっとりと絡みつくようなものに感じ、ツェルは表情を消し――口元だけ微笑した。

「それで……何か用があるんだろう? そのためにわざわざ俺を待ち伏せしていたわけだろうし」

「あら。性急なのね?」

「ゆっくりのんびり茶飲み話がお好みだったら、他を当たってくれ」

 うふふ、と笑うルクレツァに対し、ツェルは務めて冷淡に言葉を返した。そんなツェルに、ルクレツァはついと詰め寄ってその胸元にしなだれかかる。

「……何の真似?」

「あら、判らないの?」

 ――どっちかと言えば、判りたくない、というのが正直なところだなぁ。

 と、ツェルは自分に降りかかっている状況をまるで他人事のように考えながら、自分の懐に入り込んで来た魔女を見下す。カルケルの外を探索している時とは異なる簡素な女性物の服に身を包んでいるルクレツァは、自然体なのかワザとなのか、服装は着崩れていてその胸元がはだけている。

 女性特有の、且つ豊かなふくらみを覗かせているそこに、自然と視線が引き寄せられそうになるのを自制しながら、ツェルは務めて平静な態度で言った。

「……あんまり男の懐に、そんな恰好で飛び込むのは感心しないな」

「あら、どうしてかしら?」

 ルクレツァが嗤う。そのまま一層ツェルの身体に自分の身体を摺り寄せてくる。彼女の豊かな膨らみが押し付けられ――喉に詰まった何かを嚥下した。

 ――なんだよこれ、どういう状況だ……。

 上手く把握できず混乱するツェルを余所に、ルクレツァはその細い腕をすぅ……とツェルの後ろに伸ばし――

「貴様ら、何をしている!」

 何処からともなく飛んできた叱声によってその動きが止まった。同時にツェルはルクレツァから逃れるようにして後退する。「やん」と、支えを失ったルクレツァがその場で膝をつくが、気にしている余裕はなかった。

「いかなる理由があるかは知らないが、まだ日暮れ前だというのに往来で不埒な真似をするとは何事だ!」と声を上げながら歩み寄って来たのは、レオーネだった。

 今にも腰の剣を抜きそうな鬼気迫る容貌で距離を詰めてくるレオーネに何も言い返すこともせず――というかまだ頭が混乱していて言葉が出てこなかった――ツェルは乾いた笑いを零しながらかぶりを振った。

「いや、不埒な真似をするつもりは微塵もなかった。今なら女神に誓ってもいい」と簡潔に釈明するが、果たして通じるかどうか。

 しかしその心配はどうやら無用だったらしい。

 というのも、レオーネが目くじらを立てて詰め寄ったのは、自分ではなくルクレツァのほうだったからだ。

「貴様は毎回街に帰るたびに誰彼かまわず男に声をかけているな?」

 レオーネの言葉に、ツェルは「えっ?」と目を剥いた。それは初耳だった。

いや、そもそもカルケルに帰還すると荷物を置くや否やヴェルヴィルの屋敷に避難しているのだから、それも当然と言えば当然なのだが。しかしルクレツァがそうも男に声掛けをしているのは些か予想外ではあった。のだが、

「あら、いけないことかしら?」

 まるで悪びれる様子もなく、ツェルの問いに答えた時と同じように、ルクレツァはにこりと笑みを浮かべながら肯定する。わざとなのか、それとも単に隠しごとのできない性質なのか……あるいは、この程度は隠すに値しないことなのか。

「ちょっと格好いいおにーさんと楽しいひと時を過ごしてみたい、と思っただけなのだけど?」

 と言って、流し目でこちらを見てくるルクレツァ。ツェルは嘆息しながらかぶりを振り、「そういうのは遠慮するよ」とだけ返しておいた。

「あら、つれないわね? 貴方の目には、そんなに魅力がないように見えるのかしら?」

 そう言って、ルクレツァはわざとらしく自分の胸元に手を当てた。すかさずレオーネが「慎みを持たんか!」と叱咤すると、魔女は「あら、ごめんなさい」と反省の色が見えない口だけの謝罪をして失笑一つ。

「邪魔も入ったことだし、今日の所は諦めることにするわ」

 そう言ってルクレツァは肩目を瞑って見せると、まるで何事もなかったようにその場を後にする。

 まるで嵐が通過したようだった。

 去る背中を見送りながら、ツェルはそんな感想を抱きながら盛大に溜め息を吐く。のだが、

「まったく、随分と情けないな。色香に騙されたか?」

 そうつっけんどんな科白が突き刺さった。

 ――あー……まだ嵐の中だったか。

 そう思いながら、ツェルは過ぎ去った(ルクレツァ)からもう一つの(レオーネ)に視線を移した。見れば、彼女はその鋭い眼光を一層鋭利なものへと変えてツェルを睥睨している。

 これは拙いな――と、ツェルの勘が警鐘を発した。しかし、警鐘を聞くことは出来ても、対処する術を持たなければ何の意味もなかった。

「先の礼をと思って探して宿をたずねてみれば姿はないし。他の連中に訊いても「知らぬ」の一点張り。揚句捜し歩けば貴様はあの魔女と密会していて、揚句その色香に鼻の下を伸ばしているとは……なんと汚らわしいことか」

「一応反論しておくが、別に鼻の下を伸ばしてはいなかったと思うぞ」

 たぶん。いや、絶対に・

 だが、レオーネは聞く耳を持たなかった。

「いいや。私はこの目で確かに見た。貴様があの魔女の……その……豊かなものを身体に押し付けられてデレデレしている姿をな!」

「そんな莫迦な……」と異論を唱えるものの、裁判官(レオーネ)は「ああ、汚らわしい!」と唾棄するように叫んだ。

「一瞬でも貴様に敬意を抱いた自分が恥ずかしいぞ、ツェルヴェルク・ライン。貴様も所詮は俗物だったのだな!」

 表面上は無表情を繕ったが、その実内心ではああ、うん。と、ツェルは頷いていた。まあ、教会に所属するような騎士様と比べられたら、確かに信心深くはない確かだ。

そもそも主君が女好きで放浪癖持ちの俗物なのだし……というのは、口にしないほうがいいのだろうなぁと場違いなことを考えていると、レオーネが手に持っていたらしき紙袋を思い切り振り上げ、そのまま全力投球した――ツェルの顔面に。

 思いもよらぬ事態に面食らい、ツェルは避けることも忘れてそれを顔面で受け止める羽目になってしまった。

 ツェルに紙袋が命中するのを確認すると、彼女は「ふん!」と鼻を鳴らし、肩を怒らせたままその場を後にした。

 残されたツェルはずり落ちてきた紙袋を手に取りながら、去って行くレオーネの背を見据えながら首を傾げる。

「……結局なんだったんだ。ルクレツァといい、レオーネといい」

 そう愚痴るツェルに対し、

「随分とモテていらっしゃるようですね」

 と、ヘクトが言った。

 内心びっくり。だが表面上は務めて冷静な表情を繕って、ツェルはいつの間にか隣に立っていたヘクトを見下ろして問うた。

「いつからいたんだ。君は」

「つい今しがたです。玄関先が騒々しかったので」

「そいつは失礼」

 軽口のように謝罪しながら、ツェルは紙袋の中身を見た。入っていたのは、肉や野菜を挟んだパンが幾つかと、酒が入っているらしき小瓶があった。投げつけられたときよく割れなかったものだなと感心する。

 一見して屋台か何処かで売っている物にも見えたが、よく見ると何処か不格好な出来をしている。

「……手作りか?」

「おやおや」

 首を傾げるツェルの横で、ヘクトは小さく笑みを零す。「良かったじゃないですか」というヘクトの言に、ツェルは「そうか?」と訝しむように返すと、

「毒入りじゃないといいですね」

 意地の悪い一言を残して踵を返すと、さっさと屋敷へと戻ってしまった。

 一人残されたツェルは、手に持つ紙袋の中身と睨めっこする。去り際に残されたヘクトの一言のせいで、妙に食べるのを躊躇ってしまうことになった。というか、そもそもどうして手作りである必要があるのか判らなかった。カルケルには飲食店が幾つも存在しているのだから、そこで買ったものでもいいのじゃないだろうか。

 いや、そもそもに。

「どうすっかなぁ、これ……」

 そうぼやくツェルに対し、勿論良い答えが返ってくることなどなかった。


 ――結局のところ、毒は入っていなかった。

 代わりにその可能性を疑ったという、罪悪感だけは残ったが。



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