三幕 『折れる剣』
カルケルから程遠くない、馬で半日――歩いても一日と少ししかかからない位置に、その廃墟は並んでいる。廃墟と言うよりは、廃屋の群れ――というほうが正しいだろう。まだ黄昏領が世界から隔絶される以前、この辺りは宿場街として栄えていたそうだ。
そうだ――という過去形。
現在ではその用途はなされておらず、それどころか人間の住める場所ですらなくなっていた。その原因は、言うまでもない。
黄昏の地と化したこのクレヴスクルムは、領土全域に凶暴な魔物が闊歩している。人間の住める場所は防壁の囲まれたカルケルのみであり、それ以外は等しく魔物に蹂躙されたのだ。
この宿場街とて例外ではない。この街に住んでいた人間は住む地を追われ、代わりに魔物が居座った――そういうことである。
そしてツェルたちは今、その旧宿場街。今では宿場街道と呼ばれる地に足を踏み入れていた。
「ぬぉぉおおお!」
剣を手にしたガイアスが叫ぶ。
獣の咆哮を彷彿させるような戦声が空気を震わせた。まるで物理的圧力でもあるかのようなその叫び声を浴びたゴブリンたちが居竦む。
居竦むゴブリンたちに向かって疾駆し、手にする大曲刀を横一文字に薙ぎ払った。力任せだが何処か研ぎ澄まされた気配を孕む凄まじい斬撃が並んでいたゴブリンを三匹まとめて輪切りにする。
骨肉をまとめて断ち、切断面から臓物が零れた。倒れ伏したゴブリンが流した血の海に沈む。
肉の解体作業を見せられているような気分だった。どうやらそれは他の面々も同じだったらしく、ローウッドに至っては「うひゃー。かんわんなぁ」と肩を竦めていた。
そんなガイアスの活躍だけで状況は終了――というわけにはいかない。あの三匹は言うなれば突撃部隊。敵の戦力を推し量るための、いわば捨て駒だ。
後陣から姿を現す増援の数は先遣隊を上回る数である。剣と斧を手にしたゴブリンの大軍勢が姿を現し、前に出ていたガイアスを視界に捉えると、一斉に廃屋から飛び出してくる。
「あらあら、沢山出てきましたねぇ」
と、のほほんと言える巡礼者――ラドリアンヌ・フォルスマイアに乾いた笑いを零しつつ、ツェルはやれやれと肩を竦めて剣を抜いた。
――ゴブリンに良い思い出はないんだよなぁ。
と昔を思い出していると、そんなツェルの頭上で熱量が膨れ上がるのを感じ、慌てて屈む。
振り返った遥か後方で、億劫そうに杖を手にしている魔術師の女――ルクレツァ・グレモリィが、その手にする杖を掲げていた。その仕草と頭上を飛び越えて行った熱量から、彼女が魔術を行使したのだと悟る。
一瞬炎の塊を放つ《火球》かと考えたが、熱の塊が地面に落ちると同時に巻き起こった爆発と熱波がそうでないことを知らしめる。あれは《火球》などではない。《火球》より上位の紅蓮の幕――《爆布》と呼ばれる魔術だ。
広がった紅蓮が爆ぜてゴブリンたちを呑み込んでいく。「ゴブリン相手にこないな魔術使う必要があるんか……」と、青ざめた表情でローウッドが零してた。まったく以て彼の意見に同意である。
だが、魔術を放った本人は、欠伸をしながら「疲れたから後は任せるわ~」と投げやりに言うのを耳にして、ツェルは絶句しながら戦場に視線を戻す。
視線の彼方で、無数のゴブリンが丸焦げになっていた。十……いや、二十は《爆布》によって倒せたのだろうが、それでもまだかなりの数のゴブリンが残っている。むしろ《爆布》の爆音を耳にして、さっきより数が集まっているように見えるのは、決してツェルの見間違いではないはずだ。
「待て貴様! そんな中途半端なことが許されると思っているのか!」
と、まるでツェルの気持ちを代弁するかのようにルクレツァに食って掛かっているのは、ラドリアンヌに付き従っていたあの女騎士。名はレオーネ・クロイツ。
激しい剣幕でルクレツァに食って掛かっているが、そんなレオーネの様子などまるで気にした様子もなく、ルクレツァは随分と軽い態度で女騎士の言葉を聞き流している。
その様子を見て即座にあれは駄目だな。と、ツェルは肩を落とす。
「ローウッド、背中は撃つなよ?」と言い捨てながら、疾駆した。「まかしときぃ」と返って来た返事の意味は、果たして『背中を撃つ』ということに対してなのか、『背中は絶対に撃たない』という意味なのかは考えないことにする。
駆けるツェルの脇を抜けるように矢が飛ぶ。追い越して行った矢が飛び出してきたゴブリンの一匹に突き刺さると、その一矢に導かれるようにして続く矢が次々と叩き込まれた。
顔を穿ち、胸を穿つ十数の矢を受けたゴブリンは突き刺さる矢の勢いで踊るようにたたらを踏んで絶命する。
容赦のない、その上で正確無比な射撃に息を呑みながら、ツェルは倒れたゴブリンを踏み越えてきた別のゴブリンへと肉薄した。
体躯はツェルの胸ほどのゴブリンは、錆付きながらも全身を頑丈そうな鎧に身を包んでいる。奪い取った物だろうか、と考えるのも一瞬。ツェルは大きな出刃包丁のような剣を振り被るゴブリンの腹を蹴るように踏みつけた。
「ギャア!」とゴブリンが悲鳴を上げるのも気にせず、ツェルはその顔に剣を突き立てる。断末魔はない。引き抜きながら、新たに迫るゴブリンを睥睨した。醜悪な貌の亜人は並ぶ牙を剥き出しに嗤い、ツェル目掛けて手斧を握って駆けて来る。
迫るその異形に向けて剣を振り上げ――ようとして、飛び退る。今まさにツェルに切り掛かろうとしたゴブリンの背後に、狂戦士の姿を見たからだ。
肉厚の大曲刀が、ゴブリンを一刀両断する。両断――というよりは、半ば強引に潰して、その結果で切った、というほうが正しいだろう。
「ちっ、仕損じたか」
そうのたまうガイアスの科白から、ゴブリンに巻き込んで自分を切る気満々だったのが感じ取れ、ツェルは億劫そうに嘆息する。
「代わりにお前諸共串刺しにしても構わないぞ?」
とぼやきつつ、一歩下がりながら剣を正面に突き出す。横から飛び出てきたゴブリンの首を一突きにして見せながら、「こいつと一緒にな」と言ってガイアスを見た。
「上等だ」と、ガイアスがにたりと笑い――そのまま力任せに曲刀を背後に振り抜く。
そこにいたのは、槍を手にしたゴブリンだった。ツェルが最初に踏み倒したゴブリン同様、頑丈そうな鉄鎧に身を包んでいたのだが、なんということだろう。ガイアスの振るった曲刀は、その鎧ごとゴブリンを輪切りにしたのである。鍛え抜かれた肉体と、あの巨大な曲刀を振るう際に生じる遠心力の賜物だろうが、それを抜きにしても鎧ごと相手を切るなど常人のやることではない。
――なんて膂力だ。受け太刀に回ったら、剣ごと両断され兼ねないな。
ガイアスの常識を逸した剣に舌を巻く。そして同時に思うのだ。
もし、この男が十人目だったなら――と。
それは何も、ガイアスに限った話ではない。彼を始め、ローウッドやラドリアンヌ、それに他の面々にしてもそうだ。
油断はできない。
気を抜くことはできない。
この場は、目的も知れない何者かが潜む陣中なのだ。一瞬の油断が致命となり得る――まるで綱渡りのような状況下で、そのことをおくびにも出さずに彼らと同道するのは、正気の人間がすることじゃないということは理解しているのだが、その危険性を負わねばならないのがこの黄昏領の現状だった。
一人でカルケルを出ていたら、これだけの数のゴブリンと一人で対峙せねばならない。それは自殺と何も変わらない行為だ。
故に、ツェルは彼らと共に行動することを余儀なくされている――次の瞬間には殺されるかもしれないという、その可能性があったとしても、だ。
「ぼさっとするな!」
レオーネが叱声と共にツェルの脇を駆け抜けて、細身の剣を鋭く突き出す。思わず感心するほど洗練された動きから繰り出された刺突が、剣を手にしていたゴブリンの喉を穿った。
「援護、ありがとう」
感謝の言葉をかけながら、ツェルはそんなレオーネと入れ替わるように前に出る。レオーネが討ったゴブリンの背後に隠れるようにして現れた、新たなゴブリンが突き出す槍を剣で受け流し、手首の返しで跳ね上げてから懐に踏み込むと――すれ違いざまに胴に薙ぎ払いを一太刀。
肉を断つ感触と共に、ゴブリンが絶命する。振り返って確認――しようとして、ゴブリンよりもその先にうずくまるレオーネの様子が目に留まる。
「どうした?」と駆け寄ると、彼女は蒼い顔をして口元に手を当てているのを見て――察した。
「実戦は初めてか?」尋ねると、彼女は言葉なく首を縦に振る。やはりか、とツェルは納得した。
彼女の様子は何ら珍しいものではない。兵士や騎士が、初陣の際によく見せる反応だ。人や魔物、すべからく命ある存在を始めて手にかける――それは当人が思っている以上に重圧感の感じさせるものだ。どれだけ修練を積み、どれだけ覚悟を重ねていようとも、初めて命を屠った際に生じる、『命を奪う』という禁忌を犯したという意識から萎縮してしまうのは当たり前のことだろう。
自分にだって、その経験はあった。彼女のように嘔吐を催すほどではなかったにしろ、それでも初めて命を奪った日の感覚は鮮明だ。
だから下手なことは言わず、ツェルは淡々とレオーネに言う。
「たとえ魔物であっても命を奪ったということに変わりはない。それはお前が自らの意思に則って行ったものだからな。此処で剣を取ることを辞めても、誰もお前を咎めはしない」
言うと、レオーネは「そんなことは……!」と柳眉を吊り上げた。が、ツェルは彼女の言葉を遮るように続ける。
「それでも、まだ剣を取るつもりでいるのなら、それに慣れるしかない。別に、殺すことに慣れろ――とは言わない。むしろ慣れてはいけない。ただ、胸に掲げろ。誰かの、何かの命を奪ってなお、成さねばならないことを」
それさえあれば、大丈夫だ。そう言う風に言葉を切って、ツェルは立ち上がった。言っておきながら、自分でも随分と下手糞な慰めをしているな、と自嘲する。
だが、それでも何か言葉をかけてやらなければならないと思ったのだ。それは、戦場に立つ先人の務めだという意識からなのか、あるいはそれ以外の意図があるのかは、自分の行いだというのによく判らないのだが。
そんな考えを溜め息と共に捨て去り、ツェルは今一度レオーネを振り返り、
「今は後ろに下がっていろ」
そう言い捨てると、ツェルはゴブリンの群れを相手に孤軍奮闘するガイアスの下へと駆け出した。
ゴブリンたちが迫り来るツェルに気が付くと、奇声を上げながら手に手に武器を掲げて迫って来た。だが、そんなゴブリンたちがツェルに辿り着くよりも早く、次々と飛来した矢がゴブリンたちを貫く。
矢を受けたゴブリンたちは、悲鳴を上げてその場をのたうち回り――そこにツェルが飛び込み、無抵抗なゴブリンに容赦なく剣を振り下した。
血溜まりが出来上がり、その中にゴブリンたちが転がる形になる。すると、今なおゴブリンたちと剣を交え続けるガイアスが嬉々と叫んだ。
「ははっ、随分良い絵になってるじゃあねーか! 流石は〈血塗れ〉ってところだな!」
上手いことを言っているつもりなのだろうか? だとしたら、まったく面白くない。
と、呆れの視線を返すと共に、ツェルは手近にあったゴブリンの手斧を拾い上げ――無造作に投擲する。
ガイアスの背から襲い掛かろうとした一匹の背中に、すとんっと吸い込まれるように斧が叩き込まれた。悲鳴を上げて武器を取り落したゴブリンが、遅れてツェルを振り返り――刹那、その首が刈るように振り抜かれた剣を受けて刎ね飛んでいく。
斬撃の暴風と化したガイアスの苛烈な剣閃は、まるで罪人の首を刎ねる処刑執行人のようだ。あの豪剣――否。暴力の権化の前では、如何に数で勝ろうとゴブリン程度では一矢報いることも叶わないだろう。
ゴブリンたちが気勢を上げてガイアスに群がる中、ツェルは向かって来るゴブリンだけを的確に相手取りながら視線を巡らせた。
これだけもゴブリンがいるのだ。彼らを統率している統括者がいるはず……そう思って辺りを見回し――そして、その影を見た。
三階建ての廃墟の屋上。そこにぬぅ……と姿を現した人影。ツェルと共にこの黄昏領に招かれた最後の一人。頭巾の男――コール・ヤクトウルム。
その右手に握られているのは、血に染まった大振りの短刀。
そして、左手に握られているのは――切り落とされた異形の首頭。
コールは何の感慨もない様子で、その手に握っていた首頭を無造作に戦場へ放り投げた。数回、地を跳ねてその頭が地面を転がり、ゴブリンの群れの中で動きを止める。
地面に転がったのは、他のゴブリンたちよりも豪奢な頭飾りを付けたゴブリンの首だ。おそらく、これがこのゴブリン群の統率者だろう。
推察を確信づけるように、ガイアスと争っていたゴブリンたちが粟を食ったように混乱し始めた。喚き声を交わして右往左往し、揚句無防備になったところをガイアスの曲刀に屠られるその姿は滑稽を通り越して哀れにすら思う。
勿論、魔物に容赦することも、慈悲をくれて理由などないのだが。
鬼気迫るガイアスの剣舞で、次々と挽肉になっていくゴブリンを見ながら、ツェルはほんの僅かだけ安堵の吐息を漏らす。
最も、そのわずかな間に感じた安堵感すら、次の瞬間に去来する緊張感で掻き消えてしまうのだが。
――彼らと行動を共にしてから、すでに七日が経過。
未だ誰が十人目なのか皆目見当がつかないまま、気の休まらない探索を繰り返していた。
目指していたのは広い宿場街道の先にあるという遺跡。かつて宿場街が栄えた要因となったその遺跡を、ツェルは見据える。
「ようやく到着……か」
予定ではもう少し早く辿り着けるはずだったのだが、思った以上にゴブリンが群を成していたため、結局七日も時間を要してしまったのだ。
「しっかしまあ」と、ゴブリンの死体を見分し、金目のものを漁りながらローウッドが言う。
「まさかほかん贄者たちが軒並み諦めているっちゅーのにはびっくりやなぁ」
ツェルは「まったくだな」と首を縦に振った。
――贄者。
ツェルたちのように、時折黄昏領の外側からこの世界に招かれる存在をそう呼ぶ。ついでに言えば、黄昏領の元からの住人たちの末裔たちは、総じて領民と呼ぶらしい。
そしてツェルたちのような贄者たちは、領王リヴェレムの下に赴き、元の世界への帰還を願うために領城を目指す――というのがかつての通例だったそうだ。
だが、現状はそれから遠くかけ離れていた。
最も、その気持ちも判らないでもない。
この黄昏領は、恐ろしいほど魔物が多い。そしてそのどの魔物も、ツェルたちの知る同一の魔物に比べても個体の強さが桁違いであり、且つ彼らは異様なまでに集団戦闘に慣れていた。
それが意味することは一つ。攻略が極めて困難になっている――ということである。
本来、集団を作って戦いに挑むのは人間の業だ。それだけが唯一強大な魔物が相手でも戦える無二の手段だったのである。
しかし、それも此処では通じない。並みの戦士が並の集団を組んだところで、この黄昏領の魔物の強さは集団の総合力すら上回っていた。
唯でさえ強固な魔物が、群れとなって跋扈する――そんな黄昏領に足を踏み入れると言うのは、最早自殺と同意である。
故に、黄昏領の攻略を諦める贄者が後を絶たず――その結果、カルケルは都市と呼べるほどの機能を有した街になったそうだ。
あの街に居る贄者の数はおよそ二〇〇〇。しかし実際にカルケルを出て黄昏領を探索している贄者たちは百人足らずだと知った時には、ツェルは酒場で莫迦騒ぎしている連中を血の海に沈めようかと半ば本気で考えたほどである。
そしてそれこそが、ツェルが今この場にいる面子と行動を共にしている理由であった。
端的に言って、あの街で管を巻いている連中はまったく役に立たないと一見で判ってしまったからである。
昔とある学者かが言った。
権力を持つ者が莫迦なのは、敵が強いよりも始末が悪い――と。
だがしかし、である。
使えない味方を連れて戦場に立つよりは、腕の立つ敵を利用する方がまたマシだ、と思うのだ。特にこんな状況下では。
そう考えながら、ツェルは盛大に溜め息を吐いた。なんだかんだと言い訳しようと、結局は問題解決を後回しにしている言い訳だと言う自覚はある。
だがせめて、解決の糸口が見つかるまでは使える連中を使った方が楽だ――というのが、ツェルの下した途中回答だった。
「黄昏ているところ悪いんだけど」と、唐突にかけられた声に、ツェルは疲弊した表情を隠しもせずに振り返る。
立っていたのは、魔術師のイメージには不釣り合いな露出の多い服を着た魔女、ルクレツァだった。
彼女は口元ににんまりとした笑みを浮かべながらツェルを見上げて、且つ面倒臭そうにある方向を指差しながら言った。
「そろそろあの戦士さんを止めたほうがいいんじゃない?」
「何?」
言われて、ツェルはルクレツァが示した方向に目を向けた。
その先では、敗残兵のように蜘蛛の子散らすように逃げ回るゴブリンたちを追い立てて、一匹捕まえては殺し、また一匹捕まえては殺しと言う虐殺の限りを尽くす狂戦士……ではなく、ガイアスの姿があった。
「放っておけ。気が済んだら戻ってくる」
「あの傭兵はんは犬かなにかかいな?」とボケるローウッドは無視しておく。あと、似たようなものだろう、とは思ったのは言わないでおいた。
ルクレツァが目を丸くし「あら、冷たいのね? 御友達なんでしょう」からかうように言う。ツェルはうんざりしたように肩を落とし、
「そう見えているなら、貴女の目は節穴だと証明されるだろう」
と返すと、魔女はくつくつと嗤って「あら、それは困ったわね」とまったく困った様子もなく意味ありげに目を細めた。
気になる視線ではあったが、恐らく聞いたところで知りたい答えはくれないだろう。「存分に困っていてくれ」と投げやりに返しながら、ツェルは踵を返して歩き出す。
その先には、ラドリアンヌとレオーネがいた。
未だうずくまったままのレオーネの背を、ラドリアンヌがさすりながら「大丈夫よ」と声をかけている。ツェルはそんな二人に歩み寄って、「大丈夫か?」と声をかけながらしゃがみ、視線を同じ高さにしてレオーネの顔を覗き込む。
ツェルに気付いたレオーネが、青い顔をしながら「さっきはすまなかった」と、邂逅一番に謝罪してきたのには聊か驚いた。
初めて廃墟で邂逅した時、あれほど剣呑な雰囲気を醸し出していた人物とは思えないような、と苦笑な態度に思わず言葉を失ってしまいそうになる。辛うじて思い留めると、ツェルは「こっちこそ」とかぶりを振った。
「改めて礼を言っておく。さっきは助かったよ」
「そうか……なら、良い」
何が良いのだろうか、などという無粋なことは言わなかった。代わりに微笑を浮かべながら、ツェルは視線をレオーネからラドリアンヌへ移す。
「貴女の騎士の手を煩わせたこと、お詫びいたします」
そう一礼すると、ラドリアンヌはうふふと笑いながらかぶりを振った。
「わたくしに礼を言う必要はございませんよぉ。彼女が彼女の意思でそうしたのですから、わたくしはそれを尊重こそすれ、咎めることもしませんし、また貴方を糾弾することもありませんよ」
そう朗らかに言った後、ラドリアンヌはふと気づいたように手を叩き、「それから~」と満面の笑みで言った。
「わたくしに敬語を使う必要はございませんよ? まだまだ修行中の女神官ですので」
「ははっ。では、今後はそうさせてもらうよ」
ツェルは承諾するように肩を竦める。
「おいおい。戦場で女を口説いているのか?」
と、背後から小莫迦にするような科白が投げかけられた。振り返ると、其処にはいつの間にかゴブリン虐殺を終えたらしいガイアスが立っており、つまらないものを見るような視線でこちらを見下ろしている。
爛々とした殺気と闘志の宿る眼光。しかしその眼光の中に、僅かだがそれらと異なる色があることにツェルは気づいた。
――なんだ?
向けられる視線に込められている意味を探ろうと、視線を交錯させる。
対峙させる。だが、意図を推し量るよりも先に、ガイアスが「ちっ」と舌打ち一つ零して踵を返したことで、それは叶わなかった。
「……ホント、なんなんだ?」
思わず口に零してしまうほど、彼から向けられた視線の意図が汲み取れず、困惑する。だが、考えていたところで答えなど出るわけもなく、ツェルは溜め息一つ零して匙を投げた。
第一、あんな戦闘狂の視線一つに思考を裂くよりもまず、するべきことがある。
と同時に、さっきからずっとしゃがんだままでいたのに気づく。立ち上がりながら視線を動かし、彼方へ――あるいは目前へ――と向けた。
巨城がある。
堅牢で、重圧な、それでいて何より観る者を威圧するような雰囲気を醸し出す――石造りの遺跡。
この遺跡は、カルケルから黄昏領の各地へと通じる、唯一の門だ。
贄者たちは、この遺跡の中を通って、黄昏領の各地に点在する《迷宮》へと向かう。
言うなれば、これは通過儀礼だ。
先人曰く――この遺跡の攻略が出来ずして、黄昏領の攻略などできない。
この遺跡を踏破することで、贄者たちは真の意味で黄昏領の攻略に挑む資格を得るのだそうだ。
「さてと……鬼が出るか蛇が出るか。あるいは何が現れるんだ?」
石の遺跡――またの名を交差路の遺跡と呼ばれるその建造物を見上げながら、ツェルは小さくそう漏らした。