小話
そのもの
大空を翔る覇者
大地を蹂躙する覇者
水を割り泳ぐ覇者
全ての覇者、この世の長
人と歩みし、この世の友
忘れること無かれ
忘れること無かれ――――
陽楽駿山海記第36章序章 作者不明
「碧耀」
読んでいた本から目を離し、幼子は首を傾げる。
「なんでドラゴンは人と関わらないの?友ではないの?」
「歴史とはその長さゆえに忘れ去られるものよ。ここは消された記憶、行き場の無い記憶が集まる。汝はその一つを解いただけよ」
「...碧耀はたまにわからないことを言う」
「その本は忘れられた記憶ということだ」
見上げるほど大きな本棚が延々と続く回廊。清浄な光と空気に満ち、先の見えない本棚が幾列も立ち並ぶ不思議な空間。
まだ少し幼さい面影の残る一人の少年はふぅん、と呟いて今まで読んでいた本に再び目線を落とした。
「忘れられちゃったのか」
「忘れられてしまったのさ」
若い声に返すのは重くずっしりと腹に落ちる声。
翳った書面に少年は顔を上げ、話し相手を見上げる。
「人は忘れてしまうのか」
「人は忘れてしまうのだ。人の命は短い。短い命を繋ぎ、繋ぎ続ける間に忘れてしまった」
「...虚しいな」
「虚しいな」
グルグルと彼は喉の奥で碧耀は笑う。重低音は本棚の間の空気を揺らし消えていった。
幼子は再び本に目線を戻す。読んでいたページに指を挟み、本を閉じて表紙を見つめる。濃い緑の、褪せた色をした表紙だ。作者の名は記されていない。書かれた年代も、その思惑さえも。
「...せっかく残されたのに、かなしいね」
「......かなしいな」
寂しく呟く少年に大きな影がかかる。そっと手を伸ばして鼻先に触れれば、碧耀は満足そうに息を吐いた。
エメラルド色の透き通った鱗が光を透かす。影は濃くなり、光に当たれば薄くきらめく。畳まれた羽はもう二度と開かれることは無い。この場所で、自由の翼は必要ない。自由に記憶の間を漂う彼に、理に縛られた、忘れてしまう世界での自由を得る翼など、もう彼はいらないのだから。
「かなしいね」
「かなしいな」
金茶の瞳は静かに瞼を閉じた。
いつか夢を見よう。遠い昔の夢を見よう。
生きる物のいない世界で、遠い昔の夢を見よう。
まだ君に翼があったころ。
空を駆ける君に会いに行けたころ。
そんな昔の夢を見よう。
遠い世界の夢を見よう