八の幕
いよいよ動き出します。
ハンヴィーを駆ること数分――《NYF》に到着した彼らは事務所の中に入っていた。
依頼して以来なんの音沙汰もなかった待ち人の来訪に、腰かけにふんぞり返っていた五十嵐は立ち上がった。
「無事だったか」
「それにしては感動がない様子ですね」
「いや、お前たちであればきっと無事であるとは思っていたからな」
五十嵐はそう言って、再び腰をかける。
「――で、依頼したものは?」
「大量に持ち帰ってきましたよ。さきほど受付に渡しました」
「それはなにより。ご苦労だったな」
津島は紙入れを渡す。「これが勤務中の消費弾薬数になります」
「ふむ、思ったよりも使用している」
「今さら負担はできないとは言わせませんよ」
紙切れを見入る五十嵐に、津島は言った。
「無論、報酬に上乗せするから安心しろ」
言いながら五十嵐は、机上の受話器を耳にあてがう。「ああ、よろしく頼む」
通話を終えた五十嵐は、満足気に頷いた。
「素晴らしい仕事ぶりだ。敬服の念をもって、その成果には相応の対価を払わねばなるまい」
彼女は小切手に数字を走り書きして、津島に渡した。「受付に渡せば紙幣に変えてくれる」
異様に〇が多い数字を見た津島たちは、色めき立つ。
「うほっ、これなら数日はピザ三昧ですなァ!」
「豪遊、放蕩なんでもござれだ!」
ブギージャックはいてもたってもいられずに、早々に受付へと向かおうとするが。
「待ちたまえ」津島は彼を止める。「お前にこれを託す」
小切手を渡してくる津島に困惑するブギージャック。そんな彼に津島は、決然として語る。
「俺にはまだやらねばならないことがあるのだよ」
「つ、津島さん、――貴方まさか!?」
ブギージャックは鼻水を垂らした。
「そのまさかだよ。ああ……人生色々あったがどうにかなるものだな。お前は先に帰っていてもいいぞ。ハンヴィーはそのままレンタルしておくといいさ、うはははっ!」
「死にくさ――……吉報をお待ちしています」
なにやら穏やかではない発言をすべらせようとしたが、ブギージャックは一欠けらの良心をもって、友の旅立ちにエールを送った。
ブギージャックは退室する間際、振り向きざまに唸るように警告を鳴らす。
「あくまで紳士であれ」
その意味深な一言には、あまりにも多くの意味が込まれていた。うちなる野獣に促されるまま女人を虐げることなかれ。煩悩を律し、人としての尊厳を保ちつつ事に及ぶがよろしい。もしくはそれが到底己の力に及ぶ範囲ではないと悟るならば、潔く手を引くことも選択肢の一つだし、むしろそちらを甚だ推奨する所存である。身の丈を思い知れ、そして重んじろ。
端的にいうところの『一蓮托生の誓いを裏切る輩は死ね』だった。
そうとは知らず津島は友の声援に心動かされ、心得たと返答して無二の友を見送った。
「……で、なぜお前はまだここにいる?」
そんな津島に、五十嵐はきょとんとして訊いてくる。
見かけによらず抜けているところもあるのだなと津島は大袈裟に肩を竦ませるも、恥をかかせはしまいと暗に説明する。
「マイブラザーはすでに雄叫びを上げていますよ。貴女はどうですか、紅華さん?」
「……気でも触れたか?」
「焦らしますね」
「お前はなにを言っている?」
なかなか意思の疎通が取れない。業を煮やした津島は率直に言う。
「もう一つの報酬の件ですよ」
「……ああ、それか」
そこでようやく五十嵐は察した。すかさず津島は本題に移る。
「もちろん明日でもいいのですが、紅華さんが望むのであれば……今日この場で貰うこともやぶさかではありませんが」
「まったくしょうがない男だな。どうして今すぐ欲しいとは言えないのだ?」
「紳士ですので」
「そのわりにやけに発情しているようだが?」
「……不覚」
紳士である前に一匹の狼。いかに己を律しようとも荒ぶる野性的本能に抗えるはずがない。
待ちわびて早二十年。これまでの苦悩の日々はすべてこの日のためにあったんだなぁとか、ちゃんと女性をエスコートできるかしらなどと思念にどっぷり浸かっていた頃には、すでに津島の念頭から《友の警告》は消失してしまっていた。
すっかりエロースの忠実なる僕と化した彼は、全身を暴れ回る性衝動に盲従し、うちなる欲望を吐きださんがために五十嵐に襲いかかったのだ。
「――ぐふぅ!?」
しかし失敗に終わった。のみならずなぜか、背後から首根っこを押さえられて、しまいには自由を奪われてしまう。
だが、これもこれで大変によろしかった。
不躾に押しつけられてくるたわわな胸を背中で感じとり、みなぎる興奮を躍進させる。
「紅華さん貴女ッ、あちら側の手合いでしたか。くっ、無論……付き合うことやぶさかではありませんよ……!」
むしろこの状況を糧に、より快楽を貪ろうとする津島。見上げた変態である。
耳元で、五十嵐が猫なで声で囁く。
「私はこんなものでは満足しないぞ……」
「奇遇ですね。俺もですよ……」
意気投合したふたりは互いに身体を押しつけ合いながら、熱く滾る欲情を堪能する。ところがその途中で、なにを思ったのか五十嵐は動きを止めた。
「すまんが報酬はここまでだ」
「……へ?」
肩透かしにもほどがある終了に唖然とする津島。だが次第に怒りが込み上げてくる。
「おおおおのれえぇ、謀ったなァ!? 中途半端が一番嫌いなん……だよ?」
「こうする他なかった」
背中に冷たいなにかが押し当てられる。
「動くなよ。動けばこの銃でお前を殺す」
五十嵐は引鉄に指を絡ませながら忠告した。冷気を纏った声色を察するに、手垢のついたただの脅し文句でもない。そのままの言葉どおりの意思表示だった。
「……目的は?」
「さきほど部下の者から報告があったのだ。私たちからすればまさに渡りに船。だがお前たちからすれば、そうだな。花に嵐としか言いようもない災難だった」
思いあたる節は、あった。
「――やはり、あの少年ですか」
「……勘づいていたか。ああ、そうだ。不運なことに、とある目的のために私たちはその少年の身柄を欲している。さらに不運なことにお前たちがその少年を匿っている。おおかた依頼を引き受けたのだろう? 実に厄介な囲いだよ」
汗ばむ津島の首筋を舐るように嗅ぎまわる五十嵐は、艶めかしくも危険な微笑を浮かべた。
「厄介な囲いは排除せねばならないな」
お前の命はこちらのさじ加減で左右されるのだと誇示するかのように、いっそう銃腔を押しつけてくる五十嵐。なのに津島は怯える素振りもなく、むしろ飄々としていた。
「ではどうしてまだ、俺は殺されていないのでしょう?」
「ふふ、そういうところを見込んでいるからだよ。殺すには惜しい。どうだろう、今回の依頼だけは手を引いてはくれないか。今後の信頼関係のためにも、な?」
「俺がそう簡単に聞き入れると思いですか?」
「無論ない。お前が傭兵として並々ならぬ誇りと信念を抱いていることは熟知している。だからここからは提案なのだが、手を引けとは言わない。ただ、やむなく身柄を拘束されてしまえ。依頼は失敗に終わるが、依頼放棄という汚点だけは免れよう」
「なるほど、魅力的な提案ですね」
彼は吐息をもらした。「だが答えは《NO》です」
「……本気か?」
「もちろん、本気も本気です」
途端に空気が変わった。
「そうか。これは取引ではなく命令だったのだがな。……残念だ。本当に、残念だよ」
それまでまがりなりにも友好的な態度を保ってきた五十嵐の態度が一変した。その指先に明確な殺意が込められる。
「どうした、震えているぞ。死を直感して恐れたか?」
五十嵐は肩を揺らす津島に冷ややかな言葉を投げかける。が、直後に、気が触れたのか、津島が噎せ返るように嗤いだした。
「くははは……ッ! あんたはまるで分かっていないようだ」
五十嵐は片眉を曲げる。
「安穏と腰がけにふんぞり返るのが常のあんたに俺は殺せない」
「戯言を抜かすな」
「初弾は装填されているか? 安全装置は解除済みか? 撃鉄は起こしたか? 殺す覚悟はできたか? 転じて、殺される覚悟はできたか?」
「口を噤め」
一発の銃声。
炸薬とともに鉄が弾けた。大気を震わす金属質の音が残響する。硝煙たゆたう一室は、香ばしいガンパウダーの匂いで充満されていった。
「……」
射手の手から、自動拳銃がこぼれ落ちる。
「どうした、震えているぞ。――死を直感して恐れたか?」
銃身がてのひらで傾けられていた。あまりに作為のない動きに、五十嵐は気づけなかった。
逆に銃を突きつけられた彼女は、凶相を浮かべる津島を前にして、怯えの色を隠せない。
「……まいったな」
五十嵐は擦れた声で胸中をもらした。それでも、彼女はなけなしの意地を引き絞り、威厳を取り繕ってなお減らず口を叩く。
「それで、私を殺すか? それとも、私の胸を弄んだ挙げ句に風穴を開けるか? 生かしもせず、殺しもせず。さぞや胸がすく思いだろうな?」
「もしやそちらがご所望ですか?」
銃身部分を肌肉の膨らみに食い込ませ、津島は残酷な笑みを湛える。
「……ッ」
五十嵐の額に脂汗が滲んだ。
しかし津島が突然――。
「はは、冗談ですよ。紅華さんみたいな魅力的な女性を傷つける気など毛頭ありません」
銃器をレッグホルスターに収納し、一転して態度を改める津島。
「……一体、なにを企んでいる?」
依然として五十嵐は緊張を解かない。いや、解けない。いつ再び敵意を向けられるか分からないからだ。
「別に。ただ、いちおう確かめたいことがありまして」
津島は囁くように訊いた。「だれの差し金ですか?」
五十嵐の瞳が、わずかに大きくなる。
「貴女が単独犯にしては少々大胆すぎる。緻密性に欠ける、といってもいい。第一、本来の貴女であれば取引を持ちかけるまでもなく邪魔者は消すはずだ。そうじゃないと仮に取引成立したとしても、しこりが残るのは必然。何事も後腐なくを流儀とする貴女の本意ではない」
津島は言葉を継いで、締めくくる。
「違いますか、紅華さん?」
「――ふん、本当に頭の回る男だ」
五十嵐は、津島に背を向けた。
「だが私からはなにも言えないのだ」
「……ま、とりあえずこっちでなんとか対応してみますよ。そちらに望むのは、手荒い歓迎は今回だけでってところですかね」
ドアノブに手をかけ、津島は部屋を後にしようとするが。
はたと、頭部に鈍痛が広がった。
「――っ!?」
油断をつかれ転倒する津島に覆いかぶさる数多の影。
見れば、取り巻く男たちの中には見慣れた傭兵の姿があった。そして、通路の奥には、ブギージャックが、こちらも等しく、重く圧しかかる銃腔に身動きが取れていない様子だった。
瞬く間に数人の男たちに身柄を拘束された津島は、反射的にはっと見上げる。
「――もう、私の及ぶ範疇ではないのだ」
見下ろしてくる五十嵐は、どこかさじを投げたような弁明した。まるで自分も巨大なうねりに巻き込まれた《一被害者》だと言いたげに。
天神において一定の影響力を擁した彼女をこうまで言わせるのだから、ことのほか状況は深刻であり、背後で糸を引いている存在は巨大だと考える。しかも、それに傭兵たちもが加担しているとなると、まさか。
「街全体が?」
「…………」
沈黙。だが、それだけで十分だった。
街の総意だとすれば、今頃は《荒事》に及んでいることだろう。
津島はここではない、かけ隔たった場所を遠望するかのように、内壁を見つめた。
どうか皆、無事であってくれ。彼は、切に願った。
いつもながら、読破御礼申し上げます。




