五の幕
赤錆びた廃車の屋根の上に座り込む東条は、PSO‐1照準器によって映しだされる遠方を見咎めていた。なにかを思いだした拍子に、彼の口元から醜悪な笑みがもれる。
「くっくっ――……なかなか面白いみせもんだったぜ、隊長殿?」
「黙りたまえ」
津島はバツの悪そうに言う。
「別に銃身を尻の穴に挿さして起こさなくてもよかっただろうに」
「だってなかなか起きなかったじゃん。ぶっといの入れられて快適に起きられたでしょう?」
薬師寺はブギージャックが携えるペチェネグを一瞥しながら、悪びれる様子もなく言った。
「無理矢理取るなんて……酷いですよ、玄太君」
ブギージャックは可哀相に、沈痛な面持ちで愛銃を見つめている。
「私の愛人が穢されてしまった」
「黙りたまえ」
そう言ってガスマスクをかぶった津島は、東条に訊く。
「――で、様子はどうだ?」
「やっぱりシキビトの奴ら、どういうわけか街の出入り口に向かっていってるな」
「出入り口というと――最初に俺たちが突入した場所か?」
「ああ」
夜が明けてほどなくして、不可思議な現象が起きた。昨日は即席バリケードの外縁だけに飽き足らず、半径百メートル――車道から路地、そしてその裏等々まで夥しい数のシキビトが彷徨っていたというのに、今ではバリケード外縁に群がるほどしかいなかった。
ブギージャックが腑に落ちない現象の原因を推測してみる。
「五十嵐さんが救援を送ったとは考えられませんか?」
ただしそれは、薬師寺によって冷ややかに反論された。
「あの女がそんな玉に見えるの?」
「それは考えにくいだろう」津島も同意する。「が、万が一、本当に救援を送っていたとしたら、それは奴が俺のことを根っから愛していたということに繋がるな」
「意味の分からん持論を言うな。それにあの女は根っからの魔性だぜ」東条は低く唸る。「奴が救援を送ったとしても、それは俺たちじゃなく物のためだろうよ」
「そして、必要な物を手に入れたら遁ずらするって魂胆だろうね」
口々に言う東条と薬師寺の表情は暗澹たるものだ。
自分の美貌を理解した上で男を利用し、どこまでも利用した末に使い物にならなくなれば躊躇することなく処分する。当然、津島たちに助けを遣すはずもなく、よしんばあったとしても薬師寺の推測するとおり。そうしてまた一段と天神での地位を不動のものへとする魂胆であろう。それが五十嵐紅華という狡猾な牝の本性であることは、津島とて承知済みだ。……そのためにはどういうわけかバイオ燃料がいることだけは不可解だが。
「であれば、いよいよ早急にここから脱出するほかないということか」
津島はひとまず目下のことに集中する。「――各員、戦闘準備はできているな?」
無論だと示すように各々は銃火器を構えて安全装置を解除した。
「よし、標準作業手順(SOP)に従ってここから脱出するぞ。最後尾は東条に任せる」
「了解、任せとけ」
東条は三点スリングでM24を背負うと、代わりにM4カービン銃を引っ提げた。
「昨日の二の舞いにならないよう大通りは避け、目標地点までは路地から路地裏を伝って迂回していく。なにか質問はあるか?」
「弾薬に制限は?」ブギージャックは問う。
「無論ない。ありったけの銃弾を叩き込んでやれ。だが、無理に殺す必要はないぞ。奴らの脚を吹き飛ばせ、無力化にさえすればいい。殺しても金は降ってこないからな」
「むはっ、いいですねえ」
頷くブギージャックの双眸は、獲物を捉えた時の歓喜する猟師のそれだった。
津島は三本の指の腹を見せる。それすなわち、これより戦闘開始のカウントダウンがなされる動作である。
「カウントゼロを合図に、十二時方向に密集している奴らに手榴弾をお見舞いしてやれ」
「破壊は未来、喜んで」
すでに手榴弾の安全レバーを握っていた薬師寺は、抑揚を抑えた小さな声で返事した。
各々は膝射姿勢に移り、戦闘に備える。固唾を呑む彼らを指揮する津島は、そっと指の一本を閉じた。そしてまた一本を折り曲げて、最後の一本、親指をてのひらへと収め拳を握った。
投擲の合図。
鉄の破片と炸薬が破裂した轟音が鳴り響く。黒々とした怪奇の群れの一帯が爆発により弾け飛び、穴が開いた。文字通り、厄介な囲いに風穴を開けたのだ。
もとよりグロテスク甚だしい存在であったシキビトは、もはや形状の欠片すらも残さないほどに破壊され、向かい側から肉片や骨の破片が舞い散る。
華やかにして豪快な狼煙が上がったと同時に、数え切れない幾千幾万の銃弾の一つ一つが、腐敗した肉の塊でできた壁を削ぎ取っていく。知性もなければ恐れもないシキビトたちは、危険を察する余地もなく、しかし奇妙なことにそれらの呻き声に悲痛を滲ませていた。
有刺鉄線の切断に取りかかっていた東条が声を張り上げる。
「切断完了!」
「了解した。敵の数は圧倒的だが臆するな、己を律しろ。しかし高揚は休めるな。殺意を滾らせ、殺意を注げ。さすれば道は開かれる」
アウトサイダーが隊長、津島景久は昂然と宣した。
「諸君――死の淵から生還しようか」
天地を揺るがすほどの喊声が、陰々たる地獄の臭気を掻き消した。
《GO》の合図をだしたのを皮切りに、津島は先頭をきって包囲網突破へと繋がる一筋の道を縫うように滑っていく。続く薬師寺、ブギージャック、そして東条らも果敢に突っ切る。執拗に押し寄せるシキビトを始末していく彼らは、ひとまず大通りから離れようと側道に歩を進めて路地の中へと身を暗ませていった。
「くそぅ、最悪だ……」
津島は落ち込んでいた。
「玄太、化け物どもを木端微塵にしてくれ」
そして殺気立っていた。
後方より追ってくるのろまなシキビトたちなど捨て置けばいいものを、あえて銃火を浴びせるとは愚策としかいいようがない。無力化にさえすればいい、殺しても金は降ってこないと言ったのは紛れもなく彼自身だというのに。
しかしそんなことにはお構いなく、薬師寺は、むしろ喜々として与えられた仕事を忠実にこなそうと、やたらと手榴弾の安全ピンを抜きまくる。
「おいブギージャック、側面より接近してくる脅威をことごとく抹殺せよ」
「もうやってます」
既にブギージャックは照準スコープを覗き込み、溜まりに溜まったフラストレーションをすべて叩きださんとする重火器の雄叫びを放散していた。漂白されたような真っ白い歯をむきだしにして、彼は清々しいほどの笑みを浮かべる。
「むはははっ、血肉臭くて鼻が曲がりそうですねえ!」
のべつまくなしに撃った甲斐もあってか、周辺一帯の脅威を排除することに成功。まともに弾幕を食らったシキビトたちは被弾の衝撃で四肢がもぎ取られる。オーバーキル。目を覆いたくなる光景に津島は、さらに、さらに、もっともっと血祭りにあげろと喚く始末だ。
見るに見かねた東条は、津島をたしなめる。
「おいおい、ちとばかし熱くなりすぎじゃねえか? いつものお前らしくないぜ」
「……いつもの俺とはどういう俺だ?」
「しょうがねえじゃねえか。無くなったもんは早く忘れた方がいい。グロッグ17ならまた買えばいいだけ。でも命は買い直すことが無理だ。命あるだけまだましだろ?」
グロッグ17。奇しくも津島が先日買い換えたばかりの代物である。そして悲運にもさっきシキビトの手から逃れる途中で手から滑らせてしまい、泣くなく別れを告げた代物だった。
「あれはとても高かったのだぞ!? それなのにろくに使ってもいないのに、クソ忌々しいバケモノどものせいで……っく。この哀しみ、お前には到底理解できないことだろうなあっ!?」
猛烈な勢いでまくし立てられた東条は困り果ててしまう。この怒りの権化をどう対処したらいいものかと彼が考えあぐねていたところに、すると、ある意味好都合なことが起きた。
「お前、もう仲間じゃない。バケモノに噛まれただろ? おで、哀しいけどお前殺す」
「お、お頭……そんな殺生なっ! あんたが街中調べてこいって――」
弛緩した空気を締めつける発砲音。
五名の、いや、たったいま四名になったグループが幹線道路の中心で屯っていた。
この世界のように赤く彩られた身なり。自家製のそれは、小枝と紅葉とつる草などが丹念に貼りつけられている。視覚を欺く兵装が、連中を無法者のギリーだと知らせてくれた。
ただここで、一つの疑問点が浮かびあがってくる。
「殺人大好き強奪大好きのギリーがなんだってこんな場所にいるんだ?」
小路の角に背をつけて、訝しげに覗く東条は言う。
「ひょっとすると本当にあの魔女が俺たちを見限って連中を遣したのかもしれんぞ」
「遣すといっても、無法者のギリーをですか?」
「なにか後ろめたい《内情》がある、と推測してみたり」
ブギージャックの問いに、薬師寺が答えた。
津島は言う。
「いずれにせよ推測でしかない。それよりもだ。ふう、間一髪だったな」
ギリーの背後に、懸案のハンヴィーがあった。荷台に積まれた燃料タンクもまだ無事だ。
「……あれさえも失っていたら俺は気が触れていたかもしれん」
言葉とは裏腹に、津島の顔が嗜虐的な笑みに支配されていた。
「奴らを皆殺しにしてさっさと仕事を終わらせるとしようか」
冷酷無比な津島の言葉に東条は口を窄めるが、無意識のうちに再装弾する彼自身もまた、血も涙もない冷酷な殺し屋であることを忘れてはならない。
そんなとき、薬師寺が呟く。
「あれ……? だれか、あそこに人らしきものが見えるんだけれど」
目を凝らしてみると、彼が言うように、道端付近に横ざまで倒れ込んでいる二つの人影が見えた。ひとりは女性で、もう片方は背丈から判断するに幼い少年のようだ。双方とも手足を縛られているようなので、旅の道すがら不運に遭った哀れな旅人といったところだろう。
「妙案が浮かんだぞ」
既視感を抱かせる状況下で、津島がにやつく。
「へぇ、なに?」
「哀れな旅人を見事救いだし、報酬を多分に要求する。運がよければ失われしグロッグを買い直すだけの金を得られるやもしれぬ」
「確かに。あの男の子、豪奢な服装しているもんね」
薬師寺も同意見のようだった。
「ふふ、妙案だろう?」
水を得た魚のようにはしゃぎだす津島を見て、ブギージャックが率直な意見を述べる。
「津島さん貴方ゲスですね。だがそこがいい」
「うむ」
津島は行動に移る。
「俺が正面ふたりをやる。智彦と玄太は回り込んで、背後から残りのふたりを始末しろ」
指示されたふたりは、うなずくかのように身を翻すと再び路地裏に滑走していった。
ひとりだけ指示されていないブギージャックは戸惑いの表情を浮かべる。
「それで、私の役割は?」
「お前はここで待機だ。あとなにもするな」
「冗談も大概に――」
「お前の重火器では旅人もろとも破壊してしまう恐れがあるからな」
津島はペチェネグを一瞥して言った。「なぜお前は補助武器を持っていないのだ?」
「私の愛人は一人だけでいいのです。それ以外は不埒――」
「もう一度言う。お前はここで待機だ。あとはなにもするな。いいな?」
釘を刺されたブギージャックは気の毒に、愛おしそうに銃器を抱き締めながら沈黙した。
そうこうしているうちに東条から報告がくる。
『こちらは所定の位置についた。いつでもどうぞ』
「了解した。《撃て》の合図で皆殺しだ。一瞬でカタをつけるぞ」
『『了解』』
壁の角に張りついて、津島は生い茂る草木の陰に息を潜める。ぬっと伸びた銃腔が向かう先は、これより死を迎えることを毛頭知る由もない笑う男の眉間である。
ドットサイトのレンズが映しだす円盤状の世界にすべてが集約されていく。意識が熔け込み、妙なトランス状態になって五感が研ぎ澄まされる。深呼吸をして凝り固まった筋肉繊維がほぐれたのち、引鉄と化した人差し指をそっと動かした。
「――撃て」
三つの銃火器の撃鉄が作動した。雷管が叩かれ、炸薬が発火する。
くしゃと、なにか呆気ない風な音が耳朶を打つ。だが弾着を確認する前に、津島はすでに次なる対象にその冷たい殺意を向けていた。
胴体に赤い斑点模様が浮かびあがっていることに気づいた男は、当惑から絶望の表情に変わりゆく。そしてなお理解せぬままに、その生涯を終えた。
今度は弾着を確認しながら幹線道路に足を踏み入れて、津島は這うようにして囚われし旅人の元へと走った。
五名のギリーの骸が転がっている。滞りなく、排除したようだ。




