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アウトサイダー  作者: 明日ヶ太郎
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四の幕

 話は先日の昼下がりまでさかのぼる。

 アウトサイダーは、傭兵御用達の求人案内所――『NEED・YOUR・FIRE』略称〝NYF《に訪れていた。そこの責任者である五十嵐(いがらし)(べに)()に呼ばれた次第である。

 開かれた一階ロビーを抜けて上階の部屋に入る彼らは、入室するなり身も心もピンク色に染まってしまうかのような官能の桃源郷を目の当たりにする。

 部屋の中央で、あられもない恰好をした女性が艶然と立っていたのだ。

 女性は、丁度ズボンを穿き終ったところらしい。だがチャックを締めるまでには至らなかったとみえる。両手をチャックに添えることにより、未だはだけたままのたわわに実った乳房が、両腕の圧迫によってますますそのたわわさを際立だせていた。

 ショートボブの黒髪から垂れてくる滴が、女性の胸元に零れ落ちて、弧を描くようにして伝うと、凸部で動きを止めてしまう。うっすらと汗ばんだ上半身がまた一段とエロスを引き立てて、ぽわぽわとした芳香が鼻腔をくすぐった。

 津島は仰天しつつも刮目した。「なるほどいい乳してやがる!」


「風呂に上がったばかりだったのだ。つまらないものを見せてしまったな」

「いえ、ありがとうございました」

 NYFの責任者――五十嵐とアウトサイダーはソファーに座りながら、テーブルを挟んで向かい合っていた。

「…………」

 上にグレーの無地の長袖タートルネック、下にキャメル色のスキニーパンツを着こなす五十嵐。服装だけだとボーイッシュそのものだが、すらりとした背丈に胴の約二倍はあるのではないかと思わせるほど長い脚、とりわけ全体の線は細いのに犯罪的に成長した胸のアンバランスさが、うちに秘めたる艶美さを滲ませている。

 つまるところ、エロいの一言に尽きた。

「出会うなりいやらしい目つきで見つめてくるとはいい度胸だな、景久?」

 鼻の下を伸ばして大胆不敵に視姦している津島に、五十嵐は目を細めて艶めかしく微笑む。

「すみません、欲望に忠実なものでして」

「ふふ、お前のその癇に障るほど堂々としたところは好きだよ」

 彼女はそう言うと身を乗りだし、彼の顎を指先で上に傾ける。

「この胸がそんなにご所望か? 望みとあれば好きなだけ見せてやる」

 惜しげもなく見せびらかされる胸に、津島は我知らず生唾を呑み込む。が、これでも男の端くれ、女の色香に惑わせられるほど軟弱ではないぞと自分に一喝し、五十嵐の指を払った。

「冗談は止めてください、紅華さん。我々は仕事をしに来たのですから」

「容易く籠絡されないお前も好きだぞ」

 耳元で蠱惑的な囁きをされて内心かなりドギマギしてしまう津島。

「……それで、我々を直々に呼んだ要件は?」

「ふむ、そうだったな。まずはこれを見てくれ」

 瞬時に態度を翻し、なに食わぬ顔で、五十嵐はテーブルに一枚の地図を広げて見せた。

「ここに印があるだろう? 過去に栄えた街らしいが、今ではその栄光も残滓もろとも残ってはいない幽霊街(ゴーストタウン)と化している。で、そこでだ。君たちに頼みたいことがある」

「そこに向かってなにかを取って来いというわけですね」

「察しがよくて助かるよ。仕事は単純明快だ。廃車に残ったバイオ燃料をできるだけ抜き取ってきてくれ。まずはこれが前金だ。あとは量によって相応の報酬を上乗せする」

 紙に書き記された金額に色めき立つ東条。

「――なっ、お遣いみたいな仕事でこんなに貰えるのか!?」

「ああ、もちろんだとも。お遣い程度の仕事など君たちにかかれは造作もないだろう?」

「ふん、ことはそう簡単にいくとは思えませんが」

 ブギージャックは尋ねた。「街はシキビトの巣窟なのでしょう?」

 もっともな懸念だ。しかし五十嵐は前もって指摘されることを予想していたようだ。

「それならば問題ない。先日斥候に行かせた者によるとあまり奥に行かぬ限り、奴らと遭遇することはまずないとのことだ」

「その情報に確証は?」

「私の斥候が信頼できないとでも?」

 食い下がるブギージャックに対し、五十嵐は鋭い眼光をもって切って返した。

「……あ、いや、そういうわけでは」

「ならばこの仕事を引き受けてもらえるな?」

「――ちょっと待った」

 このまま契約成立するかと思われたそのとき、突然薬師寺が口を挟む。

「仮に情報が正しかったとしても、元来仕事を紹介する、いわば依頼主と傭兵との仲介役であるはずの貴女自身がどうして依頼をするのか僕には疑問で仕方がないよ」

 一瞬、五十嵐の瞳が斜め下に動いた気がしたがおそらく気のせいだろう。桜色の唇をゆるませて彼女は指摘する。

「まったく痛いところを突いてくるな。だが傭兵とは元来、依頼主の内情を不必要に詮索するものではないと思っていたが、違ったかな?」

 論で攻めるも論で攻め返された薬師寺は黙り込む。代わりに、津島が答えた。

「まったくその通りです。しかし、我々はセオリー通りに動く傭兵ではない。仕事内容によっては断る。ひいてはそれが部隊の信用に繋がり我々の安全となる。キナ臭い仕事というものはすべからく内情もキナ臭いと考えているのでね。我々は犯罪には手を染めない」

 淡々としながらも厳然たる態度で言う津島に、アウトサイダーの一同は「さすがは俺らの隊長だぜ」「惚れ惚れします」「やるじゃん、景久」と彼を褒めちぎる。

 とてもこれまでゲスな行いを犯してきた者の言葉ではなかったにせよ、言っていることは分からなくもない。むしろ正しい。

「困ったものだな……。やはりお前は一筋縄ではいかぬようだ」

「ええ、私ですから」

「頼むよ。一生のお願いというものだ、私に免じて黙って引き受けてはくれないか?」

「そう言う輩は一度引き受けてしまえば、味をしめたかのように毎度同じ台詞を言うこと請け合いです」

「犯罪に加担するものではないと誓うのだがな。――では、仕事中に使用した弾薬はすべてこちらが負担するというのはどうだろうか?」

「うほっ、マジですか!?」

 てのひらを返すようにブギージャックが色めき立った。

「お前は黙っていろ」

「……」

 それでもうんと言わない津島にいよいよ業を煮やした五十嵐は、耳元で囁く。

「私を満足させるに足りる成果を上げた暁には、その日一日だけ私はお前のものとなろう。思う存分煮るなり焼くなりしてくれ」

「引き受けましょう」

 津島は引き受けることに決めた。

「ああっ、思った通りお前に頼んでよかったぞ!」

 無邪気な笑顔で手を握ってくる五十嵐に驚きながらも、互いに喜びを分かち合う。胸が躍る思いの彼女の胸は文字どおり踊り狂い、その変幻自在な踊りっぷりにもしや下着をつけてはいないのではないかと思った津島も、期待で胸を躍らせた。

 ともに胸を躍らせて数刻後、ようやく落ち着きを取りもどした彼らは仕事内容に移る。

「今日はひとまず準備に費やそうと思います。出発は明朝でいかがでしょう?」

「問題ない。それとハンヴィーは今回だけ無料でレンタルしよう。荷台に燃料タンク、給油ポンプを積んでおくから、そこら辺のことは心配しなくてもいいぞ」

「ありがとうございます」

 用件を話し終えた津島は、皆に号令する。

「簡単な仕事だからといって準備を怠らないように。今日は英気を養い、明日に備えろ」

 そう言って解散の命令をだした津島は、意気揚々としてふわふわと浮かれていた。その様子を見て、薬師寺は一抹の不安を拭い去ることはできなかった。

 そうして仕事へと向かった彼らだが、薬師寺の不安はものの見事に的中することになる。

 すべりだしは順調そのもので、斥候の報告どおりシキビトの姿を見ることなく仕事を進められていた。しかしある一定量まで達したときから――恐らくあらかた抜き取られたのだろう――なかなかバイオ燃料の残った車両が見つからなくなる。そこで止めればよかったものを「タンク全部を満たさんかぎり帰らんぞ」と津島が執拗に言い続けた挙げ句、ついには街の中心部にまで足を踏み入れてしまう失態を犯す。

 当然の流れとして、失態はしかるべき結果をもたらした。

 市街地中心部には大量のシキビトが棲みついていたのである。

 ひとたび獲物の気配を感じた奴らは、巣の穴から這い上がってくる蟻の軍隊のように建物内から数限りなく現れた。そして、不意の出現により一瞬にして包囲されてしまった。

 後悔先に立たず、あとの祭り、等々の言葉はあれども、津島はこの際かく言った。

「ふおおおおおおお!?」

 これが、事の顛末である。



「巧妙な罠だった」

「男の淫欲を巧みに操ることのできる魔性のなせる罠だ」

 東条は言った。

「淫欲ではないが、男の意地というものを熟知した上での罠だった」

「我欲に目が眩んだわけですね」

 ブギージャックは言った。

「それは違うと思うぞ?」

「あの女、最初からこれを見越していたんだよ。それにまんまと引っかかったわけさ」

 薬師寺は言った。

「…………」

 津島は嘆いた。そして怒り狂った。

「くそッ、忌々しい女め! 俺の脳内ではとてもすごいことになっているというのに、どうしてこう現実では上手くいかないのだ!?」

「それは現実だからだろ」

 東条の火に油を注ぐような指摘に、津島は唾を飛ばしてがなり立てた。

「ええい、胸クソ悪い! 必ずここから脱出したのち宿願を果たすぞ!」

「なにかいい案でもあるの?」

「あるわきゃない!」津島は薬師寺に喚く。「が、意地でもでなければならない。我々は死ぬにはまだまだ若すぎる。人生はこれからだ。幸運なことに弾薬は十分残っている。万に一つ、強行突破をかければ助かるやも知れぬ」

「そうだな。ただ決行は……今日ってわけにもいかねえな。明日の朝に仕掛けるか」

 夕闇に浸った空を見上げる東条の言うとおり、これより先は光が衰退し、黄泉の廃墟で蠢くバケモノどもの闇が栄える刻限だ。

「奴らは鼻が利くし、私も今日は早めに就寝するのが吉だと思います」

「ならもう寝るか。別にすることないし、無駄に体力を消耗するわけにもいかんしな」

 彼らは寝袋を取りだし、黙々と寝床をとりはじめた。

 すると、寝袋にすっぽりと身を入れた東条が顔をしかめる。

「うお、つめたっ!」

 彼は芋虫のようにくねくねと身をねじ曲げた。「背中が冷たくて寝りゃしねえよう」

「心頭滅却すれば火もまた涼しという言葉があるだろう? その逆も然りだ。兵士たる者、ちょっと寒くても無心を心がけて辛抱せねば」

 津島は彼を戒め、自分も寝袋に入った。「ああ、こりゃ冷たくて寝れん」

 東条は燦然と輝く星々を眺めながら呟く。

「……難儀な時代に生またもんだ。昔は平和だったんだろうなあ。シキビトもいないし、彼氏彼女とちょめちょめしてりゃよかったわけだし」

「それはちょっと違うぞ。過去も現在も皆等しく苦しんでいる。ただその事柄が違うだけだ。それに過去が平和だったとは一概に言えないだろう?」

「やけに詳しいじゃん」

「別に、書物で読んだだけだ」

 そっけなく返答した津島は、いつになく静かなブギージャックと薬師寺に目を向ける。

「ぐーすかぴ――……」

 既にブギージャックは眠りに落ちていた。

「だからデブは嫌いなんだ!」

「どういう思考だ……デブに謝れよ」

「冗談はさておき。――まだ武器の点検をしているのか? 薬師寺」

「一応のためにね」

 言いながら、薬師寺は一番使い慣れた武器を手に取る。それを見入る津島の表情が曇った。

「なるほど、な。それもいいかもしれない。場合によっては……頼む」

「……うん」

 ちっこいてのひらで手榴弾を転がす薬師寺の背中が妙に寂しげだった。

 津島は、真っ白い息を吐く。

「……お前ら、迷惑をかけてすまない」

 唐突に謝られた東条と薬師寺のふたりは、しばし呆気にとられる。が、さしたる間を置くことなく調子を取りもどした。

「別に気にすることじゃねえよ。今回はお前だっただけの話だろ」

「そうさ、いつものことだよ。一日一日を楽しく生きる。それが僕らのモットーでしょう? それに従って死ぬんだったら、正直心のこりはあるけれど、後悔はないよ」

 寝ているブギージャックが、寝言を言った。

「明日はあるさ、明後日もあるさ……むにゃむにゃぺろぺろ」

 彼がどんな夢を見ているのかは皆目分からない。だとしても、かろうじて偶然だったにせよ、それは確かに、津島の心に響いた。

「こんな状況でも俺を庇うか……。お前らは本当に馬鹿でお人よしだな」

 津島ははにかむように笑った。「ありがとうな」

 むずがゆい空気が立ち込める。

「いいってことよ」

「お互い様さ」

「これからですよ……ぺろぺろ」

 荒涼とした大地を吹き抜ける風がひゅうひゅうと舞った。彼らはしきりに「さみいさみい」と身体をもぞもぞさせ、不眠症患者のごとくのた打ち回っていたが、やがて気持ちよさそうに寝息を立てていた。


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