一六の幕
至る所で繰り広げられている市街戦の中にあって、その最たる修羅場である環状交差点エリアでは、今まさに、街の住民たちは地獄の軍勢に対して劣勢に立たされていた。
南方のしなやかな曲がり角に防衛線を張ったものの、北の大通りから、東方にいたってはさらに、シキビトの群れが行列をなして練り歩いてくる。一方のギリーたちは西に陣を構え、防衛線に向かって苛烈きわまる弾幕を与えていた。
三つ巴の乱戦に疲弊し、くわえて地理的不利のせいで押されがちな住民側だが、やはりこの戦局は猛威をふるう生物自律兵器によるところが大きいだろう。稼働限界を超えたものを除いて未だ健在である二体のうちの一体は、交差点中央の島に直立し、シキビトもろとも住民たちが立てこもる建物の外壁を銃弾で打ち壊さんとしている。かたやもう一体は、横転した車両を銃座に二脚を立て、光学昼夜兼用スコープ内にちらつく人影を着実に消していっていた。
厳しいながらも徹底抗戦の構えを貫いていた住民だが、そのうちの一つの建物から、抗戦を示す《音》が聞こえなくなる。――最後の砦となった建物も、屋上はすでに血の海と化し、屋内においてもそう大差ない。遠からずさっき全滅した陣地と同じ運命を辿ることは火を見るよりも明らかであった。
――その全容を見下ろす、茂みに熔け込む二つの銃腔。
銃工お手製の改造が施された《ブラックガン》の異名を持つM24。AK‐47を彷彿とさせるうつくしい褐色を放つ木製の銃床と、ハンドガード有するドラグノフ狙撃銃。
現在では使われてもいない無人の高層ビルの屋上で、東条とシュキのふたりの狙撃手が虎視眈々と戦況を覆そうと狙いを定めていた。
「射程三百メートルに零点規正してるか?」
「勿論です」
「コールドボアショットは考慮してるか?」
「勿論です。貴方は?」
「俺もしてる」
「まずは私が標的の右腕を撃ちます」
「じゃあ俺は左腕か。で、最後はお前がやる感じで」
「承知しました」
「うんじゃ、やるか」
「ええ、やりましょう」
ボルトを介して雷管が叩かれた。
銃腔から離れた7・62㎜ロシアン弾は、束の間の旅路を経て速やかなる終着に至る。発火音を置き去りにして、前触れなく飛来した弾頭は予告したとおりの《的》に直撃――息をつく暇も与えず、さらに第二弾が直撃し――終焉を知らしめる鉄の先端がどてっ腹を貫き、ついには敵の全身をも屠った。
恐ろしく手練れの二名の射手に狙われたとあっては、いかな堅牢な兵器も災厄に見舞われたと諦めるほかあるまい。
「あんだけやりゃ、もう大丈夫だよな?」
「ええ、そうですね。では二体目に移りましょうか」
「あいよ。さっきと同じ段取り――」
向けられた殺意に察知してのけたのは、もはやただの勘としか説明しようがなかった。得も言われぬ冷たいものが背筋を走った瞬間――鉛弾の雨霰が降り注ぐ。間一髪、東条はシュキをたぐり寄せて自らも回避したことで、大事に至ることはなかった。
しかしどういうわけかこちらの位置を瞬時に把握し、あまつさえ的確に撃ち込んできた生物自律兵器の片割れには恐れ入る。
「……おいおい、三百メートルっていったら結構な距離だぞ? 奴には特殊なセンサー、もしくは自動照準やらが脳味噌にこしらえられてんのか?」
「兵器ですので、もしかすると電脳にその類の機能が内蔵されているやもしれません」
「ちくしょう、めんどくせェ敵だぜまったく!」
これまで対人相手――いちおうシキビトも含めて――の殺生が常だった東条にとってかつてない経験に、奇妙な感覚に陥る。一方的に狙撃できると思っていたのに、死んだだろうと思っていたのに、いずれも予想にそぐわない結果だ。誤算を通り越して奇怪である。
まだ矛先は向けているぞと示威するかのように射撃してくる敵に対し、彼らは尻込みするしかない。だがそんなとき、東条のインカムから声が聞こえてきた。
『ちょっと待って、僕がなんとかするから』
薬師寺だった。別の位置から攻めると言って別行動をとっていた彼は、今、環状交差点に程近い賃貸マンション跡の屋上にいる。
いつもは持参することのないM79グレネードランチャーを、今回のためにと武器庫から取りだしてきていた彼は40㎜グレネード弾を装填する。そしてすぐさまトリガーを引いた。
軽く乾いたような音が朗々と響き渡る。うつくしい曲線を描きながら落下していった擲弾は、東条たちに矛先を向けていた生物自律兵器の足元で爆ぜた。
一帯に炸薬の爆風が巻き上げられる。
『今だよ。智彦』
突如として止んだ攻撃に、言われるまでもなく東条は狙いをつけていた。
彼は辛辣でありながら情けに満ちた言葉を手向ける。
「Rest in peace(安らかに眠れ)――憐れな《人でなし》」
爆風の煽りを食らって転倒した敵兵器は、さらに.300WM弾に穿たれたことで、ようやくその稼働を停止させた。
「……」
手際よく脅威を葬り去った東条の傍らでつくねんと佇むシュキ。その表情はどことなく陰りを帯びている。一度ならず二度までも不覚を取り、助けられるとは恥の極みとでも感じているのだろうか。しからば、励ましの一言でもかけてやるのが仲間の本懐というもの。
「連日連夜の護衛で疲れてんだろ? 気にすること――」
東条は言いさして身体を仰け反らせる。ドラグノフの銃身が横薙ぎに迫ってきたからだ。
「――ッ!?」
付近のコンクリートが砕け散った。
ドラグノフは円を描くように一巡したのち、しかるべき《方角》に牙を向けた。
焦りを滲ませる追撃に切り裂かれる射手の頬――しかして意に介せず、彼女はこれまで幾度となく繰り返してきたドラグノフの咆哮を解き放った。
地上の攻防を断ち切らんとする射線の矛先で――照準器のレティクルの下端に捉えられた覆面の兵士は、ひとときの間を置いて、血潮をまき散らし視界から消え失せていった。
環状交差点の向かい側のかけ離れた屋上を見定めるシュキに対して、
「お前――……」
銃声も聞こえず裸眼では到底見えるはずもない敵を察知してのけて、それも優に射程五百メートルはある標的をとっさに仕留めるとは。しかも三百メートルで零点規正されているのに。
どんな魔法を使ったのだと言葉にせずとも見て取れる東条の懐疑的な表情に対して、
「ただの、ただの《勘》ですよ」
その一言ですべてが片付くと言わんばかりに、頬を血に滲ませるシュキは嘯いた。
「……なるほど。《勘》、か」
すべてを理解した東条は唸った。




