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アウトサイダー  作者: 明日ヶ太郎
12/17

十二の幕

 御多分にもれず、天神自治区には街を取り巻く勢力がある。

 遥か昔からこの地に根づいていた裏社会の住人。凶器のことならなんでもござれの武器商会。近年では《NYF》の後ろ盾がある傭兵、とりわけ経営する五十嵐紅華の影響力が高まってきている。殺し合いが日常茶飯事であるこの世界において、至極当然のなりゆきと言えよう。

 しかし実質天神を総べているのはいずれでもなかった。往年の統治機関関係者の末裔などとまことしやかに語られているが、その正体は未だ闇の中である。かといって街の住民たちはみだりに調べようとはしないし、知られていないには《わけ》があるのだ。ならばその暗黙のルールに従うまで。軽々しく引鉄を引ける世界だからこその賢い判断だった。

 いずれにせよ、今や天神での地位を確固たるものにした五十嵐ですらも屈従を余儀なくされているのだから、件の発端には謎めいた《支配者》が係わっているとみてまちがいない。

 そんな思索を巡らせているうちに、いくらばかりか体調の方も回復したようだ。

 津島は気だるい身体を振り絞って上半身を起こした。

 だが、依然として思考はおぼろげである。

 《おのれ。あの魔女め、事もあろうに睡眠薬を盛りやがったな》

「盛られたこっちは堪らんぞ!」

 満腔の怒りをもって、津島は遠吠えを上げた。

「うるさいど! 黙れ、殺すど!」

「ほう、君にそれができるか疑問だが?」

「おで、できる子。やってみようか?」

 鉄格子の外から、ギリーとおぼしき男は言う。手に持つ自動拳銃が忌々しくも恐ろしい光沢をチラつかせていた。

「あいやお待ちなさい。事には順序というものがあってだな」

 津島はギリーに両手を上げて見せた。「君の心意気には感服するよ。誇りたまえ」

「……ぐっ、上からの命令なければ殺してるのに。意味が分からないど!」

「君の理解の範疇を越えた場所で事は起こっているの――」

「やっぱり殺そうかな?」

「……」

 辺りは静寂に包まれた。

 地下特有の湿りを帯びた土の臭いがする。冷たいコンクリートによって敷き詰められた空間。一方面だけは鉄格子が設けられ、それを隔てた向かいの奥まった一角から白光が注がれていた。

 壁に設置された四肢を固定する枷、背部が妙に尖った木馬等々、やや淫らなものがある以外はなんの変哲もない地下牢であった。

 心許ない明かりであってもなお雅な光輝を放つ、妙たる拳銃に見とれるギリーの口からため息がもれだす。

「ほんどにこの銃はきれいだなあ……」

 己が武器ベレッタM19を舐めるように見つめてくる男に、やや眉間にしわを寄せて津島は言った。

「でしょう? 雅でありながら渋さも感じさせる稀有な名銃。かくいう私もそれを手に入れるまでには途方もない苦労をしました。一時だけ浮気をしてしまいましたが、浮気相手にはたちまち愛想を尽かされてしまってね。今ではその銃しかないのです。どうです、可哀相でしょう? だから返して」

「いいなあ、さぞやいい音ならすんだろな。威力はどうだろ? やっぱり凄いのかな、ああ早く、おで、試し撃ちしたいおっ!」

 まるで聞く耳を持ちやしない。胃液が煮え滾るのではないかと思うほど怒りが込み上げてくるが、無念無想の境地に心を落ち着かせて、男の特徴的な喋り方を頼りに話しかけてみた。

「ときに貴方。兄弟とかいませんか?」

 どうやら今度は男の耳に届いたらしい。

「……んだ、おでには兄貴がいるさ。でも、どっかいっちまった。最近みない」

 思ったとおりだ。特徴的すぎて、一度聞いてしまったら忘れることができない喋り方。いつぞやのギリーの弟か。津島は心の中でほくそ笑む。

「それは御気の毒に。さぞやお哀しみになっていることでしょう」

「おで、とっても哀しい。生きているのかな、死んでるのかな、どっちだろう?」

 ずんぐりむっくりの図体にしては小さい瞳をしょぼしょぼさせながら、男は項垂れた。

「どうですか? その哀しみ、辛いでしょう? そんな貴方だったら分かるはずだ――長年連れ添ってきた家族ともいうべき銃を奪われてしまった私の気持ちが。だから返して」

「いやだ」

「――ッ!?」

 こうもあっさり拒否されてしまうとは。やはりギリーの連中には血も涙もないということか。

 お涙頂戴のシナリオを展開させつつ信頼関係を築いていたと思っていたのだが、こんなあっけなく元の木阿弥になるなんて。ならば他の打開策はと津島が思っていると、ギリーの耳にはめられたインカムから雑音がもれだしてきた。

『――――』

「……いいな、おでもしたい。でも、分かった」

 ずんぐりとした男はそれに応答し、次に鉄格子を開錠して津島に命令した。

「ここからでろ。移動だ」

「……?」

 突然のことで首を傾げる津島に対し、男は急ぎ立てるようにして銃腔を向けてくる。

「早くしろ!」

 津島は言われるままにとば口をくぐる。

 陰気な場所からでられるのなら願ったり叶ったりだ。

 両手を上げて無抵抗であることを示しながら、指示された方向へと歩を進めていった。

 だだっ広い廊下にさしかかったときに、二つの人影が見えてくる。

 背後のギリーが声を大にして言う。

「お~い。いいなあ、おでも参加したいお!」

「うけけけ、悪いな。この女は俺のもんだ」

 前方からやってくる女性も自分と同じ処遇のようで、背中に銃腔を突きつけられて服従を強いられている模様だった。

「まあ、俺が満足したあとでなら分けてやってもいいぜ?」

「ほ、ほんどか!? おで感動。お前いいやつ」

「うけけけ、その頃にはできあがっていることだろうさ、この女も」

 女性の背中を突撃銃の先端で小突く、こちらもギリーとおぼしき男は、汚らしい笑みを絶やすことなく嘯いた。

 横切る刹那にもう一度確認すると、やはりその男は目先の欲望しか念頭にないようで、ほどなく享受することであろうめくるめく淫らな情景に思いを馳せている。

 これではまるで隙だらけだ。

 考えるよりも先に足が動いていた。

 津島は二の腕を掠めるものに構うことなく、地面を這うようにして突貫を試みる。忽然と眼前に現れた囚人に対し、ギリーは依然として醜悪な笑みを湛えていた――いや、多少なりとも瞳孔が開いていたか。しかしその直後、銃床に鳩尾を穿たれたことにより今度こそ、その笑みは苦悶の表情へともれなく塗り替えられてしまう。

 とっさに引鉄を引こうとしても指に力が入らない。そして背筋におぞましい冷気が駆け抜けた瞬間――両目に辛辣な激痛が走った。男はたまらず猛然と掴んでいたはずの銃器を離してしまう。膝を挫かされ首根っこを押さえられてしまった男に、あまつさえ銃器を奪われてしまったギリーにもはや抗う気力が湧くはずもない。

 しきりに死にたくないともらすギリーの肩に銃身を置いて、津島は第二の標的に狙いを定めるが、突撃銃の引鉄が絞られることはなかった。代わりに彼の口から笑みがこぼれる。

「やるじゃないか。やはりクライムクラッシャーの呼び名は伊達ではなかったか」

 津島の片目が赤く煌めいた。「なあ――朝霧京子?」

「このときを待っていたわ、津島景久。今日、この場で、あんたを殺す……!」

 ずんぐりむっくりのギリーに膝をつかせて銃腔をこちらに向けてくる朝霧は、冷ややかなる凶相で布告した。

「あいも変わらず血気盛んなことでなにより。こんな場所で巡り合うとは、どうやら我々には奇妙な縁があるようだ。さながら赤い糸と言ったところか?」

 殺害予告をされてもなお、とぼけたことを言いのける津島。神経を逆なでされる朝霧だが、これまで幾度となく翻弄されてきた経験もあってか、冷然と切って返した。

「ええ、もちろん血染めのね。そしてその血はアンタのものよ。今から頂くの」

「……ふん、この状況ではそうも言っていられないと思うが?」

「なにが言いたいの? さっさと言いなさい。じゃなきゃ殺すわよ」

「……うむ。おおかた俺と同じように意味の分からん事に巻き込まれた身だろう? だったら話は早い。ここはひとまず停戦として、手を組まないか? ここから脱出するには一人じゃちと厳しいとは思わないか?」

「私なら難なくいけるわ」

「……まあ、そう言わずに」

 再度頼まれた朝霧は思索を巡らす。さすがにこの状況を一人で切り抜けるというのは、虚勢がすぎたと認めざるを得ない。認めはするが、しかし――。

 朝霧は顔を赤めたり青褪めたりと、めまぐるしく心情を往来させたのち大きく息を吐いた。

「だったら――」

「おお、おで死にたくないッ!」

 と、突然口を開くギリーの一人。

「アンタは黙っ――」

「やだ! おで、死にたくないおおッ! お、お願いだから命だけはお助――……」

 男の哀切な叫びは途中で、無情な銃声により掻き消された。

「……これで、静かになったわね」

 横たわるギリーを睥睨する朝霧の表情は、淡々として掴みづらい。

 脳天を撃ち抜かれた男はなにを思って死んでいったのか。突然のことで、己の死すらも気づいていないのかもしれない。唯一の慰めは、あれだけ知りたがっていたベレッタM92の威力を、その身をもって思い知ったことぐらいか。

「なかなか冷酷なやつだ」

「そう? でも、これが私の仕事だから」

「そうだったな」

 あくまで仕事であると割り切る朝霧に対して、異論もなければ不信感も懐かない津島――そんなふたりの間に一人残されたギリーの絶望感といったら、計り知れないことだろう。

「お、おい! 死んじまったのか!? お、俺も死ぬのか!? やめてくれよぅ、もう、悪いことしねえから……なあ、アンタッ、もういいだろッ!?」

 両目の激痛をはねのけて、必死に懇談してくる男の涙ぐましい努力に胸を打たれた津島は、頬を撫でるような優しい言葉を陳列する。

「なあに、心配しなくてもいい。俺はあの女のように冷酷ではないからな」

「ほ、本当かッ!?」

「ああ、本当さ」津島は殊更に慈悲深い言葉を連ねていく。「さあ、これまでに犯したすべての罪を懺悔しなさい。さすれば身も心も浄化され、幸せを掴み取ることであろう」

「ああっ、もちろんするさ! ごめんなさい、あれもやりました、これもやりました、本当にごめんなさい! 私は今、すべてを悔い改めることを、ここに誓います……!」

 滂沱の涙で床を濡らすギリー。新たな悔悛者の誕生を見届けた津島は、男の拘束を解いた。

「……よく言った。新たな旅立ちに備えたまえ」

「はい、これからは日々自戒しながら生きていくわけねえだろうがこの偽善者がァ――ッ!」

 突如として反旗を翻した男は、隠し持っていたナイフを閃かせて悪人を悪人たらしめる極悪非道な笑みを浮かべながら津島に切りかかった。が、肉を断つどころか皮一枚さえ刻めずに終わる。瞬時に腕を撃ち抜かれて凶器を手放していたので、どだい切りようもなかったのだが。

 惘然自失のギリーの眼前に、底知れぬ殺意を宿した空洞が提示される。嗜虐的な微笑みを湛えつつ、津島は最後の審判を下した。

「閻魔大王様がお待ちかねだ」

 弾頭に眉間を貫かれたギリーはこの世に別れを告げる間もなく、地獄に召されていった。

 屍を一瞥する朝霧は、津島に訊く。

「アンタまさか、相手が本当に悔い改めていたとしたら見逃してたわけ?」

「いいや」津島は断言した。「そもそも、これまでの罪をあんな短時間で懺悔できるわけがないだろう? いかにギリーといえども、美辞麗句ぐらいは口にできるからな」

「……確かに」

 妙に説得力のある説明に、朝霧は我知らず頷いてしまう。

「――で、手を組んではくれるのかな?」

「……まあ、いいわよ。不本意だけどね」

「ほう、即答だな」

「苦肉の策よ。ただし、一つだけ条件があるわ」朝霧は言う。「実は巴も捕まっているの。彼女の救出を手伝ってくれるのなら、交渉成立ね」

「……奇遇だな。実はうちのブギージャックも捕まっているのだよ」

「へえ……それは本当に、奇遇ねえ」

 双方は意味深に口元を歪めてから、緊張を解いた。すなわち交渉成立である。ここに、犬猿の仲である両者の、世にも奇妙な取り合わせが成立した。

 とここで、津島は熱いまなざしをある一点に注ぎながら、朝霧におずおずと尋ねる。

「あ、あの……できれば、それとこれを交換してくれないかな?」

「え、これ? 別にいいけど」

「お前はいい奴だなあ」

 唐突な要望に応えてくれた朝霧に感謝しつつ、津島は久方ぶりにもどってきたベレッタM92を頬ずりしながら言った。

「ベレッタ、もう君を離さないっ!」


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