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アウトサイダー  作者: 明日ヶ太郎
11/17

十一の幕

「――もしかしてずっといたのか?」

 津島の部屋の前には、用心棒であるシュキが直立していた。

 石像のように黙然と佇む彼女は、まじろぎもせずに東条へ顔を向ける。

「……ええ、主を護るのが私の役割でありますので」

「へえ、仕事熱心なことで」

 さも当たり前のごとく返答する彼女に、当然の帰結として、それ以上に疑惑の念が湧いてくる。雇われているとはいえ、忠誠がすぎるのではないか。これではまるで、従者のようだ。

 真相を追求したいという思いが胎動したが、東条は寸でのところで堪えた。

「…………?」

「いや、なんでもねえ。ところでさ、あんたの主が泣いてるみたいなんだが、様子見にいかなくてもいいのか?」

「……もしや起こしてしまいましたか?」

 頭を下げてくるシュキに、東条は両手を振って否定する。

「いや、ただ、子どもが泣いてるからちょっと心配になって、様子を見にきただけだ」

「そうですか……」

 シュキはそして、やはり低頭した。

「御心配をお掛けして申し訳ありません」

「……」

 どうにもこの手合いは苦手だ。いっそのこと『大きなお世話じゃボケ』くらい罵ってくれた方が、こちらもこちらでやりようがあるというのに。

「まあいいさ。あんたが様子見ればいい話だしな」

「…………」

 しかしシュキは答えない。一点を見つめたまま、口を噤む。

「……えっと?」

「私が行ったところで、なにが変わりましょうか? ――いえ、なにも」

 シュキはドラグノフを握り込んだ。「銃器を執り、主の身の安全を確保する。私にできることは、ただそれだけであります」

 ますますこの女の考えていることが分からなくなってくる。

 そうしてシュキは、瞼を閉じて告げた。

「ほどなく落ち着くことでしょう。貴方の睡眠を妨げる心配も解消します」

 すると本当に、それまで押し殺すようにもれていた泣き声がいつの間にか止んでいた。

「……主のことならなんでもお見通しってか」

 やはり込み入った《事情〟というものがあるらしい。聞きはしないが。

 そのとき、リビングから異様な声が聞こえてきた。

「キタキタキタキタ……」

 様子を窺いにいくと、薬師寺が陶然とした顔つきで身を躍らせている。

 東条は顔を覆った。

「ちくしょうっ、またなにか作りやがったのかよう!」

「あっ、智彦! いいところに来たね! ちょっとこっち来てよっ!」

 薬師寺はこちらに来るよう手招いてくる。

 机上には、大きめの『板バネ式ネズミ捕り』が置いてあった。しかしどうしてだろう、バネに団子型の粘土がついていた。そこから伸びた電線のような配線が、本体の側面に取りつけられた機械に繋がっている。どうみても、ただのネズミ捕りではないのは明らかだった。

「わくわく」

 開発者である薬師寺は、いかにも訊いて欲しいと言わんばかりの表情だ。

「……で、ソレハドウイッタモノデショウカ?」

 仕方なく東条は、事務的に訊いてみた。

 訊かれた当人は、ニカッと白い歯をだして顔を綻ばす。

「うん、よく訊いてくれたねっ! では答えてしんぜよう。むふふ、聞いて驚かないでよ。これはねえ……そう、人体部位精密破壊爆弾なのですっ!」

「ちくしょう……この無邪気な笑みが怖えぇ」

「設計はいたって簡単なものさ。本体の片側側面に超小型発電機を設置する。次に、発電機のハンドルをバネに固定させるんだ。外れたら不発に終わるからここは念入りにね。そして、長めの雷管を発電機とC‐4っていうプラスティック爆弾に繋ぐ。ここまでくれば、あとはその爆弾をバネに付着させれば完成だよ!」

 構造は終わった……次はメカニズムだ。

「仕掛けはもっと単純なのっ! 罠に触れた振動でバネが反応する。と一緒にハンドルも回転して発電される。その電気が雷管に伝わって、プラスティック爆弾が起爆されるってわけさ!」

 彼の愉快な公演はまだまだ終わらない。

「我ながら今回はよくできてると思うんだ。着想からしてセンス感じちゃうよ。この取扱い説明書見て。『ネズミ取り以外の使用はしないで下さい』だってさあ。もう、笑っちゃうよね。ウヒャウヒャヒャ――ッ!」

 薬師寺はどこを見るでもなく、しきりに血走った眼球を動かしている。まさに、脳内麻薬が過剰分泌されたときに発症する、《アブナイ状態〟のそれだ。

 アブナイ彼を眼前に慄然として萎縮してしまう東条は、しかし訊かずにはいられなかった。

「……威力のほどはどうなんデスカ?」

 とたんに薬師寺の眼光が、さらにキラキラと研ぎ澄まされていく。

「威力かって!? そうだなぁ、罠が足に引っかかったとすると……臑いや太腿まで吹っ飛んじゃうねっ! でもそっちはまだいい方だよ。もし手だったとしたらそれはもうボンッと、腕まで千切れて、おまけに顔面もズタボロになるだろうなァッ!!」

 興奮するあまり薬師寺はそう言って、両手を机に叩きつけてしまった。

 バンッ!

 衝撃で罠が大きく揺らいだ。

「ひぇっ!?」

 本来ネズミをおびき寄せるために餌がつけられる、棒の先端が揺れ動いたのだ。罠が作動して爆発するとだれしもが思うこと。東条は全身を凍りつかせ、次の瞬間には目を見張るばかりの跳躍をしていた。

 されども、爆発はしなかった。当然、罠も作動していない。

 茫然自失して口をぱくぱくさせる彼に対し、腹を抱えて笑う薬師寺は嘯いた。

「うひひひひひっ、智彦は早とちり屋さんだねえ! ストッパーでバネを止めてるからまだ作動しないよぅ!」

「そんなバカなっ!?」

 ストッパーなんてあったのか。知っていればここまで醜態を晒さずにおけたものを。なぜ教えてくれなかったのだと薬師寺に質すが、彼はいたって平然と肩を竦めるだけ。つまりこれも《お遊び〟の一つだったわけだ。なんて恐ろしい子!

「毎度毎度お前のライフワークに付き合わされるこっちの身にもなってくれ!」

「あ、怒った? 怒った?」

 まったく悪びれる様子もなくからかう薬師寺に腹を立てた東条は「もう知りません!」と吐き捨てて、自室にもどろうとした瞬間に――突然部屋全体の明かりが消灯した。

「おいおい、止めてくれよ。これは悪趣味がすぎるぜ」

 東条に非難される薬師寺は、ライターをつけて反論する。

「違うよ。僕だって困るんだから、こんなことはしないさ」

「だったらなんだってんだ? ただの停電か? それとも景久の冗談ってやつか? なわけねえよな、あいつがこんな馬鹿なことするはずがねえ」

「そうだね」

 薬師寺はそっと、ライターを机の上に置いた。

「ってなると……停電かよ。くそっ、ここらの架線は締まりが悪くて切れやすすぎる。かといって、修理業者に頼んで予定通り来たためしもねえ。……だから頼むぜ。次は普通に入ってきてくれよ?」

 美しくも過激なフォルムをした先端部分が、覆面をかぶった暗殺者の顎下にあてられた。

「招かざるお客さん」

 銃声が鳴ったと同時に、背後から暗殺を企てていた覆面兵士は、虚を衝かれた衝撃に首を反り返す。血飛沫を浴びた東条の双眸は、すでにできあがっていた。ドライかつクールに。

「やっこさん、窓から来るぜ」

「分かってるよ」

 MP5を携行し、薬師寺が窓辺の壁で待ち構えていたとき、派手な高音を立てて窓口から黒い影が躍りでてきた。

 さぞや混乱しているに違いないとほくそ笑んだ顔が、次の刹那には凍りつく。暗視装置の視界の先に、仲間の亡骸があったからだ。

 急襲者の脇腹に数発の9㎜パラベラム弾がめり込む。唐突に骨肉を破壊された男は腰が砕け、へたり込もうとするが。

「銃弾じゃなくて爆薬で死んでよ。ねえ?」

 安らかに死ぬことを許さなかった薬師寺は、男を窓辺まで押しやると、手榴弾を口に含ませ二階から突き落とした。

 景気のよい爆音が戸外から響き、外気がどよめく。

 敵の奇襲をはね除け余韻に浸るのも束の間だった。

 シュキらしからぬ甲高い悲鳴声が、部屋中に響き渡る。

「くそ、こっちは囮かよッ!」

 部屋に急行すると、予想に違わず状況は芳しくなかった。

 依頼主である竜胆が、敵の手に落ちていた。

 主を奪われたシュキは、怒りにわなわなと身を震わせている。歯噛みして、トリガーにかけた指先を今にも引きそうだったが、未だに引けていない。

 敵が卑劣にも竜胆を盾にしていることもあるが、むしろ眼前に佇む異形な兵士によるところが大きかった。

 それは、ともすればどんなものよりもこの世界を象徴していた。

 全身を覆う、鮮やかな赤とは程遠い赤錆びた装甲。眼球の代わりに装着された望遠レンズとおぼしきもの、傷だらけの五芒星が刻まれた鉄帽をかぶり、抱える九九式軽機関銃から鉄灰色の光沢が放たれている。生きているのか判別できないほど、それは、沈着な兵士だった。

 まずもって奴を取り巻く空気が違う。そんな敵が仁王立ちしていれば、さしものシュキもおいそれと手だしすることを躊躇うのも無理からぬことだ。

 しかしいよいよ痺れを切らしたシュキが仕掛けようとするが、緊迫した雰囲気をやぶったのは人質である竜胆だった。

「ごめんよシュキ。君には迷惑をかけてしまった」

「……主? 急に、なにを」

 シュキはろくに答えることもできずに当惑した。しかし、意に介せず竜胆は言葉を継ぐ。

「これまで本当にありがとう。長らく支えてきてくれた君の一族には頭が下がるばかりだ。竜胆家九代目当主として言わせてほしい。眷族の誓いに縛られることなく、これからは自由に暮らしてくれ」

 そして、竜胆は、シュキにこう告げたのだった。

「今日をもって、君の任を解く」

「――ッ!?」

 唐突な宣告に、シュキは地面に根を張ったように立ち尽くす。

 そんななかにあって、突然、老獪さを匂わす《音声〟が響いた。

『……連れていけ』

 端的かつ冷淡な口調で命令された覆面兵士は、黙して竜胆を抱き上げる。

「行かせはしない!」

 みすみす見逃してなるものかとドラグノフの銃床を腰に当てたシュキ。

 異形の兵士が銃弾の通り道に立ちふさがる。

「貴様ァ……退け、退けェェェッ!」

 相手よりも先に機先を制した彼女は続けざまに連射した。

 後ろで控えていた東条は考える。いかに装甲された兵士であっても、こうも至近距離で、しかも7・62㎜ロシアン弾を叩き込まれてしまっては死を免れないだろう。

 よくて一生を療養施設で過ごすかどうかだ。

 しかし、シュキの暗澹たる表情が暗に教えていた。その推測は外れている、と。

「マジ、かよ……」

 東条の全身に驚愕が駆け抜ける。ただの一発が人を殺傷するに足りる威力でありながら、また悪辣なことこの上ない銃撃の嵐を受けたにもかかわらず、それは、立っていた。

 片腕は痛々しくもぎ取れ、堅牢な装甲が無残にひしゃげている。全身の至る個所にできた巨大な銃痕から、血液にしては不可解な色をした液体が際限なく流れだしていた。

 だが、平然と立っている。

 人間ではないのか。大胆にしてはあまりに稚拙な推論だが、一番しっくりきてしまう。でなければ説明がつかない。全身の部位をことごとく噛み砕かれてなお平然としているのだから。

 すると直立不動の兵士から、嘲るような音声が流れだしてくる。

『無駄な足掻きは止めたまえ。甚だ見苦しいものだ』

 低音の利いた、くぐもった声は言った。

『あやつ、このような懐刀を隠し持っていたとはな。しかし君になら分かるであろう? 所詮無駄な足掻きだ。大人しく諦め、我の軍門に下れ。さすれば新たな竜胆家の番犬として奉仕させてやってもよいが?』

 ドラグノフが吠えた。

「黙れ」

 シュキは兵士の懐にすべり込んだ。

「黙れ」

 ドラグノフが吠えた。

「黙れ」

 ドラグノフが吠えた。

「黙れ外道が。我が主はただ一人。主のためならば己が命を切り捨ててでも必ず救いだし、守りの鬼と相成り、そして貴様を殺してやる」

 そう決然と吐き散らし、シュキは救出するべき主のもとへと足を動かす。

 三度のドラグノフ狙撃銃の咆哮で、さしもの兵士も物理的に立ち続けることができなかった。

 衝撃で壁に追いやられた身体は、見るも無残に跡形もなく脅威としての風格を失っている。無力化したとみてまちがいないだろうと、思われたそのときだった。

『是非も及ばず』

 九九式軽機関銃の銃腔がシュキに向けられていた。

 刹那に烈火のごとく銃弾が噴きだす。壁が剥ぎ取られてゆく破壊音と銃撃音が渾然一体となって周囲にこだまする。唐突に、銃声が鳴り止んだ。千切れかかっていた兵器の腕が、射撃の衝撃でついに胴体から離れたからだ。

 不意を衝かれたシュキは転倒している。その上には東条が覆いかぶさっていた。とっさの判断で彼はシュキを押し、彼女もろとも飛び退いていたのである。

「――……ぎりぎりってやつだな」

 東条は起き上がると、歪と化した兵士の元へと歩み寄る。驚くべきことに、顔面の二つのレンズが、未だ伸びたり縮んだりと焦点調整に躍起になっていた。

「てめえらの素性は知らねえし、こっちは全くの部外者だ。だがな、面倒なことに依頼を受けちまってんだよ。こちとら傭兵を生業にしてる手合い。だからこそ仕事はやり遂げる、はずだった」

 東条の眼光にめずらしく怒りの炎がくすぶる。誇りと高慢を履き違えた自分に責任があることは重々承知している。だとしても、我らが根城を滅茶苦茶にされて黙っていられるほど聖人君子を装うつもりもない。目には目を、歯には歯を。犯した罪は血でもって贖え。

「売られた喧嘩は迎え撃つのがマナーってもんだろ? だったら血で血を洗う戦争と洒落込もうじゃねえか。どうだ、興奮してきたか? ……しないか。まあいいさ」

 望遠レンズに銃腔を押しつけ東条は嘯く。

「――それまで親指咥えて待ってな」

 トリガーが引かれた瞬間に、レンズが砕け散った。

 東条は、シュキに目をやる。

「で、あんたはどこに行く気だ?」

「無論、主を救いに」

「駄目だ。あっちの戦力も分かってねえ。景久たちの帰りを待つのが得策だ」

「では、私が先んじて行って参りましょう。一刻一刻が惜しいのです」

 シュキは頑なに譲らない。概ねそれは薬師寺も同じだった。

「僕も今すぐ行かせてもらうよ。ここまでされて黙ってたら部隊の名が廃るからね」

「ちょっと、待――」

 肩を掴もうとする東条の手を振り払う薬師寺は咎める。

「あれだけ啖呵を切ったのに、もしかして臆したの? ……でも止めても無駄だからね。奴らにアウトサイダーの恐ろしさを教えてやるんだ」

 ふたりとも別々の理由であろうとも、共通の激情に囚われていた。

「おい、俺の話を――」

 東条は言いさして、不意に、脱力感に襲われた。

「え――……と、智彦!?」

 床に倒れ込む東条を見て、薬師寺が悲鳴を上げる。

「し、しっかりしてよっ!」

 腹部あたりから赤い液体が滲んでいた。

 被弾していた。

 身を揺さぶられる東条は、自虐めいた笑みを浮かべて思う。

 確かに、あれだけ啖呵切ったわりには不甲斐ないものだ。しかも依頼人を攫われるばかりか己の身すら守れないとは、まったく泣けてくる。こんな体たらくを見せられた日には、さぞ津島は腹を立てるに違いない。あいつの説教は長ったらしくて面倒くさいっていうのに、どう言い訳すればよいのやら……。

 にやつく笑みがいっそう大きくなったところで、東条の意識が途切れた。


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