十の幕
二日間に渡って苛酷な戦場に連れ添ってくれた、夫婦の関係といっても過言ではない二挺の銃器を、東条は労いの気持ちを込めて点検整備していた。
一日置いてのまともな点検に、彼は多少なりとも罪悪感を懐いてしまう。たかが一日。されど一日。精密機械である二挺、わけてもM24においては微々たる《劣化》が重大な誤差を引き起こしかねない。それでなくても、長距離精密射撃には様々な要素を含んだ面妖甚だしい弾道計算を要するのだ。そこに些細な《劣化》が加わってしまっては、もはや手に負える代物ではない。
銃腔から離れたばかりの弾頭が、意図する方位からすでにミリ単位の誤差があったとしよう。標的を殺傷すべく飛来する弾頭は、その飛距離が長ければ長いほど誤差も拡大してゆき、ミリ単位では済まされなくなってしまう。しまいには、標的に掠りもしないこともあろう。
これではM4カービン銃も当然のこと、宝の持ち腐れも同然。とうの本人たちもそれでは不本意というものだ。だから東条は毎日欠かすことなく銃火器の点検をしていたのである。
銃身内部に張りついた銅粒子をクリーニングし、銃腔内に残った炸薬の残渣を取り除いたところでようやく仕事の終了を迎えた。
連日に及ぶ戦闘で自分が思っている以上に身体は堪えているようだ。彼は倒れ込むようにして、ベッドに横たわった。
「久しぶりになかなか濃密な仕事だったぜ……」
横たわったが最後、もう意地でもここからでたくはないという願望めいた衝動が湧いてくる。だがよくよく考えてみれば、別にでる必要はないのだ。今日の仕事は終わった。ここからは個々人の自由時間ということだ。ならばこのまま寝てしまえ。
そう思った東条は、睡魔に抗うことなく瞼を閉じた。
しかし男性というものは不思議なもので、このように疲れ果てた状態にあっても、いや、疲れ果てているからこそというべきか、うちなる野獣が鼓動をはじめる。
我ながらなんとまあ暴れ馬だことと思いながらも、彼は兄弟のためとあらばと一念発起して立ち上がった。ちなみに、男は黙って直立姿勢というのが彼の信条である。
いきり立つ兄弟に対し、彼はしばし待たれいと戒めつつ、あれがいいかしら、これがいいかしら、それともあちらが……などと数多の手法を思い描いてみた。
そんなろくでもないことに現を抜かして考えあぐねていたところ、隣の部屋から断続的に聞こえる、か細い声に彼は気づく。
壁に張りつき耳を澄ましてみると、泣き声であることが分かった。
隣は津島の部屋だ。ということは、今泣いているのは竜胆少年とみてまちがいない。
凛とした少年であったことから、東条は意外だと驚く。が、そうはいっても年端もいかぬ少年である。当然といえば当然――用心棒はいれども、家族や友のいない孤立の身であればなおさらだ。その気丈な振る舞いの陰では、年相応に寂しさに怯えていたのであろう。
思索の矛先が、自然と竜胆からシュキに移り変わる。
用心棒のシュキ。謎の多き女性兵だが、とりわけ東条にはある《存在》が気になっていた。
その手に携える、ドラグノフ狙撃銃(SVD)である。
マークスマンライフルとして名高いこの銃は、遠距離や至近距離では威力が半減するものの、中距離においてはその絶大なる威力をいかんなく発揮し、殺戮対象に猛威をふるうことで知られている。セミオート機構から放たれる銃弾は、突撃銃よりも遥かに正確的で、ボルトアクション式の狙撃銃よりも連射性に優れている点から、汎用性が高かった。
世界に名だたる狙撃銃の中でも筆頭を飾るドラグノフに対して、一発一殺の魅力にとりつかれた東条ですら興奮を禁じ得ない。それだけドラグノフ狙撃銃とは、狙撃手にとって生唾ものなのだ。
「…………」
それにしても、未だに泣いている少年をどうしたものか。一度様子を見にいった方がよさそうだが、護衛を依頼された身だとしても、プライベートまで介入してしまうのもどうかと思うし……などと東条は少しの間考えていたが、やがて、やはり隣で泣いてもらっては居心地が悪いと結論に至り、少年を起こすことにした。




