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アウトサイダー  作者: 明日ヶ太郎
1/17

一の幕

初めまして明日ヶ太郎です。

少しだけ文体が固くなってしまって読みにくいかと思いますが、ミリタリーものですのでご了承ください。

あと、可能であれば縦書きで読んでくれるととても嬉しいです。宜しくお願いします。

※某ラノベ大賞に応募した小説ですので、もう完結しています。なので、頃合いをみて随時投稿していこうと思います。


※今さらながら部ごとの文字数が多過ぎるので、気軽に読めるように分割しました。(それでも長文になるのですが)

ご迷惑をかけてしまった読者様には大変申し訳ありません。

 うつくしく紅葉した自然に埋没する街並み。

 ゆるやかなる滅びをたどっていく文明。

 《再び人類に繁栄がもたらされんことを》

 どこまでも儚い願い。しかしおそらくその願いが成就されることはないだろう。

 これは荒廃に満ち溢れた世界の物語だ。


 喜怒哀楽を失くしたかのような冷たい表情をする兵士は、赤錆びたドーム型の建物の前に立ち尽くしていた。

 殺人鬼だと勘ぐってしまうほど剣呑な顔をしているが、その実、胸の内はうかれていた。

 この日をどれほど待ちわびたか知れない。数奇な運命を辿り、途方もない努力を惜しまなかったのは全てこの日のためだった。

 あと数分足らずで皆に、あの人に逢える。兵士は固唾を呑みながら待ち続けた。

 所定時刻の一分が過ぎ、二分が過ぎて三分を経過した。

 いつまで経っても屋内から人が現れない。我知らず兵士は屋内へと続く通路に足を運ぼうとしたそのとき、金切り声のような銃声が耳朶を打った。

 危険を知らしめる信号がうかれた思考を冷却し、兵士を兵士たらしめる冷徹さを呼び起こす。

 地面を踏みしめて、勢いよく駆けだした兵士の前方から、数名の人間たちが見えてきた。人がいた! 喜びと感動の入り混じった熱が帯びる。と思うが早いか、兵士の視線がある人物に吸い寄せられてしまっていた。

 子どもが追われていた。武装した四名の人間に追われていた。あろうことか、銃を向けられていた。なにが起こっているのか理解できなかった。揺れる心とは裏腹に、次の瞬間――獰猛な本能が、兵士の携えるライフルのトリガーを引かせていた。

 螺旋状に回転する弾頭が大気を燃やし尽くして直進し、果ての目標部位を破壊する。うろたえる残りの的にも続けざまに一発、二発。致命傷を与えてやった。

 突然現れた人殺しの前に、味方かそれともさらなる敵なのかと怯える子どもに対し、兵士は頭を下げ、膝をついて手を伸ばす。敵意などあるはずがなかった。

 さしたる間を置かず、小さなてのひらが兵士の分厚いてのひらへとそえられる。

 そっと兵士が見上げた先には、渇望していたものがそこにはあった。



 第一章 ガスマスク四人衆


 人気のない暗然とした市街地。車道は激しく抉れ、地表の層が露わになっている。屋上から落下したとおぼしき高架水槽が歪な形をして横たわり、その周辺を起点に赤黄色のつる草が街中を覆い尽くしていた。

 そんな場所で、とある一家が立ち往生していた。

 旅人の男は、妻と娘を抱きかかえながら瓦礫の隙間にうずくまる。

 分からない。岩の影で一休みしていたら、いつの間にかバケモノどもに囲まれていた。

 あてものなく地上を彷徨うヒトの成れの果て。

 噎せ返るような死臭を放ち、血まみれの焼死体のごとき異貌をしたそれのことを、人類は、シキビトと呼ぶ。奴らの嗅覚にかかれば数百メートル先にいる生命体の存在すらも筒抜けだ。いかに身を隠そうとも香しい新鮮な肉の匂いに釣られてやってくる。

 たかが百メートルやそこらを見渡し周辺は安全だと油断したのが、旅人の運のつきだった。

 一体がこちらに近づいてくる。明らかに意識しての歩行である。

 いよいよもって危うくなった状況下で、旅人は突拍子もない行動に移る。瓦礫と瓦礫との裂け目に広がる青天を仰ぎながら、一心不乱に叫んだ。

 おお神よ、貴方はいる。どこかにいるはずなのだ。だから、どうか――どうか我々に救世主を与えたもう!

 旅人は一言一句、乾いた空気に喉を痛ませながらも吠え上げた。なんども、なんども。

 おそらく恐怖のあまり気が触れたのだろう。ともあれ男の命もわずかばかり。刻一刻と迫りくる狂気に対し、あまりにも無力かつ意味をなさない行動をする、愚かな男は無残に殺されると思ったそのときであった。

 《救いを求めるか。ならばより渇望しろ。さすれば願いは叶えられん》

 神の啓示が聞こえた気がした。

 幻聴か? 唐突な声にさしもの旅人もしばし呆気にとられてしまう。

 しかしそんなはずはないと色めき立ち、なおいっそう声高らかに救いを乞うた。

 ふと頭上から砂塵がさらさらと落ちてくる。

 なに者かが瓦礫の上に屹立していた。

 太陽を背にしたその者の容姿は判然としないが、それが人間であるということだけははっきりと分かった。願いは聞き届けられた。やはり救世主は存在したのだ!

 興奮にも似た喜びが身体を中心に沸き起こる。旅人はいてもたってもいられずに救世主の容姿を確認するため、視界に注がれる光芒をてのひらで遮った。

 独特のフォルムをしたマスクが目に映った。

 照りつく太陽に背を向ける人物が、ホロロロといやらしく嗤っている。

 アウトサイダー……。

 旅人は、そう呟いた。



 どうやらこちらの正体は割れているようだ。なまじ付き合ってしまった手前、救世主にでもなり切ろうとかと思っていたが、ここでお遊びは止めにしよう――と津島景(つしまかげ)(ひさ)は考えるに至り、本性をさらけだしいつもと同じ態度で挑むことにした。

「どうやらお困りの様子ですね。どうでしょう、我々と契約でもしませんか?」

「……あ、あんたやっぱりアウトサイダーだったのか」

 見上げる旅人の表情は落胆に染まっていた。津島は面倒くさそうに頭を掻く。

「はあ、救世主じゃなくて申し訳ない。そんなことよりも、パパッと決めてもらいましょう。契約して報酬をだすか、喰い殺されるか。どちらがいかがかな?」

「このゲスめえ……ッ! こんな私たちからなにを奪うというのだ!」

 見るからにみすぼらしい恰好をした彼らに報酬を求めるこの男――津島はゲスだった。

「なにをおっしゃるか。人間そこにいればなにかしらの《モノ》はあるでしょう?」

「……なにを言っている」

「ならばいいでしょう。神に祈って救世主が現れるかどうか、確認するのもまた一興。さあてどうなるか。中々興味深いですなあ」

 人でなしの囁きが男の脳天を叩きつけた。もはやこれまでだった。

「くっ、わ、分かった! やれるものならなんでもやるから助けてくれ!」

「契約成立ですね。我々、傭兵部隊アウトサイダーにお任せください」

 津島は恭しく、それでいて尊大な態度で断言した。「命だけは保障しましょう」

 すると、津島の横あいから三名の兵士たちが現れる。

「やっと俺のライフルが火を吹くときがきたかよ」

「もう世界なんて爆発しちゃってよ……わりとマジで」

「皆さん血気盛んですねえ。ここは年長者として手綱を引いてやらないと」

 口火を切った彼の名は東条智彦(とうじょうともひこ)という。M24狙撃銃を使いこなすスナイパーだった。

 続いて物騒な物言いをする彼は薬師寺(やくしじ)(げん)()。SMGよりも、もっぱら手榴弾を愛用する小柄な通信兵だ。

 最後は、人目につくほど巨躯な異国の者その名もブギージャックという。巨漢にふさわしい重火器PKPペチェネグをこよなく愛する白色人種。

「役者は揃ったようだな」

 そしてM16改良型を肩に置く津島景久。彼こそが部隊の隊長であり絶対的指導者だった。

 想像してみるがいい。歪んだ心を投影するような漆黒のガスマスク、鈍色のフードつき戦闘服を身に纏う兵士たちを、異常すぎる風采を前にして、だれが平然としていられるだろうか。

 強きからすべてを奪い、等しく弱きからも相応の対価を払わせる。

 下衆、下品、下劣の三拍子の揃った集団の名は『アウトサイダー』という。

 中立と言う名の流儀に従う兵士たちは、すなわち荒廃した世界の掃き溜めから生まれたような存在だった。

「――ぎゃああァァ!」

 絹を引き裂いたかのような唐突な悲鳴が響き渡る。

 見れば、哀れな依頼主が片腕をシキビトに噛みつかれてしまっていた。

「あ、不味い……これでは報酬がなくなってしまう。いくぞお前らっ!」

 慌てる津島の号令を機に、戦端が開かれた。

 ブギージャックが我先にトリガーを引いた。

 7・62㎜口径の重火器から噴きでる銃弾が、コンクリートに杭がブチ刺さるような音を立てながら地上を徘徊するシキビトたちに着弾していく。もとより赤く濁ったシキビトの人体が四散して、食肉店のブッチャーも真っ青の血みどろな光景が一帯に広がった。

 殺戮にゴキゲンなブギージャックの傍らで、しかし東条がコッキングレバーを後退させながら鼻で笑う。

「へっ、芸がねえなブギージャック。殺しは一発一発が勝負なんだよ。こうやってボルトを前方に押して、眉間狙って呼吸を止めてから感覚を研ぎ澄ます。そこからは自分の世界だな。気づいたときにはトリガーを引いて完遂してるって寸法だ」

 言うが早いか、彼はトリガーを引いていた。言うまでもなく狙撃対象は眉間を貫かれて即死。その間コンマ一秒といったところか。彼の世界の時間の流れは彼のみぞ知るものであり、だが驚くほどまでに早撃ちなのは疑う余地ない。

「最後にこの言葉を屍に手向けるんだ――《Rest in peace(安らかに眠れ)》」

 心哀しげに虚空を見つめる彼は、ぽつりと告げた。そして、それがゲスな笑いによって返されることをだれが想像できようか。

「R・I・P! まさかここで母国の言葉を耳にするとは。R・I・P!」

「あ、てめえっ! なに笑ってやがる。これは美学といってだな」

「いやいや。つまるところ自分の世界に酔いしれているだけじゃないですか」

「なんだとこの野郎っ!?」

 切って返された東条は鼻息を荒くし烈火のごとく逆上した。そんななかにあって、だしぬけに大地を揺るがす衝撃が襲う。

 なにやら薬師寺がとてもアブナイ状態になっている模様だ。

「やっぱり手榴弾はいいねえ。荒廃した大地をさらに痛めつけ、うじゃうじゃと群がるシキビトを一網打尽にするこの快感がドーパミンを分泌させるのだあ! うひゃふひゃひゃ、やっぱり破壊は未来だね! 皆が等しく破壊されるがよろしいぃい!」

 彼は見境なくレモン状のM26手榴弾を放り投げる。ここが兵士入り乱れる戦場であれば、敵味方関係なくといった感じにだ。恐ろしすぎる。

 そんな、仲間が狂乱騒乱に身を置いている最中――津島ただ一人だけは職務を見失うことなく冷静に仕事を全うしていた。

 彼は今、高所からすべり下りて大地を踏みしめている。可能であれば高みから一方的に射撃をするに越したことはなかったが、護衛対象が地上にいる以上そうもいかなかった。押し寄せるシキビトたちを押しこむには真っ向から対峙するほかないし、ひいては護衛対象の盾となり得るからである。

「出血はさほど酷くはありませんね。気分は悪くないですか?」

「……あ、ああ。まだそんなに気分は悪くないようだ」

 心配そうに具合を訊く彼に対し、依頼主である男は正直なところ驚いていた。さっきとはまるで違う対応である。しかも津島自身が地上に下りてくるなど予想もしなかった。たとえ契約をしたとはいっても、自ら危険にさらすような真似をするなど。

「そ、それよりもあんたは下りてきても大丈夫だったのか? 契約っていっても」

 払えるものは高が知れていると男が言おうとしたが、途中で津島がてのひらで制する。

「あまり喋らない方がいい。ウイルスの回りが早まります。抗体はお持ちですか?」

 シキビトの唾液を媒介とするRSウイルスと呼ばれる通称《RSV》は、感染したとしても発症前にワクチンG製剤と呼ばれるものを打つことで予防が可能であることが分かっている。だが一つ問題があった。ワクチンは一般市民が気軽に買えるほど安い代物ではなかったのだ。

 力なく頭を横に振る依頼主に、

「ではこれを使ってください」

 なんと津島がダンプポーチから取りだしたものは、紛れもなくワクチンG製剤だった。

「し、しかし……こんな高価なものを払うことなど私には」

「それなら問題ありません。タダで結構です。そもそも契約後に依頼主に怪我を負わせてしまったのは我々の不徳と致すところ。だから遠慮なくどうぞ」

 透きとおるような慈愛に満ちた津島の声が、依頼主の脳天を叩きつけた。

 年甲斐もなく涙を零す男はワクチンを受け取り、注射筒先端の注射針を胸に打つ。

「ありがとう……本当に、恩に着るよ」

「いえいえ、これで安心だ」

 そう言って津島は戦地へと向かいだす。「では残敵を掃討しますゆえ」

 恐れを抱くことなく悠然とした構えで、人を喰らう幽鬼に立ち向かう。漆黒のガスマスクに赤く煌めく双眸が冥土の御使いだと認識させる。

 しかし味方につければこれほど頼もしい存在はいなかった。

 依頼主の瞳に映る津島の後姿は、幾千幾万の弱き人々が長年望んで仰いだ存在――まちがいなく救世主その者であった。

 砂埃たなびく通りを肩で切って歩く津島は、数弾を残したマガジンをポーチに収めて、テープで上下に固定された二つのマガジンのうちの一つを再装填する。

「さて、早く終わらせて報酬を頂くとしよう」

 飄々として吹く津島のそれは、今から殺し合いをはじめる兵士のものではなく、さながらいつものルーチンワークに出向くかのような居住まいだ。

 排莢口から空薬莢が勢いよく飛びだす。

 抜き打ちで発射された5・56㎜NATO弾がシキビトの顔面に飛来し、容赦なく敵の息の根を止める。同胞が葬り去られ怒り狂ったかのように群がってくる幽鬼。かたや津島の様子は相も変わらず、悠々と自適に事を観察する風だ。

 身の毛もよだつ唸り声が蠢くなかにあって、ぱぱぱっ! 三点射機構から放たれる銃声が空間を切り裂くように鳴り響く。その度に一体、また一体とシキビトは崩れ落ち、澄み切った青天の彼方へと掻き消えていく断末魔。とともに生命を終える。

 迫りくるシキビトにも臆することなく、自分の腕に狂いなしと信じて止まない彼が放つ銃弾は、まるで吸い込まれるように敵の額に撃ち込まれていった。

 弾倉を逆さにして再装填(リロード)

 一体のシキビトが隙を見出したのか、猛然と牙を向けてくる。が、動じることなく銃床を敵の喉笛に叩きつけ、片足を蹴り払う――敵が転倒――すぐさま顔面に足裏を叩き落とす。踏みにじられた敵の頭部は破裂し、下手人はその脚を軸にさらなる殺害に手を染めていく。

 卓越した射撃技術もさることながら、流れるような洗練された格闘術に一切の無駄はなく、シキビトに抗うすべはない。

 いい感じだクソ喰らえ。

 歪な笑いを湛えながら熱情に駆られる。人間のように走り、武器を携え、ときに思考を持ち、はたまた口から触手のようなものが飛びだす始末なんでもござれB級映画なんぞ片腹痛い。奴らは本能のままに食を求め、世界を徘徊するだけの恐れるに足りない存在だ。

「はらわたぶちまけろ」

 銃身下部に装着されたM203グレネードランチャーのトリガーを引き絞る。

 周辺一帯に密集していたシキビトは、40㎜グレネード弾の爆風に木端微塵にされ、いわゆる『きたない花火』が打ちあがった。

 これにてバケモノ退治の完了である。

 裾の砂埃を払いながら、死屍累々を背に、津島は踵を返すのであった。

「――さて。我々は契約を果たしました。今度はそちらが報酬を渡す番です」

 地上で依頼主とその家族を取り囲むアウトサイダーに、どことなく様子がおかしいなと思いながらも依頼主は面目ないと頭を下げる。

「貴方がたは私たちの命の恩人です。もちろん可能な限り謝礼はしたいのですが……」

 そう言う男は家族を一瞥しつつもう一度頭を下げる。「このように貧しい身。金銭的なものはこれっぽちも持ち合わせていないの――」

 男の言葉は途中で止められた。津島がてのひらで制したのだ。

「なにを言っておられるか。我々は貴方たちのような貧民に金銭を求めるような外道ではありませんよ」

「な、なんと!」

 津島に対する男のまなざしが神聖的なものにまで昇華されてゆき、そして懐疑的になるまでそう長い時間はかからなかった。

「であるからこそ、の提案なのですが」

「はい、なんなりと」

「えっと……ああ、そこの女性。貴方の奥さんですよね?」

「はい。……それがなにか?」

「いや、お美しいなあっと思いまして。本当に」

 確かに、津島が指摘するように依頼主の妻は美しかった。みすぼらしい恰好をしていても色褪せることのない確かな美貌。衣服の隙間から見え隠れする雪解けした大地のように輝く白い肌。なかんずく、いかな謹厳居士であろうとも二度見すること請け合いの、ふっくらと二つの実を結んだ胸元が実に素晴らしかった。

「まことけしからんなと」

「ああ、あれは不健全きわまりない。眼福いや目に毒だ」

「正直ぺろぺろしたいです」

「皆汚らわしいなあ。あんな大きいもののどこがいいんだい? 僕には全然分からないよ」

 妻に対して猥褻な視線を投げる彼らに不信感を拭えない男ではあったが、それでも命の恩人であるという不動の事実があるゆえに、無理やり疑念を振り払う。

「……一体なにがお望みなのですか?」

 依頼主に尋ねられた津島は我に返ると、なに食わぬ顔で嘯いた。

「この素晴らしい双丘をひと揉み。いや、ふた揉みさせてくれれば結構です」

「――なッ!?」

 さすがの依頼主も絶句するほかなかった。しかし津島のゲスぶりは留まることを知らない。

「あと忘れていました。貴方に渡したワクチンG製剤の対価として、下着もひと嗅ぎしなくてはならない」

「そ、そんな馬鹿なッ! そのようなことがまかり通るとでも――」

「喝ッ!」

 突然の張り上げられた声に男は叱られた子どものように身を竦ませる。

「我々が助けなければ貴方たちはここで死んでいた。しかもなけなしのワクチンを提供した恩をお忘れか? 言っとくが、我々に妥協という文字は存在しない」

「ひどい、ひどすぎるっ!」

 用意周到なまでに集められた大義名分の前に、男は膝を折って泣いた。

「落ち込まないであなた。ちょっと我慢すれば、それで命が助かったと思えば安いものよ」

「お、おまえ……ああ……、す、すまない!」

 懸命に気丈に振る舞っている妻が不憫でならなくて、しかし如何にもしがたい自分の無力さに嗚咽する男。それを見つめる津島は感嘆する。

「素晴らしい奥さんじゃありませんか。貴方よりもよほど道理を弁えてらっしゃる。では奥さん、心の準備はよろしいかな?」

「お待ちください恩人様」女性は嘆願する。そして夫に頼む。「あなた。私は大丈夫よ。でも、その子にだけは醜態を見られたくはないの。だから、その子の目を塞いでおいて頂戴……」

「ああ分かった、分かったよ!」

「うぅ、あなたァ……!」

 これよりはじまる残酷な仕打ちに身を震わせる夫婦は抱き合い、愛を確かめ合う。が、津島の一言で無情にも引き離されてしまう。

「茶番はよしてくれ。見たくない」

 東条は舌を巻いた。

「ゲスぶりに揺らぎなしだな」

「ゲスではない。中立と言ってくれ。それにお前も大概だろう?」

「まあな。道徳を越えたなにかに興奮を禁じ得ない俺がいる」

 そろいもそろってゲスである。

 もはや我慢の限界とばかりに、津島は両腕を広げて告げた。

「それでは奥さん……いきますよぅ?」

 黒光りの四つのマスクが一斉に女性の懐へと忍び寄る。荒々しく下品な息遣いが辺りに反響し、心細い喘ぎ声のような悲鳴が渾然一体となり醜悪な情景を嫌でも思い浮かべてしまう。

「ああっ、あなたゆるして……ゆるしてっ」

 止めどなく聞こえてくる艶めかしい声が旅人を狂わせる。耳を塞ぎたくても、娘のために両手が不自由でそれも叶わない。「お母さん? どうしてそんな声をだしているの? お父さん、今なにが起こっているの?」と、純粋無垢な娘の質問が身を引き裂く。

 この常軌を逸した状況の中、男は悟った。それはあまりに遅く、状況を改善するものではない、ただの空虚な諦念――。

 この世に救世主はいないのだ。


「マスク越しでも感じる甘酸っぱい蠱惑の香り、大変よろしいものだった」

「おお神よ……私をお許しください。でもよかったのです、それだけは分かってください」

「やっぱり凹凸のない女体のほうが好みかなあ」

「ちくしょう、おっぱい最高だぜ!」

 女性が滂沱の涙で大地を濡らしているのを余所に、私欲を貪った彼らは上機嫌だった。

 依頼主の男は怒りに打ち震えている。少女はなにが起こったか分からずとも、両親の顔を見てつぶらな瞳をうるうるさせていた。

 身支度を整えた一家はアウトサイダーになにを告げずに去ろうとするが、

「あ、ちょっと待って君!」

 突然なにを思ったのか、薬師寺が少女を呼び止める。

「これお詫びの印だけどもらってくれないかな?」彼はポーチから飴玉が沢山入ったブリキ缶を取りだした。「君には悪いことをした」

「……」

 しばし可愛らしい瞳をぱちくりさせる少女。動揺しているのだろう。薬師寺はその柔らかいてのひらにそっと、ブリキ缶を握らせた。

 少女は歓喜きわまったのだろう。瞳を見開いて腕に力を入れる。

 そして口にしたのだった。

「触んじゃねえ。このゲス野郎っ!」

「……へ?」

 激しく振り払われた薬師寺の手とともに《お詫びの印》が無造作にこぼれ落ちる。

 そして、金魚みたく口をぱくぱくさせ唖然とする薬師寺の前から少女はいなくなった。と思ったら、どこからともなく再び現れた少女は、やはり飴玉が欲しかったとみえる。地面に落ちていたブリキ缶を無造作に拾うともう一度。

「このゲス野郎っ!」

 そう一言だけ言い残し、今度こそその姿を見せることはなかった。

 しばし放心していた薬師寺のもとに同胞たちが歩み寄る。

「なんと言うか、近頃の子どもはマセているな。気にしては駄目だぞ?」

 津島は彼の肩に手を置きながら慰める。東条やブギージャックもしきりに「気にするな」「俺たちがついている」「記憶を消してしまえ」と、各々のやり方で彼を元気づける。

 それでも一向に反応を見せない薬師寺に、津島が愛の鉄拳を食らわそうとしたときだった。

「破壊は未来だ破壊は未来だ破壊は未来だ破壊は未来だ破壊は未来だ破壊は」

 小声で呟かられる呪詛に戦慄する一同。

「こ、こいつ! またいつもの症状がでているぞ……ッ!」

「やべえ、不吉すぎる。『破壊は未来だ』を連呼されて『未来は破壊だ』に聞こえちまう!」

「どちらにしても不吉ですよ! 今は迅速に彼を鎮めなければ!」

 慌てふためく彼らの傍らで、薬師寺は負の輪廻に迷い込み、どういうわけか一つの真理を導きだした。

「破壊は未来……そうだ。未来のために土に還ろう。そうすればこんな生きる価値もない屑でも少しはこの世の役に立つってものだよ」

「バカちんがァ――ッ!」

 手榴弾の安全ピンに指を忍ばせていた薬師寺の腕を掴み、津島は説き伏せる。

「お前が屑だなんてあるわけないだろう。我々にはお前の力が必要なのだっ!」

 めずらしく熱い津島の様子に薬師寺は驚く。東条やブギージャックもしきりに「お前が必要だ「「死んでは駄目だ」「記憶を消してしまえ」と、各々のやり方で説得を試みた。

「……本当?」

「ああ」

「こんな僕でも皆の役に立っているのかな?」

「もちろんだとも、同胞よ。お前はここで死んではいけない。まだ死ぬときではないのだ。そのときが来るまで命はとっておけ」

 仲間の大切さ、アウトサイダーの絆をあらためて痛感した薬師寺はこくりと頷いた。

「うん……皆ありがとう」

「気にするな」

「へへ、仲間だろ?」

「オーケーオーケー、ノープログレムというやつです」

 これにて一件落着。部隊の絆はより強固なものになったと和気藹々する一同。

「ああでも」

 不意に言い添える薬師寺。「死ぬときはみんな一緒だから」

 死ぬときはみんな一緒だから。

 ――死ぬときはみんな一緒だから。

 ――――死ぬときはみんな一緒だから。

 死ぬときは、みんな一緒!

「な、なんだか薄ら寒いな」

「そ、そうだなあ。急にどうした、もんか」

「だ、だったらすぐに……帰るとしましょうか」

「そうしましょう」と続けようと打算するも薬師寺の追及の魔の手に抗えるはずもなく。

「もう、誤魔化さないでよ。え、それとも――……」

「早まるな、いつ我々が死なないと言った? アウトサイダーに死に別れなど有り得ん。ひとり死すときは四人が死ぬときだ。結成時の盟約にもそう書かれている!」

「え、書かれて――」

「ええい、黙らっしゃい!」

 津島は東条に凄んだのちに、再び薬師寺へと視線をもどす。

「ゆえに、憂うことはなにもないのだよ」

 風格すら漂わすほどの津島の威風堂々ぶりには、塞ぎ込んでいた薬師寺もイチコロだった。

「ここに入隊してよかった。たとえゲスと罵られようともこの誇りだけは忘れないっ!」

「うむ、それがよかろう」

 ガスマスクのレンズから覗かせる薬師寺の屈託のない笑顔を見て、なにはともわれこれでよかったのだと帰結する。

 煌びやかな電飾のように輝く夕日色の世界を眺めながら、津島は号令した。

「さあ帰ろうか。我々の拠点――《天神》へ」


 

もしも最初から最後まで読んでくださった方、本当に感謝します。もしも少しでも読んでくださった方、やはり感謝します。

ちょっとした時間があれば、少しの感想、または罵倒でもいいのでコメントを残してくださると生きる活力に繋がります。確かに誰かが読んでくれていると強く実感しますので。

では、近いうちに《二の幕》をUPしますので宜しくお願いします。

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