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第2話 購入

 ザシュッ、ザシュッ、ザシュッ。


 木材を削る軽やかな音だけが室内に響き、木屑が時折ひらひらと床上に落ちていく。


 ヴァイオリン製作の一工程として、クレイドは楽器本体の表板を削る作業を行っていた。 

 向きや角度に寸分の狂いもなきよう、鋭い眼光を手元の一点に集中させる。

 これぞ職人としてのクレイドの姿であった。


 楽器が完成した暁には、いつかどこかで誰かに求められる楽器になって欲しい。そう心から願い、削り続けた。



 不意に、何の前触れもなくロディールに言われた言葉が脳内で再生された。


『お前の集中力は本当に人並みを外れてるよ。ただ、集中しすぎて食事を忘れることがあるってのは気をつけた方がいいな』


 ――あぁ、そうだ。そろそろ昼食時だったか。


 自分ではなかなか気が付かないのだが、黙々と楽器に向き合っている時、自分は誰も寄せ付けないオーラを纏っているらしい。

 食事の時間は大切だと思っているが、つい忘れてしまうことがあるのは事実だった。

 気が付けばもう日が傾き始めていたなんてこともざらにある。


 クレイドはキッチンに向かうため、製作中の楽器から目を離した。壁にずらりと掛け並べられたヴァイオリンが視界に入る。

 誰が見ても全く同じ形状をしているが、何ひとつ同じものは存在しない。音色はもとより、素材の質、重量感、色味までもが全く違うのだ。

 これも自然の素材を利用して、職人が丹精込めて一つひとつ手作りしているがゆえだ。


 ただ、これらの楽器は全てクレイド自身が製作したものではなく、半分程度は彼の父親が製作したものだった。

 クレイドはそれを見るたび、職人としての技術の未熟さにため息が出た。

 そして、さらなる技術の向上を心に誓うのである。


 クレイドは、朝のうちに作り置きしておいた昼食をテーブルの上に準備した。


 リェティーと昼食を共にした後、クレイドはヴァイオリン製作のため作業場に戻った。



 そして、本日初めて店の扉が開いた。

 クレイドの表情はお硬い職人モードから柔らかな接客モードへと瞬時に変わった。

「いらっしゃいませ」

 店内に入ってきたのは、見たところ40代の女性と10代半ば頃の少女の二人。

 目元の雰囲気が少し似ていることから、親子なのだろうと予測した。

 しかし、二人が何やら浮かない顔をしていたことが、クレイドは少し気掛かりだった。


「奥の部屋に椅子がありますので、どうぞお座りください」

「「ありがとうございます」」

 二人は促されるまま店の奥へと進むと、隣同士で腰を下ろした。

「この店は初めてですよね? 本日はお越しいただきありがとうございます。ご要件をお伺いしても宜しいでしょうか?」

 まず先に母親が口を開いた。

「実は、娘がヴァイオリンをやりたいと言っていまして。兄の楽器を触った事はあるんですけど、ほとんど初めてなんです。今からでも大丈夫でしょうか……」

 クレイドは深く相槌を打ちながら話を聞いていた。

「えぇ、もちろん初めてでも問題ありませんよ。多くの方がそうですから、ご安心ください。ちなみに、他に何か楽器をされた経験とかは?」

「フルートをやっているんですけど、弦楽器は全くなので……」

 円筒型の木に歌口と指孔が開いた楽器ーーフルートは、見た目以上に演奏が難しいと聞いたことがある。

「そうでしたか。フルートは歴史が長いものの、音程をとるのが難しい楽器だと聞いています。最近では、楽器の改良を検討している職人もいるそうですね。フルートを演奏されているのなら、ヴァイオリンでひどく苦労する事はないと思いますよ。挑戦されてみてはいかがでしょう?」


 クレイドは、過去に同業者からフルートについての話を聞いたことがあったが、その知識がここで役に立つとは思ってもいなかった。


 今まで無言だった少女が目を輝かせた。表情の変化は一目瞭然だった。

「そ、それなら、やってみたいです!」

「フルートのこともご存知なんですね。お若いのに、さすが優秀な職人さんですね」

 母親も純粋にクレイドの知識に感心していた。

「い、いえそんなことは……」

 これは謙遜ではない。が、「あまり詳しくない」という事実を客人に伝える必要もないだろう。自らの評価、ひいては店の評判を下げるような言葉を敢えて発言する意味もない。

「楽器のご購入はどうされますか? 私の店でも多くご用意しておりますが、場合によっては他のお店を紹介することもできます」

 クレイドは押し売りを避けるために、客に判断を委ねた。

 母親はゆっくりと首を横に振り、穏やかに微笑む。

「私たちはこちらの店で購入したいと考えています。そのつもりで来たんです。一人ひとりの客に丁寧に接していただけると評判で、腕も確かだと聞きました。それなら、ここで買う以外考えられません」

 あまりにも真っ直ぐな返答だった。

 クレイドはその言葉の受け止め方に迷い、視線をやや逸らしながら軽く頭を下げる。

「そ、そんな大袈裟です。ですが、そう言っていただけると励みになります。ありがとうございます」


 ――何だろう、この不思議な感覚は。


 クレイドは温かい包容力のようなものを彼女の言葉や表情から感じた。

 これは、"母親"という立ち場が作り上げたものではないような気がする。彼女の生粋の性格だろうか。


「まず、先に何か気になる点や要望などはありますか?」

 クレイドの問いかけに、母親が口を開いた。

「えぇ、実は楽器の価格についてなのですが……。実は娘とも話をしていて、初心者なのでそこまで高価なものでなくても良いのかなと思うのですが、どうでしょうか……?」

 買い手にとっては現実的な問題だ。物を買うにあたって最も重要なことだと言っても過言ではない。

「ふむ、そうですねぇ。高価でなくても良いと思いますが、予算が許すなら、中間クラスの楽器はあった方が良いかと……」


 楽器の購入に慎重になるのは当然だ。高価なものを選ばずとも、やはりある程度の価格にはなる。それが楽器である。

 素材による価格差なら目に見えて判別つく場合もあるが、職人の技術は目に見えるものばかりではない。あらかじめ製作にかかる上限コストはおおよそ決まっているものの、楽器に命を宿すつもりで一つひとつ丁寧に作り上げているため、それなりの時間と労力を要する。

 楽器が比較的高額と言われる所以については、本当なら多くの人に理解いただきたいところだ。


 ――さて。多面的に考慮して、この客に合う楽器はどれだろうか。


 客によって予算が異なるため、楽器の価格帯はピンからキリまである。

 しかし、低予算で購入できる楽器についても、職人として最大限の技量を光らせて仕上げているつもりだ。粗悪品など当然あるはずない。


「先代が手掛けた楽器もあるのですが、それらは値が張るうえに、上級者や演奏家向きだと思います。このような楽器は、ある程度弾きこなせるようになってから挑戦した方が楽しくなるかなと。私が手掛けた楽器もあるのですが、どうでしょう……?」

「全く構いません! ただ、私は試奏できないので音の良し悪しが分からなくて……」

 少女は少し項垂れる。

「試奏は私が行うので大丈夫ですよ。いくつか選定しますので、そこから気に入ったものを選んでいただこうかなと思っています。ちなみに、楽器を習われるご予定などはありますか?」

「えっと、本格的にどうするかは考えていないんですが、兄に少し教えてもらおうかなと思っています」

 クレイドは、なるほど、と頷いた。

「それは良いですね。楽器をよくご存知の方が身近にいらっしゃると安心ですね」

 少女の表情はコロコロと変わり、今度ははにかむような笑みを浮かべた。

「楽器は、今日中にお持ち帰りになられますか?」

 少女は慌てて隣に座る母親の顔を見て反応を確認した。

 母親は穏やかな微笑みを娘に向けた。

「じゃあ、持って帰りましょうか」

 少女は頬を紅潮させながら頷くと、クレイドに正面から向き直る。

「では、お、お願いします!」

 クレイドは口元を綻ばせると、軽く一礼した。

「承知いたしました」


 楽器を購入する時に客が見せる表情や仕草には、緊張感と心浮き立つようなワクワク感が絶妙に入り交じっている。

 製作者である職人にとっては、これぞ幸甚の至りである。後生大事にしたいと思える一挺を、少女には何としても選んでもらいたい。


「楽器の選択に少々お時間をいただく事になりますので、申し訳ありませんが、こちらでお休みください。飲み物は何がよろしいですか? コーヒー、ぶどうジュース、ミルクなど……」

「いえ、そこまでしていただかなくても……!」

 母親が慌てて断ろうとした。

「お気になさらずに。今は全て在庫がありますので、お好きなものをお選びください」

 母娘は同じタイミングで互いに顔を見合わせた。


 二人は年齢こそ離れているものの、まるで仲睦まじい姉妹のようだった。ここに第三者が入り込む余地は到底なさそうだ。

 勝手な予想に過ぎないが、少女の兄はきっと人の心情に敏感で気が利く性格なのだろう。父親は穏やかで優しい性格なのではないだろうか。


 ――きっと、素敵な家族なんだろうな……。


 クレイドは勝手に想像しながら、ほっこりとした気持ちになった。

 失ってしまえば家族全員が揃う瞬間は永遠に来ない。自分がルギューフェ家の長男であった記憶は、今ではもう昔話に過ぎない。

 でも、まだ失っていないのなら、今の幸せな一瞬を大切にしてほしいと心の底から思う。


「で、では、私はコーヒーをいただいてもよろしいでしょうか……」

「わ、私はぶどうジュースをお願いします……!」

 二人から注文を受けて、クレイドは笑みを向けた。

「コーヒーとジュースですね、かしこまりました」


 クレイドは飲み物を提供した後、作業場にて楽器の選定を行った。

 まずは目視で五挺のヴァイオリンを候補として選定。

 そこから選び抜いた五挺を順番に試奏して、順位付けを行った。


 客の二人は奥の部屋で休憩していたが、少女の方は楽器の選定作業が気になるらしく、時々こちらの様子を窺っていた。

 クレイドはヴァイオリンを肩から下ろした。

「気になりますか?」

 穏やかに問いかけると、少女は小さく頷いた。

「は、はい。上手な方が弾くと、どんな音が出るのかなと思って……」

「お兄さんも上手ではないのですか?」

「うーん……。上手ではあるんですけど、絶対にプロの方には及ばないです」

「私も演奏のプロではありませんけどね」

 クレイドは困ったように笑った。


 そして、少女にある提案を持ち出した。


「……そうだ。せっかくですから、これから私が五挺のヴァイオリンを弾くので、あなたが気に入った音を出した楽器を教えていただけませんか?」

「えっ?! わっ、私ですか?!」

 突然のことで、少女は分かりやすく慌てふためいた。

 そんな少女をよそに、クレイドは颯爽と楽器を構える。

「そこの椅子に腰掛けて、深く考えず、心の思うままに選んでみてください」


 試奏を始めた。


 少女は胸に両手を当てると、ゆっくりと瞳を閉じた。

 解放弦の四つの音。簡単な音階。短い楽曲。

 決して聞き漏らすまいと、少女は一つひとつの音にじっくりと耳を傾けていた。


「これが一つ目です。気になる点はありましたか?」

 問いかけに全く反応がない。

「えっと、どうされました?」

 少女はゆっくりと瞳を開けると、やや赤面した様子でクレイドを見た。

「あ、あの、すごく上手だなぁと思って……。す、すみません。聴き惚れていました」

 こうも純粋に褒められてしまうと、反応に戸惑ってしまう。

 クレイドは困惑したように小さく笑った。

「私はプロではありませんし、大袈裟ですよ」


 ――でもまぁ、お客様が楽しそうにしてくれているなら何よりだ。


「では、次の楽器を弾きますね」


 ***


 少女は最後の二挺で迷った挙げ句、母親も加わって最終的に一つに絞り込んだ。


 だが、これで終わりではない。


 クレイドはヴァイオリンの弓を両手で大切そうに持ち上げた。

「楽器本体は決まりましたが、あとは弓が必要となります。実は、これもなかなか値が張るものでして。使用している木材によって弾き心地も音色も変わるのですが、私が試奏に使用していたこの弓が、価格帯も中間でおすすめです。これ以下だと物足りなさを感じるかもしれません。ご希望はございますか?」

 二人は揃って目をパチパチとしばたたかせた。『?』といった様子だ。

 クレイドはゴホンと咳払いをした。

「も、申し訳ありません。説明が分かりづらくて……」

 母親が慌てて口を開く。

「いえ、すみません。そうではないんです。弓が高価なものであることに驚いてしまって」


 ――あぁ、そうか。


 クレイドは即座に二人の疑問点を理解した。

「ヴァイオリンの音は、弓で左右されると言っても過言ではありません。こんな細い木の棒みたいなものが? と思われるかもしれませんが、実はとても重要なんです」

 この言葉が少女の興味を引いたようだった。

「それなら、そのおすすめの弓がいいです!」

 娘の言葉を聞いて、母親もゆっくりと頷いた。

 二人の承認を得たものと判断して、クレイドは軽く一礼した。

「分かりました。では、そのようにいたしますね」



 もうすぐ日没を迎える頃。

 支払いを含めた手続き全てが終了した。


 扉を開けた向こうの景色は夕陽に染まっていた。外に出た二人の客人の後ろにも影法師が落ちる。

 少女は購入した楽器が入ったケースを持ち、玄関で見送るクレイドに向けて、満面の笑顔で頭を下げた。

「本当にありがとうございました!」

「いえ。こちらこそ、ありがとうございました。何か分からないことがあれば、店にいらしてください」

 クレイドは客人二人の顔を順番に見た。

「「ありがとうございました」」

 最後、声を揃えて二人が礼を述べた。


 扉が閉まり、少ししてから日没を知らせる鐘の音が響いた。

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