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第1話 花売りと職人(1)

 庶民から貴族まで幅広い階級の人間が暮らす街、スベーニュ。

 近々、年一回の大イベント、この街伝統の大市場が開催される。

 ここ数日で他国の行商人の姿も目立つようになった。街の広場やメインストリート付近の常設市場は、既に連日のように賑わっている。

 人々のお目当ては、この時期ならではの大特価セールだ。毎年この時期は街全体が浮足立っていた。


 しかし、教会の鐘が日没を告げると、街の人々は消えるように去っていった。

 つい先ほどの賑わいがまるで嘘のようだった。


 ***


「お花、お一ついかがですか?」

 籠を腕にぶら下げて、花を売り歩く一人の少女がいた。

 周辺が次第に暗闇に包まれていく中、彼女は笑顔で人に声をかけ続けた。

 ただ、その瞳に光はなく、歩く足取りも重かった。彼女の麻の服は所々破れており、そのみすぼらしさ故に見て見ぬ振りをする人も多かった。

 時々、運よく通りかかった貴族が慈悲で花を購入することはあったが、その程度であった。


「お嬢さん、花売りかい? もしも、それ全部欲しいって言ったら怒るかい?」

 少女が休憩するため道端に座り込もうとした時、陽気に声をかけた中年男性がいた。貴族ではないようだが、服装を見る限り比較的裕福な生活をしているように見えた。

「あ、あの……」

 突然、花を全部買いたいという男性が現れ、少女は嬉しくも少し戸惑っていた。

 しかし、その男性は笑顔で籠の中の花を全て手に取った。そして、その代わりとして代金を籠に入れ、さらに余分に代金を手渡した。

「お客様、それは多いです……」

 少女は困った顔で男性を見た。

「これはお嬢さんの分だ。これは君の主人には言わないで、自分で持っておくんだよ?」

「で、でも……」

「いいからいいから。綺麗なお花をありがとう。それから、この通りは明かりが少ないけど、一本向こうはメインストリートに近いから多少明るいと思うよ。気を付けてね」

 男性は笑顔で少女に手を振ると、その場から立ち去った。

「あ、ありがとうございます……!」

 男性の後ろ姿を、少女はしばらく見つめていた。


 少女は雇い主の住む小さな古民家に帰宅した。ここに暮らしているのは少女と夫婦の三人で、彼らは生計の足しに養子の少女に花売りをさせていた。

「今日はずいぶんと早く終わったもんだね。ちゃんとお金はもらったんだろうね?」

 短い髪の毛を頭の後方で一つにまとめた婦人が、高飛車に問いかけた。

「はい」

 当然、少女には嘘をつく理由もなかった。


 まず自分で籠の中を確認した。


 ――あれっ……?! お金がない……?!


 少女の心臓がバクバクと音を立て始めた。

 心拍数が急激に上がっていく。


「何だ、どうしたんだい? 見せてみな」

 少女は隠すことなく籠の中を婦人に見せた。

「も、申し訳ありません、落としてしまったようです。私、もう一度戻って探してきます。本当にすみません……」

 少女は泣きそうになりながら、頭を深く下げて謝った。

「何だって?! 馬鹿言うんじゃないよ。当たり前さ。ちゃんと探してきな!」

 婦人は怒鳴り声を上げた。

「す、すみません。今すぐに……!」


 少女は再び籠を提げて家を飛び出した。

 涙がポロポロと溢れてくる。


 ――優しい人にお花を買ってもらえたのに、その大事なお金をなくしてしまうなんて。

 私はいつどこでお金を落としてしまったのだろう? なぜ落としたことに気が付かなかったのだろう?


 少女はひどく自分を責めた。


 実はこの時、全てのお金を失ったわけではなかった。男性から直接手渡されたお金がポケットの中に入っていたのである。

 これを婦人に見せれば売上金を盗み取ったと勘違いされると思い、少女は一切見せなかったが、今は素直に渡していれば良かったと後悔していた。

 そうすれば、全てのお金をなくしてしまったという、最悪の報告をする必要はなかったのだから。


 少女は市場まで走りながら戻ってきたが、既に外は完全に日が沈み、家屋の窓から漏れるランタンの明かりだけが頼りだった。


 ――どうしよう? お金が見つかるまで家には帰れない。もしもお金が盗まれていたら、今さら探しても見つからないかも……。


 考えるだけで泣き出したくなる。これ以上どうすれば良いのか分からない。

 少女は花を購入した男性と出会った場所まで戻ってきたが、見える景色は仕事を終えた人々が家路を急ぐ姿ばかり。

 地面を凝視してお金を探してみても、周囲が暗いためよく見えない。

「あぁ、どうしよう……」

 少女はその場に座り込み、顔を伏せた。


 ――もう家に帰れない。あの家に帰りたくない……。


「大丈夫?」

 誰かを心配する男性の声が聞こえた。

 うずくまる少女には、彼が一体誰に声をかけているのかすら分からなかった。

 少女が真面目に考えた結果、この声は『死神』だろうという結論に至った。


 ――優しい言葉で私を誘き寄せて、命を取るの? 私はもうじき死ぬの?


 不思議と怖いといった感情はなかった。


 ――でも、あの家に帰るくらいなら、死神に身を捧げた方が楽になれるかな……?


 少女は顔を上げた。


 ところが、その声の主は死神などではなく、普通の若い青年だった。

 彼は買い物帰りのようで、手には見覚えのある紙袋を抱えていた。

「こんな所で、一体何があったんだ?」

 青年はしゃがみ込んで尋ねた。

 少女は神に救われたような気分だった。こんな展開になるとは、全く想像していなかった。

「わ、私は花売りです。昼間、男性にお花を買っていただいたのですが、売上金を全てなくしてしまって……」

「そうか、それで今まで探していたのか。夜は冷えるから、とりあえず暖かい場所へ行かないか?」

 青年はそう言うと、右手を差しのべた。少女は迷わずに両手でその手を掴んだ。

「ありがとう、ございます」


 彼の正体はまだ分からなかったが、たとえ悪人であっても良いと思った。

 今の環境から抜け出せるのなら、どうなってもいい。


 少女が青年に連れられてやって来た場所は、街の楽器店だった。

 店内にランタンが灯されると、少女は店の中に数多くの弦楽器が置いてあることに気が付いた。

 初めて見る光景に心が踊った。


「どうぞ。綺麗な家じゃなくて申し訳ないけど、とりあえず椅子に座って待っててね」

 少女はただ頷いて言われた通りに従った。

 青年は二人分のブドウジュースを運んでくると、少女の向かい側の椅子に腰掛けた。

「これをどうぞ。……それで、お金を見つけなければ、君は家に帰れないの?」

 青年は会話の続きを始めた。

「はい……」

「そうなのか……。えっと、答えたくなかったら言わなくていいんだけど、君の家の人は、もしかして本当の親御さんではないのかな?」

 少女はコクンと頷いた。

「私の両親は既に亡くなり、養子に出されました。私はお金を稼ぐために働いています」

「君も苦労しているんだな……。今の生活は大丈夫?」

「大丈夫かと聞かれると、よく分かりません……。でも、仕方がないんです。これでも少しばかりお小遣いをもらっていますから」

 実際、少女は随分とやつれた顔をしていた。疲労の蓄積が垣間見えたように感じた。


 ここで、少女が自らの意思で口を開いた。

「あの……。あなたは、どうして夜に買い物をしていたのですか?」

 青年は小さく肩をすくめた。

「あぁ、そのことか。今日の仕事が終わったものだから、買い物をしようと思ったんだ。閉店間際の時間帯は価格もお手頃になるからね」

「そうなんですか。お仕事って、楽器店のお仕事ですか?」

「そう、一人で働いているんだけどね」

「どうしてですか?」

「俺の我が儘、かな……」

 青年は物憂げに視線を落とした。

「余計なことを聞いしまって、すみませんでした」

「いいや、今は昔の話だよ。空き部屋があるから、今日は泊まっていくといい。ゆっくり休んで、また明日どうするか考えよう」

「は、はい。ありがとうございます……!」

 こんなに親切な人がいたのかと思い、少女は胸に両手を当てて天井を仰ぎ見た。

 たとえ一時であっても、神に救われた思いだった。


 その日の深夜、青年は少女が眠った事を確認して家を出た。

 彼が暗闇の中を歩いて向かった先とは……。


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