妊娠した浮気相手を連れてきた不能の婚約者から解放されたので、王太子殿下の安眠薬(抱き枕)になります
「ん」
隣で眠る彼……レオ様が少し、寝息を漏らす。
レオ様はこの国の王太子であり、雇い主であり、私の患者だ。
どうしてこうなってしまったのか。
未だに自分でも状況が分からないでいる。
婚約破棄されて仕事に生きると決めた矢先、父から王宮薬師として紹介されたのがコレ。
元々は不眠で悩むレオ様の治療のための入職だった。
だったのだけど……。
二人で寝てもかなり広いこのベッドで、レオ様はやや体を小さくさせて寝ている。
しかしその手はしっかりと私の腰に回し、右足は私の太ももに覆いかぶさり、がっつりとホールドされてしまっている形だ。
いろんなハーブなどを試してみたものの、大した効果はなく、レオ様たっての願いでこれは始まった。
抱き枕。
そう、私は今彼の抱き枕として毎日こうやって抱きしめられながら眠るという……。
あくまでもこれは仕事だ。
彼の担当としての役割なんだと思ってはみても、いろいろ考えてしまうことはある。
婚約者でもない人と添い寝するだなんて。
薬師という、人を治す仕事をしているとはいえ、私も貴族令嬢なのに。
絶対にもう結婚は出来ないわね。
相手もいなければ、願望ももうないからいいんだけど、お父様が知ったらさすがに悲しむかなとは思わないこともない。
でも仕方ないことよね。
元あった婚約の破棄は私のせいではないし。
思い出すだけでやはり腹が立ってくる。
今頃どうしているかなんて、昨日あの人から届いた手紙を読まなくてもなんとなく分かってしまう。
自分から全部ダメにしたくせに、今頃違ったなんて言わないでよね。
私にはもう、忘れたい過去でしかないのだから。
「んっ」
私が身じろぎしようとしていたせいか、レオ様が一瞬その目を開ける。
長いまつ毛に藍色の瞳。そしてかすかに漂う、ホワイトムスクの香り。
「レオ様、起こして……」
「ルクレツィア」
ふにゃりとした笑みを浮かべながら、レオ様はその瞳いっぱいに私を映し名前を呼ぶ。
そしてまた満足げにその瞳を閉じてしまった。
おそらくは寝ぼけてしまっただけだろう。
だけど心臓の音がおかしなくらいに、大きく鳴っている。
頬だけではなく、体全体がすでに熱い。
ホントこの方は……私が勘違いしてしまったら、どうするのかしら。
そう思うのに、先ほどまでの嫌な気分など一瞬で消えてしまうほど、心が満たされているのを感じる。
ああ、もう。
本当にダメだわ。
だけど、嫌なことなど忘れて眠れそう。
また、夢見ないといいなぁ。
私は抱きしめられるまま、そっと目を閉じた。
◇ ◇ ◇
「ルクレツィア、聞いてくれ。おれはとうとう真実の愛を見つけたんだ!」
幼い頃から婚約を結び、ずっと尽くしてきた婚約者のルドガーが、私の部屋にそう言いながら一人の女性を連れてきた。
無邪気に喜ぶ彼は、お気に入りのオモチャを手に入れた子どものようにも思える。
だけど問題はその発言の持つ意味だ。
「真実って……」
私は彼の喜びようと引き換えに、頭が痛くなるのを覚える。
こめかみを軽く押さえてはみたものの、これはちょっとやそっとでは治りそうもない。
あとで薬を煎じないとダメそうね。
今すぐにでも目が覚めるほど濃いのを、一気に飲み干してしまいたい気分だわ。
何をどうしたら、こんなことになったのかしら。
私は未だに目の前で広がる光景を受け入れられないでいた。
だってそうでしょう?
もう何年この人と一緒にいると思っているの。
それなのに、こんなことになるなんて……。
ルドガーはこの国で流行病が蔓延した時に、その病にかかった一人だった。
薬師一族だった我が子爵家は、彼の治療を任され、ルドガーは一命を取り留める。
ただ彼は元から体が弱く、病気の予後の経過も兼ねて、末娘だった私が彼と婚約を結んだ。
そうすれば彼を側でずっと、支えることが出来るから。
私はこういう時、どんな顔をすべきなのだろう。
泣けばいいのか、怒ればいいのか。
あまりに突拍子もない話に、頭の回転がついていかない。
「私がこの家のために、今まで何をしてきたか知っていて、それを言うの?」
「もちろん君にはすごく感謝はしている。おれがこうして元気になれたのも、全部君のおかげさ。だから薬師として働いてきた期間の賃金や慰謝料は、きちんと払うつもりだ」
そこまで言うということは、本気だということなのね。
六歳の時にここへ来てから、私はずっとこの一族のために生きて来た。
無償で尽くしてきたのだって、彼が婚約者であったからなのに……。
お金、か。
正直、そんなものに興味はないけど、この先一人で生きて行くためには必要なものね。
結局、ルドガーは少しも私のことを好きではなかったみたい。
私一人でずっとこの人のことを思っていたなんて、馬鹿みたいだわ。
「すまない、ルクレツィア。だがおれは、このフィオナを愛しているんだ」
「そう……」
「フィオナはどこまでも情熱的で、いつもおれを笑わせてくれる。彼女が微笑むだけで、幸せな気分になれる。こんな気持ちになったのは初めてなんだ」
私はルドガーの横に静かに立っていた女性を見た。
歳は私より少し上だろうか。
健康的な褐色の肌に、大きな胸。
こげ茶色の長い髪は肩から胸側に流すように、ゆるく三つ編みされている。
そして大きな同色の瞳は、ややうるうるとしていて、確かに私などよりずっと美人だ。
あまりこの国の貴族っぽくはないけれど、彼が結婚したいというくらいだから、どこかの貴族令嬢なのだろう。
だけど気になるところはそこではない。
やや不自然なまでに大きく膨らんだ、そのお腹。
あれって、もしかして……。
「初めましてアタシはサレク男爵家のフィオナですわ」
サレク家。聞いたことはないけれど、男爵というのだから格はうちよりも上か。
わざわざ強調する辺りがなんともだけれど、フィオナはどこまでも勝ち誇った笑みを浮かべていた。
ルドガーはそんな彼女を愛おしい目で見つめながら、その横にピタリとくっついて立っている。
「ルドガー、もしかして彼女は」
「ああ。妊娠しているんだ、おれの子を」
「……そう」
ルドガーが婚約破棄を急ぐ理由はそこなのね。
子どもが生まれてしまってからの結婚では、体裁が悪いものね。
お金を払ってでも、私を追い出したいわけか。
「ルクレツィア、だから君には申し訳ないと思うが……」
「そうね……。まずは、今すぐ誓約書を書いてくれるかしら」
「ああ、もちろんだとも!」
あらかじめ用意していたのだろうか、ルドガーはすぐさま懐から紙を取り出す。
婚約破棄の慰謝料及び薬師としての今までの労働費は、貴族間での平均的なものから算出し、そこに一割ほど上乗せして一括で現金払いするとのことだった。
金額にしたら結構な額だ。
数年どころか、贅沢さえしなえれば十数年は何もしなくても生きて行けそう。
そこに私は文を書き加える。
今後お互いに二度と干渉しないこと。何があっても文句を言わないこと。許可なく不要に近づくことはないこと。
私が書いた文がよほど嬉しかったのか、ルドガーは私がサインをしたあとにすぐにサインをしてくれた。
そして私はそれを受け取る。
この部屋の中にあるもので、特に必要なものはない。
だけどただ一つだけ。
お土産を残していくくらいは、きっと許されるだろう。
だって十年以上もの間、彼のためだけに生きてきたのだから。
「喜んでいるところ悪いんだけど、一つ聞いてもいい?」
「なんだい、ルクレツィア」
イチャイチャと手を取り合い私に見せびらかすように甘える彼らに、私はどこまでも意地悪い笑みを浮かべて尋ねた。
「で、そのお腹の子は誰の子なの?」
「ルクレツィア……何を言っているんだ? もちろんおれの子に決まっているだろう?」
「そうなの? あなたは、子どもが作れない体のはずなのに、いつ治ったの?」
「は?」
「え?」
私の言葉に、二人の顔が一気に歪む。
ルドガーはこのことを知らなかったのだから、ある意味この反応は仕方がない。
子どもの頃かかった流行病で、彼は子を成すことが出来なくなってしまっていたのだ。
もちろんこのことは、彼の両親や私の親などは知っている。
知らないのは、彼一人だけ。
彼を傷つけたくないという彼の両親の願いで、今まで秘密にしてきたこと。
私自身も彼との子どもは望めないと知っていたけれど婚約に納得していたから気にしたことはなかった。
だけどまさか、そんなルドガーに子どもが出来ただなんて。
びっくりしすぎて、失笑してしまった。
失礼なことだって分かっているけれど、本当に彼の子ならば、どうやって出来たのか知りたいぐらい。
医学の発展ってすごいわね。
「キセキってあるのね。知らなかったわ」
「奇跡って……」
「奇跡じゃないのなら、どんな治療法があったの? 詳しく知りたいわ。他にも同じ症状で悩む人もいるのだから今後の参考にさせて」
まぁフィオナ嬢も知らなかったのでしょうね。
彼が子を成すことが出来なかったなんて。
どこから見ても今のルドガーは健康そのものだし、勘違いするのも分からなくはないけれど。
驚くほど残念すぎる。
托卵って、てっきり鳥だけの習性かと思っていたわ。
「嘘だろ、ルクレツィア」
「私が嘘をついていると思うのならば、あなたのお母様にでも聞いてみたら? 今この状況ならちゃんと教えてくれるはずよ。むしろ喜んでくれるんじゃないかしら? 絶対に無理だって知っているのだから」
「絶対に無理?」
「ええ、そうね」
「本当におれは子どもが……」
私の言葉がよほど信じられないのか、縋るような顔でルドガーはフィオナを見た。
彼女は顔面を蒼白にさせながらも、必死に首を横に振る。
「馬鹿なこと言わないで! この子は間違いなくルドガーの子よ。あなた別れたくないからって、嫌がらせするのも大概にしてちょうだい」
「別に嫌がらせでも何でもないわ。だって真実だもの。子どもの頃の大病で死ななかった代わりに、とでもいうのかしら」
「嘘よ! きっと何かの間違いだわ。ご、誤診かもしれないじゃない!」
「そう思いたければ、勝手にすればいいわ。だけど彼を診たのは王宮の医師たちだし、その後何度も医師を変えて診察してもらったけれどダメだったのよ」
あくまでフィオナ嬢はシラを切り通すつもりみたいね。
まぁ、そうでもしなければ彼女は困るからそうなのだろうけれど。
私は別にどっちでも構わないのよ。そう、どうでもいいの。
お腹の子どもが本当は誰の子であろうと、なかろうと。
彼が選んだのは私ではなく、真実の愛だそうだから。
ただほんの少し後悔すればいいって思っただけ。
「フィオナ、お腹の子はおれの子だよな? おれの子なんだよな⁉」
「当たり前でしょう、ルドガー。この女よりも、アタシを疑うの?」
「そうじゃない、そうじゃないけれど……」
ルドガーが憔悴しきった顔で、頭を無造作に掻きむしる。
彼とは長い付き合いだ。
薬師として生きることを誇りに思っている私が、身体のことで嘘などつかないことはルドガーもよく知っている。
だからこそ混乱しているのだろう。
どちらも信じたいのに、どちらも信じられない。
でも後悔したところで、私は知ったことではないの。
もう誓約書にサインしたのだから。
「ルクレツィア、おれは……おれは……」
「やめてよ、ルドガー。本気でアタシのこと疑っているの? あんなに愛しているって言ってくれたじゃない!」
「もちろん愛しているのはフィオナ、君だけさ。だけど」
混乱するルドガーの腕を掴み、揺すり動かし、フィオナが必死で訴える。
しかしルドガーの視線は不安定に泳ぎ、彼女を見ることはない。
「ルドガー、アタシを信じて。この子はあなたの子よ」
「分かってる。分かってるよ。おれだって信じたいさ。信じたいけれど……ちょっと待っていてくれ。母さんに確認してくる。そうすればルクレツィアが嘘をついているって、分かるだろう」
焦りながらルドガーは小走りで部屋を抜け出す。
するとフィオナは私を睨みつけた。
「この子にもしものことがあったら、全部あんたのせいよ!」
叫ぶ彼女に、私はため息をつく。
百歩譲って、胎教に悪いことをしたのは私に非があるのは認める。
妊婦にストレスは厳禁なのも理解しているから。
だけど先に非常識なことをしたのはどちらなのか。
元々嘘などつかなければ、こんなことにはならなかったというのに。
「そうカッカすると、胎児に悪影響ですよ」
「あんたのせいでしょう!」
「いいえ。すべて自分の行いのせいでは?」
そう言い切った私が気に食わなかったのか、彼女は私に近づいてきたかと思うと頬を平手打ちする。
乾いた音が部屋に響き渡り、口の中で血の味がした。
「全部あんたのせいよ! ルドガーはアタシを愛してくれていたのに」
「そうですか。だったら、せめてルドガーと同じ髪色の子どもが生まれるといいですね」
◇ ◇ ◇
「ルクレツィア、ルクレツィア」
ゆすり動かされる感覚と、レオ様の優しい声で私は目を覚ます。
どうやらあのまますっかり眠りに落ちて、過去の夢を見ていたらしい。
レオ様の安眠薬として雇われているのに、これではどちらがそうなのか分からないわね。
「大丈夫かい、ルクレツィア。随分うなされていたみたいだけど」
「すみません、レオ様。少し夢見が悪かったようで」
ため息交じりにそう答えながら、ちらりと視線をあの手紙に向ける。
こんなに夢見が悪かったのは、全部アレのせいよね。
こんなことなら、とっとと捨ててしまえば良かったわ。
私にとっては忘れてしまいたい過去だというのに、何回も夢に出演してこないでよ。
するとレオ様は私の視線の先に気付いたのか、ベッドから立ち上がり部屋に置かれた手紙に近づいて持ち上げた。
「全部これのせいだね」
「……かもしれません」
「念のために聞くけどルクレツィア、君はまだあの男に未練があるのかい?」
のぞき込むようにこちらを見上げるレオ様の視線は、先ほどとはまったく違い、どこか鋭く感じてしまう。
なぜかしら、ちょっと怒っているみたい。
ルドガー、レオ様にも嫌われていたのね。どこかで何かやらかしていたのかしら。
そうだとしても、もう私には関係ないことだけど。
「いえ、全然、まったくこれっぽっちも未練などありません。真実の愛を見つけた人ですよ? 未練などあるわけないじゃないですか。むしろ、慰謝料がいつ支払われるのか心待ちにしているくらいですわ」
ああ、もしかしたらあの手紙には支払い方法が書かれているとか?
それなら読まなきゃいけないけれど、面倒くさいわね。
私に支払い方法を確認などしなくていいから、とっとと現金一括払いで実家に届けてくれればいいのに。
「じゃあ、これはもういいね。君の体に良くないモノはいらないから」
「え?」
一人考え事をしていた私を置いて、レオ様はやや上機嫌に手紙を暖炉の火へと投げ入れてしまった。
手紙は赤い炎を一瞬だけ上げ、そのまま燃え尽きてしまう。
読むのはめんどくさいと思っていたけれど、中身を確認しなくて本当に大丈夫だったかしら。
「ダメだったかい? ぼくはルクレツィアの憂いとなるものは排除してしまいたかったんだが」
「いえダメではなく、慰謝料の受け取り方法とかが書いてあったら困るかなと思っただけで」
「それなら大丈夫さ。ぼくが秘書に頼んで、侯爵家には請求書を回しておいたから、きちんと現金で支払われるはずだよ」
「請求書ですか? 確か、ルドガーが書いたのをもらってはきましたが」
「あれは確認させてもらったら、算定方法や金額が少しおかしかったから、君の父上から預かって処理しておいたんだよ」
「そうなのですね、ありがとうございます」
結構な金額だったと思ったのに、何か違ったのかな。
お父様がレオ様にあの請求書を渡したってことは、大丈夫だってことなんだろうけれど。
でも差出人がこの国の王太子殿下なら、とっとと払ってもらえそうね。
お金に困っているわけではないけれど、もらってきっぱりと縁を切ってしまいたいから良かったわ。
「さぁ、これでもう邪魔する者はいなくなったということさ」
「邪魔ですか?」
お仕事のことってことかしら。
私にとっては確かに邪魔だったけど、私以上にレオ様が嬉しそう。
この笑顔を見ていると、時々勘違いしてしまいそうになる。
私がそんな思いを抱いていいような方ではないし、抱き枕に徹するのだって仕事だからでしかないのに。
でも……。
「ルクレツィア、ぼくたちも真実の愛を見つけてみるかい?」
「からかっても、その手には乗りませんからね」
貴族令嬢らしくないと思いながらも、私は頬をふくらませて見せる。
例えそうこの関係が仕事だとしてもいい。
不意に手紙が燃えた暖炉から、パチっと何かを訴えかけるような薪がはぜる音が聞こえてくる。
だけどそんなことすら気にならなかった。
だって目の前には、本当に愛する人が微笑んでいるのだから。
お読みいただき、ありがとうございます
ブクマ、★などいただけますと執筆の励みになりますので、ぜひよろしくお願いします。




