3. 二つ目のメッセージ
電車に揺られ、通学路をゆっくりと歩いている間、俺はずっと、自分が書き込んだであろう文字列『下駄箱↑』の意味を考えていた。
しかし、その意味は全くわからず、その不可解さといったら、首を傾げたまま固まってしまいそうなほどだ。
校庭を抜けて、昇降口。
下駄箱の前に立った。
「下駄箱の上、か……」
呟き、そして俺は、
「とうっ」
そんな掛け声を上げて、垂直ジャンプ。
二メートルくらいの高さがある下駄箱の上の様子を見ようとした。
周囲の生徒たちの、不可解なものを見るような視線を感じたが、そんな視線はどうでもよかった。
「あれは……」
下駄箱の上には、確かに何かがあった。
「とうっ」
再び跳躍し、手を伸ばして、その物体を掴んだ。
「これは……」
薄汚れた上履きだった。
しかも片方しかない。
『1→A 白井』
そんな文字がうっすらと見えた。
俺はその時、これこそが 『下駄箱↑』 が示したことだと確信した。
「1-A……」
昇降口から最も近い学級だったということもあって、俺は自分の教室に行く前に、1-Aに行くことにした。
「あの、すみません」
「え? はい……?」
俺が話しかけたのは、スカート丈が短すぎる女子だった。
白井という生徒のことが訊ければ、誰でも良かった。
「白井さんって人は、居ます?」
俺がそう言うと、その女子は、俺の持っている汚れた上履きに視線を落とし、
「渡しておきます」
と言って、右手を差し出した。
どうやら、よくあることらしい。
「え、ああ、ありがとう」
「いえ、ありがとうございます」
上履きを渡す。
丁寧で柔らかい雰囲気の女子だと思った。
スカート丈と女子の性格の良し悪しは関係ないらしかった。
「それで、白井さんは、どこに……」
「まだ来てません」
もうそろそろタイムリミットのチャイムが鳴る時間だ。
もう俺も自分の教室に向かわないとまずい。
このままでは遅刻してしまう。
「……じゃあ、まぁいいか」
カレンダーにあった『下駄箱↑』の意味を探る手がかりがあるんじゃないかって思ったが、次の休み時間でもいいだろう。
白井さんがいないのでは話が進まない。
俺が1-Aの教室を出て、戸を後ろ手で閉めた、その時だった――
廊下にある窓の向こうで、何かが落ちた。
「ん?」
落ちた先を確認して、その落下した物体が何だかすぐにわかった。
上履きだった。
俺は窓から飛び出した。
そして、中庭の上に落ちてきた上履きを手に取ると、屋上が見える位置まで走った。
上履きを拾い上げてみる。
『1-A 白井』
と書かれていた。
今度は『→』ではなく『―』だった。
そして上を見上げると、膝くらいまでの長さのスカートを穿いた女子のシルエットが見えた。
その女子は……。
金網に、蜘蛛のように張り付いていた。
スパイダーしていた。
「えええええっ!?」
俺は走り出す。
校舎内に駆け戻る。
廊下をダッシュ。
上履き片手に階段を駆け上がる。
一階から一気に屋上へ。
女子が朝に屋上に居る理由がわからない。
金網にスパイダーする理由がわからない。
いや、本当は見当が付く。
飛び降りる以外に何がある!
これか……夢に見たのはこのメッセージか!
夢の中で助けを求めていたのは、顔も知らない白井さんか!
急げ、急げ。
ようやく階段が途切れた。
屋上だ。
ガチャリバタン!
扉が開いて閉まった時、女の子はもう金網の向こうに居た。
靴下を履いていて、靴は履いてなかった。
「待て!」
俺は叫んだ。
髪の短い女の子は振り返り、
「誰?」
と言った。
誰でも良いと思った。
「やめるんだ」
「何を?」
「飛び降りるな! 死んではダメだ!」
「ええ? 別に、飛び降りる気なんてないんだけど。ここに、上履き隠されてたから、取りに来ただけなんだけど」
投げやり気味の高い声。
明るく振舞っているかのようだった。
「これか?」
俺は右手に持っていた上履きを彼女に見せた。金網の向こうにいる彼女はこくりと頷く。
「俺に助けを求めたのは、貴女ですか?」
俺が訊くと、
「はぁ?」
すごい顔をされた。
「いや、だって、 『下駄箱↑』 っていう……」
「知らないけど、下駄箱の上って言えば、いつもあたしの右上履きが乗っかってる場所ね」
「何か、心当たりは無いか?」
「心当たり……うーん……っていうか、あなた誰?」
「空乃助だ」
「ぷっ……あははは! 変な名前」
失礼だなコイツ。
「何か、思い当たること、無いか?」
俺が訊くと、女はこう言った。
「もう、チャイムが鳴るってことくらいかな……」
キーンコーンカーンコーン。
なんということだ。チャイムが鳴った。
遅刻確定だ。
「しまった……俺の皆勤賞が……」
「皆勤賞? 真面目ねぇ。あたしなんかサボりまくりよ」
女の子はそう言うと、金網をよじ登り、俺が居る安全な方へと飛び降りた。
「よっと」
着地で少しよろめいた。
金網に手をついて、カシャンと音がした。
「名前は?」
俺は訊く。
「あたし? 白井塔子。白黒の白に井戸の井。電波塔の塔に子供の子」
「そうか、塔子。何か誰かからメッセージを受け取ってないか?」
「メッセージねぇ……『死ね』とかそういうネガティヴのなら沢山受け取ってるけどね」
また普通に喋る時の声と比べて少し高い、全てを諦めたような声を出した。
どうやらそこそこ酷いイジメに遭っているらしい。
そして――
白井塔子は、チャイムが鳴ったというのに、その場に体育座りしてしまった。
俺の目線。
見上げた空はまだ曇り空だった。