第十四话
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春野は石原を連れ、生徒会室の中をざっと案内した。
書類棚の場所やプリンターの使い方、それに書記の仕事。主な役目は、議事録の整理と行事準備の手伝いらしい。
「だいたいこんなところかな」
春野は軽く手を叩いた。
「そんな難しくないよ。慣れりゃすぐできる」
石原は小さく頷き、部屋の中を見回した。
窓際には古い机がいくつか寄せられ、その上にクロスが掛けられて、会議用の長机代わりになっていた。
壁際には書類棚と本棚が並び、隅には小さなコーヒーメーカーまで置かれている。
窓辺には多肉植物の鉢がいくつか並び、差し込む陽光が部屋をやわらかく照らしていた。
きっちり整っているわけではないが、どこか温かくて、人の気配が残る、居心地のいい散らかり方だ。
「いい感じですね」
石原はぽつりとつぶやいた。
「だろ?」
春野が笑った。
「ここ、みんなでけっこう手ぇかけてて――」
「会長」
横から緒山が口を挟んだ。
「誰かの紹介、忘れてません?」
「あっ」
春野は額を叩いた。
「そうだ、危うく忘れるとこだった。会計は三年B組の花野真汐。聞いたことあるだろ? “学内アイドル”の」
その名前を口にしたとき、春野の声に少し複雑な響きが混じる。
どこか誇らしげで、それでいて――ほんの少し、恐れているような。
「今日はレッスンがあって来られないんだよ。来週ステージがあるから、そのレッスンだって」
春野は続けた。
「ついでに言うと、入試のときからずっと学年トップをキープしてる天才でもある。先週の校内人気投票では、ひとりで六十三パーセント取った」
石原はわずかに目を見開いた。
「……そんなに?」
「うん」
春野は肩をすくめた。
「生徒会の仕事なんて、あの人にとっては“おまけ問題”みたいなもんだろうけど」
「……なんか、怖がってるように聞こえますけど」
石原が言うと、春野は一秒ほど黙り込んだ。
「……俺は何も言ってない」
その横で立花が「ぷっ」と吹き出した。
「真汐先輩、すっごいんですよ!」
立花は椅子から身を乗り出してくる。
「この前、会長がレポートを書き忘れたときなんて、先輩に三秒じーっと見つめられただけで、会長、自分から八百字の反省文を書きに行ったんです!」
「おい――」
「ほんとですよ! 私、ちゃんと見てたんですから!」
石原は春野を見た。
春野は視線をそらし、コーヒーメーカーをいじるふりをした。
石原は、少し気になった。
立花がこれだけ楽しそうに語って、春野がどこか“怖がっている”ような相手。いったいどんな人なんだろう。
「真汐ちゃんのことですか」
緒山が頬杖をつきながら言った。
声には、どこか楽しげな響きが混じっていた。
「ステージの上ではキラキラしたアイドル。でも舞台から下りたら、完全に無表情の仕事人間です。ライブが終わって楽屋に戻った瞬間なんて、表情の切り替えが美里ちゃんの衣装チェンジより早いんですよ」
そう言って、石原のほうを見た。
「先輩も会えば分かりますよ――面白い人です」
「面白い」、か。
「面白い」なんて言葉と、無表情の仕事人間なんて印象が並ぶと、石原にはどうにも想像がつかない。
まあ、そのうち会うことになるだろう。
春野はコーヒーを淹れに行った。
部屋は静かになり、コーヒーメーカーのかすかな動作音だけが響いていた。
緒山は窓際でスマホを見ている。
立花は自分の椅子にもたれるようにして、ファッション雑誌をめくっている。
石原は用意された自分の席に座り、その光景をぼんやり眺めていた。
そのとき、ふと気づいた。
――視界に浮かぶ感情タグは、まだ揺れていて、明滅もしていた。
けれど、なぜだか今は、いつものような煩わしさがない。
耳元を飛び回る羽虫みたいな、あの鬱陶しさがないのだ。
ただ、そこにあるだけだった。
まるで背景に溶け込む、静かな光のように。
なぜなのかは分からない。
慣れてきたのか?
それとも、この場所の空気のせいなのか?
ただ一つ確かなのは――
こんな感覚は、ずいぶん久しぶりだということだ。
「そういえばさ、石原」
コーヒーを持って戻ってきた春野が声をかけてくる。
石原の思考はそこで途切れた。
「自分の能力に、“代償”があるって考えたこと、あるか?」
「代償?」
石原はその唐突な問いに、一瞬きょとんとした。
「うん。異能力ってさ、使う以上は、たぶんどれも何かしらの代価があるんだと思う」
春野は気楽な口調で言った。
「ただ、気づいてる人と、まだ気づいてない人がいるだけ。たとえば石原――毎日あんなに感情に囲まれてたら、けっこうきついだろ?」
石原は少し黙った。
「……疲れますね」
「それが代償ってこと」
春野は言った。
「ただ君の場合は、一回きりじゃなくて、ずっと払い続けてるってだけだ。他の人は……」
それ以上、春野はこの話を続けなかった。
コーヒーカップを持ったまま自分の席に戻り、午後の会議で使う資料を整理し始めた。
生徒会室はまた静かになった。
本をめくるかすかな音。紙がぱらりとめくれる軽い音。そして窓の外から遠く聞こえてくる、校舎に響く生徒たちの笑い声。
石原は席に座り、焦点の合わない目で机を見ていた。
「――先輩?」
突然、耳元で声が弾けた。
石原ははっと我に返る。
気がつくと、立花の顔がすぐ目の前にあった。
オッドアイが星みたいにきらきら輝き、面白そうにこちらを覗き込んでいた。
「またぼーっとしてる!」
何か面白いものでも見つけたみたいな、少し得意げな声。
石原は少し身を引いた。
「……何してるんだ」
「別にー。先輩がぼーっとしてる顔、なんか面白くて見てただけです」
そう言って満足そうに笑うと、彼女は自分の席に戻り、またファッション雑誌をめくり始めた。
石原はその背中を見つめた。それから、窓際で静かにスマホを見ている緒山へ視線を移し、書類を整理している春野へと目を向けた。
そして視線を落とす。
ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
それは、とても小さなもので、誰にも気づかれないほどだった。




