☆第9話☆
「先生、こちらです」
「ほほう、ここか。あの噂の男が核融合実験をしている研究所は」
きっちりと七三分けにした銀髪と銀縁眼鏡、鋭い眼光に、柔らかな笑みを湛えた老人。彼に付き従うスーツの女性。
二人はおもむろに研究所のドアをくぐる。
「誰だ!? 貴様! この私、幽天橋狂太郎の研究所に何の用だ!?」
予期しない訪問者を目にして、声を響かせる狂太郎。
「ゆ、幽天橋さん! その方をご存じないんですか!?」
「こんなジジイ、知るわけがなかろう!! 何だ知り合いか? 小金守」
「いえ、その方は、科学賞の最高峰であるノルベル物理学賞を受賞されたシュバルツシュタイン教授ですよ!!!」
「何だと!? シュバ…、シュ、シュタ…、何だって?」
名前も言えない狂太郎に、気分を害するでもなく、その男、シュバルツシュタインは穏やかに挨拶する。
「やあ、日本の科学者さんたち。私はシュバルツシュタイン。ここで革新的な実験を行っていると聞いて来たんだがね」
「何だ貴様! 実験の詳細はトッッッッップシーーークレットだ!! 教えんぞ」
「ちょっと、幽天橋さん。教授に対して失礼ですよ」
「うるさい!小金守! ノルベル賞だか能天気だか知らないが、この天才の中の天才の中のさらに天才の中の天才である幽天橋狂太郎から見れば、凡人と変わりはない!!」
「ほっほっほ。なるほど、噂の通り、面白い男だ」
失礼極まる狂太郎の言動にも笑顔を崩さないシュバルツシュタイン。
「私が気になるのは、実験よりも君自身じゃよ。狂太郎君。君の存在は実に興味深い。なあハイデマリー」
ハイデマリーと言われた、シュバルツシュタインの秘書と思しき女性は頷いて、手にしていたファイルを開き読み上げる。
「幽天橋狂太郎。性別、男。国籍、常陸神国。年齢、不詳。出身大学、不詳。職業、不詳。論文、無し。著書、無し。突如として現れて、筑波核融合研究所の実質的な実験リーダーとなる。それ以外の情報はありません」
「学会で誰に尋ねても、君の素性を知る者はいなかったよ。狂太郎君。しかし、君が常温核融合の実現を、もうあと一歩のところまで完成させているという話は、漏れ伝わって来るのでね。ほっほっほ、実に、実に興味深いよ」
狂太郎ににじり寄るシュバルツシュタイン。
ゆっくりと右手を差し出し、握手を求める。
「ふん! じいさん、冥途の土産に握手してやろう!!! 光栄に思うがよい!!!」
シュバルツシュタインの手をガッチリと握り返す狂太郎。
この失礼すぎる物言いに、小金守は立ったまま気絶しかけていた。
「んん~、なに~、騒がしいなぁ~。お客さん~?」
ソファーで寝ていたらしい量子が目を覚ます。
「これはこれはお嬢さん。起こしてしまってすまないね。貴女の噂も聞いてるよ。何でも、核融合実験の成功にはなくてはならない助手だとか」
寝ぼけた顔の量子にも、慇懃に挨拶をするシュバルツシュタイン。
「いや、だからあたしは助手じゃないし」
「ほっほっほ。そうでしたか。それはそれとして、お会いできた記念に握手でも」
ソファーに寝たままの量子の前で、シュバルツシュタインは跪いて右手を差し出す。
「あー、はいはい」
狂太郎に負けず劣らずの無礼さで、雑に握手を返す量子。
小金守は棒立ち状態で、完全に気絶した。
「さて、あまり実験の邪魔をしても申し訳ない。これで失礼するとしよう。行こうか、ハイデマリー」
秘書を従えて、あっさりと研究所を後にするシュバルツシュタイン。
「一体、何しに来たんだ……」
気絶から立ち直った小金守がつぶやく。
「無駄な時間だった。小金守!!! 次の実験の準備だ!!!!!」
「はい!!!!」
研究所を出たシュバルツシュタインは、にやりと笑い、ハイデマリーに問いかける。
「気づいたかい? あの女性。時ヶ峰量子といったか」
「何かあるのですか?」
「ほっほっほ。彼女は特異点じゃよ。まさか実在するとはのう。実に実に、実に興味深い」
シュバルツシュタインは不敵に笑いながら静かに去る。
常温核融合の実現は目前である。




