☆第8話☆
「ねぎ玉牛丼、並盛で」
加米利也国国務省特殊部隊のキャリー・ターナーはカウンターにつくと、流暢にそう言って、深く息を吐いた。
幽天橋狂太郎なる正体不明の男の実験を観察し始めてから数か月、彼女は休日をとることもままならない日々が続いている。
それというのも、観察対象である狂太郎自身が、全く休みをとっていないからだ。
その男を観察し続ける以上、キャリーも休みを取ることはかなわない。
「全く、あの男の体力はどうなっているんだ? おかげでこっちも休みなしだ……」
愚痴をこぼしてカウンターに突っ伏しているところに、ねぎ玉牛丼が着丼する。
「ねぎ玉並盛で~す」
「う、うん」
ぐったりしていたキャリーは、やおら体を起こして、目の前に置かれたお盆に並ぶいつものセットを確認した。卵、刻み葱、そしてかぐわしい香りを立ちのぼらせる牛丼。
「ふふっ。これこれ」
頬を緩ませつつ、キャリーは卵を割る。
このセットには、卵の黄身と白身を分けられる金具がついているが、キャリーはそれを使わない。全卵派である。
小鉢に割りいれた卵を、完全に混ざりきるまでよくとき、醬油をひと垂らし加える。
牛丼の上に、刻み葱を丁寧に敷き詰める。
その上にまんべんなく卵をかけ、カウンターに置いてある紅しょうがを適量のせる。
紅ショウガの量は、多すぎても少なすぎてもいけない。絶妙なバランスがあるのだ。
ここで、人間の器量が試される。
無料だからといって、むやみに多く紅しょうがをとることは、品位に欠ける。
また、この完成された牛丼に対して味のバランスを損なうことになってしまう。
適切なバランスを見極められるか、そこが人間力というものだ。
仕上げに、七味唐辛子を少々。
ここでもまた、最適な振り加減が求められる。
以前は、刺激を求めるあまり、どんぶり全体を覆いつくすほど七味を振っていた。
これは、心底反省すべきことだった。
刺激を求めるばかりで、牛丼の醸し出す真のハーモニーを感じられていなかった。
あのころの自分の未熟さを思うと、顔から火が出る思いだ。
改心した今では、程よい七味加減をわきまえている。
この七味の、仄かな刺激が絶妙なアクセントとなり、牛丼は完成する。
「さて、食すとするか」
ここまでくれば、後は一気である。
ただただ、一心不乱にどんぶりへと立ち向かうのみだ。
本能のままに箸を握り、肉を、葱を、米をつかみ、口へ運ぶ。
確かな力をもってどんぶりを持ち上げて、その中身をかきこんでいく。
米、肉、玉ねぎ、卵、青葱、紅ショウガ、七味、それらが渾然一体となり、完成された味で、キャリーの身体を満たしていくのだ。
全神経をどんぶりへと傾けているキャリーの視界、向かい側のカウンターに座るサラリーマン風の客の男が視認される。
その男、いかにもつまらなそうに咀嚼している、凡庸な顔の男は、あろうことか牛丼を食べながらスマホをいじっていた。
何たる愚か者。
この素晴らしい食事を目の前にして、そんなものに気持ちを惑わせているとは。
あんなことをしていたら、食事純度が下がってしまうだろうに。
馬鹿な男だ。
真の美食、かけがえのない食事体験を求めるならば、食事中はただひたすらにその飯のみに意識を集中すべきなのだ。
瞬間的にそう思ったキャリーは、また再び自らのどんぶりを味わうことに没入していく。
その、圧倒的集中。
彼女には、もはや店内のBGMすら聞こえていない。
数分後。
どんぶりを食べ終えたキャリーは満足げにお茶を飲み、店員の手が空いた隙を伺って会計を済ませる。
「ごちそうさまです」
ぼそりとつぶやいて、立ち上がり、素早く店を出る。
心地よい満腹感と、店内で火照った身体を冷ます風を感じながら、キャリーはスマホを取り出して、核融合研究所に設置した隠しカメラの映像を見る。
「第96次実験か。もうすぐだな」
力のこもった目でスマホを見つめた後、キャリーは歩き出す。
決戦の日は近い。
彼女は、改めて自らの決意を固め、強く拳を握りなおした。




