第8話 ざまぁ開始! 視察団vs激ウマ料理
その日の昼、オルデン砦の食堂は、かつてない緊張感と、それを上回る「期待感」に包まれていた。
「へえ、ここが噂の『ゴミ捨て場』か。思ったよりも小綺麗にしているじゃないか」
鼻につく香水の匂いと共に現れたのは、豪奢な服に身を包んだ男。
元婚約者、カイル第二王子だ。
その後ろには、聖女アリスが私の元いた場所よりも派手なドレスの裾を引きずって歩いている。
「やだぁ、カイル様ったら。空気が淀んでいますわ。やっぱり辺境なんて、人の住む場所じゃありません」
「全くだ。こんな場所で野垂れ死んでいないか心配してやったというのに、感謝してほしいものだな」
彼らは食堂の中央に用意された席にドカドカと座ると、あからさまに不快そうな顔でテーブルを指でなぞった。
埃一つない。
残念だったわね、徹底的に掃除しておいたもの。
部屋の隅には、武装した兵士たちが整列している。
彼らの視線は鋭いけれど、それは王子たちへの敵意というより、「早くアレを見せてやれ」というワクワクした輝きに見えた。
私はジークフリート様の隣に立ち、静かに一礼した。
「ようこそお越しくださいました、カイル殿下、アリス様。遠路はるばる、お疲れ様です」
「ふん、相変わらず地味な女だ。おい、腹が減った。どうせ石のようなパンと腐りかけのスープしかないのだろうが、さっさと出せ」
カイル王子が顎で指図する。
隣のジークフリート様がピクリと眉を動かし、殺気を放ちそうになるのを、私はそっと手で制した。
大丈夫です。
暴力で訴える必要はありません。
もっと残酷で、甘美な復讐を用意していますから。
「ええ、とびっきりの『歓迎料理』をご用意しております。どうぞ、召し上がってください」
私は合図を送った。
厨房の扉が開き、料理長たちが銀色のクロッシュ(ドーム状の蓋)を被せた皿を恭しく運んでくる。
「どうせ麦粥か何か……」
カイル王子が鼻で笑いながら、目の前のクロッシュを開けた。
その瞬間。
パァァァァァ……ッ!!
まるで宝石箱を開けたかのような、眩い湯気と香りが立ち昇った。
カイル王子とアリスの目が、限界まで見開かれる。
「な……なんだ、これは!?」
白い大皿の上に広がっていたのは、王都の人間が見たこともない『夢のワンプレート』。
黄金色に輝く、ラグビーボールのような形をした卵料理。
その横には、漆黒のソースを纏った分厚い肉の塊。
そして、反り立つ塔のように巨大な、キツネ色の揚げ物。
彩りを添えるのは、真っ赤なトマトのサラダと、鮮やかな緑のブロッコリー。
そう、これこそが私の全力。
子供の心を忘れない大人たちへ贈る、至高のメニュー。
『大人様ランチ・オルデン・スペシャル』だ!
「これが、辺境の食事……だと?」
アリスが呆然と呟く。
匂いの暴力が、彼らを襲っていた。
肉の焼ける香ばしさ、卵の甘い香り、揚げ油の食欲をそそる匂い、そして濃厚なソースの芳醇な香り。
彼らが想像していた「腐ったスープ」とは、次元が違っていた。
「さあ、冷めないうちにどうぞ」
私が微笑むと、カイル王子は疑心暗鬼のまま、震える手でフォークを手に取った。
まずは、中央に鎮座する肉の塊――『ハンバーグ』へ。
「こ、これはなんだ。挽肉か? こんな黒いソースがかかっていては、味が……」
ナイフを入れる。
スッ。
抵抗がない。
あまりの柔らかさに、王子が息を呑む。
そして、切れ目から溢れ出したのは、透明な肉汁の泉だった。
ジュワァァァ……。
「なっ!?」
肉汁が鉄板の上で弾け、さらに香りが広がる。
使用したのは、筋肉質な『バイソン・ブル』の赤身肉と、脂の乗った『オーク』の合挽き肉。
肉の旨味の相乗効果だ。
王子は肉片を口に運んだ。
咀嚼する。
「……ッ!!」
カラン。
彼の手からナイフが滑り落ちた。
「な……なんだ、これはああぁぁぁッ!!」
カイル王子が絶叫した。
食堂がビリビリと震える。
「柔らかい! 噛まなくても溶けていくようだ! なのに、肉の味が濃い! そしてこの黒いソース……甘味と酸味、そして苦味が複雑に絡み合って、肉の脂を極上の味に変えている!」
デミグラスソース。
野菜と牛骨を何日も煮込み、さらに私のスキルで作った『赤ワイン』を加えて煮詰めた、努力の結晶だ。
「嘘よ、そんなはず……」
アリスが信じられないものを見る目で王子を見る。
彼女もまた、自分の皿にある巨大なエビフライに手を伸ばした。
近くの川の主、『キング・リバー・シュリンプ』だ。
身の太さは、子供の腕ほどもある。
彼女はナイフを使わず、上品ぶるのも忘れて、端っこにかぶりついた。
サクッ!!
軽快な音が響く。
次の瞬間、アリスの表情がとろけた。
「んんっ~!! なにこれぇ!?」
衣はサクサク、中の身はプリプリを通り越してブリブリとした弾力。
噛めば噛むほど、海老の濃厚な甘味が口いっぱいに広がる。
そして、上にかかっている白いソース――『タルタルソース』。
マヨネーズに、刻んだピクルスとゆで卵を混ぜたこのソースが、揚げ物の油っこさを消し去り、酸味のアクセントを加えている。
「美味しい……悔しいけど、美味しいわ! 王宮のシェフが作る蒸し海老より、ずっと美味しい!」
アリスは涙目でエビフライを貪り始めた。
もう止まらない。
カイル王子も、ハンバーグを平らげると、次は隣の黄色い山――『オムライス』に挑んでいた。
「ただの卵焼きじゃなさそうだが……」
スプーンを入れる。
その瞬間だった。
プルンッ。
パカァ……。
半熟に仕上げたオムレツが自重で割れ、中からトロトロの卵液が雪崩のように溢れ出した。
中から現れたのは、真っ赤な『ケチャップライス』だ。
『ファイア・バード』の濃厚な卵と、酸味の効いたトマトケチャップのコントラスト。
「……美しい」
王子は無意識に呟き、赤と黄色のコントラストを口に運んだ。
「んぐっ……うまい! 甘酸っぱい米と、まろやかな卵が口の中で踊っている!」
彼はもう、自分が何のためにここに来たのか忘れていた。
ただ目の前の皿に集中し、一心不乱にスプーンを動かしている。
「おかわりはないのか!」「この赤い米をもっとくれ!」と叫びながら。
その浅ましい姿を見て、周囲の兵士たちがクスクスと笑い始めた。
「見ろよ、あんなにガッツいて」
「俺たちがいつも食ってるやつの方が、もっと美味そうに食うよな」
「辺境は貧しいんじゃなかったのか?」
嘲笑のさざ波が広がる。
その空気に、ようやくアリスが我に返った。
彼女は口元のタルタルソースを拭うと、バンッ!とテーブルを叩いて立ち上がった。
「お、お待ちなさいカイル様! 騙されてはいけません!」
彼女は私を指差し、金切り声を上げた。
「こんなに美味しいなんて、あり得ませんわ! きっと何か、怪しい薬を使っているに違いありません! 『添加物』とか、人を堕落させる黒魔術の粉を!」
カイル王子もハッとして手を止めた。
「そ、そうだ! 俺がこんな……平民の料理ごときに心を奪われるはずがない! 貴様、何を入れた!?」
きた。
予想通りの難癖だ。
私は静かに、テーブルの上に用意していた小瓶を並べた。
「怪しい薬など一切使っておりません。使ったのは、私のスキルで生み出した『調味料』と、この領地で採れた新鮮な食材だけです」
私は小瓶の蓋を開けた。
ふわりと漂う、純粋な素材の香り。
「これは『塩』。岩塩から不純物を取り除き、旨味成分を結晶化させたものです。こちらは『醤油』。大豆をじっくり発酵させました。そして『マヨネーズ』は、新鮮な卵と酢と油だけ。……すべて、自然の恵みです」
アリスが小瓶を奪い取り、鑑定魔法をかける。
聖女である彼女なら、毒や呪いがあればすぐにわかるはずだ。
「……っ」
アリスの顔が青ざめる。
魔法の光は、一切の不純物を検出しなかった。
そこにあるのは、最高品質の、純度100%の「旨味」だけ。
「嘘よ……こんなの、ただの『調味料作成』スキルじゃないわ。王都の最高級食材店にも、こんなに純粋な味のものは売っていない……」
「ええ。貴方たちが『役立たず』と捨てたスキルです」
私は一歩前に出た。
ジークフリート様が、私の背中を支えるように立ってくれている。
「私は攻撃魔法は使えません。聖なる光で浄化もできません。でも、目の前の食材を最高に美味しくして、食べた人を笑顔にすることはできます」
私は兵士たちを見渡した。
彼らは誇らしげに胸を張っている。
「ここでは、美味しい食事が明日への活力になります。貴方たちが『貧しい』と笑ったこの場所は、今や世界で一番、食卓が豊かな場所なんです」
私の言葉に、カイル王子はぐうの音も出なかった。
皿の上には、舐めたように綺麗になった完食の跡。
それが何よりの証拠だった。
「くっ……くそっ!」
カイル王子は顔を真っ赤にして立ち上がった。
プライドをズタズタにされた彼は、震える指で私を指差した。
「お、覚えていろ! 今回はたまたま腹が減っていただけだ! 次に来る時は……その、なんだ、軍を率いて……」
「軍を率いて、どうするつもりだ?」
低い声が遮った。
ジークフリート様だ。
彼が一歩踏み出すと、その圧倒的な威圧感に、カイル王子とアリスは悲鳴を上げて抱き合った。
「もし、またエレナの料理を邪魔しに来るというなら、次は『食事』ではなく、俺の『剣』が相手になるぞ」
ジークフリート様の瞳が、冷たく、鋭く光る。
本気の殺気だ。
冗談ではないと悟った王子たちは、ガタガタと震え上がった。
「ひぃっ! 野蛮人め!」
「か、帰りましょうカイル様! こんな油臭いところ、もううんざりですわ!」
二人は逃げるように食堂を飛び出し、馬車へと駆け込んでいった。
嵐のような撤退だった。
一瞬の静寂。
そして――。
「やったぞー!!」
「エレナ様の完全勝利だ!」
「ざまぁみろ!」
兵士たちから爆発的な歓声が上がった。
帽子を投げ上げ、抱き合い、喜びを爆発させている。
「……終わったな」
ジークフリート様が、ふっと力を抜いて私を見た。
その表情は柔らかく、悪戯っ子が成功したような笑顔だった。
「ええ。もう二度と、彼らは来ないでしょう」
「せいせいした。……だが、一つだけ問題がある」
彼は深刻そうな顔で、テーブルの上の皿を指差した。
「奴らが残していったあの『大人様ランチ』……俺の分がないのだが」
その言葉に、私は思わず吹き出した。
「ふふ、安心してください。厨房に、もっと特大の『ジークフリート・スペシャル』を用意してありますよ」
「本当か!」
辺境伯の顔がパァッと輝く。
子供みたい。
でも、そんな彼が愛おしい。
「さあ、私たちも食べましょう。勝利の味は、きっと格別ですよ」
私は彼の手を取り、厨房へと向かった。
窓の外には、王都へ逃げ帰る馬車が豆粒のように小さく見えていた。
さようなら、私の過去。
そして、こんにちは。
これからも続く、美味しくて幸せな日々。
――だが、物語はまだ終わらない。
最大の障壁を乗り越えた私たちには、最後に一つだけ、大切な「契約」を結ぶ儀式が残されていたのだから。




