第10話(最終話) 笑顔のレシピ
カラン、カラン、カラン――。
祝福の鐘の音が、雲ひとつない青空に吸い込まれていく。
オルデン砦――いいえ、今や「北の美食都市」と呼ばれ始めたこの地に、春が訪れていた。
「おめでとうございます、エレナ様! ジークフリート閣下!」
「末永くお幸せに!」
「今日の料理も最高だぞー!!」
色とりどりの紙吹雪が舞う中、私は真っ白なウェディングドレスに身を包み、大聖堂の階段を下りていた。
隣には、正装の白いタキシードを着たジークフリート様。
普段の黒い軍服姿も素敵だけれど、今日の彼は眩しすぎて直視できないほどかっこいい。
髪を整え、少し照れくさそうに微笑むその姿に、沿道の女性客から黄色い悲鳴が上がっている。
「……すごい人出だな」
「ふふ、半分は料理目当てかもしれませんよ?」
私が悪戯っぽく囁くと、彼は私の腰を抱き寄せ、耳元で低く言った。
「俺は、お前目当てだがな」
甘い。
今日のケーキより甘い。
結婚式当日だというのに、彼の溺愛ぶりは留まることを知らないようだ。
◇
披露宴会場となった砦の中庭には、立食形式のパーティー会場が設営されていた。
テーブルの上には、これまでの私の集大成とも言える料理が並んでいる。
『ロックボアのローストビーフ風』
『キング・サーモンのマリネ』
『スノー・ポテトのクリーミーグラタン』
そして、会場の中央にそびえ立つのは、私の背丈ほどもある巨大なウェディングケーキだ。
スポンジには『ゴールデン・ウィート』という最高級の小麦を使い、間には北の山で採れた甘酸っぱい『ルビー・ベリー』をたっぷりと挟んでいる。
そして全体を覆うのは、スキル【調味料作成】で生み出した『バニラエッセンス』と『純白糖』を使った、極上の生クリーム。
「さあ、ケーキ入刀です!」
司会者の声に合わせて、私たちはケーキの前に立つ。
通常ならナイフを使うところだけれど、ここは辺境流。
シャリ……ン。
ジークフリート様が背中の大剣を抜いた。
太陽の光を反射して輝く、歴戦の魔剣。
「……本当にこれでやるのか?」
「はい! この剣は私たちを守ってくれた剣ですから。幸せを切り開くにはぴったりです!」
私が剣の柄に手を添え、彼がその上から大きな手を重ねる。
二人の共同作業。
「せーのっ!」
ズドンッ!
大剣は見事にケーキを両断した。
歓声と拍手が沸き起こる。
私たちは切り分けたケーキをお互いに食べさせ合う「ファーストバイト」を行った。
私が大きなスプーンでクリームたっぷりの部分をすくい、彼の口へ。
彼は少し躊躇いながらも、大きく口を開けてパクリ。
「……ん」
口の端にクリームをつけたまま、彼は目を細めた。
「甘い。……だが、不思議と胸が熱くなる味だ」
「ふふ、愛を込めて作りましたから」
彼もまた、私にケーキを食べさせてくれる。
口の中に広がる優しい甘さと、ベリーの酸味。
そして何より、彼と同じものを食べているという幸福感。
これが、幸せの味なんだ。
◇
結婚式から数ヶ月が経ち、季節は完全に夏へと移り変わっていた。
私たちの生活は、穏やかで、そして相変わらず「美味しいもの」中心に回っている。
オルデン領は今や、王都からも観光客が訪れるほどの人気スポットになっていた。
目当てはもちろん、マヨネーズや醤油を使った独自のグルメだ。
城下町には『エレナ通り』という屋台街ができ、そこでは「唐揚げ串」や「おにぎり」が飛ぶように売れている。
かつて「地獄の砦」と恐れられた場所は、今では笑顔と活気に満ちた楽園へと生まれ変わっていた。
そして、とある朝の風景。
「……行きたくない」
玄関ホールで、最強の辺境伯ジークフリート様が駄々をこねていた。
私の腰に腕を回し、首筋に顔を埋めている。
「ジークフリート様、もう出勤の時間ですよ。兵士たちが待っています」
「俺がいなくても訓練くらいできるだろう。今日は一日、お前とベッドでゴロゴロしていたい」
「駄目です。領主様がサボったら示しがつかないでしょう?」
私は苦笑しながら、彼の背中をポンポンと叩く。
結婚してわかったことだが、彼は外ではクールな「北の魔王」を演じているけれど、家の中(特に私と二人の時)ではかなりの甘えん坊だ。
大型犬がじゃれついているようで可愛いけれど、このままだと遅刻してしまう。
「ほら、これを持っていってください」
私は包みを彼の目の前に掲げた。
木箱に入った『愛妻弁当』だ。
今日の中身は、彼の好物を詰め合わせている。
甘い卵焼き、タコさんウィンナー(赤ソーセージの飾り切り)、そしてメインは冷めても美味しい『オーク肉の味噌漬け焼き』。
ご飯の上には、海苔でハートマークを描いておいた。
「……弁当か」
彼は包みを受け取り、少しだけ機嫌を直したようだ。
「昼が楽しみだ。……だが、足りないものがある」
「え? 量が少なかったですか?」
「違う」
彼は私の顎をクイと持ち上げ、チュッと音を立てて唇を重ねた。
「『行ってきます』のキスだ。これがないと力が出ない」
「……もう、食いしん坊なんだから」
私が顔を赤くして言うと、彼は満足げにニッと笑った。
「行ってくる。夕食までには必ず戻るぞ」
彼はマントを翻し、颯爽と扉を出て行った。
その背中を見送りながら、私は自分の頬に手を当てた。
毎日こんな調子で、私の心臓がもつかしら。
◇
その日の夜。
執務を終えたジークフリート様が帰宅した。
「ただいま、エレナ」
「お帰りなさい、あなた」
出迎えると、彼は私を抱きしめ、深く深呼吸をする。
私の髪と、そして厨房から漂ってくる夕食の匂いを吸い込んでいるのだ。
「いい匂いだ。今日はなんだ?」
「今日は少し肌寒いので、『ホワイト・シチュー』にしました」
私たちはダイニングへ移動した。
テーブルの上には、湯気を立てる大きな深皿。
北の大地で育った甘い『ミルク・オニオン』、ホクホクの『スノー・ポテト』、そして柔らかく煮込んだ『コカトリス』の肉がゴロゴロと入っている。
隠し味に、私のスキルで作った『白味噌』を少し加えて、コクを出してあるのがポイントだ。
「いただきます」
二人で手を合わせ、スプーンを口に運ぶ。
とろりとした白いスープが、口の中で優しく広がる。
野菜の甘味が溶け出し、ミルクのまろやかさと味噌のコクが絶妙なハーモニーを奏でている。
身体の芯からじんわりと温まる、家庭の味。
「……はぁ」
ジークフリート様が、心の底から安らいだような息を吐いた。
「美味い。……本当に、美味いな」
「お口に合いましたか?」
「ああ。王都のどんな高級料理よりも、戦勝祝いの酒よりも……お前と食べるこのシチューが、世界で一番美味い」
彼はスプーンを置き、私の手をそっと握った。
その手には、私と同じ赤い魔石の指輪が光っている。
「エレナ。俺の人生は、灰色だった。戦いと、義務と、冷たい雪だけの世界だった」
彼は私の目を真っ直ぐに見つめる。
「だが、お前が色をくれた。黄色いマヨネーズ、赤いケチャップ、黄金色の卵焼き……そして、この温かい白。お前の料理が、俺の世界を鮮やかに彩ってくれたんだ」
「ジークフリート様……」
「これからも、ずっと俺の傍にいてくれ。俺の胃袋と、心を、満たし続けてくれ」
「はい。もちろんです」
私は握り返された手に力を込めた。
かつて「役立たず」と捨てられた私。
料理人の真似事しかできないと嘲笑われた私。
でも今は、その料理で、世界で一番大切な人を笑顔にできている。
「おかわり、ありますよ?」
「頼む。……あの大盛りで」
「ふふ、はい!」
私は鍋のある場所へ立ち上がった。
窓の外には、美しい星空が広がっている。
明日もきっと、美味しい一日になるだろう。
私の「調味料作成」スキルは、世界を救う聖剣ではないけれど。
愛する人との食卓を、今日もっとびっきりの「幸せ」で味付けするために、私はこれからも料理を作り続ける。
「お待たせしました、特盛です!」
「おお、愛を感じる重さだ」
笑い合う声が、温かい湯気と共に部屋を満たしていく。
ここは北の辺境、オルデン砦。
世界で一番、美味しくて温かい食卓がある場所。
ごちそうさまでした!
(完)
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