5話 Von Voyage
「いよいよだ...この島を脱出して、世界に何が起きたのかを知るんだ...そして俺を召喚した神へと挑む!」
『トーマ、それは話が飛躍しすぎです。異世界小説の読みすぎではないでしょうか。』
せっかくの旅立ちだからと、カッコつけたセリフを言うトーマに、ARIAから無慈悲なツッコミが入る。
「せっかくの雰囲気が...まあそれは良いとして、ARIA、出発の時間はいつぐらいが良い?」
『ここ数日の潮の流れを計算した結果、今から1時間後に出発するのが最適です。』
「分かった。じゃあ最後の点検と準備にかかるか。」
と言っても、トーマがするのは「船ヨシ!水ヨシ!非常食ヨシ!」だけである。
時間を持て余した末、海岸をブラブラ散歩する事にした。
「これからどうなるんだろうな?案外本島のほうは今まで通りだったりして。」
『データ不足により確定は出来ませんが、今日までの状況を考慮すると、その可能性は低いように思います。』
「まぁスライムがいたもんなぁ。流石にもう今までと同じ世界だと思うのはやめる事にしたよ。現実を受け入れろってね。何が現実かは分からんが。」
そんな緩い覚悟を決めて歩いてると、遠くからかすかに鳥の羽ばたきような音が聞こえてくる。
嫌な予感を覚えたトーマは、すぐに近くの木陰に隠れて様子を伺う。
直後、トーマの頭上を飛ぶ大きな影。
「あれって、どう見てもアレだよな...」
『推定、ドラゴン又はワイバーン。空想上の生物で、異世界では定番の魔物です。』
それは地球上には存在しない筈の生物。
硬そうな茶褐色の鱗に覆われたトカゲのような身体からは、翼が生えている。体長はしっぽを含めて7〜8m程で、広げた翼は10mはあろうかという大きさ。
翼の先には鋭く長い鉤爪の生えた手、ステゴサウルスのように大きな背ビレ、尻尾の先端はメイスのようになっている。
小型飛行機くらいのサイズ感のそれは、獲物を探しているのか、縦に割れた瞳孔を持つ血走った黄色い目をギョロギョロさせて上空を旋回し、そして本島の方角へと飛び去っていった。
「はぁ...はぁ...死ぬかと思った...。どう見てもドラゴン...いや、手が翼になってるからワイバーンか。」
『この島はあのワイバーンの縄張りなのかも知れませんね。腹に真新しい傷があったので、もしかしたらワイバーンを傷つけた者を探しているのかも知れません。』
「よし、ちょっと早いけど出発しよう。今すぐ島を離れよう。そうしよう。」
『あまり慌てないでください。ワイバーンはもう見えませんし、急いては事を仕損じると言いますので。』
「ちょっとまて、そうなると海の中ももしかしてヤバいのがいるんじゃないか?よし、帆船を作ろう。帆船なら安心だ。」
『聞いてない...トーマ、落ち着いて。』
「ああもうどうすればいい!もう無理ですぅ!あばばばばばばば...」
『...わざとやってますね?』
「はははは!バレたか!まぁ今更焦ったところでどうしようもないからな。とにかく行動あるのみだ。なんくるないさーってやつだな。」
この時、トーマはある事に気づき始めていた。
「さてと、そしたら出発だ。」
海にアウトリガーカヌーを浮かべ、確かめるようにゆっくりと漕ぎ出す。
少しずつ島が遠くなる。
全てが変わった始まりの地であり、心の拠り所だった安息の地。
別れを告げるように一度だけ振り返り、そしてトーマは前へと進む。
「ARIA、潮の流れが早い場所のマーキングを頼む。」
『畏まりました。該当箇所を網掛けで表示します。』
するとここからおよそ500m程先と、そこから更に1km程先に、黄色い帯が表示された。
「あそこで身体強化を使うわけか。ちょっと緊張してきたな。しかしこのカヌー、意外と良い出来だわ。」
普通のカヌーのように座席部分を作る余裕がなかったので、バナナボートのように跨って漕いでいるのだが、意外と推進力もあり、歩くくらいのスピードは出ている。
『このペースだと、対岸まで1時間強といったところです。最初の身体強化は約4分、2回目は約6分。どちらも最大値の70%の出力を想定しています。』
「それくらいならなんとか耐えられるか。」
しばらくカヌーを漕いでいると、最初の身体強化ポイントに近づく。
『それでは身体強化を始めます。出力は70%です。』
そう言うなり、ARIAはトーマの身体能力を解放する。
その瞬間、身体中の筋肉がミシミシと軋みを上げる。
心拍数が上がり、筋肉に強制的に血液が流れ込み、限界までパンプアップしている。
皮膚の下で何かが蠢くような、風船が膨らんでいくような、そんな奇妙な感覚を覚える。
オールを持つ手にも尋常ではない力が入り、重さも半分くらいに感じる。
「おおお、なんか身体がひと回り大きくなったような気がする。ただこれは...しんどいな、早めに終わらそう。」
『やはり70%はまだ早かったのでしょうか。50%に下げますか?』
「いや、今はまだこのままでいい。」
そして一気にオールを漕ぎ出す。
感覚的には先程までと変わらない力で漕いでいるにも関わらず、カヌーのスピードは倍近く出ている。
「はぁ...はぁ...はぁ...抜けた...」
『お疲れ様でした。4分でも身体への負担は大きいようですね。やはり次は50%に下げましょう。強化時間は伸びますが、呼吸は今より楽になる筈です。』
「分かった...そうしよう...」
息も絶え絶えでARIAに答える。
と言うのも、膨張した筋肉を動かし続けるには相応の酸素量が必要になり、必然的に呼吸が荒くなる。
「まさか腕より先に肺が根を上げるとは...身体強化恐るべし...はぁ...はぁ...」
『ところでトーマ。今の身体強化でひとつ判明した事があります。』
「お、新たな力に覚醒てやつ?」
『新たな力ではありませんが、似たようなものです。さっきは筋力のみを強化していたのですが、これを感覚に応用できる事が判明しました。人間の反応時間は刺激から0.3秒ほどと言われていますが、それをアシストする事によって0.05〜0.1秒まで短縮出来そうです。』
「それって地味に超凄くないか!?」
『もしこのアシストが成功すれば、プロボクサーでもトーマにパンチを当てる事が難しくなるでしょう。』
「やばい、なんか俺ツエー系主人公みたいになってきた。」
『身体強化と併用すれば、少なくとも前の世界では肉弾戦でトーマに勝てる人間はいなくなると推察されます。』
ARIAの新たな力を聞き、少し興奮するが、ふと我に返って問題点を指摘する。
「でもそれって『当たらなければどうということは無い』ってだけで、当たれば致命傷ってことだよな?」
『その通りです。弓矢くらいなら素手でキャッチできるかも知れませんが、銃弾を避けたりする事は不可能なので、常にリスクと隣り合わせになります。また神経や脳にどのような影響があるかはまだデータが不足しているので、段階的に試していくべきかと。』
「まぁ人間の反射を無理矢理弄るって事だもんな、リスクはあって当然か...でも身体強化とその感覚強化は俺の切り札になりそうだな。これって同時に使う事も出来るよな?」
『はい、理論上は可能です。但し低負荷から慣らしていく必要はありそうです。』
「・・・なんかかっこいい名前とかつけたいな。ARIAに指示を出す時間も考えると、短く『ブースト』あたりが妥当か?」
『良い名前ですね。段階的にブースト1、ブースト2、ブースト3などと呼んでは如何でしょうか。』
異世界小説オタク同士の会話は早い。
「よし、そうしよう。50%でブースト1、70%でブースト2、90%でブースト3て感じにしようか。反応時間もそれに合わせて調整してくれ。」
(100%のブースト4を使う時は、覚悟しないとな...)
最悪の事態をひっそりと想定して、トーマはARIAに提案する。
『畏まりました。そのように設定しておきます。』
そんなやりとりをしているうちに、二つ目の身体強化ポイントに辿り着く。
「さて、今度は50%の身体強化のみだな。早速頼む。」
『畏まりました。ここは先程のポイントよりも潮の流れが早いので、少し上流に向けて漕いでください。』