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45話 心の中に立つ者


 気味が悪いほど静かな夜のテセリを歩く、1人の女がいる。


 この世界でも少数しかいない、狐獣人の女だ。


 黄金色の三角耳とふわりとした尻尾を持ち、非常に整った妖艶な顔立ちをしている。


 白のワンピースを身に纏い、どこか虚ろな薄い笑みを浮かべるその姿は、静まり返った街の中で異様な存在感を醸し出している。


 しかし何よりも異常なのは、右手に持った血濡れのダガーだ。


「ふふふ、これで私は自由よ...」


 ゆっくりとした足取りで通りを歩きながら女が呟く。


「うっ...くぅ...」


 突然女が頭を抱えて苦しみ出した。


 足は止まり、痛みに耐えかねて膝を折る。


「ああぁ...はぁ、はぁ、はぁ...いや、まだだわ。まだ足りない。」


 頭痛がおさまった女は再び立ち上がり、目を閉じて、ある人物からの言葉を浮かべた。



 ーーそんな男刺しちゃえば?肺を刺されたら息が出来なくなってかなり苦しいらしいわよ。



 もう何百回も繰り返したこの行為だけが、女を正当化し、肯定してくれる。


「自由に...自由にならなきゃ...」


 女はフラフラと歩き、夜の闇に溶けて消える。




「ま、魔導昇降機がある...初めて見たよ。」


「やっぱりこの世界でも昇降機は珍しいんだな。」


「初めて見るの?アンタ田舎者ね!」


 ホテルの昇降機に驚くルシェル。


 昇降機の特異さに納得するトーマ。


 チェックインの時に初めて見たのに、さも昔から知ってるかのようにルシェルをバカにするフェリス。


 ウッズ商会のホテル"リバーサイド"に到着したトーマ達は、三者三様の表情を浮かべている。


 因みにホテル名の由来を受付嬢に聞いたところ、「商会主から『ホテルはリバーサイドだからな』と聞いています。」との回答があった。


(その世代か、コウスケ・ハヤシ...)



「さて、早速昇降機を使おう。部屋は全員3階だな。」


「なんだかドキドキしてきたよ...」


 エレベーターのボタンを押すと、ドアが静かに開いた。


 躊躇なく乗り込むトーマと、恐る恐る足を踏み入れるフェリスとルシェル。


 3階のボタンを押し、ドアがゆっくりと閉まる。


「これ...大丈夫なのよね?」


 不安そうに中央に立つフェリスの心配をよそに、エレベーターは動きだす。


「わ、動いた。なんか変な感覚だね...」


「そうか?俺はほぼ毎日使ってたからなぁ。」


 ルシェルが良いリアクションをする。


 フェリスは放心状態で立ち尽くしている。



「た、大したこと無いわね!もう慣れたわ!」


 強がるフェリスを先頭に無事エレベーターから降りたトーマ達は、当てがわれた部屋へと向かう。


「ここか。部屋は...隣同士3部屋だな。じゃあ今日はここまでにして、明日の7時に1階に集合して朝食にしようか。」


「了解。じゃあおやすみ。」


「オッケー!また明日!」


 2人と別れ、トーマも部屋に入る。


 部屋の中にはシングルベッドが1台、壁に備え付けられたテーブル、木製のチェアなど、トーマの知るビジネスホテルと大差は無い。


 壁に掛かっている時計は9時を指している。


「そう言えば風呂があるって言ってたな。折角だし入るか。ARIA、覗かないでくれよ?」


「既に裸どころか内臓までくまなく覗いてますが。」


「・・・」




 2階の風呂場はシンプルで、大小の浴槽と洗い場、奥にサウナがあるようだ。


 今はトーマ以外に利用者はいない。


「下町の銭湯っぽい感じだな...ライオンの口からお湯出てるし。」


「これでフルーツ牛乳があれば完璧ですね。」


 ARIAも周りを気にせず音声会話で銭湯の王道について話す。


「ほんと、どこからその知識仕入れて来たんだか...」


「地球でトーマがローカルに保存したデータの中にありました。」


「そう言えば適当にデータ放り込んでたなぁ。」


「ローカルに保存したジャンルはウトドア、言語学、化学、医療、生物、一般教養等ですが、データ容量が約8TBありました。特に一般教養は明らかに一般的ではないデータも数多くありましたよ。」


「あ〜、オリジナルの検索ツールでジャンルだけ指定してダウンロードしたからか...しかもあれは文字ベースで画像とか動画は少なかった筈だから、とんでもない量の知識が詰め込まれてた訳だな...」


「生物のジャンルにはゴブリンやオークもありましたよ。」


「ははは、もはや全知全能だな。」


 当の本すら忘れていたARIAの知識の源泉を知り、トーマは乾いた笑いを漏らした。


「ところでさ、テセリの通り魔って"あの方"の仕業だったりしないかな?」


 掛け湯をし、湯船に浸かりながら通り魔について考える。


「現状では判断材料が少ないので断言は出来ませんが、テセリには洗脳された人間が多く潜んでいる可能性が高いと思います。」


「洗脳...か。どちらかと言うと感染者だよな。」


 ARIAから聞いた洗脳の仕組みを思い出し、トーマはそう呟いた。


「言い得て妙ですね。今後は感染者と呼びましょう。」


「感染なら治療も出来るっていう期待も込めて、だな。」


 浴槽から上がったトーマは、その足でサウナへと向かう。


「やっぱ銭湯と言えばサウナだよな。整えないと。」


「急激な温度差による血圧の乱高下や、発汗による脱水症状で意識が朦朧とする状態を楽しむというものですね。身体によくないのでは?」


「おいやめろ、世界中のサウナーを敵に回す事になるぞ。」




 フルーツ牛乳を片手に部屋に戻ったトーマの耳に、ノックの音が響く。


(誰だ?ARIA、一応警戒してくれ。)


『畏まりました。』


 トーマは警戒しながらも、ゆっくりとドアを開ける。


 そこにいたのは、風呂上がりなのか、しっとりと濡れた髪をいじるフェリスだった。


「お、フェリスか。どうかしたのか?」


 その問いに、フェリスは少し顔を赤らめて答える。


「ちょっと話したいと思って...入っていい?」


「ああ勿論、どうぞ。」


 トーマは、緊張のせいか少し肩の上がったフェリスを部屋へと招く。


 いつもの元気な雰囲気が鳴りをひそめたフェリスは、部屋の真ん中で所在なさげに立っている。


「立ち話もなんだな、座ってくれ。」


 トーマは椅子をフェリスに差し出し、自身はベッドに座った。


 ポスンと椅子に収まったフェリスは、口を開けては閉じるという動作を何度か繰り返し、意を決した様子で話し始める。


「あのね、ここまで旅してきて色々大変だったけど、アタシは今すごく幸せなの。トーマがアタシを必要としてくれた事も、過去と向き合うキッカケをくれたのも、ほんとに嬉しかったんだよ。」


 いつになく真剣な眼差しで話す彼女の様子に、トーマは自然と背筋を伸ばした。


「そうか。そう思ってくれて俺も嬉しいよ。まだまだ先は長いけど、ここまでやってこれたのはフェリスのおかげだ。」


「今までこんな気持ちになった事無かったからよく分かんないんだけど、アタシ多分...好き...なんだと思う。トーマのこと...」


(いきなり核心きたな...)


 今までのフェリスの言動から、遠からずこんな時が来るかも知れないと予想していたトーマは、それでも驚きを隠せずフェリスに問う。


「正直なとこ、戸惑ってる。でもそれはフェリスが嫌いとかそんなんじゃないんだ。俺もフェリスの事は好きだし、旅の仲間以上の関係になれたら、なんて思ってる部分もある。」


 その言葉に、フェリスは初めてトーマを直視する。


「でも今は色々やらなきゃならない事もあるし、今その気持ちに応えてしまうと、俺はフェリスに溺れてしまうと思う。それくらい俺もフェリスが好きだ。」


「そう、なんだ...好きだけじゃダメってこと?」


 フェリスの青い瞳は、溢れそうなほど涙を湛えている。


(どうすればいい?今の状況を理由にフェリスの覚悟を踏み躙っていいのか?)


「フェリス、俺は...」


「ごめんね!突然こんな事言っても困るだけだよね!」


 トーマの言葉を遮り、無理に元気な雰囲気を装う。


 その姿がトーマの心に深く突き刺さる。


「こんな状況でアタシの我儘ばっかり押し付けちゃダメだよね、ごめん!今のは、忘れて...」


 そう言うなり椅子から立ち上がり、ドアに向かって歩き出そうとする。


 しかしその歩みは、トーマによって止められた。


 背を向けて歩き出したフェリスの手を、トーマが掴んで引き寄せる。


 そのままトーマはフェリスの小さな身体を強く抱きしめた。


 腕の中の彼女から、湯上がりの心地よい香りが広がる。


「ごめん、やっぱ俺も我慢の限界みたいだ。フェリス、好きだよ。ずっと一緒にいてくれ。」


「うん...一緒にいる。」


 抱きしめられた瞬間、フェリスの胸に広がったのは今まで感じたことのない幸福感だった。


 腕の中で静かに涙が溢れ落ちる。




「ルシェル。」


「うわっ!ARIAかい?」


「はい、突然すみません。」


 ひとり自室で寛ぐルシェルのもとに、ARIAの声が響いた。


「壁を隔てても声は届けられるんだね...びっくりしたよ。それで、何か用かい?」


「はい。ルシェルは旅の仲間なので先にお伝えするべきかと思ったのですが、トーマとフェリスが恋仲になったようです。」


「恋仲!?まぁフェリスの反応は明らかだったけど、まさかトーマもフェリスを思ってたなんて...」


「正直なところ、私もビックリしています。トーマは私にも真意を隠していましたので。」


「そうなんだ...まぁ、祝福するべきなんだろうね。」


「ルシェルはフェリスに対して恋愛感情は無いのですか?」


 その問いにルシェルは吹き出す。


「フェリスに対する感情は仲間や友人に向けるものだけさ。そもそもフェリスと僕は相性が悪い!」


 フンスと鼻を鳴らし、怒ったような表情を作る。


「しかし恋仲かぁ...僕にはまだよく分からないなぁ。」


「私もです。愛というのはこの世で最も難解なものだと思います。」


 それぞれの想いを抱きながら、テセリ初日の夜は更けて行く。


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