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9 逃げるぞ


 前回までのあらすじ

 厳島に呼ばれて学校に入ったはいいが、見えない壁に阻まれて出られなくなった。

 ついでに、ここに来るまでに誰にも会っていないことに気づいてしまった。

 何これ。



 渋々現実を受け入れた俺は、厳島に説明を求めた。

 えーと、これは一体どうなってるんでしょうか。

 展開が全く読めないので、ひとつ解説のほうをお願いしたいのですが。

 俺たちはとりあえず校庭のベンチに並んで腰掛けた。どうしてか、厳島は部室棟の下のベンチには行きたがらなかったけど、こっちには座ってくれた。

 良かった、俺と並んで座るのが嫌なわけじゃなかったんだ。不幸中の幸い。

 座って少し落ち着いてみると、この場所の異常さがはっきりとわかる。

 街から、何の音も聞こえてこない。虫の声すら聞こえない。

 不気味で奇妙な静寂。夜空の星はいつもとまるで変わらず輝いているのに。

 こんな風に厳島と二人きりで、夜のベンチに並んで腰掛けるっていうのは、何度も妄想したことのあるシチュエーションだ。それが今、図らずも実現してしまった。

 だけど、今のこの胸の高鳴り……と呼んでいいものか。心臓の高鳴る鼓動は、決して好きな女の子と二人きりだからという高揚感からではない。

 得体の知れない不安。何かとんでもなく厄介なことに巻き込まれた予感。

 大会を寝過ごしたあの朝よりも、遥かにヤバい感じがする。

「これ、いったい何が起こってんだ」

 俺は言った。

「厳島の知ってることを話してくれ。それで、二人でどうにかしよう」

「……うん」

 厳島は頷いた。

「……でも、私もほとんど何も分からないよ」

 そう前置きして、厳島は話してくれた。

 今日、起こったことを。


 とはいっても、日中はずっといつも通りの平穏な日常だったそうだ。

 それは俺も知っている。

 まあ厳島の元気がなかったせいで、俺は相当やきもきしたが、それでもやっぱり隣の席同士でくっちゃべって、いつもほどじゃないにしても、笑い合ってたんだ。

 昼休みになると、杉村が来て、俺に前向けとか言って。

 放課後には部活をやって、梶川や井口とどうでもいい話をして。

 俺たちの愛すべき平凡なハイスクールライフが、いつも通りそこにあったのだ。

 それから梶川に、杉村を遊びに誘ってくれ、なんて言われて。その後に当の杉村からも梶川のことを聞かれてびっくりして。

 厳島も誘って四人で遊びに行こうって話したんだ。あの時は、明日学校に来るのが楽しみだった。新しい物語が始まりそうな予感があった。

 ざわざわと賑やかでやかましくて、だけどたまにドキドキも混ざってくる、俺たちのいつも通りの日常。

 それが崩れたのは、厳島によれば、俺が愛車(自転車)でキコキコと一人家路をたどっていたちょうどその頃の時刻のことだ。

 厳島がバレー部の練習を終え、着替えを済ませて部室を出た時だった。

 他の部員から少し遅れて、一番最後に部室を出た厳島は、異変に気付いた。

 一足先に部室を出たはずの部員が誰もいなかったのだ。

 みんな、ついさっき出たばかりだったのに。

 仮に全員で示し合わせて、部室を出た瞬間に全力疾走でどこかに隠れたとしても、絶対に間に合わないはずのタイミング。

 それなのに、誰もいない。

 消えたのは、バレー部員だけではなかった。

 他の部活の生徒。先生。学校には、誰もいなかった。

 さっき部室に入るときにグラウンドでまだ練習していた野球部は、一体どこに消えたのか。

 人がいないだけではない。グラウンドも校舎も、奇妙なまでに静まり返っている。

 部室棟の窓から見える、教室や職員室の電気がいつの間にか全て消えていた。

 今までに感じたことのない圧倒的な静けさ。

 厳島は底知れぬ恐怖を感じて、とにかく走って学校を出ようとした。

 だが、出られなかった。

 学校の正門も裏門もいつの間にか閉ざされていた。開けようとしても、扉も門もピクリとも動かなかった。

 柵を越えようと試みたが、それがどういう結果になったかは、さっきの俺の醜態が示す通りだ。そういえば鼻血は止まったので、俺はそっとティッシュを鼻から抜く。

 厳島はひどく混乱しながら、スマホで家に電話をかけた。

 誰も出ない。

 家族の携帯に電話をかけた。

 誰も出ない。

 友人に。親戚に。

 誰も出ない。

 110番や119番にも電話した。

 しかし、絶対に誰かが出なければいけないはずのそれらの番号ですら、空しく呼び出し音が響くばかりだった。

 そもそも、街の静まり方が尋常ではないことに、厳島も遅ればせながら気付いた。

 人の声、犬の鳴き声、電車の音。

 何も聞こえない。

 絶対に街のどこかを走っているであろう車の音がしない。

 一体何が起きているのか。

 自分の知らないところで、この街に何かとんでもないことが起こっているのではないか。

 テレビやラジオは。SNSは。

 しかし、スマホは何の映像も音声も届けてはくれなかった。

 ネットの接続は、切れてしまっていた。


 厳島は何とか出る方法はないかと、半狂乱になって校内のあちこちをまわったが、結局それが叶わないことが分かると、今度は呆然と座り込んでしまった。

 日はすっかり暮れ、校舎は夜の闇に包まれていく。

 幸い校内のところどころを照らす電灯は、頼りなく点滅したりしながらも最低限の光を提供してくれたので、完全な闇に沈むことはなかったが、それでも恐怖と不安は加速度的に募っていった。

 できることが何もなくて、それでも何かをしないと不安で、厳島はスマホに登録されている電話番号に、片っ端から電話してみた。

 ネットに繋がらない以上、スマホでできることはそれくらいしかなかった。

 だけど、繋がらない。どこにかけても繋がらない。

 どの番号も、空しく呼び出し音だけが響く。

 もはや半ば機械的に、諦め半分で電話をかけ続けた厳島の耳に、信じられない声が飛び込んできた。

「……もしもし」

 何時間ぶりかの、人の声。

 機械音声ではない、生きた人の声だ。

「……加藤くん?」

「おう、厳島。こんな時間に、どした?」

 それが加藤くん、つまり俺の声だったというわけだ。



「どうして、あの時、電話に出られたの?」

 厳島に真顔でそう尋ねられ、返答に困る。

「いや、携帯が鳴ったから」

 あまりに普通すぎる俺の答えに、厳島が唇を噛む。

「じゃあ、他のみんなはどうして出ないの?」

「どうしてって」

「この学校の外はどうなってるの? 何かおかしなゾンビとかモンスターみたいなのが湧きだしたとか、宇宙人が攻めてきたとか、突然謎のウイルスが街中に拡散したとか、そんなことがあって街中の人が死んじゃったの? それで加藤くんは私に気を使ってそのことを隠してるの?」

 厳島が震える声で物騒なことを言い出していた。

「いや、待て厳島」

「クラスの子たちも、先生たちも、みんな死んじゃったの? 私のお父さんもお母さんも。それで加藤くんがこの街の最後の生き残りなの?」

「待て。待て待て、厳島」

 慌てて厳島を止める。

 不安のせいで、想像力が変な方向に働いている。ずっとこの学校に何時間も閉じ込められていたからだろうか。最悪の事態の中でも一番最悪の事態、もはや最悪過ぎて現実味のないことを考えてしまっている。

 その点では、ついさっきまで普通に自宅にいた俺の方が、さすがにまだ冷静だった。

 自転車で通ってきた街の様子を、落ち着いて思い出してみる。

 閉じ込められたと分かったときは動揺してしまったせいで、考えがろくにまとまらなかった。だが、今なら分かる。

 街は、いつも通りだった。

 謎の侵略者に襲われて建物が破壊されていたり、謎のウイルスのせいで死体が道に溢れていたり。

 そんなことは一切なかった。

 いつも通りの、静かな夜の住宅街だった。

 だけど今にして思えば、静かすぎた。

 これは、確信を持って言える。

「街は、いつもと変わらない」

 俺の言葉に、厳島の瞳が揺れる。

「ただ、誰もいないんだ。俺たちの他には。それ以外は本当に、いつもと」

「どうして」

 厳島が遮る。

「どうして、こんなことになっちゃったんだろう」

「分からない」

 俺は自分の携帯を取り出した。

 試しに電話してみる。俺の家と、親と、部活の仲間と。

 親はともかく、梶川や井口は絶対にまだこんな時間に寝てるはずがない。

 夜十一時前。メッセージアプリの着信が一番うるさく鳴る時間帯だ。

 だが、誰も出ない。

 厳島の言うとおりだった。緊急発信でかけてみた110番も、虚しい呼び出し音だけを響かせている。

「ほんとだ」

 さすがに、認めざるを得なかった。

「ほんとに誰もいないんだな」

「どうしよう」

 厳島がうつむいて、スカートの裾を掴む。

「どうしよう、加藤くん」

 どうしようもない。残念だけど、今のところは。

「でもさ」

 俺は努めて明るい声を出した。

「一人じゃないじゃん」

「え?」

「俺たち二人は、こうして会えたわけだろ。それって一人きりより百倍ましだと思う」

 厳島は不思議な表情でじっと俺の顔を見て、それからこくんと頷いた。

「うん。百倍まし」

「だろ?」

 笑顔、笑顔。俺は一生懸命に笑顔を作る。こういうときに暗くなったって仕方ねえんだ。

「もう十一時だ」

 学校の時計は暗くてよく見えなかったけど、俺のスマホの時刻表示にはそう出ていた。

 それは、俺の感覚と一致する。

「厳島のスマホもそうだろ?」

「えっと」

 厳島は慌てて鞄からスマホを出して、それから頷く。

「うん、十一時」

「それならさ」

 明るい声。俺は暗い声を出さないことを心掛けた。

「朝になったら、何か変わるんじゃないかな」

 俺が夜空を見上げると、厳島もつられたように頭上に目を向ける。

「明るくなれば、分かることもあるだろうし」

「朝か」

 厳島が呟く。

「それってあと、何時間後?」

 そう言って縋るように俺を見る。こんな時なのに、その表情に胸が締め付けられる。

「朝なんて、あと六時間かそこらだよ。そうすりゃ太陽が昇る」

 俺は明るい声で分かり切ったことを答えた。

「それまで眠れるところを探そう。ちょっと目を閉じれば、あっという間に朝だぜ」

「……うん、そうだね」

 厳島が疲れた様子で頷く。

「これが悪い夢だったらいいのに。目を覚ましたら、自分の部屋のベッドの上で」

「そうだな」

 俺もそう思う。そうであることを祈って、今は眠ろう。

「さて、寝る場所はどこがいいかな。やっぱり部室かな」

 自分でそう言っておいて、俺はそれがダメなことに気付く。

「あ、だめか。鍵かかってるもんな」

「私、バレー部の部室の鍵持ってる」

 厳島が自分の鞄を叩く。

「一番最後だったから。職員室に返しに行くどころじゃなくなっちゃった」

「そっか」

 厳島の受難は、部室を出たところから始まったんだった。

「じゃあ、部室行ってみるか」

「うん」

 床は硬いけど、まあベンチの一つや二つあれば、そこで眠れるだろう。

 俺がベンチから立ち上がろうとしたその時だった。

 同じく立ち上がろうとしていた厳島が、中腰のおかしな体勢で動きを止めた。

 厳島は、強張った顔で何かを見つめていた。

「どうした?」

 だけど厳島は何も答えない。仕方なく俺も、厳島の見つめる先に目を向ける。

 グラウンドの向こう。

 ぼんやりとした明かりに照らされて、部室棟の方から誰かが歩いてくるのが見えた。

「……人?」

 それは姿かたちからして、人のように見えた。

 やっぱり俺たち以外にも誰かいたのか。

 喜びかけたのはごく一瞬のことだった。すぐに気付いてしまう。

 いや。おかしい。何だ、あいつ。

 歩いてくるそれの形は、確かに人のようにも見える。だけど、なぜか霞がかったように輪郭がぼやけている。

 男か女かも分からない、もやのような人影。

 そして、その手に握られているものだけが、電灯の明かりを奇妙なまでに反射して光っていた。

 ナイフだ。

 それも、かなり大型のもの。ナイフには詳しくないけど、現代日本で普通に暮らしていれば、まず必要のないサイズだ。

 アウトドアが好きな人だって、大概のところなら今はあんなの使わないんじゃないだろうか。あんなまるで、鹿でも解体するの? みたいなデカさのやつなんて。

「加藤くん」

 厳島が俺の腕を掴んだ。

 そいつはゆっくりとこっちに近付いてくる。

 輪郭もはっきりしないくせに、ナイフだけがやけに現実感のある鈍い光を放っている。

「厳島」

 俺も厳島の腕を握り返す。

 こいつはヤバい気がする。いや、ヤバい気しかしない。

「逃げるぞ」

「うん」

 俺たちは全力で走り出した。




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