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3 一緒に幸せになろうぜ


 その日の部活も、大変に厳しかった。

 俺たち陸上部は、練習時間が短いわりにその密度が大変濃くて、平たく言うと練習がめちゃくちゃキツいという評価を広くいただいている。

 命からがら練習を終えた俺たちは、汗を拭きながら水飲み場に座り込んでダベっていた。

「先輩待ち」である。

 俺たち一年は、先輩たちの着替えが終わって部室が空かないと、部室が使えないのだ。

 部室、狭いからなあ。

「おい、一年。てめえら、マジでちんたらやってんじゃねえよ。うるせえな、中村。お前が甘い顔するせいだろうが。こういうのは誰かがちゃんと言わなきゃだめなんだよ、マジで」

「やべえ、似てる! 昨日の大橋先輩だ!」

「くそウケる」

「マジで俺らんときはこんなもんじゃなかったからね。マジで今の百倍つらかったから。お前らだったら全員辞めてると思うよ、マジで」

「三十分前の大橋先輩だー! いちいちマジでマジでうるせえー!」

「腹いてえ」

 井口のいつもの大橋先輩のモノマネで盛り上がった後、梶川が急に、

「そういえばさあ」

 と俺に顔を向けた。

「厳島さん、今日元気なかったよな。あれから元気になった?」

「ああ、まあ」

 俺は曖昧に頷く。

 昼休みの間だけは、杉村のおかげか厳島は結構元気だった。

 だけど、午後の授業ではやっぱりどこかぼんやりしていた。

 そのせいで俺も、昼飯のあとはいつも眠くなるはずのに、今日は厳島のことが気になりすぎて全然眠気が襲ってこなかった。

眠気「いや、俺らも襲撃のTPOくらいは弁えてるんで」

「でもやっぱりちょっと元気ない感じだったな」

 笑顔は少なかった。俺は厳島に笑ってもらうことが生きがいなのに。

「そっか。まあ女子はいろいろあるからな」

 梶川は訳知り顔で頷く。

「特に、こういう感じの波が」

 そう言って、右手を荒波のように上下に動かす。

「お、出た。梶川のこれ」

 井口が嬉しそうに自分も手を波のように動かした。

「ほまれちゃん事件」

「何だ、それ。初耳だぞ」

 俺が尋ねると、梶川は苦笑いする。

「井口、言うんじゃねえよ」

 そう言いながら、梶川も自分でもう一度同じ手の動きをしてみせる。

「中学の時に付き合ってた子が、これが激しくてよ」

「お前ら中学生なのに、ホストとキャバ嬢みたいな恋愛してたよな」

 梶川と同じ中学出身の井口が訳知り顔で言う。

「梶川が他の女子とちょっと喋っただけでほまれちゃんがブチ切れて、大げんかして」

「おお、すげえ」

「梶川、刺されたんだろ?」

「いや、切りつけられたんだろ。こいつの腹に切り傷あるの、俺見たことあるし」

 周りの仲間が冷やかし半分に口を挟んでくると、梶川は苦笑して首を振った。

「お前ら全員適当なこと言うんじゃねえ。腹の傷は盲腸の手術の跡だよ。ほまれとは、ちゃんと卒業前に円満に別れたよ、ちょっとカッターナイフは突きつけられたけど」

 その言葉に、周りの連中は手を叩いて笑う。

「やべえ。梶川の前カノ、最高だな」

「見てみてえ」

 無責任なことを言っているそいつらのことを放っておいて、梶川はまた俺に顔を向ける。

「でも厳島さんって、そういう波があんまり無さそうなタイプだと思ってたけど。やっぱりあるんだな」

「うーん……」

 俺はもう一度、厳島の今日の様子を思い出して、腕を組んだ。

「なんかその感情の波みたいなやつ? っていうのとは、ちょっと違う感じがしたんだけどな」

「違う感じ?」

「ああ」


『何だか忘れ物をしたような気がして』


 厳島はそう言っていた。その声と口調が、妙に耳に残っていた。あれは単なる気分の上下とは違う気がする。

 午後の授業の後、聞いてみたんだ。「厳島、忘れ物が何だったか思い出したか?」って。

 でも厳島はちょっと苦笑いして、首を振っていた。

 あの顔は、そのときの気分や感情でどうこう、というのとは全然別のものだろう。

 といっても、俺にはそれをうまく説明できるだけの語彙がない。そんなものがあったら、一学期の期末の現国でもう少しいい点を取れてるわけで。

「うまく言えねえけどな。なんか、もうちょっと深い感じがする」

「ふうん」

 梶川は真面目な顔で頷いた後で、俺の顔を見て笑った。

「やめろ、その詩人みてえな顔」

「そんな顔してねえよ」

「じゃあこの顔を、お前なら何と表現するかね」

 梶川がしている妙な顔は、どうやら俺の真似ということらしい。そんなに唇突き出してねえし。

「詩人……でいいや」

「そうだろ」

 梶川が得意そうな顔をしたとき、部室棟からぞろぞろと先輩たちが出てきた。

「あ、先輩たちの着替え終わったぜ」

 井口たちが立ち上がり、先輩たちに挨拶しながら部室に向かって歩き出す。俺もそれに続こうとしたら、梶川に肩を掴まれた。

「加藤」

「なんだよ」

 梶川は、その整った顔を俺に近づけて声を潜めた。

「お前って、杉村さんと仲いいよな」

「ああ。まあ、同じ中学だからな」

「今度お互いの部活が休みの日、一緒に遊ぼうぜ。お前が杉村さん誘ってよ」

「え?」

 思わず、まじまじと梶川の顔を見つめる。

「何で?」

「何でって、そりゃ」

 梶川はこいつにしては珍しく、ちょっと照れた顔をした。

「杉村さんともっと親しくなりたいから」

「へ?」

「なんだよ、変な声出すんじゃねえよ」

「お前、杉村がいいの?」

 梶川は、背がすらっと高くて、長めのスポーツ刈りが爽やかな、いわゆるイケメンに分類される男だ。性格もいいから、モテるのはよく分かる。

 確かに杉村もいいやつだが、いかにも体育会系らしい飾りっ気のなさのせいで、異性として見られることが少ないタイプだ。中学の時も浮いた話は聞いたことがなかった。

 他のクラスや上級生の女子の間でもかっこいいと噂になっている梶川なら、もっとキラキラしてる弓原とか桐野あたりと並んでても全く見劣りしないのに。

「いいよね」

 梶川は真面目な顔で頷く。

「杉村さん、すげえいい」

「そう、かな」

 好みは人それぞれだもんな。

「まあいいけどさ」

 杉村と遊ぶのか。あいつ、どういうところに行きたがるんだろ。映画とかってタイプじゃねえよな。

「頼むぜ」

 梶川は真剣な顔のままで言う。

「そうしたら、厳島さんにも声かけられるだろ。四人で一緒に遊べるじゃん」

「え」

 思わず梶川を見る。梶川は満面の笑みで、俺の肩を思い切り叩いた。

「一緒に幸せになろうぜ!」

「いてえな!」

 照れ隠しに怒鳴ったが、俺は動揺していた。

 こいつ、気付いてやがったのか。俺が厳島を好きなことに。

「何だよ、幸せになろうって」

 そう言いながら俺の頭の中には、俺たち四人が私服姿で待ち合わせる爽やかな絵面がぶわあっと浮かんでいた。

 え、最高じゃん。

 やるな、梶川。すげえいいアイディアじゃねえかよ。



 梶川たち電車通学組は、駅までの道を十五分もかけてだらだらと歩くわけだ。

 自転車通学の俺は、暇なときは自転車を押して駅まで付き合って、そこで別れたりすることもあるけど、今日はまあ、さっさと帰ろうと思っていた。

 そしたら、部室棟の下で「加藤!」と声をかけられた。

 この学校で俺のことを「加藤」と呼び捨てにする女は、一人しかいない。

「なんだよ、杉村」

 テニスのラケットバッグを背負った杉村は、笑顔で手を振りながら近付いてくる。

「一緒に帰ろうぜ」

「ええ?」

 俺の家も高校からはかなり近いのだが、杉村も俺と同じ中学だけあって、家がめちゃめちゃ近い。

 杉村は、自転車通学ですらないのだ。

「別にいいけど、お前んちすぐそこじゃん」

「いいじゃんか、同じ中学同士でたまにはさ」

 そう言いながら、さっさと先に立って歩きだすので、俺も自転車を押してそれに続く。

 そのとき、ふと誰かに見られているような気がした。

 部室棟の二階から、誰かに見下ろされているような感覚。

 変な胸騒ぎがして、俺は振り返る。でも、部室棟の二階の窓には誰の姿もなかった。

「どうした、加藤。忘れ物か?」

「いや。何でもねえよ」

 気を取り直して、俺は杉村を追った。




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