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閉ざされた夜の校舎、君と二人きりで  作者: やまだのぼる@アルマーク4巻9/25発売!


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28 笑え


「加藤くん、ごめんね」

 厳島はそう言って目を伏せた。

「巻き込んじゃって」

「別に巻き込まれてねえよ」

 俺は答える。

「自分で来たんだよ。俺は、自分の意志で」

 だけど厳島は小さく首を振る。

「呼んだのは、私」

 申し訳なさそうに、呟く。

「それなのに、危ない目に遭わせて、怖い思いをさせて」

「怖くなんてなかったさ」

 即答した。

 ああ、嘘だ。本当は怖かったよ。情けない悲鳴も上げた。

 だけど、そんなことは問題じゃない。そうだろ?

「お前に呼ばれたから、来たわけじゃないぜ」

 俺はもう一度言った。

「自分の意志で来たんだ」

「……うん」

 厳島は小さく頷いた。

「あのな、厳島」

 ちゃんと言っておかなきゃいけないことがもう一つあった。

 こんなこと、改めて言うのは、めちゃくちゃこっぱずかしいんだが。それでも、言葉にしなきゃ伝わらないことっていうのがこの世にはあるんだ、きっと。

「俺と杉村、何でもないぞ」

「えっ?」

「俺たちのこと誤解してるだろ、厳島」

「えっ、えっ」

 厳島は、厳島らしくもなく面白いほどにうろたえた。

「あの、えっ」

「ほんとにただの中学の同級生だからな。あいつの好きなやつ、別にいるし。俺だって」

 そう言って、まっすぐに厳島を見つめる。俺だって、お前のことが。

 伝われ、伝われ。びびび、と念を込める。

「あの、ええと」

 厳島は真っ赤な顔で、涙目で俺を見た。

「ごめんなさい、ほんとに勘違いしてた。恥ずかしい、すごく恥ずかしい」

「いいってことよ」

 多分、俺も真っ赤な顔をしている。

「間違いは誰にでもあるからな」

「あぁ……」

 厳島は両手で顔を覆ってうずくまる。

「どうしよう」

「まあ、それはいいだろ。とりあえず、そういうことだ」

「優香に、何て言おう。謝らないと」

「謝る必要ないだろ、別に。あいつは何も知らないんだし」

「あ、そうか……ああ、でも本当に」

「とりあえず、杉村の話はここまでな」

 俺は手を差し出した。

「ほら、厳島」

「あ、うん……」

 俺の手を取って、厳島が立ち上がる。

「もう一つ、確認しないといけない」

 俺が真面目な顔をすると、厳島もまだ頬を赤らめたまま、それでも、真剣な表情で俺に頷く。

「うん、なに?」

「今日は、何の日だったんだ」

 そこは、はっきりとさせておかなければならなかった。

 この世界を、終わらせるために。

「……誕生日」

 厳島の答えに、「そうか」と頷きかけて、慌てて首を振る。

「いや、厳島の誕生日ってもっと前だろ」

 厳島の誕生日は、六月だ。俺が親しくなった時にはもう、厳島の今年の誕生日は過ぎてしまっていた。

 ちっ、残念。また来年か。

 そう思ったんだ。だから、はっきり覚えている。

「……私じゃなくて、彼の」

 厳島のその答えに納得した。

 ああ、そうか。

 今日は、あいつの誕生日だったのか。

「あの日、電話で話したの。来年の誕生日に行きたいところはどこって。一緒に行こうって。その頃の彼はもう、かなりおかしくなっていたから、私、元気づけるつもりで」

 厳島はぽつりぽつりと話し出した。

「今の体調じゃ、しばらくは一緒に出掛けられないかもしれないから、少し先の話をした方がいいと思って。それなら、彼の誕生日がちょうどいいかなって思ったの。でも、きっとそのせいで彼は」

 喋りながら、少しずつ厳島の呼吸が荒くなってくる。

「厳島」

「きっと私のせいなの。だって、その後すぐに彼は」

「厳島。分かったからもういいよ」

「彼はね、あの日の電話で、迎えに来るって言ってたの。来年の自分の誕生日には、必ず可織を迎えに行くよって、そう言っていたの」

 厳島は両手で頭を抱える。乱れた髪の毛が指の間から黒い蛇のようにこぼれた。

「ああ、どうして忘れてたんだろう。こんな大事なこと。私、忘れちゃいけなかったのに」

「それは厳島が、忘れようと努めたからじゃねえか」

 そうだ。

 厳島は、地元に残る彼氏との思い出を全部捨ててきたんだ。

 きちんと新しい人生を歩み直すために、誰も知り合いのいないこの高校に入って、つらい記憶を全部忘れようとしたんだ。

「私が忘れたせいで、彼は迎えに来なかった」

 厳島の目が、怯えたように俺を見る。

「だから、罰を受けなきゃいけないの」

 その哀しい表情に、俺の中で全てが繋がった。

 厳島は、思い出してしまったのだ。

 今日、部活の終わった後、部室で不意に一人になったその時に。忘れようと努め、事実、忘れていたその日のことを。

 今日が、最後にあいつが迎えに来ると言っていた、あいつの誕生日その日だったってことを。

 きっと本当は、薄々思い出しかけていたんだろう。こんなに遠く離れた高校に来たのに、厳島は自分の過去から完全に逃れられたわけではなかったから。

 その記憶は、ボイスレコーダーに残っていたあの会話からも明らかだった。あのレコーダーは彼女を取り巻く噂話の象徴のようなものなんだろう。

 記憶の扉をこつこつと叩かれ続け、それでも必死に忘れようとして。そんな葛藤の中で迎えた今日だったんだ。だから厳島は、朝から元気がなかった。

 そして、あいつは来なかった。

 当たり前だ。もう死んじまったんだから。

 厳島の心に決して消えない影だけを落として、自分はきれいさっぱりこの世から消えちまったんだから。

 でも、あいつが来ないことで、厳島は自分を責めた。

 私が忘れてしまったから、彼は来なかったんだって。

 忘れようと努めてきた分、一度溢れ出したらもう止まらなかったんだろう。

 そして、そこからこの世界が始まったんだ。


 この、厳島の精神世界が。


 だから、ここには厳島のほかには誰もいない。

 だから、厳島はここから出ることができない。


 ここには、厳島しかいないんだ。

 俺が最初に出会った厳島。

 それは、電話で俺をこの世界に呼んだ厳島だ。

 そうだな、仮に名づけるとすれば、それは「生きたいと願う心」。

 彼女の、前向きに生きようとする心の具現化した姿。

 だから、俺もよく知るいつもの明るい彼女の姿をしていた。


 そして、俺たちを追いかけてきた、ナイフを持った黒い影。

 あれも、厳島だ。

 あれは、彼氏との約束を忘れてしまった自分を罰そうとする、もう一人の厳島。

 そう、言うならば「死にたいと願う心」。

 中学時代の厳島を苦しめ続け、高校に来てからは鳴りを潜めていたけれど決して消えたわけじゃなくて、虎視眈々と力を得る機会を窺っていた、自分を責めて罰しようとする心の具現化した姿。


 生きたいと願う厳島は、自分の心を強く保つために俺を呼んだ。

 本人以外存在できない閉ざされた精神世界のはずだっていうのに、空気を読まない俺は、なぜかのこのことやって来た。意外な援軍を得て、生きたいと願う厳島は、すっかり明るさを取り戻したように見えた。

 だから、死にたいと願う厳島がナイフを持って襲ってきても、逃げ切ることができた。

 生きたいと願う厳島が、本来の厳島と完全に一致するわけじゃないことは、彼女が杉村のことを知らないと言っていたことからも明らかだ。

 今日の夕方、厳島は練習の後で偶然に、俺と杉村が一緒に帰る様子を見かけた。それできっと、それまでに感じていたことが確信に変わったんじゃないかと思う。簡単に言えば、俺たちの関係を誤解したんだ。

 厳島の、生きようという前向きな部分の中で、俺の存在は大きなウェイトを占めていたんだと思う。きっと、入学式のあのときから。

 だから、生きたいと願う厳島は杉村について、その存在を消してしまう必要があった。杉村だって、厳島にとっては大事な存在だったはずだ。俺は二人の友情を嘘だなんてこれっぽっちも思わないけど、それでもいなかったことにしてしまわなければならないほどの強い感情。

 嫉妬、だと思う。あんな天使みたいな厳島にも、そんな気持ちがあったんだ。


『まさか厳島可織のことを、誰に対しても優しくて悪意なんかこれっぽっちもない、けがれなき天使か女神のような女の子だ、なんて思ってないよね』


 あいつの言ったことは正しい。厳島だって人間だ。

 でも、俺はそんな厳島が好きだ。

 脆くて強い厳島が、好きだ。


 今目の前にいる厳島は、生きたいと願うあいつと死にたいと願うあいつが一つになった姿だから、杉村のことも、もちろん知っていた。

 だから、思う。誤解をちゃんと解けて良かった、と。


 そして、校舎の廊下で聞いた断末魔のような叫び。

 おそらくあれは、死にたいと願う厳島が、もう一つの厳島へと変わった叫びだった。

 変わったのはきっと、男に対する「怒りと不信感」。

 自分を置いて勝手に死んでしまった彼氏への怒りと不信感。それが、教室で俺が厳島に告白じみたことを言い、杉村の話までしたせいで、一気に噴き出したんだ。

 この人は、今はこうやって自分に好意を見せているけれど、でも結局は自分を裏切るんじゃないか。

 また私をひどく傷つけて去っていくんじゃないか。

 だって、この人には杉村優香がいるじゃないか。それなのに、私にこうやって好意を見せるのはどうしてだ。そんなの、信用できない。

 つらく悲しい体験から厳島の心に生まれた、そんな「怒りと不信感」。

 杉村のことが引き金になって、俺と一緒にいたはずの「生きたいと願う厳島」もそれに取り込まれてしまった。二度目に聞こえてきた厳島の悲鳴は、きっとその時のものだ。

 音楽室で俺にナイフを向けた黒い影は、「不信感」に取り込まれた「生きたいと願う厳島」だった。

 音楽室に飛び込んできて、まるで俺を救ったように見せたのは、「死のうとする厳島」が変化したほうの「不信感」。

 だから俺を狙い、試し、もしも自分を裏切るのなら殺そうとした。これ見よがしに、杉村の声まで真似してみせた。

 事実、俺はあの教室でもう殺される寸前だったのだろう。

 でも、そんな闇に染まった厳島の予想に反して、俺は気付いてしまった。

 厳島本人の姿をした「死にたいと願う厳島」ではなくて、黒い影そのものの姿になっていた「生きたいと願う厳島」を見て、それが彼女であると。

 俺の言った、「お前、厳島か」の一言。

 それが彼女の不信感にひびを入れた。

 そしてとどめは、俺が「死にたいと願う厳島」に向けて発した言葉だったのだろう。

「ごめんな。お前も厳島なんだな」

 生きたいと願う厳島も、死にたいと願う厳島も、どちらもが厳島であると、きっと初めて他人から認められたんだろう。それまでの厳島は、きっと他人にこんなに心をさらけ出すことなんてなかったはずだから。

 そして死にたいと願う厳島の作り出した世界は砕け、俺は彼女の過去にアクセスすることができた。

 優しい黄昏から冷たい夜を経て、厳島のばらばらになった心を一つにして、俺は今、元の教室に戻ってきたはずだった。


 だけど。


「私、罰を受けなきゃ」

 厳島が顔を上げた。

「今日が終わる前に、罰を受けなきゃいけない」

 厳島の輪郭が、一瞬ぼやけた。

 いつの間にか、その背後に黒い影が立っていた。

 校庭で俺たちを追いかけてきた、あの影だ。それは、厳島から生まれた「死にたいと願う心」。

 ばらばらになった心は、一つになったはずなのに。また分かれてしまった。あいつの呪いは、こんなにも根深かった。

 でも、俺がここにいる。それはつまり、そういうことなんだろ、厳島。

 俺は自分の意志でここに来た。

 でも、お前も俺を呼んだんだぜ。

 俺はお前とメッセージアプリも電話番号も交換なんかしていなかった。

 いつか聞こう。そう思って、タイミングを見計らって、結局聞けずじまいで今日まで来たんだ。だけど、部屋で電話を受けた時、俺の携帯には確かにお前の名前が表示された。

 さっき確認したけど、俺のスマホには、やっぱりお前のアカウントも番号も入ってなかったよ。

 そんなもの知らなくても、それでもお前は俺を呼んでくれたんだ。そして俺はそれを疑問に思わなかった。だって、俺以外の誰がここに来るのにふさわしいっていうんだよ。

 俺は、厳島の手を強く自分の方に引いた。

 よろけるようにして俺の胸に崩れかかってきた厳島をしっかりと抱きとめて、そこに立つ黒い影を睨みつける。

 それはもう影ではなかった。

 黄昏のオレンジ色の中で見た、運転席のあの男の顔をしていた。

「可織」

 そいつは、厳島の名を呼んだ。

「可織」

 厳島の名を呼びながら、ナイフを振り上げる。

「どうして、一緒に死んでくれないんだ」

 俺の腕の中で厳島がびくりと身体を震わせる。

 さっきまでの俺なら、こいつの闇そのもののような影に、ぎらぎらと光るナイフの恐ろしさに、すっかりビビって逃げ出そうとしていただろう。

 だけど、今は違う。

 こいつを恐れる必要なんか、これっぽっちもないってことに気付いたから。

「決まってるだろ」

 俺は答えた。

 笑え。

 笑え、加藤智之。

 男はこういう時こそ、笑うんだよ。

 にやり、と俺は笑う。

「毎日、俺の話で笑わなきゃならないからだよ」

「なに」

「厳島は、これから毎日笑うんだ。俺のネタボックスの中に溢れかえった、珠玉のエピソードの数々でな」

「そんなことは許さない」

 男が険しい顔で首を振る。

「俺がこんなに苦しんでいるのに、可織だけが笑うなんて許さない。可織は俺を救えなかった後悔を、一生抱えて生きていくんだ」

 その呪詛は、もうこの世にいない男の言葉なんかじゃない。言わせているのは、厳島自身の罪悪感。これは、悲しい自虐の言葉なんだ。

 男の醜い顔を見て、俺の心の中の天使が言った。

 言ってやりなさい、加藤智之。

 俺の心の中の悪魔が言った。

 ぶちまけてやれ、加藤智之。

「お前と一緒にするな」

 だから、俺は言ってやった。

「俺の話は鉄板だ。絶対にすべらねえ。どんなに笑いたくなくたって、厳島は笑うしかねえんだ。たとえそれが授業中だって試験中だって」

「ふざけるな」

 男が苛立ったようにナイフを振り回す。

 けれど、それを俺に振り下ろすことはできない。

 俺の言葉が、力を持っているから。俺自身が、自分の言葉を強く信じているから。

「なんせ俺は死なないからな。厳島が一生分笑うまで、絶対に」

「そんな嘘を誰が認めるか」

 男が叫ぶ。

 空しい虚勢。

「だからそこについては、厳島は何にも心配する必要はねえんだ。俺が厳島を置いてどこかにいっちまうんじゃねえか、みたいなつまんねえ心配はな」

 俺の言葉に、男が一歩下がった。ナイフを振り回しているのに、丸腰の俺を恐れるように。

「俺はどこにも行かねえ」

 俺は叫んだ。

「ずっと厳島の傍にいる」

 そのとき、俺の腕の中の厳島が、くすりと笑った。

「そうだね」

 厳島は言った。

「加藤くんの言う通りだね」

 厳島が俺を見上げる。

 涙で濡れた瞳。けれど、厳島は笑顔だった。

「加藤くんの話は、いつだって面白いよ。私、加藤くんの隣の席になってから毎日笑ってる」

「おう」

 俺は頷く。

「これからもだ。これからもずっと笑わせるから」

「うん、ありがとう。私も、加藤くんの隣で笑いたい」

 厳島は、ナイフを振り上げたままの姿勢で固まっている男に向き直った。

「可織」

「ごめんなさい、ユウジさん」

 厳島はきっぱりと、そう言った。

「やっぱり私、あなたと一緒には死ねない」

 その言葉と同時に、光が弾けた。




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