27 行き先は決まっていた
暗闇。
飛び散った光が一瞬にして視界を遮ったと思ったら、俺はまた闇の中にいた。
後ろから力いっぱい抱き締めたはずの厳島の姿はない。
と思った次の瞬間、視界が開けた。
窓から、夕焼けの光が差し込んでくる。その眩しさに、思わず目を細める。
またあの黄昏の時間に戻されたのかと思ったが、違った。窓から見える景色が、俺にもはっきりと見覚えがあったからだ。
ここは、俺たちの通う蒼神高校。俺が今いるのは、部室棟の二階の廊下だ。
……なんで、こんなところに。
窓から下を見た俺は、思わず声を上げた。
そこに、もう一人の俺がいたからだ。
もう一人の俺は制服姿で、自転車に跨って今にも漕ぎだそうとしていた。ちょうど部活が終わって家に帰るところみたいだ。
何だ、これ。
俺は部室棟の二階から、地上の俺を見下ろしている。
シュールな絵面だった。
戸惑う俺の隣に、誰かが立った。
そいつも俺と同じように、窓から乗り出すようにして下を見る。
「……厳島」
それは厳島だった。部活を終えて帰ってきたところのようで、まだ練習着のまま、首からかけたタオルで汗を拭きながら、自転車に跨る俺を見下ろしている。
と、厳島が窓に手を掛けた。優しい笑顔をしていた。
窓を開けて、
「加藤く……」
と呼びかけようとした時だった。
「加藤、待て加藤!」
それは杉村の声だった。自転車の俺が、めんどくさそうに振り返る。
「何だよ、杉村」
テニスラケットのバッグを背負った杉村が、両手をぶんぶんと振っていた。
「一緒に帰ろうぜ」
「ええ? 別にいいけどさ。お前んち、すぐそこじゃん」
「いいじゃんか、同じ中学同士でたまにはさ」
あ、これ、今日だぞ。
そこまで聞いて、ようやく俺は気付いた。これは今日の夕方、帰り際に俺と杉村が実際にした会話だ。
俺が自転車を押し、その隣を杉村が歩き、二人はゆっくりと遠ざかっていく。
そこまで見届けてから、厳島は静かに部室棟の窓を閉めた。さっきまでの笑顔から一変、唇を噛んで寂しそうな顔をしていた。そのまま厳島は何も言わず、バレー部の部室の方へと歩き去っていく。
そのときまるで何かを感じたかのように、自転車を押していた地上の俺が振り返って窓を見上げた。だけどもうそこに厳島の姿はない。
「どうした、忘れ物か?」
「いや。何でもねえよ」
俺はまだ窓際に立っているのだが、地上の俺の目には見えていないようだった。そのまま、何事もなかったかのように杉村と去っていく。
ぴしり、とどこかで何かにひびが入ったような音がした。
次の瞬間、俺の身体は、ぐん、と世界から遠ざかった。
暗転。
再び俺は、闇の中に放り出された。冷たく、澱んだ空気に満ちた場所だった。
ここがどこなのか、すぐに分かった。
目が暗さに慣れると、窓から差し込む月明かりで、もうすっかり見慣れてしまった景色が浮かび上がった。
教室。
俺はまた帰ってきていた。
奇妙な力で閉じ込められた、夜の学校。厳島と二人で逃げ込んだ一年三組の教室に、たった一人で。
だけど、俺はもう困惑したりはしなかった。だって、やるべきことが見えていたから。
深呼吸して、心を落ち着ける。それから、自分の頭の中を整理した。
今までのことを一つ一つ思い出し、じっくりと考えた。そして、俺の頭の中に出来上がったのは、ひどく現実離れした結論だった。そんなバカな、と笑う自分も頭の中にいたが、それをはっきりと否定してくれる材料も見付からなかった。言い方を変えれば、辻褄が合ったのだ。
その通りであってほしいとは思わなかった。むしろ、全然見当違いであってくれたらいいのに、と思った。だから、もしも別の結論が思いつけば、俺は喜んでそれに飛びついただろう。
でも、そうはならなかった。俺の限界はここだった。
だからこの結論に従って動くことを決めた。
今夜、この学校で起きたことは、全部。
厳島の、一人芝居だった。
一人芝居、という言い方が適切かどうか、俺には分からない。でも俺の乏しいボキャブラリーではそう表現するしかなかった。
今夜、この学校には、最初からずっと俺と厳島の二人しかいなかった。
校庭で追いかけてきた、謎の黒い影も。
音楽室に座っていた黒い影も。
俺と一緒にこの教室に逃げ込んで、すぐそこの席に座って俺を見ていたあの少女も。
その全員が、厳島だったんだ。
ポケットを探る。
冷たい金属の手触り。スマホはそこにあった。
そっと取り出してみる。
この学校の中では役には立たないスマホ。だけど、ここから出てる目には見えない電波が、俺たちが戻るべき日常に繋がっているような気はする。
だから、今なら分かる。
厳島。お前は、中学時代のあの日、お前に絶望を運んできたスマホで。
今度は俺に助けを求めてきたんだな。
それなら、助けに行くしかないじゃねえか。
白馬の王子様にしては、だいぶ薄汚れてますけどね。
俺の心の中の天使が言う。
ヒーローにしちゃ馬力が足りねえしな。
俺の心の中の悪魔もそう言って天使に同意した。
お前ら、最近仲いいな。
心の中の二人にそう言ってから、もう一度、深呼吸する。
そう、お前らの言う通り。
どうかっこつけたって、俺は俺だ。立派な大学生にはなれねえし、車の運転だってできねえ。手から変な光線も出ねえし、神から授かった光り輝く鎧も装着できねえ。
だから、俺のままで助けに行く。
だって、厳島が呼んだのは、他の誰でもない俺なんだから。
助けを呼ぶ厳島の電話に出たのは、この世界で俺一人だけなんだから。
俺はスマホを操作して、確認した。
一番最初に覚えた違和感。その正体がはっきりとした。それで、覚悟を決めた。
教室を出ると、俺は迷うことなく、暗い廊下を歩いた。
階段を下りる。行き先は決まっていた。
玄関前の廊下。入学式の日、クラス表の貼りだされていた場所。
「やっぱり、ここにいたのか」
俺の声に、彼女は振り向いた。制服のスカートが揺れる。
「加藤くん」
厳島は俺を見て、悲しそうに微笑んだ。




